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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第二章 旅は巡り会い

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第16話 宿屋

 リッカ商会の本店を後にすると、夕日が差した空の下、リオは宿屋街を歩いていた。
 宿屋街は市場からさほど離れていない区画にある。
 酒場や食堂を兼ねた店が多いために既に多くの人が集まっており、どの店も活気に溢れている。
 ざっと店を見渡しながらどこがいいかと判断していく。

(せめて風呂桶がある宿屋に泊りたい)

 ベルトラム王国やガルアーク王国にも沐浴文化はあるが、湯船に浸かるという意味での風呂は一部の地域にある温泉しか存在しない。
 お湯を作るのにもコストがかかる。
 そこで、風呂桶と呼ばれる底の浅い直径一メートル前後の木桶に、釜の余熱で温めた湯を張り行水して身体を洗うのだ。
 裕福な家だと湯を温めるのに魔道具を使ったり、サウナ風呂が設置されていたりもする。

 安い値段だと風呂桶がない宿屋もざらにあるが、他方でサウナ風呂が設置されているような宿屋もある。
 リオはサウナ風呂にそこまでの魅力を感じていないので風呂桶がある宿屋を狙っていた。

「ねぇねぇ。そこの黒髪のお兄さん!」

 きょろきょろと宿屋を見ていると、リオは突如声をかけられた。
 黒髪の人間はこの国では非常に少ない。
 自分しかいないだろうと振り返ると、そこにはチュニックドレスにエプロンをかけた町娘といった容貌の少女がいた。
 年齢はリオよりも二、三下といったところか。

「えっと、俺かな?」
「うん、そうだよ! ひょっとして宿屋をお探しですか?」

 と、客を逃がさないようにリオの腕に抱き着きながら、少女は言った。

「ああ。そこ風呂桶はある? 風呂に入りたくてさ」
「うん。あるよ!」

 少女が元気よく返事をする。

「なるほど。じゃあ一泊でお願いしようかな。相部屋じゃなくて個室で」
「個室? やった! 一名様ごあんなーい! こっちだよ! 早く、早く!」

 少女がぐいぐいとリオを近くの宿屋へと引っ張る。
 二階建ての木造建築で、それなりの歴史を感じさせる佇まいだ。

 一階に入ると入口にカウンターがあり、右手には食堂兼酒場に繋がる扉があった。
 扉の向こうからは騒がしい声が聞こえる。
 大声で歌う声、喧嘩をしているような怒号、そういった喧騒は中にいる人間達が既に酔っていることを如実に表していた。

「個室は夜朝食事付きで一泊小銀貨一枚だよ。湯とタオルは別料金で大銅貨一枚。料金は前金払い!」

 騒がしい喧騒にリオが苦笑していると、少女が元気よく声を出して料金の説明を行ってきた。
 少女はこの宿の立派な従業員のようだ。

「じゃあ湯とタオル付きで」

 最初から湯を浴びるつもりだったリオは悩まずに即答すると、小銀貨一枚と大銅貨を一枚を差し出した。

「了解! まいどあり~! お名前はなんていうの?」

 と、少女はご機嫌に笑いながら言う。
 元気な子だな、とリオは思った。
 王立学院で磨れた子供ばかり見てきたので新鮮な感覚である。

「リオだよ」
「リオだね。私はクロエっていうの、よろしくね!」

 にっこりとクロエが笑う。

「ああ、よろしく」

 そんなクロエを相手にも、リオの表情はあまり色がない。

「むー、そんな仏頂面してないでもっと笑いなよ! 笑顔! 笑顔!」
「はは……」

 リオは苦笑した。

「むー、ま、良しとしよう。じゃあお部屋にご案内するね!」

 そう言ってクロエはリオの手を握り引っ張っていく。

「ここがお部屋だよ。トイレはあっち。井戸は外にあるから好きに使っていいよ。お湯とタオルは必要な時に言ってね! それと、これが鍵ね。貴重品は部屋に置かない方がいいよ。何か質問はある?」

 と、クロエはまくしたてるように一気にしゃべった。

「大丈夫。ないよ」

 その様子が微笑ましくて、リオが今度は本心から笑った。

「おー、ちゃんと笑えるじゃない! お兄さん恰好いいから笑った方がいいよ! 何かあったらいつでも言ってね! もう夕食の時間だから荷物を置いたら一階に降りて来てね。食堂は一階の右手の酒場と兼用になっているから。あ、冒険者の人に絡まれないようにね」
「あー、そういうのあるんだ」

 と、リオが面倒くさそうな声を出して言った。

「うん、どこの宿でも日常茶飯事かな。特に若い子が来るとすぐ絡む人が多いから。大人の男の人って馬鹿ばっかり! すぐ暴力振るうし……」

 最後の方に少しだけクロエに影が差したように、リオには見えた。

「ま、無視するからいいや」
「うーん、頑張ってね? なんかリオってなんか頼りないというか……」

 心配そうにそう言い残すと、クロエは小走りで1階へ戻って行った。
 鍵を開けて部屋の中へ入ると、荷物を置き、すぐに酒場へと向かう。
 一階に下りて酒場の扉を開けると、賑やかな騒音とアルコール臭が漂っていた。
 多数の視線がリオに向けられる。
 どこに座ろうかと迷っていると、クロエがカウンター席へと案内してくれた。

「すぐにお料理を出すね。飲み物はどうする? 一杯だけ無料だけど」
「何があるの?」

 と、どうせならアルコールが飲みたいなと考えていると――。

「無料なのはアルコールだとビールとワインと蜂蜜酒、後はお茶とミルクかな」

 と、クロエが無料で飲めるものを教えてきた。

「じゃあビールで」

 有料で飲めるものにも興味はあるが、とりあえず無料なもので選択肢の中から選び答える。

「うぇ、あんな苦いのを飲むの?」

 どうやらクロエにはまだビールの良さは理解できないようだ。
 ちなみにこの世界では子供でもお酒を飲むことはできる。

「まぁね。お腹減ったから大至急料理も頼むよ」
「りょうかーい! 今日はお母さんの自信作だから期待してね」

 やや小走りで、クロエがキッチンの中へと戻って行く。
 すると、待っていましたと言わんばかりに、体格のいい冒険者風の男が三人やって来た。
 リオは男達がやって来たのに気づいてはいるが、特に視線は送らない。

「がははははは!! おーい、にいちゃん。一丁前にビールなんか頼んだけど飲めんのか?ここはお酒の飲めない坊やがくる場所じゃないぜぇ~」
「そうだ、そうだ。んなナヨっとした身体しやがって! お家に帰ってママのミルクでも飲んらどうだ~?」
「まぁまぁおまえら。びびって何も言えないみたいじゃないか」

 男達は既に酔っぱらっているようだ。
 他のテーブルに座っている客もリオの方を見てニヤニヤとしている。
 男達の口臭の臭さにやられて、リオが顔を顰める。

「こーら、あんまりリオをいじめちゃダメですよ。リオ、パンとスープはおかわり自由だからね。パンは私が焼いたんだ」

 そこにクロエが困った顔で料理を持ってきた。
 木製の皿の上にはなかなかボリュームのある料理が並んでいる。

「へぇ、ありがとう。じゃあパンは後でおかわりするよ」
「なんだ、リオっていうのかおまえ。男のくせに自分より小さい女の子のクロエちゃんに守られやがって」

 冒険者の男達が脇で挑発してくるが、リオは、それを無視し、自前のカトラリーを取り出して、食事を開始した。
 味はなかなかのもので、ナイフにフォーク、スプーンの進みは早い。

「ちっ、上品に食器なんか用意しやがって。お貴族様かってんだ」

 周囲の客が鷲掴みで料理を口に入れている中、食器を使って食事を食べるリオの姿は男達からすれば上品に映った。
 そこがさらに男達の鼻につくようだ。

「おい、聞いているのか!?」

 リオはパンを口に入れて美味しそうに食べているが、冒険者たちがその様子を見て怒る。
 その様子を、キッチンからハラハラとしたとした表情で、クロエが眺めていた。

「おい!!」
「無視すんじゃねぇ!! こっち見ろ!!!」

 男が大声を上げ、そのままリオの胸ぐらをつかんで立ち上がらせた。
 今のリオの身長は百六十センチに少し届かないといったところだ。
 相手の男たちは二メートル近くある。

「うわ、口臭いな。なに?」

 と、リオが面倒くさそうに言った。

「なんだと!?」
「てめぇ。せっかく人様が話かけてやったのに何無視してくれやがってんだ? あぁ!?」

 いつの間にか周囲の喧騒は止み、周りの客はリオ達の様子を面白そうに眺めている。

「そもそも俺は貴方達を知らないので、俺以外の人に話しかけているのかと思いました。それより口が臭いんで喋るの……いや、息吸うの止めてくれません?」

 リオが不快そうにそう言うと、男たちの肩がプルプルと震えた。
 この発言で酒場中から大爆笑が起きる。

「がはは。おいおい。そんな坊主になめられてるぜ~」
「そうだそうだ。ジーン! いいのか~」

 周囲の客がリオに絡んでいる男達を囃し立てる。
 その目論み通りに、ジーンと呼ばれたリーダー格の男が顔を真っ赤に染めた。

「き、貴様~!」

 リオの胸ぐらをつかんだままジーンがこぶしを振りかぶると、すかさずリオが顎に掌底をかます。

「がっ」

 ジーンが脳震盪を起こし、膝から地面へとダウンする。
 早ければ数分で目を覚ますだろうが、周囲は何が起こったのか理解できておらず、呆然と倒れたジーンを眺めていた。
リオがカウンターに座り直して食事を再開する。

「おい! てめぇ、ジーンに何をした!?」

 取り巻きの男がリオを怒鳴りつける。

「さぁ? 酒を飲んでいるのに怒鳴るから急性アルコール中毒にでもなったんじゃないですか?」

 と、演技めいて白を切ると、せっかくの美味しい食事を妨害された恨みを晴らすかのように、パンとスープをかき込んでいった。

「あ、クロエ、パンとスープのお代わりお願い」
「は、はい!」

 呆然としていたクロエだったが、リオに声をかけられると我に返った。
 なんとか返事をすると、慌ててキッチンの中へと戻って行く。

「おい!」

 すると、ジーンの仲間の男が大きな声を出した。

「ありがとう。パン美味しいよ。危ないからキッチンに下がってな」

 パンとスープを持ってきたクロエに礼を言うと、リオは溜息を吐いて立ち上がった。

「う、うん。ありがとう」

 クロエはリオの指示に従い怯えた様子でキッチンへと戻った。

「何したのかって聞いてるだろうが!」

 怒りの形相でリオを見つめ、男の一人が腰に差していたナイフに手をかけていた。
 それを見たリオが口を開く。

「それは抜かない方がいい。それを抜けば俺も手加減はしない」

 冷たい声と真剣な表情でそう告げた。

「やってみろやぁ!!!」

 だが、男は既にだいぶ酔っぱらっているのか、その言葉は通じなかったようだ。
 男は怒り狂ってナイフを腰から抜き放った。
 もう一人の男はリオの言葉に酔いが醒めたのか少し顔が青ざめているが、自分たちから仕掛けた手前引き返すことはできず、腰のナイフに手をかけたまま固まっている。
 リオが相手の踏み込んだ足を蹴りはらうと、そのまま男は派手にこけた。
 手に持っていたナイフが傍で棒立ちになっていた男の太ももに突き刺さる。

「ぐああああああ!!!」

 刺された男が大声を上げてうずくまる。
 転んだ男は何が起こったのか理解できておらず呆然としていたが、すぐに状況を受け入れ顔を青ざめて我に返った。

「ア、アシル!? お、おい、てめぇ!! 何しやがる!!!」

 アシルと呼ばれた男に刺さったナイフを見ると、焦ったようにリオに怒りの視線を向けた。

「何って正当防衛ですけど。貴方もひどいな。仲間を刺すなんて」

 あくまでも冷めた口調で、リオが言う。
 こういった手合いには冷徹に対処しなければならないことを、先日王都で絡まれたことで、リオは学習していた。
 面白半分で人に害悪をぶつけてくる人間に碌な人物はいないというのが、この世界でリオが学んだことだ。
 ここで非を認めれば一方的に攻め立ててくる人間もいる。
 リオは心を鬼にして男を突き放した。

「なんだと!? それはお前がやったんだろうが!」

 だが、そんな言葉で納得できるはずもなく、男はリオに食ってかかった。

「それは貴方のナイフでしょう? こんな密集地帯でナイフを抜けばこういう事態が起こるのは想定できていたはずだ。それにナイフを抜いて切りかかってきた以上は正当防衛くらいはしますよ」

 と、温度の籠っていない冷たい視線を向けながら、リオが言った。

「まさか黙って刺されろと?」

 そして、とどめを刺すように、そう告げる。

「い、いや……、でも……」

 完全に酔いが醒めたのか、男の表情は青白い。

「どうでもいいけど早く止血した方がいいですよ。死にはしないですけど、放置していい傷でもないはずだ」

 冷たい視線を向けて男を見下ろすと、リオはカウンターに座って食事を再開した。
 さすがに今までリオを眺めてニヤニヤとしていた周囲の男達も黙りこんでいた。

「ア、アシルさん! 大丈夫ですか!?」

 そこに顔色を変えた女性が駆けつけてきた。
 歳は二十代中後半歳くらいか、美人だがくたびれた感じの人物である。

「がぁぁ」

 女性の呼びかけにも応じず、アシルと呼ばれた男はナイフが突き刺さった太ももを抱えて、大声で悲鳴を上げている。

「い、今ナイフを抜いて止血しますから。痛いけど我慢してくださいね」

 そう言うと、女性は治療のためにアシルの傷口からナイフを抜いた。

「いてぇ!」

 すぐに女性が包帯を巻きつけていくが、溢れた血が白い包帯を赤く染めあげていく。
 慌てふためく女性を見て、ため息を吐くと、リオは男に近づいた。

「どいてください」
「え?」

 女性の戸惑うような声をリオは無視した。
 そして、自分よりも一回り以上大きいアシルを部屋の端に運ぶと、リオは一度包帯をほどいた。
 リオが軽々しく男を持ち上げたこともあり、周囲の者達は呆気にとられたように黙ってその様子を見ていた。

「『治癒魔法ヒール』」

 患部に手をかざしてカモフラージュの呪文を唱えると、リオの手から光が溢れた。
 リオが使っているのは魔法ではなく精霊術である。
 魔法ならば幾何学文様が浮かぶはずであるが、精霊術にはそれが浮かばない。
 周囲の者がその異変に気づかないように、リオは自らの身体で覆い隠すように男を治療した。
 あまり長く続けるのも憚られたので、手早く応急措置で傷口が塞ぐ程度に治療を施す。

「これで血は止まりました。とはいえ激しい運動は数日ほど控えてください」

 と、周囲の者達にも聞こえるようにリオが言うが、その場にいた全員が唖然として反応がない。

「マ、マジかよ……」
「い、今の『治癒魔法ヒール』……だよな? 初めて見た……」
「あんなガキが魔道士だと……」
「ひょっとして貴族なんじゃないか?」
「ま、不味くないか……。貴族に手を出したら最悪死罪だぞ」

 やがてちらほらと今リオがしたことを理解した男達が騒ぎ始めた。
 そもそも平民で魔法を習得している者が少ないこともあるが、中でも『治癒魔法ヒール』は魔力制御が難しいために特に習得者が非常に少ない。
 そんな魔法をまだ成人したばかりのような少年があっさりと使ったことに、その場にいた全員が驚愕していた。
 酒場の空気がざわつくのを感じてリオはうんざりする。

「クロエ」
「は、はい!」

 風呂に入って寝ようかとクロエに声をかけたが、怯えたようにクロエが声を出した。
 リオを見る目つきも先ほどのように親しみのあるものではなかった。

「ごめん。何でもない。ご飯美味しかったよ。ご馳走様」

 そう言い残すと、リオは食堂を後にして部屋へと戻った。
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