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美神

作者: 磯崎愛

文学フリマでお出しした三つの連作掌編です。

  《半円の午睡~耳の後ろが痒いけど~》


「猫と女は似ていると言われます。エコール・ド・パリの画家レオナール・フジタくらい、猫と女をよく描いた画家は他にいません」

 つまんないことを喋ってる。僕はだいぶがっかりしながら耳の後ろを掻いた。この女性講師は、印象派のモネの絵を「カーテンの模様みたい」と言ったという。楽しみにしてたのに、今日は暴走していないようだ。

 せまい教室を見渡すと、「耳なし」だけでなく、僕と同じ「半円」も少しいる。右耳の後ろが痒いのは、そこに植えつけられた冠状寄生生物が、真円になろうと成長しているからだ。うまくすれば彫金細工みたいな「光輪」になって、この僕も「美神」の資格を得て「翼もち」になることができる。

 教壇に立つ講師は典型的な「耳なし」だ。寄生生物に巣食われて、両耳ともに黄金になっている。真円になるだけの美的・霊的感受性が不足すると輪っかが途絶え、収縮して耳全体が覆われて聴覚が失われる。手術で聞こえるようにはなるけれど、たいていは大学に残り、冒険でなく、学問・研究をすることになる。それをして、女性に偉大な芸術家がいない証左にとりあげる人もいるくらいだ。ほんとはホルモンバランスのせいらしいけどね。だから、彼女たちを「耳なし」と呼ぶのはいけないことだ。けど、将来「美神」になろうとする学生は不安を打ち消すように口にする。

「美神」というのは通称で、銀河大学用語では「修復師」か「顕現師」と記録される。美神の目的は、その翼を用いて失われた地球の美術品を見つけ出し、修復して顕現させること。時空の乱れの向こうに、美を享受した神々の「歓喜」を感じとり、そこからイメージを拾いあげていくのが仕事だ。「美神」とは、記憶媒体であると同時に出力装置。遺伝子操作された魔術師――または、「糞喰らい」。

 地球が、神々と名乗る異星人に丸呑みされ、その排泄物に埋もれてだいぶたつ。僕たちの究極目標は、その糞尿の海から全包括的地球をより分けて取り戻すことなのだけど、無理なのかも……。

「そこのきみ、講義はもう終わってるわよ」

 僕はいつの間にか眠っていたらしい。腕組をした講師がこちらをじっと見おろしている。

「あなた、猫と女は似ていると思う?」

「……わかりません」

「そう。じゃあ、フジタにおける猫と女の相似についてレポートしてくるように。猫はもちろん、女性に関する表象資料は膨大よ。それから異性装についての考察も一緒にね。楽しみにしてるわ、『半円』ちゃん」

 しまった。僕が女だとすっかりばれてしまってる。耳の後ろに手をやると、

「たしかに、猫もそこをよく掻くわよね」

 講師はそういって微笑んだ。それから、僕の半円をいとおしげに見つめていった。

「今現在、女性が『美神』になれる確率は少ないけど、やれるだけやりなさい」

 僕は力強くうなずいて未来を想った。


 《睡蓮の午後~われ黄金に耳ふたがれし美神~》


 私の専門は印象派の画家、『睡蓮』で有名なクロード・モネ。幼い頃からの願いは、パリのオランジュリー美術館の至宝「睡蓮の間」をこの現代に「顕現」させることでした。

 彼が国家に遺贈したこの壁画は一九二七年当時、天井から陽光をとりいれる形で展示されていました。その後、屋内に飾られたものの、二〇〇六年に再び光を取り戻しました。私が「顕現」させたいと願うのは、やはりモネが望んでいた自然の光溢れるそれです。

 ところが、私は「美神」になることができませんでした。「美神」とは、特別な「翼」を用い、失われた地球の美術品を捜し求め、それを再び元のような形に再現する能力を持った者。いわば遺伝子操作された魔術師です。

 その最大の特徴である光輪は、「美神」候補者が耳裏に植えつけられる、天使の輪に似た独特の形状をした冠状寄生生物です。それは脳と身体に根を生やし、時空を超える美的感受性体である「美神」の基礎を作りあげます。

 私は、自分の頭上にあった金色の冠がしぼみ、耳を覆ってしまったときに泣きました。今でこそ、この不適合が女性のホルモンバランスによるものだと知られていますが、かつては女性が芸術を理解しないせいだなどと言われていたのです。こんなにもあの絵を愛しているのに、自分にはその「美」に触れる権利がないと断じられたように思いました。

「また見てるのかい?」

 横から声をかけられて、頁をめくる手をとめました。手許にあるのはモネの画集です。神々が地球を食べたあとの残滓や排泄物のなかで、人間と同じく、こうしたものは消化されずそのままに残っているのでした。

 夫は私が暇さえあれば絵を見ていると笑います。なにしろこの人は、私の『睡蓮』を、こともあろうに「カーテンの模様みたいだ」と言ったことがあるのです! 私は怒り狂い、ついには感極まって泣いてしまったのでした。恥ずかしいのですが、実を言うと、それが私たちの馴れ初めなのです。彼は「光輪」の研究者で、私は被験者でした。

 顔をあげた私に、彼が穏やかに言いました。

「再来年には、男女IS関係なく、誰もが身体状況によって不適合を起こしにくい『光輪』が出来そうだよ」

 昨日、教室で居眠りしていた「美神」候補の女生徒のことをふいに思い出しました。彼女の双眸は猫の目のように変化して、その豊かな感受性をあらわにしていたのです。

「君にとっては、遅すぎたよね」

 夫は肩を落としてつぶやきました。私は頭をふって立ち上がりその首に抱きつきました。

 失われた「美」を求める冒険を夢に見ないとは言いません。でも、日々の地道な研究こそがそれを見つけ出す真実の冒険であると、今の私は知っています。私は「翼」を得ることができませんでしたが、「美」を伝えるものです。夫は今では睡蓮を庭の池に植えるほど、モネを愛しているのですから。


《窓掛けの午餐~光と風に戯れる至福の刻~》


 地球を喰らった神々は、その放屁(ゲップだって話もある)で変てこなモノを作り出した。つまり、あたし。意識をもった奇特な物たち。あたしはカーテンのくせに、神々の魔法でできたせいで特技なんかもあるのよ。

 いま、こういう存在は「持物」として「美神」たちに重宝されている。神々の排泄物や食べ残しから、「翼」をつかって失われた地球の美術品を見つけだし、それを「顕現」させる「美神」たち。彼らは遺伝子操作された魔術師にして、金冠の「修復師」。いってみれば、あたし達って銀河の英雄のために誂えられた特別の魔法アイテムよね?

 けどさ、あたしって実は日陰者なの。猫が引っ掻いた跡や汚れがあって見栄えがしない。そのせいかずっと待機中。ほら、神々の作ったものだから廃棄されはしないけど、まさにカーテンらしく窓際族? 暗い倉庫でこのまま永遠に眠らされちゃいそうな感じ?

 自己修復機能もあるけど、なんか、そういうの嫌なのよ。こんなあたしの、本当の姿に気づいて欲しいの! 乙女のようにそう願ってるけどダメかしら? 

そんなあたしにも日の当たるときがきたのよ! 今日、午後の授業で「持物」の使い方講座の教材にしてくれるんですって。

 憧れの銀河大学の教室。周りには、未だ不揃いながらキラキラした冠を戴いた「美神」候補者たちの姿がある。あたしは胸がドキドキして、ほつれたままの裾が小刻みに揺れている。誰か、このなかのひとりがあたしの潜在能力に気づきますように! そうしたら、その「美神」のためにあたしの本当の姿や、素晴らしい魔法をたくさん見せてあげる!

そう、思ってたんだけど。

「先生、このカーテン、ちっとも喋らないし、なんか薄汚れてるんですけど」

「ああ、倉庫に埋もれていたものだから」

「じゃあ、『持物』として使われたことがないってことですか?」

ひとを役立たずみたいに言う前に、仮にも「美神」候補なら、あたしが以前どんなに美しかったかくらい見抜きなさいよっ。

「でもこのカーテン、紫外線やその他のものからも体を守ってくれるみたいだ」

 気づくと、ほつれた裾のあたりに浮かぶ神々の魔法文字を屈んで読む生徒がいた。

「他にも、姿を隠してくれるとか目くらましになるとか……」

 そこまで読めるってことは、あたしはこの子の「持物」だ。講師も気づいたらしく、こちらにそっと目配せをした。

 今はまだ、この男の子みたいなカッコをした彼女に言っちゃいけない。けどいつか、この子が「美神」になる時、あたしは彼女の防具になる。そして、その「翼」のはためきに揺られるだろう。この子の頭の冠は、今は頼りないほど細くて半分しか丸くないけれど、将来のあたしは、お日様のような輝きを燦々と浴びる最高の御馳走にありつけることができそうね!

                      


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