第九部第四章 婚礼その六
「お兄様」
「シャイターン主席」
二人は彼に顔を向けてそれぞれ言った。彼はその言葉を受けて微笑んだ。
「踊りを楽しんだばかりのところ申し訳ない」
「いえ、そんな」
マルヤムは兄のその言葉に首を横に振った。
「お兄様が来られたのにどうしてそのようなことが言えましょう」
「そうです」
アッディーンもそれに同意した。
「私の兄となられた方が来られたのです。嬉しくない筈がありません」
「そうか。それは何よりだ」
彼はそう言ってまた笑った。だが今度の笑みは先程の笑みとは異なっていた。妖しさを漂わせた笑みであった。
「!?」
アッディーンはその笑みを見て妙に感じた。婚礼の場で見せるような笑みではないからである。
(どういうことだ)
彼は内心その笑みについて探らざるを得なかった。だがそれより前にシャイターンが先手を打つように言葉をかけてきたのであった。
「婿殿」
「はい」
アッディーンはそれに応えた。
「妹を頼むぞ」
「わかりました」
その言葉に頷いた。
「必ずや幸せにします」
「それは問題ではない」
「といいますと」
「それは貴方ならば確実にできることだ」
「またそのような」
そう言って謙遜しようとする。だがシャイターンはやはり先手を打つようにして言った。
「いや、私は信頼している。私が言いたいのは別のことだ」
「別のこと」
「そうだ。だがそれは今ここでは言わないでおこう」
「?」
それを聞いて首を傾げた。
「貴方もそのうちわかる筈だ。私がここで何を言いたかったのかをな」
「そうでしょうか」
「私はそう思っている。そしてマルヤム」
「はい」
今度はマルヤムに声をかけてきた。彼女はそれに応えた。
「これからは私達ではなく彼に夫として共にあるようにな」
「わかりました」
彼女はそれを受けて慎んで頭を垂れた。シャイターンはそれを確かめてからまた言った。
「それでいい。これから御前は婿殿と共に二人で支え合って生きるのだ。よいな」
「はい」
彼女は応えた。シャイターンはそれを聞いて満足そうに笑った。
「それでは私はこれで」
「はい」
シャイターンは礼を済ませると優雅に踵を返してその場を後にした。アッディーンとマルヤムはそれを見送った。そこに別の者の声がかけられてきた。
「アッディーン副大統領」
今度はオムダーマンの者達からであった。ブワイフやアッバース等もこの式に参加していたのである。彼等も声をかけてきたのであった。
「閣下、外相」
アッディーンは彼等に顔を向けた。当然マルヤムも一緒である。
「おめでとう。これでようやく君も一人前だ」
「はあ」
「人間は結婚してはじめて一人前になれる。この時を待っていたよ」
「結婚して、ですか」
「そうだ」
ブワイフは大きな口を開いて笑ってそう述べた。
「人間というものは男と女があるな」
「はい」
「それは互いに支え合って生きていくものなのだよ。私はそう考えている」
イスラムは決して女性を差別したりはしないのである。妻を四人まで持ってもよいというのは戦争等により生じた未亡人への救済策である。そしてそれぞれの妻を公平に愛さなければならない。イスラムにおいて寡婦を放置するのは許されないことなのである。ムハンマドはそうした者達への配慮を怠らなかった。彼は女性に対して極めて真面目で公平な考えを持つ男であったのだ。そして彼自身多くの妻を持っていた。だがそれは彼の好色を示すのではなく公平さと実直さを示すものであると言えた。何故なら彼はその多くの妻達に対して優しく、誠実でかつ公平な夫であったからだ。逆境に強く、生真面目であると同時に女性には紳士であったのだ。それが今でも彼がムスリム達の尊敬を集めている理由である。ただし銅像や絵画といったものはないが。イスラムでは偶像崇拝はとりわけ戒められているからである。
それだけではない。離婚する時もその妻を離婚する、と三回言えばよいのであるがその元妻の面倒を一生みなければならない。そしてその権利も保障しなければならないのだ。また他人の妻へ色気を出すことはムスリムにとって最も恥ずべきことである。独身の女性ならばよいが他人の妻への色気はイスラム社会では他の文化圏よりもさらに罪深いこととされているのである。イスラムにおいては女性の権利についても厳しく保障されているのである。これは二千年以上も前に確立された考えであるが当時においては極めて先進的な考えであった。そしてこの時代においても女性達を守っていた。やはりムハンマドは偉大であった。
「私も妻がいるがね」
「はい」
「二人でいてよかったと心から思っているよ。残念だが今はここにはいないがね」
「ですね。一刻も早い回復を祈ります」
「有り難う」
ブワイフはアッディーンにそう言われ頷いた。彼の妻は今病気で入院しているのである。
「副大統領もこれで何かと忙しくなりますな」
今度はアッバースが言った。
「忙しく」
「結婚すると自分だけのことに携わってはいられなくなりますから」
「それは聞いていますがそんなにですか」
「はい。まあそれはおいおいわかりますよ。少なくとも今のように官舎に気軽に住んではいられなくなります」
「家、ですか」
「そうですね。今も官舎で御住まいでしたね」
「ええ」
「それはできなくなりますよ。家も建てないと」
「どうも実感が沸きませんね」
彼はまた首を傾げてそう答えた。
「家を建てるというのは」
「ははは、私だってそうでしたよ」
アッバースはそれには笑ってそう答えた。
「けれどすぐにおわかりになられると思いますよ。家が必要だと」
「そういうものですか」
「少なくとも官舎では駄目ですね」
ここでこう言った。
「私も結婚して狭い部屋から出ましたから。閣下もそうなりますよ」
「わかりました」
彼は首を捻りながらもそれに答えた。
「それではそれも考えておきます」
「是非そうされるべきかと。何でしたらよい不動産を紹介致しましょうか」
「いや、それには及びません」
だがそれは断った。
「自分で選ぼうと考えております」
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