第四部第五章 英雄と梟雄その四
「そうでしょう、けれど私もチョコレートは好きですぞ」
「やはり」
「可愛い女の子にもらえるものなら何でも、ですが」
オーエルは笑顔で言った。
「私は妻と妹達から貰っています」
「それはいい」
姉妹からももらえるのだ。こういう時は姉妹は有り難い。
「私はそうしたことが本当にありませんね」
「失礼ですが長官」
ここで四人が同時に尋ねた。
「本当にチョコレートを貰えないもですか?」
「ええ、義理チョコ以外は」
「その義理チョコが何百もあるとか」
「それはそうですが」
「ならばよいではありませんか」
「そうそう、世の中その義理チョコでさえ一つも貰えない男もいますし」
これは悲しい事実である。中には貰えなくても平気だという本当の意味での変人もいるが。
「それを思えばずっといいのではないですか?」
「それはそうですけれどね」
八条は何処か不満そうである。やはり彼も本命のチョコレートが欲しいのだろうか。
「けれど、たまには。そう、アイドルやスポーツ選手のような立場でチョコレートを貰えるのも非常に有り難いことですが」
彼はいささか物憂げな顔をして言った。
「本命だというチョコレートが欲しいのも事実です」
「それはそうですが」
贅沢な悩みといえばそうなる。
「まあ何時かいい人が出て来ますよ」
四人はそう言って慰めるしかなかった。
「そうそう、長官でしたらきっと見つかりますよ」
「そうだといいのですけれど」
彼はいささか不安であった。
「バレンタインだけではないですからね、他のことでもどうもそういう話はないのです」
「それは縁ですよ」
ここでチャクラーンが言った。
「いい人が見つかればもらえるようになります。これは運命ですよ」
「若し見つからなかったら」
「その時はその時ですね。残念ですが」
「そうですか」
八条は暗い顔になった。
「そんなに落ち込まれることはありませんよ」
オーエルが言った。
「私は顔相を見ることができるのですが」
「ほう」
これには他の者も思わず声をあげた。
「長官の相は非常にいいです。特に女性に関しては」
「そうですか!?」
八条はその言葉に声を明るくさせた。
「はい。近いうちに素晴らしい女性と巡り合うことでしょう。いや」
ここで言葉を一旦とぎった。
「既に巡り合っているかも知れません。長官が気付いておられないだけで」
「そうだといいのですけれどね」
その声は明るいものだった。まるで高校生のものである。
「待っていればすぐに吉兆が長官のことろに舞い込んで来ますよ。楽しみにしておいて下さい」
「はい」
これでバレンタインの話は終わった。やがてその運命の日がやって来た。
八条はその日相も変わらず仕事に励んでいた。四人と話したことはその時には既に忘れていた。
「長官」
執務室で一人仕事する彼のところに秘書官が入って来た。
「何だい、新しい書類かい?」
八条は彼の姿を認めるとそう言った。彼は部屋に入ってくる度に新しい仕事を持って来るからだ。
「いえ、今日は違います」
「その脇にあるのは違うのかい?」
八条は彼が持つケースに目を向けて言った。
「これは私の仕事ですので」
彼は微笑んで答えた。
「珍しいな。君が新しい仕事なしでこの部屋に来るなんて」
「そうですか?仕事は最近それ程多くはありませんよ」
「一時期に比べればね」
八条はややシニカルな香料を言葉に含んだ。
「それでも多いことに変わりはない。中央政府の省庁で最も多いのはここなんだよ」
「それでも中央軍設立当初に比べれば」
「あの時のことは思い出したくないな」
二人は顔を見合わせて笑った。あの時は連日徹夜の状態だった。幾ら仕事をしても終わらなかった。今思えばよく身体がもったものだ。
「まあ話を戻そう」
「はい」
秘書官は八条に言われそちらに戻った。
「それで用件は何だね」
「はい、実は」
秘書官は一呼吸置いてから口をまた開いた。
「今日は何の日かご存知ですね」
「今日!?」
そう言われて八条は壁にかけてあるカレンダーに目を向けた。
「ああ、二月一四日か。バレンタインだね」
「はい」
「こう言ったら何だが」
八条は秘書官に顔を戻すと少し顰めさせた。
「今は仕事中だ。そういう話は後にした方がいい」
「私も最初はそう思っていました」
秘書は断りの言葉を述べた。
「ではそうするべきではないのかな。君らしくもない」
この秘書官の真面目さは彼もよく知っている。だから今の行動は軽率に過ぎると思った。
「それが」
「どうやら特別な事情があるようだね」
秘書官の態度が妙なのにようやく気付いた。
「はい。チョコレートですが」
「誰か特別な方からのかい?」
「はい」
「誰だい?」
彼は秘書官に問いながら自分も頭の中で考えた。
(一体誰か)
今カナダで話題のあの美人女優だろうか。パーティーで話をしたことはある。
それとも台湾のアイドルか。日本で人気があり自分のファンだと公言している。
(違うな)
だが彼はすぐにそれを打ち消した。それ位でこの秘書官がこれ程狼狽する筈がない。仕事の後で持って来て冷やかしはするだろうが。
(企業家や大農園の主の令嬢・・・・・・。これもないな)
それも同じだ。仕事の後で済む話だ。
(既婚者にしろ同じだ)
彼は人妻に言い寄る趣味はない。大体それなら義理チョコになる。例え何処かの大統領夫人からのチョコレートでもやはりこの秘書官はここまで驚かない。やはり義理チョコに入れるだろう。
「わからないな。一体誰なんだい?」
幾ら考えてもわからなかったので彼は再び問うた。
「驚かないで下さいね」
「うん」
彼はまだわけがわからなかったが頷いた。
「まさか総理じゃないだろうね」
彼女からは毎年義理チョコを貰っていた。
「それでこれだけ驚いたりはしませんよ」
「それはそうだね」
大体毎年貰っている。
「では誰なんだい?私にはちょっとわからないが」
「はい、実は」
「実は!?」
ここに至っても八条は誰からのものかよくわからなかった。
「陛下からです」
「マレーシアの?それともタイ?」
「両方共国王陛下ですよ」
「御免、そうだった」
ぼけてしまった。確かにこの時代男が男に、女が女にチョコレートを渡すことはあってもまさか国家元首がするとは思えない。だがこれで数が限られてきた。
「だが今連合に女王は」
いないのだ。女王といってもエウロパにも数える程しかいない。
(今のイギリスも国王だったな。先代の女王の息子で)
ビクトリア四世の後をウィリアム一二世が継いでいる。
(大体エウロパの者が連合の人間にチョコレートを渡す筈もないか)
それもそうであった。
「一人おられるではありませんか」
女王のことを口にした彼に秘書官は言った。
「一人!?」
彼はその言葉にハッとした。
「まさかとは思うけれど」
彼の言葉もいささか震えてきた。
「はい、そのまさかです」
秘書官は言った。
「馬鹿を言ってはいけないよ」
だが八条は彼の言葉を否定した。
「幾ら何でもそんな作り話」
「信じておられないようですね」
「当然だよ」
八条は複雑な顔をした。怒りもあったし苦笑もあった。どういう顔をしていいかよくわからなかったのもある。
「君は冗談の下手な男だと思っていたがセンスがなさ過ぎる」
「そう思われますか?」
「当たり前だよ。現実に考えればわかるだろう」
顔を顰めさせた。
「陛下がチョコレートを下さるなぞ」
そう、天皇からのチョコレートだったのだ。
「有り得ないだろうに」
「御覧になられますか?それでしたら」
「是非見たいね」
彼はたかをくくってそう言った。
「もし本当になるのなら」
「わかりました」
彼はベルを鳴らした。すると一人の男が入って来た。
「え・・・・・・」
その男の姿を診て八条は絶句した。何と宮内省の侍従の一人が入って来たのだ。
「長官、お邪魔します」
彼は優雅な仕草で挨拶をした。宮内省の仕事は祭り事である。他の省庁は行政が仕事だが、彼等は違う。昔から皇室の祭り事を補佐していたのだ。
かっては政と祭は同じであった。だが近代国家の発展と共にそれは分離していった。政治は議会や政治家が行い、僧侶はそこから排除されていった。こうした動きは欧州からはじまったが、その背景にはローマ=カトリック教会の腐敗があったのだ。
そして各国の王室もその役割を変えていった。彼等は政治から遠ざかるようになり、国家の象徴となっていった。この動きはイギリスの清教徒革命、名誉革命からはじまり、そしてナポレオン以降劇的に変わった。一次大戦までは自ら政治を見ようとする国王や皇帝もいたドイツのヴィルヘルム二世やロシアのニコライ二世等である。日本の明治天皇もこれに入れることができるが明治天皇は少し違う。明治憲法では意外と天皇の権限を制限していた。昭和天皇はこの時代においても理想的な立憲君主として名を残しているが、その下地が明治憲法において既にあったのだ。ドイツの憲法を参考にしていてもこの憲法は少し違っていたのだ。
そのドイツもロシアも滅んだ。二次大戦以降は共産主義という怪物の跳梁跋扈により王室、皇室の滅亡が多かった。だが共産主義が崩壊すると彼等の中には再び象徴としての王家を持とうとする国もあらわれた。
欧州第一の名門ハプスブルグ家を戴いていたオーストリアがそうであったし、世界最古とすら言われるエチオピア皇室もそうであった。なおエチオピア国王は時には皇帝と呼ばれる時もある。日本の天皇と並んで連合内のニ帝とされる。各国の序列においてはこのニ皇室は第一とされている。
主にこの運動は欧州で起こった。国家としての権威、象徴はやはり必要だとみなされたのだ。
だが彼等はかってのように政治を見るわけではない。あくまで儀礼のみを行う存在であるのだ。祭り事を行う、それが王室の仕事となっていた。
従ってその祭り事を補佐し、場を整える宮内省の者の動きも自然とそれに添うものとなる。彼等の動きはあくまで優雅であり、穏やかであった。
「あれだけどうしようもない石頭が揃っているんだ、動き位優雅でなくては話にもならん」
国民からのこうした意見もある。とかく彼等の守旧主義、頑固さは有名である。伊達に『竹のカーテン』を守っているわけではないのだ。だが、それだけに儀礼的なものには強かった。
(おそらくこれだけの動きをできる者はエウロパの貴族達にもそうそういないだろうな)
八条はその侍従の動きを見ながら思った。
(私もそれなりに幼い頃から教えられたが)
彼はかっての華族からはじまる家柄である。摂関家の血を引く名家だったという。
(それでもここまでには至らないな)
最早彼等の動きは完全に自分達のものとなっている。儀礼はそこまでならないと駄目なのだという。
「ようこそ」
八条も彼を迎えた。
「今回はどのようなご用件でしょうか」
わかっていたがこれも儀礼にあるのでこう問うた。
「陛下から長官にお渡しして欲しいというものがありまして」
「陛下からですか」
聞いていたがやはり顔が強張るのを感じた。
「はい」
侍従は頷いた。
「ここでは何ですね」
やはりやんごとない方からの贈り物は執務室で受け取ることはできない。
「場所を変えましょう」
「はい」
彼等はこうして応接室に向かった。国防省で最も格式のある部屋で他国の国家元首達との会談に使われる部屋だ。
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