第八部第三章 異邦人その四
「長官の唯一の欠点だろうな」
「本当に。まあ仕方ないですが」
八条は得た資金をどう活用するかは上手い。しかしその資金の獲得の方法を知らないのである。それこそが問題なのであった。政治というものはやはり何をするにあたっても資金が必要なのであるから。
「そうした汚れ仕事を引き受けるのは次官しかいないか」
「そうですね。ここはあの人に全てを任せましょう」
「うむ。そうするしかないだろうな」
「はい」
「あと貴官に一つ言っておくことがある」
コアトルはここで話題を変えた。
「何でしょうか」
「長官の欠点はもう一つあった」
「ありましたか?」
ミケンズは怪訝そうな顔をした。
「ああ。女性の心理を読めないということだ」
「確かに」
ミケンズはそれを聞いて頷いた。
「それもかなり極端にですね」
「本当にな。よくあれだけ鈍感でいられるものだ」
「何でも長官の母国の陛下からチョコレートを賜ってもそれが何故か今一つわかっておられなかったそうですから」
「そういう人なのだ、あの人は」
「最近ではもう一人ライバルが出たそうですよ」
「聞いているよ」
コアトルはそう答えて笑った。
「あの甘いものが何よりも好きな才媛だろう」
「はい。相変わらず長官は気付いておられないようですが」
「不思議なものだ。あれだけのルックスであれだとは。普通美男子といえばプレイボーイなのだが」
「長官の母国の古典のように」
源氏物語のことであるのは言うまでもない。連合においてはかなり知られた古典である。ただ原本は文章があまりにも難解なので現代語訳されたものが読まれる。それに古代の日本語を解読できる者は学者でもない限りいないのである。
「何でもかなりの漁色家の話だったな」
「ええ。総監は読まれたことはないのですか」
「平家物語と太平記ならあるが」
軍記ものとして有名な二作である。
「特に平家物語はいいな。実は恋愛ものは読まないのだ」
「左様でしたか」
「そのかわり妻が好きだ。この前は源氏物語の舞台に付き合わされた」
「それはまた」
「何日も続くあれをな。通しというのか」
「はい」
歌舞伎の用語である。一つの演劇の最初から最後までを一通り上演するのである。歌舞伎は一つの場を上演することが多いことからそういう呼び方となったのである。
「最初から最後まで付き合わされた。かなり疲れたぞ」
「ニーベルングの指輪みたいなものでしょうか」
ドイツの音楽家ワーグナーの作り上げた大作である。四日かけて上演する。全十五時間にも及ぶ壮大な楽劇である。
「あれよりずっと長い」
「はあ、あれよりですか」
これにはミケンズも面食らった。
「疲れた。それで休暇は消えてしまったよ。これも家族サービスだと諦めているが」
実は彼は愛妻家としても知られているのである。
「それに少しは知識がついたかな、とも思っている」
「ですね」
「要するに一代の好色貴公子の話だ」
「一言で言うとそうなるかも知れませんが」
これにはミケンズは異論があった。
「名作でありますよ」
「ふむ」
それを聞いてコアトルは腕を組んで考え込んだ。
「そうなのだろうがやはり好きにはなれなかったわ。妻には済まないが」
「そうですか」
「まあ長官とは全く違う主人公だと思ったがな。さて、その長官だが」
「はい」
「予算の獲得はまた別の仕事だ。だがそれでも頑張ってもらわないとは」
「そうですね」
これにはコアトルも同意した。やはりトップがしっかりとしていないと駄目であるのだ。
国防省の次官はイリア=シャリアピンという。金の髪に黒い瞳の地味な外見の白人の男である。中肉中背で容姿もこれといって目立たない。黒ブチ眼鏡がよく似合っている。髪型も七三分けにしておりよく銀行員と間違われる。リトアニア出身でありかっては財務省にいた。だが国防省が設立されるとそこに移籍したのである。これは財政面を担当するスタッフが必要であるという大統領の決断からであった。財務省としても特に拒む理由もなく国防省にすんなりと移ることとなったのである。
彼は次官となった。そして八条の仕事をサポートする立場となった。所謂裏方であり目立たないが彼はそれを不満とは思っていないようであった。
「人間色々な人生がある」
よくこう言われる。
「中には日陰で裏方として生きている者もいるだろう」
そしてこうも言われる。そうした者は実際に多い。
「しかしそうした者がいないと世間は動かない。そうした者もまた必要なのだ。そして裏方であることにはかなんではならない。何時か彼等にも日が差すのだから」
あくまで理想であり空虚にも聞こえるがこれもまた真実の一面であろう。カレーラスが持っているバイソングループの野球チームの監督であるウェストが優勝する前にそう言ったがこれにより多くの者が元気付けられたものであった。
次官は所謂裏方である。長官では出来ないような仕事も担当する。その中には長官の不得意な分野もある。それこそが予算の獲得であったのだ。
「ふむ」
彼は次官室で一人資料に目を通しながら呟いていた。
「やはりこのままでは作戦の発動及び継続は不可能だな」
低く抑制のきいた声であった。ややもすれば無機質に聞こえる。
彼は電話を手にした。すぐに相手が出て来た。
「国防省のシャリアピンですが」
彼は相手にまず名乗った。
「今からそちらにお伺いしても宜しいでしょうか」
返事はすぐに返ってきた。
「わかりました。それでは後程」
そして頷くと電話を置いた。だがすぐに電話をまた手にした。
「次官です」
彼はそう相手に対して言った。
「ええ、すぐに出ます」
口調はやはり変わらなかった。
「はい、もう準備はできていますか。それは何より」
頷いていた。その頷き方は事務的なものがあった。
「それでは。今からそちらに向かいます」
そして電話を切った。彼は立ち上がると席を立った。そして部屋を出て扉の札を外出中にしてから国防省を出た。
駐車場に行くと車が一台待機していた。彼はそちらに向かった。
「行きますか」
「はい」
運転手は頷いた。彼は後部座席ではなく助手席に座ると車を発進させた。扉も自分で開けた。
「財務省で宜しいですね」
運転手は彼に行く先を尋ねた。
「はい」
彼は答えた。その目は前のみを見ている。
「そちらにお願いします」
「わかりました」
こうしてシャリアピンは財務省に向かった。彼は財務省に入ると長官室には向かわなかった。次官室に向かったのである。扉の前に来るとノックをした。
「どうぞ」
中に入ると黒い髪の紳士が立っていた。
「お久し振りですね」
「はい」
シャリアピンはそれに答えた。
「ご用件はわかっておりますよ」
「やはり」
シャリアピンはそれを聞いてもさして驚かなかったようである。
「それでは話が早い。早速話に入りましょうか」
「少し待って下さい」
だが紳士はここで彼を制止した。
「何故ですか」
「食事の時間です」
「おや」
そう言われたシャリアピンは壁にかかっている時計に目をやった。見ればもう十二時である。
「そういえばそういう時間ですね」
「どうです、ご一緒しませんか」
「お話をしながらなら」
「いいでしょう。ではここで食事を採ることにしましょう」
「はい」
こうして二人は次官室のテーブルに座った。紳士は電話で食事を部屋に持って来るように伝えた。
「メニューはどうしますか」
「今日のお勧めを」
彼はそう答えた。そしてすぐにシャリアピンとの話に入った。
「さてと」
紳士はまず前置きをした。
「財務省ではかなり予算に困っているようですね」
「否定はしません」
シャリアピンはそう答えた。
「エウロパと戦端を開くとなるとかなりの戦費が必要です。しかし」
「戦争を継続するだけの予算がないと」
「そういうことです。まずは動員される艦隊等の移動やその補給でもかなりの費用がかかります」
「ふむ」
「そして戦うとなると。その戦費は途方もないものとなります」
「そうでしょうね。艦を一隻を動かすだけでも金がかかります」
「はい」
「宇宙海賊を征伐するだけでもかなりの費用がかかります。ましてや他国との全面戦争になると」
「おわかりですね」
「はい」
紳士は答えた。
「私も以前は軍需産業におりましたから」
「そうでしたね」
この紳士の名はロンド=サックスという。ビッグリバー連邦出身でありかっては祖国のとある軍需産業において経理部門のトップを務めていた。だが財務省からスカウトを受け出向という形で次官に就任したのだ。
「ですからそれなりには理解しているつもりです」
「はい」
「八条長官は何と仰っておますか」
「長官は何も仰いませんね」
「そうですか、やはり」
そうしたことには一切不平等を口にはしないのが八条である。
「それは私の仕事です。ですからこちらに参りました」
ここで扉をノックする音がした。
「どうぞ」
サックスは入るように言った。そして料理が二人の前に並べられた。メニューはベトナム料理であった。
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