第九部第四章 婚礼その五
「だがな。母のことは決して忘れるな。御前にとってはアッラーの次に大切なものだ」
「アッラーの次に」
「そうだ。御前のアッラーへの信仰はわかっているつもりだ。それであえて言うのだ」
「わかりました」
マルヤムは頷いた。
「それでは受け取らせて頂きます」
「頼むぞ」
彼は娘に渡して頷いた。
「では行こうか。そして幸せになるのだ」
「はい」
こうしてマルヤムは父と共に婚礼の場へ向かった。そこではもう彼が待っているのである。
アッディーンもまた婚礼の準備を整え終えていた。彼はオムダーマン軍の元帥の軍服を身に纏っていた。そしてその上に普段とは違うマントを羽織っていた。礼装用のマントであった。
「このマントを羽織るのは久し振りだな」
「そうですか」
隣にいるハルダルトがそれに応えた。彼も軍服を着ている。
「ああ。普段のマントはまだ動き易いな。色も地味だし」
「はい」
オムダーマンの今の軍服は青い。そして上級の将官のみに着用が許されるマントは赤である。だが礼装の時はそのマントは白になる。そして赤いマントよりそれは大きなものとなるのである。
「ただこちらの方が見栄えがいいのは事実だな」
「そうですね。まあ普通の礼装よりもいいでしょう」
「ああ」
アッディーンはその言葉に頷いた。
「確かにな。俺としてもこの服の方が好きだ」
「やはり」
「背広とかタキシードはな。どうも気苦しいものがある」
「普段からこの服を着ていますとね。そちらの方がよくなります」
「まあ慣れというものか」
アッディーンは言った。
「だがな、それだけではないのだ」
「といいますと」
「軍服を着ていると常に戦場に身を置いている気持ちになる。引き締まるというかな」
「成程」
「それがいい。だから俺は軍服を着るのが好きだ。それは貴官もではないか」
「確かにそうですね」
ハルダルトはそれを認めた。
「私も軍服を着ていると気持ちが違います」
「そうだろう。だがそれだけではない」
アッディーンは言った。
「やはりな。これは我々にとっては特別なものだ」
「はい」
「誇りの象徴の一つと言うべきか。軍人にとって軍服とは誇りだな」
「そうですね。それを着て婚礼の儀に向かうというのはどうですか」
「悪くはない」
彼は答えた。
「戦場に赴くと言うべきか。だが少し違うな」
「はい」
「これからの道を切り開く為に行くのだな。そう思うとまた気持ちが違う」
「気持ちがですか」
「そうだ。では行くか。道を切り開く為に」
「ですね。では行きましょう」
「うむ」
アッディーンも向かった。そして婚礼の主役がそれぞれその場に向かった。こうして婚礼の儀がはじまった。
アッディーンとマルヤムはそれぞれアッラーに婚礼を報告した。式はつつがなく行われその後は宴となった。
サハラにおける婚礼の儀は華やかなものである。宴も当然華やかでありそこでは多くの者が列席していた。そして豪華な食事や音楽に支配された場で皆踊りに興じるのだ。その主役は当然アッディーンとマルヤムである。
「おお」
皆マルヤムに注目した。その踊りがあまりにも美しいからである。
「これは」
「まるでペリのようだ」
皆心の中でそう思う。口で褒めることはしない。いや、できなかった。サハラにおいては他人の妻を褒めることは失礼にあたると考えられているのだ。マルヤムがアッディーンの妻となった今ではそれは憚れるものであったのだ。彼等は心の中で彼女をたたえた。
マルヤムの舞いは相手を務めるアッディーンを的確にリードしていた。生粋の軍人である彼はあまりパーティー等に興味がなく出席することは少なかった。その為ダンスにも通じてはいないのである。だがそれでも彼はそれをあまり感じさせない程度には踊っていた。彼はマルヤムに合わせて踊っていた。
「ほう」
シャイターンは宴の場の端でそれを見て眉を動かした。
「マルヤムの動きに上手く合わせているな」
「はい」
フラームがそれに頷いた。
「マルヤムの踊りに上手く合わせるとは。中々どうして」
「どうやらそちらの素質もあるようですな。いや、それだけではありませんね」
「そうだ」
「どういうことですか?」
アブーが二人の兄に尋ねた。
「あの踊りに何かあるのでしょうか」
「アブー」
シャイターンが末の弟の名を呼んだ。
「はい」
「御前はまだ若いな。あの踊りから何かわからないのか」
「?何でしょうか」
それでも彼は首を傾げていた。
「私にはちょっと。申し訳ありませんが」
「そうか。それでは今よく見ておくがいい」
「貴方の姉と新しい兄の踊りをね」
「はい」
何が何だかよくわからないままアブーは頷いた。そして踊りに目をやった。見ればマルヤムはアッディーンを上手く導いていた。そしてアッディーンは上手くそれに合わせていた。彼等は互いに息のあった踊りをしていたのである。
「どうやら我々はクイーンを動かした意味があったようだな」
「ですね」
シャイターンとフラームはまた囁いた。
「これで彼は我々の中に入りました」
フラームは言った。
「マルヤムの手の中落ちました」
「それはどうかな」
しかしシャイターンは弟の言葉に対して疑問を呈した。
「どういうことですか」
「見ているといい」
彼はそう言って踊りにさらに目をやらせた。
「はて」
兄に言われて見てみるがやはりわからない。フラームは首を傾げたままであった。シャイターンはそれを見て心の中で思った。
(フラームですらわからないか)
アブーを見る。やはり彼もわかってはいなかった。理解しているのは自分だけだとわかりシャイターンは少し眉を顰め
させた。だが宴の場でありそれも一瞬のことであった。
(彼と渡り合えるのはどうやら私だけのようだな。シャイターン家においても)
そう思いながらアッディーンを見ていた。彼はマルヤムの踊りに合わせ、何時しか彼がリードするようになっていた。それはマルヤムも気付いてはいなかった。
踊りが終わった。それを見計らってシャイターンはアッディーンとマルヤムの方に歩み寄ってきた。
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