第八部第三章 異邦人その七
「婚約の話が出ております」
「それはそれは」
シャリアピンはその話に目を細めた。
「よいお話ですね。そして相手は」
「アッディーン元帥です」
今度は悪戯っぽく笑ってそれに答えた。
「えっ!?」
それを聞いて二人は思わず声をあげた。
「それは本当ですか!?」
「驚くことがありますか」
ディカプリオはわざとおどけた様子でそれに答えた。
「ムスリムと結婚できるのはムスリムのみですよ。しかし同じムスリムであれば相手はどの様な立場や身分であってもよいのです」
「しかしそれでも」
相手が相手であった。驚かずにはいられなかった。
「御二人の仰りたいことはわかっております」
ディカプリオはそれに答えた。
「この婚約が本当だとすると何かあるのではないかと仰りたいのですね」
「ええ」
「そう考えるのが普通でしょう」
二人は彼にそう答えた。
「そして何かあるのですか」
シャリアピンが尋ねた。
「婚姻政策とか」
「私はそれだと考えております」
八条にそう答えた。その顔は真摯なものとなっていた。
「オムダーマンのナンバー2となったアッディーン元帥と結び付きを深める為だと思います。そして同時にオムダーマンとの関係を深める。かってはよくあった話です」
「それはそうですが」
実際にはこの時代でもあることであった。エウロパの王家や上流貴族達は最早互いに親戚同士であるような状況であったし連合においても皇室や王家同士での婚姻がある。他にも有力者の家でもあったりすることである。これは少なくなってもどの時代でもどの国家でもあることであった。
「とりわけサハラでは多い話ではないでしょうか」
「はい」
二人は頷いた。実際に一族の結束や繫がりの深いサハラではそうした婚姻により互いの一族の結び付きを深めることがよくあるのである。尚この時代においても妻は四人まで持ってもよいことになっている。だがそれに多額の結納が必要であり、しかも複数の妻を公平に愛さなければならないのもまた同じであった。世の中というものは男に都合よくできてばかりいるものではないのだ。
「しかし一つ気になることがあります」
だが八条はあえてここでこう言った。
「何でしょうか」
「シャイターン主席の御家のことは知っているつもりです」
「はい」
彼等とてサハラのことに関して全く無知なのではない。国防省の要職にある者としてそれは許されないことである。当然シャイターン家が教団の法皇がおり、その財力と権謀により勢力を強めていった家であることも知っていた。
「当然アッディーン元帥のことも」
そしてアッディーンのことも知っていた。彼がごく普通の公務員の家に生まれ幼年学校から軍人になったことも知っていた。オムダーマンには権門の家がサハラの他の国に比べて少ないことも知っているのである。
「それを考えるとアッディーン元帥との婚姻は今一つわかりませんね」
「私も長官と同じ考えです」
シャリアピンもであった。
「どうせならハサンの権門の家との婚姻の方がよいのではないかと思うのですが」
「私もそう思います」
ディカプリオもそう述べた。
「アッディーン元帥は確かに一代の名将と呼ぶべき人物ですが」
「ええ」
「それだけで婚姻を容易に結ぶとは思えません」
「というと他に何かがあるのですね」
「私にはそう思えてなりません」
ディカプリオはそう言って顔に疑念を漂わせた。
「それが何かまではまだ結論は出ておりませんが」
「それでも何かあると」
「はい」
彼は二人の上司にそう答えた。
「むしろ何かないと思う方が不思議ではないでしょうか。シャイターン主席の心の中までは到底読めませんが」
彼とて神ではない。神ならざる者がそこまで出来る筈もなかった。
「ましてやマルヤム嬢は彼等にとっては大切なクイーンです。それ程重要な存在を容易に嫁がせるとは思えません」
「そうですね」
二人はディカプリオの言葉に同意した。ここでディカプリオはチェスの駒を例えに出していた。
「だとするとどういう意図か」
「さしあたって考えられるのはハサンに対して何かするつもりなのでしょうが」
「ハサンに」
「はい。彼等がより勢力を伸張させるというのならハサンを滅ぼすでしょう。まずはエウロパの総督府ですが」
「エウロパの総督府ですらどうこうも出来そうになりませんが」
「それは我々の今後次第ですね」
ディカプリオのその言葉を聞いた二人の目の色が変わった。
「成程」
そして頷き合った。
「だからこそ同盟を結びたがったということですか」
八条は状況を理解しだした。
「どうやらシャイターン主席は並々ならぬ野心を持たれているようですね」
「そのようですね。それもかなりの」
シャリアピンも理解した。
「まずは我々とエウロパとの戦いで漁夫の利を得る。そしてそれから」
「大魚を捕らえる。周到ではありますな」
「しかしそう上手くいきますかね」
ディカプリオがここで言った。
「まず我々自体がまだエウロパと戦うと正式に決まったわけではありませんから」
確定的である、としてもだ。まだ流動的な要素が入る余地があった。
「ならば争わせるように仕向けるでしょうね」
八条は冷徹にそう述べた。
「彼にとっては起こってもらわなくてはならない戦争なのですから」
「戦争を作るのですか」
「そういうことになります」
普段とは表情が変わっていた。貴公子から冷徹な分析者となっていた。
「ただ、彼は我々が彼自身をどう見ているのかもわかっていると思います」
「そのうえでも必要とあらばやる、と」
「それがシャイターン家なのでしょうね」
そうでなければあそこまでなれる筈もなかった。一介の傭兵隊長が瞬く間に一つの国家の元首にまでなったのだ。これは運だけで到底なれるものではなかった。
「目的の為には手段も選ばない。権謀も使う」
「そしてそれがサハラにおいて生きるに正しい道でした」
ディカプリオの言葉にそう付け加えた。サハラは連合とは違う。多くの国家に分かれ互いに争ってきたのだ。一千年もの間彼等は争いを繰り広げてきた。それ故そうした権謀術数も発達したのであった。これもまた生きる方法であった。連合において開拓や産業が発達したのとベクトルこそ違うが同じなのである。
「悪いことではありませんよ、少なくともサハラでは」
「そうですね。そうした世界なのですから」
シャリアピンが八条の言葉にそう応えた。
「ですが我々がそれに乗る必要はありません」
「はい」
八条はそれに頷いた。
「今後ティムールには注意が必要です。一体何をするか」
「はい」
今度は他の二人が頷いた。
「カバリエ外相にお話しておきましょう。今後サハラにおける情報収集を強化して欲しいと」
「そうですね。これは外務省にとっても重要な仕事です」
他国の情報収集は国防省の諜報員だけで出来るものではない。外務省の協力も必要であった。無論それだけではなく他の省庁の協力も必要なのであるが。
「どうやらエウロパとの戦いの後も色々とあるようですね」
「さしあたっては我々はサハラには介入する理由もないのですけれどね」
「難民が出ず交易さえ保障されればですが」
「それは彼等次第です」
「はい」
三人はそう頷き合った。そしてこの場での話は終わった。そしてそれぞれの仕事に戻るのであった。時は確実に動く。そして彼等はその中で果たさねばならないことを山の様に抱えている立場にあるのであるから。
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