第七部第四章 名将と老将その三
宗教の世界は政治の世界と密接な関わりがあった。とりわけ中世の欧州においてはそうであった。その中心であったのがバチカンである。法皇だけでなく枢機卿にもかなりの権威が存在し、緋色の法衣には一国の君主に匹敵する栄華と名誉があった。それだけにその座を巡る争いも熾烈であったし法皇や枢機卿になってからの政治への影響もかなりのものであった。彼等は聖職者という名の政治家であったのだ。その謀略は宗教が絡んでいるだけにより陰惨で血生臭いものとなっていた。
そうした歴史があった。流石に二十世紀以降そうした表立った話はないが今だにバチカンといえば権威であった。欧州総統ですら無下には出来ず、永遠の存在であった。
「誰もバチカンに意見を言うことは許されません」
アッチャラーンはここでこう言った。
「はい。バチカンには誤謬はありませんから」
「そういうことです」
「だから彼等はエウロパのスパイとは直接関係はない。表向きは」
「そうですね。証拠を前に出しても彼等は認めないでしょう」
「対策はないものですかな。こちらは」
「対策ですか」
「そうです。聖職者の移動を禁ずるわけにもいかないですぞ」
アッチャラーンは困った顔をしていた。
「ありますが」
だが金はここできっぱりとした口調でそう答えた。
「何とっ」
それを聞いたアッチャラーンは驚かずにはいられなかった。
「内相、それは本当ですか!?」
「はい」
彼女はやはり素っ気無い声で返答した。
「問題はバチカンがエウロパにあるということですね」
「ええ」
「でしたら」
ここで一呼吸置いた。
「バチカンがこちらにあればよいのです」
「ということは」
「過去に歴史でありましたね」
金は語りはじめた。
「教皇のバビロン捕囚です」
「バビロン捕囚」
「そうです」
彼女の声は強いものとなった。
かってフランス国王フィリップ四世と教皇ボニファティウス八世が聖職者の課税問題において衝突した時フランス王は兵を送り教皇を捉えた。その際三部会を開き国民の支持を取り付けているのが狡猾ながら優れた政治手腕を持っていた彼ならではであった。テンプル騎士団を陥れたことからもわかるように彼は目的の為なら手段を選ばない人物であった。だがそれはフランスにとって幸運であった。
教皇はローマ郊外のアナーニにおいて捉えられた。老齢であった彼はそこで憤死した。彼自身狡猾で貪欲な人物であり、前任者を陥れて幽閉したうえで教皇になった人物であり左程同情することもなかった。
だが問題は教皇を捉えたことである。中世において絶対の権限を持っていた教皇を捉えるということは当時の欧州においては天地がひっくり返るような話であった。フランス王は教皇を自国領のアヴィニョンに移した。これが教皇のバビロン捕囚である。以後教皇はフランス王の干渉を常に受ける状態となった。話はそれで終わりではなかった。
それに反発したフランスと敵対するイングランド、そして神聖ローマ帝国がローマにも教皇を立てたのである。所謂シスマ=教会大分裂である。この状態は百年以上続き教会の権威は地に落ちた。中世の終わりのはじまりと言うべき話であった。
「それを行えばよいのです。元々カトリックの信者は連合の方が多いですし」
「確かにそうですが」
だがアッチャラーンはあまりもの話にまだ戸惑っていた。
「教皇をこちらに移すというのは不可能です」
「いえ、可能です」
だが金はそれに反論にかかった。
「外交交渉という手段があります。エウロパがバチカンを通じて諜報員を送り込んでいるということがわかれば」
「ステッラを捕まえてからの話ですね」
「ええ。それからの話ですが」
「そしてその交渉ですが」
「はい」
「若し彼等がそれを認めなかったとしたらどうすべきでしょうか」
あえて問うてみた。
「彼等が認めなかったならば」
「当然考えられる事態です」
それは考えられる事態というよりは規定事項のようなものであった。
「その時も決まっております」
金はやはりすぐに答えを返してきた。
「といいますと」
「戦争です」
その声はさらに強いものとなった。
「スパイの侵入を許してはなりません。彼等がそれを認めないというのならこちらも武力に訴えるまでです」
「戦争ですか」
それを聞いたアッチャラーンの顔色が変わった。
連合は設立当初から内部では海賊やテロリストとの戦闘があった。だが国同士の戦争は久しく絶えていた。利害が衝突した場合は速やかに他国、とりわけ連合中央政府の仲裁があり代替のものが与えられたからである。そうしたことができたのはやはり連合が果てしない開拓地を抱えているからであった。奪い合う必要がなければ人も国家も衝突することはかなり減少するのであった。
だからこそ彼等は戦争をすることがなかった。中央軍設立までは各国が軍隊を所有していたが、これは自衛の色彩が強かった。エウロパやサハラに兵を送ることもなかった。エウロパとは睨み合いが続いていたがそれでも彼等と武力衝突することはなかったのだ。
「はい」
金は頷いた。
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