第八部第五章 宣戦布告その五
「その時思ったことですが」
アッディーンは戸惑いながらも言葉を続ける。
「何と美しい方なのだろうと。そして今貴女を目の前にして」
「目の前にして」
「私の目は曇っていたことがわかりました」
アッディーンは何かしら場違いに近い言葉を出してきた。
「貴女を直接目にしまして。写真というのは所詮写真に過ぎないと思い知らされました」
「どういうことでしょうか」
「ええと」
また言葉に詰まった。
「貴女御自身の方が」
「私の方が」
「写真なぞより余程お美しかった。そう言いたいのですが。すいません、どうもこうしたことは苦手でして」
言葉がよく出なかった。こうしたことを言うのははじめてであるからだった。女性には疎いのは今までの人生で戦場にばかりいたせいであろうか。
「それでも言いたいのです」
慎重に言葉を選びはじめた。
「それで私は今ここで言いたいのですが」
「はい」
「私は貴女を」
「私を」
一瞬時が止まった。アッディーンはまず一呼吸置いた。マルヤムは彼の次の言葉を待った。
「妻としたいのですが。宜しいでしょうか」
「喜んで」
それに対して微笑んで応えた。それで決まりであった。
こうしてアッディーンとマルヤムの婚姻が決定した。そして同時にオムダーマンとティムールとの同盟も決定した。これによりティムールは後顧の憂いをなくしたことになった。
「これでよし」
シャイターンは自国に戻り自身の宮殿においてそう言った。
「これで後ろは問題ない。ハサンもな」
「ハサンもですか」
それを傍らで聞くハルシークが問うた。彼の後ろにはやはりシャイターンの近衛の仮面を被った六人の将校達がいた。
「そうだ。我等とオムダーマンは同盟を結んだ」
「はい」
「それがあるからだ。若しハサンが動けば」
シャイターンは椅子に座った。象牙の白い椅子である。前のテーブルは水晶でできている。
「オムダーマンも動く。相互防衛関係だからな」
「確かに」
「ハサンも馬鹿ではない。その程度はわかっているだろう。そうなればダメージが大きい。今はおそらく軍備を増強させにかかるだろう」
「来たるべき時の為に」
「だろうな」
彼は答えた。
「だがそれまでに時間がある。その間に我々は」
「総督府を叩く。それで宜しいですな」
「そうだ。総督府だ」
彼はここで総督府のある方に顔を向けた。
「全てはそれからだ。まずはエウロパをこのサハラから排除する」
「はい」
「それからだ。何もかもな」
彼はやはり総督府を見据えていた。その目が赤く光ったように見えた。
シャイターンが見据える総督府、そしてエウロパにおいても動きがあった。連合に対する宣戦布告の決議案が議会において可決されたのである。上下の両院において満場一致で可決されたのであった。ネットの世界やマスコミの意識的な調査による満場一致ではなかった。ネットの世界において皆が、圧倒的多数がそう思っていると言えるのは他人の意見を認められない醜悪な全体主義者か狂人、若しくは工作を行える者である。どちらにしろ精神、人格共にこの世には存在してはならないレベルの存在であるので意に介するべきではない。なおこの世の中は実に奇妙なものでありそうした精神異常者共が大手を振って歩いていたりする場合もある。その末路は例外なくそれに相応しいものではあるが。猿は猿、人は人である。猿が人の真似をしてもいずれボロが出る。そして猿に相応しい処刑が待っている。それだけである。
「遂にと言うべきか、やはりと言うべきか」
ラフネールはその可決された議案の書類を前にそう呟いた。
「はい。後は閣下のサインを待つだけです」
書類を持って来た秘書官がそれに応える。
「ふむ」
彼はそれを受けてペンを手にした。そして言った。
「それでは私が今この書類にサインすれば全ては決まるな」
「はい」
「それでは」
彼はその書類にペンをつけた。そして自身の名を書き終えた。
「これでよし」
「はい」
こうしてエウロパは連合に宣戦布告することになった。書類のうえでは。
「ところでだ」
ラフネールはサインを終えると秘書官に問うた。
「何でしょうか」
「総動員令をかけたが。どれだけの戦力が集まっているか」
「はい、既に五百個艦隊が集結し終えております」
彼はそう報告した。
「そしてニーベルング要塞群には既に百個艦隊が集結し終えております」
「ふむ」
彼はそれを受けて満足そうに頷いた。
「まずはそれで第一の防衛ラインとする」
「はい。ですがそれだけではありませんね」
秘書官はそう言った。
「まだありますから」
「ふむ」
ラフネールはそれを聞いて頷いた。
「ローゼンラインだな」
「はい」
秘書官はそれに答える。
「それでもって第二の防衛ラインとします」
ローゼンラインとはモンサルヴァートが作ったラインである。エウロパの東方に設けたものでありこれにより連合の侵攻を防ぐ予定であった。
「だがそれが破られた場合はどうなる」
「その時は決戦でしょうね」
秘書官の声が強くなった。
「このオリンポスをかけて」
「まさに最後の戦いになるな」
「ええ。ですが敗れるわけにはいきません」
秘書官の声はやはり強いままであった。
「このエウロパを守る為にはね」
「うむ」
ラフネールはあらためて頷いた。こうしてエウロパの連合に対する宣戦布告が発布された。これによりエウロパは正式に戦時体制に入った。それまでは戦時体制に準ずるという状況だったのである。形式上は。
モンサルヴァートはこれを統帥本部長官邸で聞いていた。部屋には宇宙艦隊司令長官であるローズもいた。
「遂にはじまりましたな」
まずローズがモンサルヴァートに対して言った。
「はい」
モンサルヴァートがそれに応える。その目はいつものものとは違っていた。決意が宿っていた。それは実に強い決意であった。
「既に総動員令も発されています。エウロパは国を挙げて戦闘体制に入りました」
「はい。既にニーベルング要塞群には百個艦隊を集結させております。これでまずは彼等を迎え撃ちましょう」
「そうですね。おそらく連合は精鋭を送り込んでくるでしょうが」
「何としても防がなければなりません。どの様な者が来ようとも」
ローズの言葉も熱がこもっていた。
「このエウロパを守る為に」
「はい」
ここでモンサルヴァートが頷いた。
「我等は数で劣りますがそれならそれで戦い方があります」
「そうです。そして」
ローズは言葉を続けた。
「勝ちましょう、絶対に」
「はい」
彼等もまた戦いを決意していた。そしてある者は戦場に赴き、ある者は銃後でそれぞれの任に就くのであった。皆それぞれの手段で国難にあたろうとしていたのであった。
エウロパが連合に宣戦布告をした同じ時に連合もまたエウロパに宣戦を布告していた。そして既に連合においてもその軍が動員されていた。
「本部長」
「はい」
「ガンタース要塞群はどうなっていますか」
八条は宣戦布告に関する閣議決定が終わるとすぐに統合作戦本部長室に向かった。そして統合作戦本部長であり制服組のナンバーワンであるバールに尋ねた。
「既にガンタース星系及びその周辺星系に艦隊の集結を終えております。後は大統領及び長官の御指示だけです」
「そうですか」
八条はそれを聞いて頷いた。
「では大統領と私の命令が出た後はお願いしますよ。おそらく明日にでも出されるでしょう」
「はい」
バールもまたそれを聞いて頷いた。
「既に全軍に待機命令が出されています。攻め込むのを待っております」
「はい。そしてあれの用意はできていますね」
「無論です」
バールは微笑んでそれに答えた。モンゴル人特有の屈託のない笑みであった。草原の匂いが漂う様な笑みであった。
「あれも御命令を待つだけです。何時でもいけますよ」
「それは何よりです」
八条はそれを受けて安心したように笑った。
「それではそれでもってまずは攻撃を仕掛けまして」
「はい」
「次に本格的にいきましょう。義勇軍も攻撃の準備はできていますね」
「勿論です」
「彼等には先陣を務めてもらいましょう」
エウロパ側の予想は当たっていた。やはり連合は先陣に精鋭部隊を派遣するつもりであった。だがこれは戦争の常道を考えればすぐわかることであった。
「そして目指すは」
「はい」
「決まっていますね」
「無論」
「ならbそこは」
「オリンポスです」
その言葉が何よりも連合の意志を現わしていた。こうして連合もエウロパも軍を動かした。遂に双方の戦いがはじまったのであった。
一千年の対立が本格的な戦いにまで発展した。今までなかったことが現実になる。だがそれが現実であった。小説なぞよりも遥かに奇怪で何が起こるかわからない、それが現実であるのだから。
第八部 完
2005・3・1
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