第四部第三章 愚か者の楯その一
愚か者の楯
「それにしてもだ」
カッサラにてオムダーマンの後方支持を管轄するアジュラーンは自身の執務室で思わず声を出した。
「まさかアッディーン上級大将がここまで勝つとは思わなかった」
「そうですね」
彼の側にいた秘書がその言葉に頷いた。
「ましてやこんなに捕虜を得るとは」
目の前にある書類を見て言った。
「全くだ。十個艦隊単位での捕虜なぞ見たことも聞いこともないぞ」
歴戦の将である彼でもそうであった。ましてやこの若い秘書なぞは。
「収容する施設だけでも大変だ。ましてやそこに食事や衣服まで考えなければならない。頭の痛い問題だ」
「捕虜は少しずつ故郷に帰しているのでしょう?見たところ数は次第に減っておりますが」
「それでも数が多過ぎる。到底一度にできるものじゃない」
アジュラーンは顔を曇らせた。
「だからといって殺すわけにもいかない」
「はい、それは絶対に許されません」
秘書は顔を締まらせて応えた。
「我がムスリムは捕虜に対しても寛大であらねばならない、アッラーの御教えです」
「そうだ、ましてや彼等もまた同志なのだしな」
これはサハラの特色であった。彼等は多くの国に別れ対立しているがその信仰は同じである。イスラムだ。これが実に多くの宗教が混在している連合とは違う。従って彼等にはまずムスリムとしての意識がある。
「同じムスリムではないか」
よくこう言われる。ここにサハラ各国が集合離散する理由の一つがあるのだ。
例えどのように分裂していても彼等は同じなのである。皆アッラーの下に平等だ。時には愛国心よりも先立つ。
「ある程度の捕虜が出ることは予想していたが」
彼は首を少し横に傾げて言った。
「ここまで出ると本当に頭痛の種だな」
「それは同意します。治安も考慮せねばならないですし。行政の方は我々よりも頭を悩ませておりますよ」
「それは知っているよ」
アジュラーンはそれに対して言った。
「本当に戦争とは面倒なものだ。ただ戦うだけでは済まないからな」
「はい」
秘書は頷いた。そして彼らは休息をとることにした。
彼等はコーヒーを飲んでいた。そして蜜をたっぷりとかけた揚げ菓子を口にする。
「こうした簡単なものが美味しいな」
「はい」
彼等は軍人である。だから自然とその舌は質素なものとなるのだ。
「どうも私はエウロパのような華美な料理は好きにはなれない。連合はまた違うようだが」
「連合の料理はまた種類が多過ぎます。あそこの料理本をご存知ですか?」
「いや」
アジュラーンはそれを聞くとふと目を向けた。
「辞書位の太さの本が数冊ですよ。到底読めるものではありません」
「あそこはまた多くの国や文化があるからな」
彼はそれを聞いて言った。
「自然と料理の種類も多くなる。それに食材もこのサハラと連合では違う」
「ですね。だからといって食べたいか、といえばそうはなりませんね、不思議と」
「そうだな。チラリと連合の料理をテレビで見たことがあったがどうも我々の舌には合いそうもないな」
サハラの料理は香辛料を効かせたものが多い。連合の料理にもそうしたものが多いがやはり作り方が違うのだ。
やはり気候が大きく左右していた。サハラは乾燥した惑星が多い。それに対して連合は果てしない開拓地や鬱蒼と茂った森林にジャングル、複雑に入り組んだ水路、大草原と様々な地形がある。そういうところでは料理の様々な種類が出てくるのである。
「むしろエウロパの料理の方が我々の舌に合うかもな」
「そうですか?私はマウリアの料理の方がいいと思いますが」
マウリアの料理は昔から変わらない所謂カレーである。様々な香辛料を混ぜ合わせて作るルーをベースにしている。また彼等の宗教の関係から牛肉は食べない。
「牛が食べられないのが残念だがな」
アジュラーンはそれに言及した。彼は牛肉が好きなのである。
「そうですね。しかし羊は食べられますよ」
サハラで最もポピュラーな肉は羊である。ここでは肉といえば羊をさす。またサハラの風習として客人に出す料理にはランクがある。羊が最も上とされている。
「羊が食べられるのは殆ど全ての国でだろう」
アジュラーンは言った。
「いえ、それが」
秘書はそれに対して反論した。
「日本では今もあまり食べないそうですよ」
「そうなのか!?」
実は彼は料理には疎い。長い間軍にいるせいであろうか。
「はい、何でも魚や海老、貝を食べることが多いそうですから」
「それは聞いている。何でも生で食べるのを好むらしいな」
「刺身ですね」
この時代も刺身はある。連合ではかなりポピュラーな料理だ。日本の料理といえば天麩羅や寿司、うどん等と並ぶ有名な料理だ。
「そう、そういう名だったかな。生で魚を食べるなど私には考えられないが」
「それでも彼等はまず魚が手に入ると生で食べたがるそうです。時には肉もそうして食べます」
「肉もか!?」
彼は顔を嫌悪感で歪ませた。
「はい」
秘書は答えた。
「流石に連合内でも日本の奇習として知られていますが。馬が一番多いそうですが牛や鳥、山羊、そして豚でさえ生で食べたがります」
「信じられん。誰も止めないのか!?」
「彼等にはそれが最も美味しい食べ方だそうです。醤油というソースに漬けて食べます」
「醤油ならサハラでも使われているぞ」
醤油はサハラでも人気のある調味料である。魚料理によく使われる。
「こちらの醤油とは少し違いまして」
「違うのか!?」
「はい、こちらのは魚から作りますね」
「ああ」
所謂ナムプラーやしょっつると呼ばれるものである。
「日本の醤油は大豆から作るのです」
「大豆からか」
「はい」
サハラでは大豆はあまり食べない。米やパンが主食である。
「魚から作った醤油とまた違った味がするのです」
「そうなのか、それは知らなかったな」
「日本ではそちらの方が好まれます。美味しいらしいですよ」
「そうか、しかしそれでも豚まで生で食べるとはな。日本人というのはよくわからない。連合には変わった料理が多いとは聞いているが」
「アメリカや中国、アセアン諸国は蛙や鰐を食べますね」
「動物の内臓や血もだな」
モンゴルでは羊のあらゆる部分を食べる。
「ええ、戒律の違いで食べられるようです」
「ゲテモノが多いな。話していてあまり気分がよくない」
「しかし面白い話だとは思いますが」
「それはそうだが」
彼等はイスラムの戒律に従い鱗のない魚や動物の内臓は食べないのだ。従って地球から持ち込んだ家畜による料理をよく食べる。
「しかし幾ら何でも肉を生で食べるのは驚いたな」
「他にも色々変わった魚も平気で食べますよ。何十メートルもある鯨や海栗なんかも大好物と聞いております」
「海栗!?ああ、海にいるあの機雷みたいなやつか」
彼は海栗を踏んで痛い思いをしたことがある。大嫌いであった。
「はい、その中身を美味しそうに食べます。これも他の国の者に奇異の目で見られています」
「当然だな、ところで海栗も生で食べるのか?」
「はい、醤油で」
「わからん、本当にわからん」
アジュラーンは顔を顰めさせた。
「何故そう魚にこだわるのだ!?しかも生で食べるとは。日本人は繊細な料理を好むとは聞いているがそれは繊細ではないと思うが」
「彼等は素材のそのままの味を好むそうです」
「素材のか」
「はい」
アジュラーンはそれを聞いて再び考え込んだ。
「料理もその国によって本当に違うな。難しいものだ」
「だからこそ面白いのではないかと」
「ううむ」
彼等はそんな話をしながらコーヒーと揚げ菓子による休息の時を楽しんだ。その時連合軍のある部隊では昼食が採られていた。
「何だ、この料理は」
テーブルについたある兵士が眉を顰めた。
「アメリカ産オオツメガエルの刺身だそうだ」
別の兵士がそう説明した。
「御前確かアメリカ出身だろう?知っていると思うが」
「それは知っているけれどよ」
アメリカ出身のその兵士は眉を顰めたまま答えた。
「何で蛙が刺身で出て来るんだ!?」
「あれ、蛙ってそうやって食べるんじゃ」
日本出身の兵士がそれを聞いて声をあげた。
「おめえの国は何でもそうやって生で食べるな」
アメリカ兵はかなり呆れた顔でそう言った。
「蛙は普通塩焼きだろう?そしてそこにレモンをかけて食べるんだ」
「いや、唐揚げにすべきだ」
中国出身の兵士がそこで反論した。
「蛙といえば油で揚げるだろう、他の料理もあるがそれが一番美味しい。鶏肉に似てな」
「鶏肉に似ているというのは同意するよ」
「うん」
アメリカと日本の兵士はそれには同意した。
「だが唐揚げには同意しねえな」
アメリカの兵士はそこでまた顔を顰めた。
「油っこくなっちまう。何か違うんだよな」
「アメリカでも鳥は揚げて食べるだろう?」
中国の兵士はそれを聞いて逆に不思議だ、と言わんばかりの顔をした。
「フライドチキンか?まあな」
アメリカの兵士は答えた。
「しかし蛙はフライにはしないがな」
「いや、こっちではフライにするぞ」
別の国の兵士が言った。
「中国の料理とは違うがな」
「どう違うんだ!?」
アメリカと中国の兵士がそれに対し問うた。
「うんと辛い味付けをするんだ。香辛料をきかせてな」
「タバスコとかでか!?」
「その通り」
その兵士は得意満面の顔でそう答えた。
「一度食べると病みつきになるぜ」
「生では食べないのかい?」
そこで日本の兵士が問うた。
「悪いけどな。こっちでは肉や魚は生では食べない。あたると怖いから」
「そうなんだ」
日本の兵士はそれを聞いて少し寂しい顔をした。
「おい、何をそんなに揉めているんだ!?」
そこへ給養の古参下士官がやって来た。
「あ、いや何も」
古参下士官だけありかなりおっかない人物として知られている。彼等はその姿を見て思わずかしこまった。
「早く食べろ、文句を言う暇があったらな」
「わかりました」
彼等はその下士官に怖い顔で言われ仕方なくその蛙を食べることにした。日本の兵士以外は。
「これが美味しいんだよね」
日本の兵士は笑顔で箸をとりながら言った。
「どういう味覚してるんだ」
「日本人のこういうところだけは理解できん」
「これさえなければ和食は完璧なのに」
他の三人は内心そう思いながらも箸を手にした。そして醤油に漬け口に入れた。
「おや」
彼等は表情を変えた。目を皿のように丸くさせた。
「美味しいでしょ」
日本の兵士はそれを見てにんまりと笑いながら問うた。
「あ、ああ以外とな」
「何か不思議な味だ」
彼等は舌でその生の蛙を味わいながら答えた。
「刺身ははじめて食べたけれどいいな。これはいけるよ」
彼等はそう言いながら御飯に手をつけた。今日の主食は白米であった。連合の主食は米にパン、コーリャン、芋、とかなりバラエティに富んでいる。
「米にも合うな。本当に意外だ」
彼等は口々にそう言った。
「だろう?刺身ってのは米とよく合うんだ」
日本兵は得意そうに言った。
「で、また米の酒か?」
ここで他の三人がからかうようにして言う。
「そうだよ、何か悪いか?」
「いや、別に」
三人はそれに対し首を横に振った。
「俺達は米の酒を飲まないからあまりわからないがな」
そう前置きしたうえで言う。
「この蛙の刺身は美味い」
「そうだな、それには皆同意するよ」
四人は和気藹々と話をしながら食事を採った。こうした話が八条の下にも届いていた。
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