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第四部第三章 愚か者の楯その三
「彼等には様々な国の料理も楽しんでもらおう。それが宣伝にもなるし各国の相互理解にも繋がる」
「そうですね、これは続けていくべきだと思います」
「うむ」
 彼等は食事を終えた。八条はナプキンで口を拭くと秘書官に対し尋ねた。
「昼の予定はどうなっている」
「はい、アナハイム社のオーナーとの会合となっています」
「食べ物の話をしてすぐに出てくるとはな」
 八条は思わず苦笑してしまった。この社長は無類の大食漢かつ大酒飲みとして知られている。
「そうですね、ここで出てくるとは思いませんでした」
 秘書官も笑っていた。
「では休憩のあと向こうへ行きましょう。今このシンガポールに来ているそうですし」
「うん」
 八条は頷いた。
「じゃあ少し休んでから行こう。麦茶を飲んでからな」
「私は緑茶を」
「こうした時は麦茶だと思うが」
「これこそ嗜好の問題です」
 二人はそうささやかな衝突を楽しみながら食後の茶を飲んだ。そして休息のあとアナハイム社のシンガポール事務所に向かった。

 アナハイム社は連合の大手造船企業の一つである。ロシアに本拠地を持ちその従業員は一千万にも及ぶ。連合でも有数の大企業である。
 連合の企業の特色は各国によって多少違うが多くはオーナーの権限が強い。その収入も莫大なものである。だがエウロパと比較して従業員の給料も高い。そのかわり労働者としての権利は薄い。エウロパでは労働者としての意識及び権利が強いのとは対照的である。
 連合ではあまり労働者という意識がない。オーナーと社員は使う側と使われる側の関係であるがそれは契約によるものである。オーナーは社員の能力を買って採用し社員は自分の能力を売り込む。そして雇わせる、個人主義の強い連合独特の考えである。
 その企業や職種が気に入らないのなら他に行く。他にも仕事は山のようにある。極論を言えば開拓地で自分の土地を手に入れればいい。誰もそれを邪魔する者はいない。実際にこうした発想、経緯で開拓地に行き大成功を収めた者も多い。
 オーナーにしろそうである。社員とはあくまで対等関係である。もし自分に不都合があれば社員に逃げられる。酷い場合には弁護士に訴えられる。流石に訴訟を仕事とするような弁護士はこの時代では警戒され殆どいないがそれでも一歩間違えれば訴訟となる。だから社員に対しても理不尽な要求はできないのだ。
 それが連合の企業における考え方であった。徹底的なギブアンドテイク、そして契約の意識。かなりドライである。大金持ちになりたいか人を使いたければ企業家になれ、ただし失敗は自分持ち、理不尽な要求をすれば弁護士に追われる、だがそうした考えが今まで多くの成功者を生んできた。
 アメリカン=ドリームという言葉がこの時代にも残っている。貧しい、若しくは困難な状況から身を起こし成功を収める。実力、そして運さえあれば誰もが瞬く間に大金持ちになれる。連合ではそのアメリカン=ドリームの思想が各国の奥底にまで浸透していた。良いか悪いかは別としてそれが連合の経済を今まで発展させてきた。
 アナハイム社のオーナーであるアレクサンドル=ベニョーコフの父もそうした人物であった。彼は一介の造船会社の従業員から一念発起して会社を立ち上げ一代で一千万を数える社員を持つ大企業のオーナーとなった。まさしく夢の実現者であった。
 かなり個性的な人物であった。港町育ちで酒が好きだった。飲むのは安い酒ばかりであった。背広よりも作業服の方が似合う男だった。だが機を見るに敏でチャンスを逃さなかった。そして精力的で常に闘志をみなぎらせていた。だからこそアナハイム社をここまで大きくすることができたのだ。
「親父はよく言ったよ、逃げるよりもまず立ち向かえ、ってな」
 白髪の中年の大男が笑いながら言った。そのアレクサンドル=ベニョーコフ本人である。
 白髪はかなり多い。色が白いのはどうやら元々であるらしい。瞳は黒い。これは彼の母がアジア系の血を濃く引いていたからだ。彼の母は先代の従妹であった。幼い頃から一緒で成人に達するとすぐに結婚したのだ。
 夫唱婦随の夫婦だったがこの妻は夫をよく支えた。決して美しくはなかったが肝が座っていてしっかりした女性であった。そして夫をよく支えたのだ。ロシアでは今だに母親はああなるべきだ、と言われている。
「お袋はよく言ったよ、何をするにも身体が強くなくちゃ駄目だと」
 この母は自分にも息子にも贅沢はさせなかった。だが食べ物はいつも豊富にあった。そして厳しく喧嘩に負けようものなら勝つまで家には入れようとしなかった。
「親父もだったよ。おかげで見てくれ」
 彼はそう言いながらよく額の傷を他の者に見せる。
「中学の時にできたものだ。他にも一杯あるぞ」
 彼の武勇伝である。親の血を引き彼も喧嘩っぱやい男だ。
「だが弱い者虐めはするなと言われたな。喧嘩はしても弱い者には売るな、と」
 彼はそれを忠実に守った。決してひもじい思いだけはさせなかった両親に対してはこのことも感謝している。
「親父もお袋もわしも学校は高校までしか出ていない」
 彼もまたすぐに父の会社に入った。そして一緒に働いた。
「しかし経営とは何かわかっているぞ、要するに喧嘩だ」
 ここでいつも豪快に笑うのであった。
「相手と競り合い勝つ、仁義も必要だ。そうでなくては何時かは絶対に負ける」
 彼の両親も彼自身も喧嘩屋だが情深い人物として知られている。だからこそここまでこれたという一面がそこにある。
「わしの夢はそんな親父とお袋が大きくしたこのアナハイムを連合一の造船会社にすることだ。その為には」
 ここで目を光らせる。
「このチャンスは逃さん。どんどんやるぞ」
 彼は今アナハイム社のシンガポール事務所にいた。そこの視察と共にもう一つの目的があった。
 八条との会談である。彼は今国防省とビジネスのことで話があるのだ。
「今までロシア政府とは客船のことで話をしたことがあったが」
 ロシアの宣伝及び国力誇示の為の豪華客船の建造である。それは大成功を収めアナハイム社の株は大いに上がった。
「中央政府との話ははじめてだな。さて、どうなるか」
 既に連合中に支社及び営業所を持つアナハイム社であるが連合中央政府との商談は今までなかった。彼はこれを大きなチャンスだと考えていた。
「ここで成功したらまた我が社の株があがるな」
 彼はニヤリ、とい笑った。
「常に前へ向かえ、悲観的になると成功しない」
 彼の父の言葉である。彼もまたポジティブな孝えの持ち主であった。彼は今それを呟いた。
「親父もいいことを言った。この考えで今まで失敗したことはない」
 彼は面会室のテーブルに座っていた。そして側に立つ彼と同じ白髪の秘書官に対して言った。
「おい」
「はい」
 実はこの秘書官は彼の息子である。
「八条長官は御前と同じ歳だったな」
「はい、若いですがかなりできる人のようですね」
「そうか」
 彼は息子からそれを聞くとニヤリと笑った。皺一つない精悍な顔に精気がみなぎっている。
「ウラジミル」
 そして息子の名を呼んだ。
「よく見ておけよ、八条長官は何かと御前にとってもいい勉強になる」
「はい」
 小ベニョーコフは父からそう言われ頷いた。
「御前には親父とわしよりもさらに上に行ってもらう」
「連合一の造船業よりもですね」
 蛙の子は蛙と言われる時がある。彼もまたそうであった。
「そうだ、まだまだ敵は多いがな」
 父はまた笑った。
「だが御前ならばできる筈だ、このアナハイム社をしょって立つことがな」
「お任せ下さい」
 息子もニヤリと笑った。自信に満ちた不敵なものであった。
「ベニョーコフファミリーの家訓には逃亡の二文字はない、それだけは忘れるな」
「はい」
 そうこう話しているうちに八条が来たとの連絡があった。二人は事務所の門まで彼を出迎えに行った。
「ようこそ」
 車から出て来た八条を笑顔で出迎える。明るく陰のなさそうな笑顔だ。こういった笑顔もできるのだ。
「はじめまして、ベニョーコフ社長」
 八条は右手を差し出して言った。
「連合中央政府防衛長官の八条義統です」
「こちらこそ、アナハイム社のオーナーベニョーコフです」
 ベニョーコフも手を出した。そして二人は握手した。
 見れば周りには狙撃できそうな場所はない。ベニョーコフはそういったところを選んでこの事務所を建てたようだ。
(豪快な人物だと聞いていたが)
 八条は握手をしながら考えていた。
(こうしたところにも考えが及んでいるんだな)
 その通りであった。伊達に連合でも屈指の造船企業のオーナーをやっているわけではない。彼は敵も多い。従って暗殺や暴漢に対しては細心の注意を払っている。
(ふむ)
 ベニョーコフの方も八条を見ながら思うところがあった。
(噂に違わぬ男のようだな)
 彼もまた八条の人となりを監察していた。
 企業家という職業柄人と接する機会は多い。そこで彼は人を見抜く目を養ってきた。
 八条はそのメガネに適う人物であった。彼はまず目を見ることにしている。
(まず目を見ろ、と言ったのは孟子だったか)
 中国春秋時代の思想家である。性善説で有名だがその言わんとしていることは実に単純であった。
 単純なのはこの場合悪いことではない。むしろ多くの者に理解しやすい為よいことである。
 彼の主張の本質は『信なくば立たず』である。人も国も信頼がなければ駄目だ、その信頼を得られるようにすべし、というのである。
 これは至極当然の主張であった。企業家も政治家も信頼がなくてはならない。個々の人の付き合いもだ。
 国家もである。信頼のない国家では駄目だ。例え力があっても信用のない国家はいずれ破綻する。ヒトラーやスターリンという他者を欺き陥れ、虐殺や粛清を得手とする狂気の独裁者に率いられたナチスやソ連が破綻したように、だ。
 孟子は三千年以上も前にそれを主張していたのだ。ベニョーコフは高校で学んだそれをふと思い出したのだ。
(まさかこんな時に思い出すとはな)
 彼はここで内心苦笑した。彼は学校教育にはあまり重点を置いていない。
『学校の教育は最低限のものさえあればいい』
 彼の父の言葉だった。彼も父も高校を出てすぐに働いている。そしてアナハイム社を立ち上げ成長させてきた。彼等は学校の学士号よりも現場で得られる知識やセンスを重要視しているのだ。
(奇妙なことだ。まあ役に立つのならいいが) 
 そういうフランクな考えであった。二人は握手を終えた。
「どうぞこちらへ」
 彼は八条を建物の中に案内した。八条と秘書官はそれについて行く。
「こちらです」
 そして面会室に入った。秘書官と息子は外で待っている。
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