第九部第四章 婚礼その七
「左様ですか」
「はい。まあそんなに贅沢なものはいらないかな、と考えてはいるのですが」
「いや、それはできないでしょう」
しかしアッバースはそれには疑問を呈した。
「どうしてですか?」
「元帥、そして副大統領ともなるとそれなりの家に住まなければならないということですよ」
「そうなのですか」
「ええ」
アッバースは頷いてみせた。
「まあそれはよく御考え下さい。そういえば副大統領の官邸もありませんでしたね」
「はい」
「それを建てるということもありますし。それは閣下がお決めになることです」
「わかりました」
今度はアッディーンが頷いた。
「それでは考えておきます」
「はい」
こうしてアッディーンとブワイフ、アッバースの話は終わった。そうこうしている間に式は終わった。そしてアッディーンとマルヤムは晴れて夫婦となったのであった。
「さて」
アッディーンは部屋に入るとマルヤムに声をかけた。
「これから宜しくな。一生を共にしよう」
「はい」
マルヤムはその言葉に頷いた。
「これから私は貴方の妻になりましょう」
「ああ」
今度はアッディーンが首を縦に振った。
「まさかこんな形で妻を迎えるとは思わなかったな」
「それはどういう意味でしょうか」
「いや」
ここで彼は言葉を変えた。
「私はね。元々は普通の公務員の家の息子だったのだ」
「それは御聞きしております」
式にはアッディーンの両親も列席していた。だが二人はこうした場には慣れてはいないので端の方で大人しくしていたのである。やはり生まれや育ちの違いは彼等にとっては大きなことであったのであろう。
「それがな。まさかシャイターン家の者を妻に迎えることになるとは。数年前には思いもしなかったことだ」
「あの」
それに対してマルヤムが口を開いた。
「全てはアッラーの決められたことですからそう思われることはないのではないでしょうか」
「アッラーの」
「はい」
マルヤムはまた頷いた。
「貴方と私が今結ばれることはアッラーが定められていたことなのではないでしょうか」
「ううむ」
それを聞いて考え込んだ。
「それは確かに」
認めた。
「この世の全てのことはアッラーが定められているのだから」
「はい」
「しかしそれでも不思議なものだ。思えば数年前まで私はほんの一士官に過ぎなかったのだ。ようやく戦艦の艦長になったばかりの。オムダーマンのな」
「それが今では副大統領にまでなられております」
「そうだ。これからどうなるのかはわからない。それもまたアッラーの御意志なのだろうか」
「そうです」
マルヤムは答えた。
「その通りでございます」
「そうなのか。それはわかっていたつもりだが」
彼は言った。
「それでも不思議な気分だな。アッラーにここまで導かれていたとは」
「これからもそうですよ」
彼女はここでこう言った。
「これからもか。そうだな」
アッディーンはその言葉に応えた。
「アッラーの思われるままだ。だがそれは貴女に対してもだ」
「はい」
マルヤムの返事はそれが当然であるかのようなものであった。
「私はそうであると思いますが」
「そうだな。それでは貴女が私を助け、私が貴女を守るのもまたアッラーの決められたことか」
「ええ」
彼女は答えた。
「ですが貴方は一つ大切なことを忘れられております」
「それは」
アッディーンは問うた。
「何なのでしょうか」
「心です」
マルヤムはそう答えた。
「心か」
「はい。人は心を持っているが故に人なのです」
「ああ」
「私もまた心を持っております。そしてその心は今貴方に向けられています」
「私にか」
「はい。それは貴方も同じなのではないでしょうか」
「・・・・・・・・・」
アッディーンはそれを受けて暫し沈黙した。だがやがて口を開いた。
「そうだ」
そう答えた。
「私は今貴女を見ている。それが何よりの証拠だ」
「私も今貴方を見ています」
マルヤムはそう返した。
「そしてこれからも見ていたいです」
「私は軍人だ」
アッディーンはここでこう言った。
「戦場で倒れるかも知れない。それでもいいか」
「ええ」
マルヤムは答えた。
「それで私の貴方への心が薄れると思われますか」
「わからない」
素直にそう答えた。
「だが今はそうではないと思う。そしてそれが永遠に続いて欲しい」
「私もです」
マルヤムはまた言った。
「貴方の目が常に私に向いていてくれることを祈ります」
「わかった」
アッディーンは頷いた。
「それではこれからの長い旅を共に歩もう」
「はい」
二人の心が結ばれた。こうしてアッディーンとマルヤムは本当の意味で夫婦になったのであった。
副大統領の婚姻をオムダーマンの国民は祝った。彼等にとって自分達の若き英雄の婚礼は祝福すべきことであったのだ。皆アッディーンを讃えた。
「さて」
それはティムールでも同じであった。自分達の愛しの姫の婚礼を心から喜んでいたのである。シャイターンはそれを見て会心の笑みを浮かべていた。
「これでオムダーマンとの結びつきは万全だな」
シャイターンは官邸の自身の部屋で座りそう呟いていた。絹の豪奢なデザインの服に身を包んでいる。
「はい」
それにハルシークが応えた。
「次の段階に進む用意は整いましたな」
「そう、次だ」
シャイターンの目が光った。
「エウロパは今どうしているか」
「連合との戦いに全力をつぎ込んでいるようです。戦力は全て連合との戦いに向けております」
「そうか」
それを聞いて頷いた。
「総督府の兵も動かしているそうだな」
「はい」
ハルシークが頷いた。
「二百億の市民も避難をはじめております。既に国境では無人の星系も出ております」
「時が来たようだな」
それを聞いてまた言った。
「それでは動くか。兵はどうなっている」
「何時でも」
彼は答えた。
「後は閣下の御命令を待つだけです」
「よし。では行くぞ」
そう言って立ち上がった。
「北を手に入れる。そして難民達をそこに受け入れる」
「はい」
「迅速にな。だが我等はあくまで北を手に入れることだけを考える。エウロパ本土には手をつけるな」
「わかっております。それではモントローズは放置で宜しいですね」
「モントローズか」
それを聞いて目の色を変えた。考える目になった。
「あれは連合のものではなかったのか」
そう言って笑った。ハルシークはそれを見て目で頷いた。
「はい」
そしてそれに答えた。
「そうでありましたな」
「よし」
それこそがシャイターンの望んでいた返事であった。彼はそれを聞いてから言葉を続けた。
「北を回復する。よいな」
「ハッ」
すぐにティムール軍が動いた。そして北に向けて進撃をはじめた。その行く先には彼の野心が広がっているのであった。そしてそれを阻むものは最早何も存在しなかった。
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