第十部第三章 苦悩その二
「総統はお休みになられたかな」
「いえ、まだです」
彼はそう答えた。
「そうか。では一刻も早く休まれるよう伝えてくれ。まだ先は長い」
「ですが」
「私でできる仕事は私に回してくれ。今後もな」
「宜しいのですか?」
「私は首相だ」
彼はここでこう言った。
「首相は総統を補佐するものだ。違うかね」
「確かにそうですが」
「そういうことだ。総統が何か言われたら私に言われたと答えればいい。わかったね」
「はい」
「それでは頼むよ。総統にはできるだけ身体を大事にされて欲しいからね」
「わかりました」
電話を切った。そして彼は再び正面を見た。そして考え事に耽っていた。
「まだ長い、か」
自分の言葉を噛み締めていた。苦い味がした。
苦みを味わいながら考え続けていた。だが答えは出ない。そしてそのまま夜が明けた。そしてまた仕事に取り掛かるのであった。彼は一日の殆どをこうして過ごしていた。殆ど休んではいなかった。
次の日も仕事であった。山の様な書類が彼のもとに送られてくる。それに一つずつ目を通し決裁をしていく。
「まだあるか」
彼は書類を持って来た部下の一人に問うた。昨夜の部下とは違う部下であった。
「いえ、今日はこれだけです」
その部下はそう答えた。
「そうか。珍しいな、これだけで済むとは」
「はあ」
「だがそれでもやらなければならないことはある。今の戦局だが」
「はい」
「どういう状況になっているのか詳しく知りたい。いいか」
「それでしたら軍務省に御聞き下さい」
その部下はそう答えた。
「残念ですが我々には詳しいことはわかりかねますので」
「わかった」
それを聞いて頷いた。そしてその部下を下がらせた後まずは机の上にある書類を全て処理した。それから軍務省に電話をかけた。彼は非常にこまめに多くの者に対して電話をすることでも知られていた。彼の仇名の一つに電話魔というものがある。これは彼の電話の多さを揶揄したものであった。
軍務省にかける。すぐに誰か出て来た。
「はい、軍務省ですが」
すぐにモニターに軍服の男が出て来た。大佐の服を着ていた。
「首相だが」
まず彼から名乗った。
「首相」
大佐はそちらのモニターに映るペーチの姿を認めてすぐに敬礼した。
「堅苦しい挨拶はいい。それよりだ」
「はい」
「今の戦局を詳しく知りたい。そちらに行っていいか」
「こちらにですか」
「そうだ」
彼は答えた。
「何か不都合でもあるのか」
「いえ」
大佐は一息置いてから述べた。
「こちらからお伺いしようかと思うのですが」
「今一番忙しいのは卿等だ」
彼はここでこう言った。実際に軍務省は戦争がはじまってから昼も夜もない状況となっている。戦争の作戦指揮から艦隊運用、後方支持まで何もかもを立案、実行しているのだからそれも当然であった。むしろそうでないならばそちらの方が異常であろう。戦時に何もしていない軍務省なぞ常識では考えられない。
「それならばこっちから出向いた方がいい」
「はあ」
これもペーチの気配りであった。
「参謀本部の作戦参謀を一人手配してくれ。その参謀から話を聞きたい」
「わかりました」
こうして彼は軍務省に向かった。そしてすぐに会議室の一つに入った。そこではもう少将の軍服を着た男が待っていた。
少将はサッと敬礼した。それに周りにいる者達が続く。ペーチもそれに返礼した。
「それでは早速はじめてくれ」
「はい」
ペーチが席に着くとすぐに説明がはじまった。まずはモニターにエウロパの三次元地図が浮かび上がる。
「今の戦局ですが」
「うん」
「首相も御存知の通り我が軍にとって芳しくはありません」
それは否定できなかった。芳しいという段階ではないというのもわかっていた。
それでも話は続く。ペーチはそれを黙って聞いていた。
「今我が軍は南方、そして北方から完全撤退せざるを得ない状況となっております」
「そうだね」
ペーチはその言葉に頷いた。
「それについては私も知っているよ。書類での決裁をしたばかりだ」
「はい」
「南方はともかく北方ではかなりの損害が出たようだが」
「十個艦隊程です」
少将はそう答えた。
「参加戦力の五分の一を失いました」
「そうか」
「今までの戦いで我が軍の戦力はかなりの数が消耗しております」
「それだ」
ペーチはここで問うた。
「もう四百個艦隊程しかないね」
「はい」
「それで大丈夫だと思うかい?」
「残念ですが」
少将は首を横に振った。
「ニーベルング要塞群での戦いからもわかる通り連合軍は大規模な戦力で以って向かって来ます」
「うん」
「しかもその先頭には常にサハラ義勇軍がおります。彼等の強さは圧倒的なものです」
「申し訳ないが私は実際の戦場についてはよく知らないのだが」
「はい」
そう断ったうえで言う。
「彼等の戦いぶりはそれ程凄いのか。話には聞いているが」
「私も何度か前線に出ておりますが」
少将はまずこう言った。
「彼等は死を恐れません。その攻撃はまるで炎の様です」
「炎か」
「はい、黒い炎です。彼等の艦艇は全て黒く塗装されていますから」
「黒い艦隊か」
「かって我等に倒された時の怨みを表わした色だそうです」
「そうか」
ペーチにも納得がいった。サハラ義勇軍の将兵は皆難民出身である。エウロパのサハラ侵攻により追い出され、連合にまで逃げ延びてきた者達なのである。それはペーチもよく知っていた。
「それで黒なのか」
「はい。彼等は正規軍よりも遥かに強力です」
「そういえば敵は正規軍を危険な場所に出さないそうだね」
「はい」
「そうした場面では義勇軍を使っているのか」
「その通りです。言うならば彼等は火事場に飛び込む役です」
少将はそう述べた。
「まずは彼等が突入し道を切り開きます」
「そして次に正規軍が入るのか。正規軍にとっては非常に都合のいい存在だな」
「そうですね。しかしそれは彼等自身が望んだことです」
「義勇軍の将兵がか?」
「はい。彼等は連合において自らの立場を確固たるものにする為に必死です」
少将は言った。
「少なくとも今は戦うことしかできません」
「自らが生きる為に、か」
「はい」
その通りであった。サハラ義勇軍の将兵は難民であった。持っているものは自分達の命しかない。何かをするにはその命を以ってするしかないのである。
今彼等の故郷であるサハラ北方はシャイターンによって解放されつつある。だがそれでも遠い連合にいる彼等にはそこに帰る手段はない。帰る為には彼等自身が功績をあげ、それを連合に認めさせてそれでもって帰るしかない。彼等の立場は実に弱いものであるのだ。難民故の悲しさであった。
「生きる為に戦う、皮肉なものだ」
「傭兵にしろそうです。そうした立場の者もおります」
「今の私達もだな」
ペーチはここでポツリと漏らした。
「といいますと」
「生き残る為には連合と戦い、勝つしかない。違うか」
「いえ」
その通りであった。それに頷くしかなかった。
「その通りです」
「そうだ。それならば答えははっきりしている」
「はい」
「勝つしかない。そうだな」
「ええ」
少将は答えた。そしてあらためて地図を見た。
「今戦局は中央に集中しようとしていますが」
「うむ」
「その中央でも大規模な攻勢がはじまろうとしております」
「あそこには連合軍の主力が展開しているのだったな」
「そうです。その数約一四〇〇個艦隊、義勇軍はそのうちの五十個艦隊です」
「空前絶後の規模というべきか」
「それが中央の我等の主力部隊に対して一斉に攻撃に転じようとしています。サハラ義勇軍を先頭に」
「サハラ義勇軍を先頭にか。そしてこちらの艦隊数は」
「約二五〇です」
少将は答えた。
「戦力差は六倍近いか。どうしたものか」
「今南方からモンサルヴァート本部長、北方からローズ司令の艦隊が向かっておりますが」
「間に合えば何とかなるな。いや、間に合わせよう」
「はい」
「それでは総統には私から申し上げておく」
彼は少将に対して言った。
「中央に戦力を集結させようとな。それでいいな」
「お願いします」
こうしてエウロパ軍の方針について総統であるラフネールに上奏することとなった。ペーチは軍務省を離れるとすぐにその足で総統官邸に向かった。少なくとも彼は怠け者ではなかった。
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