第七部第二章 老将その三
歳の程は二十を少し越えた程であろうか。豊かな黒い髪と黒檀の様な澄んだ瞳を持っている。その眉は細く、まるで虹の様に美しい線を描いている。肌はマウリアの者とはとても思えぬ程白くまるでエウロパの者のようである。そして身体つきは小柄ながら胸は大きくまるで桃の様である。爪と唇は薔薇の色をしておりその手足も長い。顔立ちといいその身体といいまるで天界にいる天使のようであった。
「お兄様、ごきげんよう」
彼女、マルヤム=シャイターンはそう言って頭を垂れた。
「うむ」
シャイターンは妹の挨拶を受けて頷いた。
「元気そうで何よりだ。今日は一体どの様な了見でここに来たのだ」
「はい、単なる顔見せなのですが」
「顔見せか」
「御父様に言われましたので。たまには顔を見せて来いと」
「父上がな」
彼はそれを聞いてすっと笑った。
「一体何を考えておられるのやら」
「何かあったのですか?」
「いや」
だが彼は妹にその心の裏をあかしはしなかった。
「何でもない。これは御前の問題ではない」
「左様ですか」
「うむ。ところでだ」
「はい」
「父上はお元気か」
「それはもう」
マルヤムは朗らかな笑顔でそう答えた。
「何時にも増してお元気です、この頃は」
「そうか」
彼はそれを聞いて満足そうに頷いた。
「先日はオムダーマンに行かれました。何でも旅行とかで」
「オムダーマンに」
それを聞いた彼の瞳が光った。鋭い光であった。
「はい。そして楽しそうに帰って来られましたよ」
「そうか」
彼は表情が険しいものになっていくのを止められなかった。考えるものになっていく。
「そしてオムダーマンの何処に行かれたのだ」
「首都であるアスランだとか。とても嬉しそうでしたよ」
「そうか、アスランか」
彼はさらに考える顔をした。
「お兄様」
ここでマルヤムが言葉をかけてきた。
「ん?何だ」
「どうしたのですか、そんなに怖い顔をなさって」
「ムッ」
彼はここでようやく自分がどんな顔をしているのか気付いた。そして慌てて顔を戻した。
「いや、何でもない。気にするな」
「そうですか」
「そして父上は今何処におられる」
「お屋敷におられますよ」
「屋敷か」
「はい」
シャイターン家はこの宮殿の他に屋敷や多くの別荘を持っている。中には隠れ家的なものもある。政敵に備えてのものであることは言うまでもない。その屋敷は本来の彼等の邸宅だがいつもそこにいるとは限らないのである。無論暗殺や襲撃に備えてのことである。
「わかった。それさえわかればいい」
「はい」
「他に何かあるか」
「いえ」
「そうか。ならば丁度食事の時間だ。久し振りに一緒に食べよう」
「わかりました」
こうして二人は二人で食事を採ることになった。メニューは牛肉を主体としたものであった。やはり三十程の料理がテーブルに並べられる。
「牛肉ですのね」
「ああ」
シャイターンはそれに答えた。
「ジェルファ星系の産だ」
「ジェルファの」
「そうだ」
ジェルファは農業や放牧で有名な星系である。ここにいる牛は長い角を持ち大きいことで知られている。そしてその肉は極めて美味なことで知られている。
その牛の肉を煮込み、そこにトマトと香辛料をきかしたソースをかけている。添え物には同じくジェルファ星系で採れた野菜がある。
「一度食べてみたらいい。さあ早く」
「はい」
マルヤムは兄に言われるままフォークとナイフを使いその牛の肉を口に入れた。
噛む。柔らかい。そして肉汁が口の中に満ちる。これまで食べたどの肉よりも味わいが濃かった。
「どうだ」
シャイターンは肉を一口食べ終えた妹に対して問うた。
「美味しいですわ」
彼女はすぐにそう答えた。
「こんな美味しいお肉ははじめてです。柔らかくて肉汁が多くて」
「そうだろう」
シャイターンはそれを聞いて頷いた。
「味も凄くいいですし。他の牛肉とは比較にならない程ですね」
「私も最初食べた時には驚かされた」
彼は微笑んでそう言った。
「これは煮ているが焼いてもいい」
「そうなのですか」
「ソーセージにしてもハムにしてもな。丁度今ここにもある」
彼はここでテーブルの上にあるハムとソーセージを指差した。
「食べてみるといい。他のものとは全く違う」
「はい」
彼女は兄に薦められるままそれ等を口に入れた。やはり味は他の牛のそれとは全く違っていた。
「美味いだろう」
「はい。本当に他のものとは全く違いますね」
彼女はもうその整った目元を綻ばせていた。本当に美味しそうであった。
「こんなに美味しいハムやソーセージははじめてです」
「そうか。それはよかった」
シャイターンも妹の喜ぶ顔を見て満足そうであった。
「フラームもアブーもこれを食べて満足そうだった。御前も気に入ってくれたようで何よりだ」
「はい」
「オムダーマンにもこんな美味いものがあればいいがな」
彼はここでふとそう呟いた。
「オムダーマンに!?」
彼女はそれを聞いてふと顔を上げた。
「あ、いや何でもない」
だがシャイターンはその言葉を打ち消した。
「まあ食事を続けよう。この星系は他にもいいものが多くあってな」
「そうなのですか」
「このキノコのスープもいいぞ。どんどん食べたらいい」
「わかりました」
こうして二人は食事を心ゆくまで楽しんだ。マルヤムはその後で満足な顔で兄のもとを去った。
「どう思うか」
食事を終え妹と別れたシャイターンは執務室で再びハルシークと話をはじめた。赤を基調とし、絨毯や絹のカーテンで飾られた豪奢な部屋であった。
「御父上のことですか」
「そうだ」
彼はそれに頷いた。
「ただ旅行だけでわざわざオムダーマンに行ったとは誰も思わないだろう」
「はい」
これはハルシークにもわかっていることであった。
「何かお考えがあってのことだと思います」
「そうか。やはりな」
彼はそれを聞いて頷いた。
「何かあるな、絶対に」
「そう思われるのが普通ですな」
ハルシークもそれに同意した。
「ふむ」
換えはまた考え込んだ。そして口を開いた。
「父上に御会いしたい。今はあちらにおられるのだな」
「はい」
「では今すぐ屋敷に向かうじ。とにかくお話をお聞きしたい」
「わかりました。それでは留守の間はお任せ下さい」
「ああ、頼む」
こうして彼は父のもとへ向かった。その心の中には様々な考えが混ざっていた。
人気サイトランキング
小説・詩ランキング
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。