第三十五部第二章 日本国首相その六
「他にはないわよね」
「それはそうですが」
「そして今日は」
ここまで話したうえでまた話す伊東だった。
「国会ね」
「はい、九時からです」
「もうすぐだけれど」
壁にかけてある時計を見る。時計は今八時を少し回ったところである。彼女は実に朝早くから仕事に取り掛かっているのである。
「今から行くわ」
「もうお車の用意はできています」
それももうなのだった。首相の仕事はどの国であっても分刻みどころか秒刻みである。だから事前に移動の準備をしておくことは極めて重要なのである。
「それではすぐに」
「有り難う。さて、相変わらず問題になっている高齢者の福祉への予算だけれど」
「財源をどうするかですね」
「野党がそこを攻めてくるわよ」
伊東は楽しそうに笑ってそうして語るのだった。
「ここぞとばかりにね」
「そうなのですか」
遠山はここではこれといって何も言わないのだった。何故なら彼女は官僚であり政治家ではない。政府の人間であるが政党のスタッフではない。政治家と官僚はこの時代ではかなり分けられている。それは近代国家における政治家と軍人の関係そのままになっているのだ。
「私はそれについては」
「いいわ、政治家は政治家」
伊東もそれを踏まえて言う。
「官僚は官僚だからね。政策のことは話せるけれど政治のことは話せない」
「はい、ですから私は何も言いません」
そして当然ながら遠山もわかっているのだった。そうしたことが。
「官僚ですので」
「わかってるわ。それで政策の話だけれど」
「何でしょうか」
「後々それについて話したいわね」
こう述べるのだった。
「国会から帰った後にね。それで御願いね」
「はい。それではその時にまた」
「今問題は福祉だけじゃないから、我が国が抱えているものは」
問題は常に複数ある、事態の大小や優先順位を別にして常に複数存在している、それが政治の世界である。単純なものではないのである。
「警察についても話したいから」
「警察ですか」
「そうよ。どうも最近警察の風紀が緩んできているから」
日本では警察官の不祥事が問題になっているのである。飲酒運転やら家庭内暴力やらそうした問題であるが通常の職業ならそれ程問題にはならない。しかし警察官は特殊な職業の一つでありそうしたことが頻発するとどうしても世間から注目されてしまうのである。
「それについて話したいわ」
「わかりました」
伊東は冷静にその言葉に頷いてみせた。
「それでは後程」
「それだけよ。そういえば貴女今日は随分早いわね」
「当直でしたから」
だからだというのである。官公庁には何処にでもそうしたものがあるのがこの時代である。そうして不測の事態に備えているのである。
「それで今日は」
「そう。じゃあ今日は代休かしら」
「いえ、それは明日です」
今日ではないというのだ。
「明日になっています」
「そう。じゃあ今日はいるのね」
「はい」
また伊東の言葉に対して頷いてきた。
「その通りです。今日はいますので」
「わかったわ。じゃあ後で御願いね」
「畏まりました」
「それでは今から国会ね」
ここまで話してそのうえで席を立つのだった。
「行って来るわ」
「では私は」
「今日は官邸で仕事なのね」
「まずは当直の引継ぎです」
最初はそれだと言うのだった。
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