第二十六部第五章 女王の決意その十七
「そして通信と戦術のマニュアル化」
「極めて合理的だな」
「彼は将兵の個々の強さや訓練度に頼らない軍隊を作り上げました」
「二十世紀型か」
二十世紀の軍は次第にシステムにより戦うようになっていた。これは長い間軍の主流であったがサハラではそれよりも名将や将兵の個々の訓練度に頼る戦争が発達した為システムに頼る戦争は忘れられたのだ。むしろそれは旧式とさえ思われてもいた。八条はそれを見直し復活させたのである。
「今更と思ったが」
「ですが連合軍には合っていました」
「確かにな」
また忌々しげに答える。
「彼等のように訓練度に劣り尚且つ数が多く装備も優れているならば」
「それに頼ればまず問題はありません」
「それを思い知らされた」
あらためて述べる。
「嫌な程にな。これもある意味ルネサンスか」
「ルネサンスですか」
「そうだ。軍事のな」
実はルネサンスは単に文芸が復興されただけではないのである。戦争においてもルネサンスが為されていた。かつてのギリシアやローマの戦争が再研究されそれにより戦争のあり方が大きく変わってもいるのだ。その例の一つとしてテルシオがある。スペインで成立し三十年戦争前期までその威力を発揮したこの方陣はかつてのギリシアやローマの方陣をモデルとしたものであるのだ。
「彼はそれをしたのだ」
「そういうことですか」
「我々としても学ばなくてはならない」
シュバルツブルグはこうも述べる。
「彼等のそうしたところはな」
「それでは閣下」
モンサルヴァートはシュバルツブルグのその言葉を聞いて言う。
「我々もまた」
「軍制改革だな」
毅然として述べた。
「我々もまた」
「システム化ですか」
「そうだ。取り入れるべきだ」
シュバルツブルグはそう言葉を続ける。
「そうしなければ連合に対向し辛いだろう」
「先の戦争では個々の戦いでは奮戦しましたが」
これは事実である。エウロパ軍の将兵達は圧倒的な物量を誇る連合軍に対して毅然として立ち向かい奮闘した。その見事な戦いぶりは連合軍の将兵をして感嘆の言葉を漏らさせる程であった。それはさながら第二次世界大戦のドイツ軍や日本軍を思わせるものであったとまで言われている。当時の日本軍の壮絶なまでの戦い方は連合においては有り得ない伝説とまで言われている。
「結局は敗れました」
「数もあったがやはり」
「はい」
シュバルツブルグの言葉に頷く。
「我々の戦い方が旧式であったのも事実でしょう」
「旧式か。そうなるか」
「負ければそうなるものです」
モンサルヴァートの今の言葉は戦争というものを見事に表わしていると言えた。軍事というものは極めて保守的な世界なのだ。決まったやり方があればそれを忠実に守る。そうしなければ敗れてしまうからだ。下手に新しい戦争の仕方をしてもそれで勝てるとは限らないのだ。だから革新者というものは普通の世界より異端視されたりする。八条がシステム化を取り入れた時も様々な論争が議会を中心として起こっている。しかし彼は実績を残した。エウロパとの戦争前に既に海賊やテロリスト討伐での実績がだ。それでもエウロパとのはじめての本格的な戦争に関しては圧倒的な物量で勝利は確実視されていたものの果たしてどうなるのかと思われたりもしているのである。
「それが戦争ですから」
「それでは我々も新しくなろう」
「はい」
またシュバルツブルグの言葉に頷く。
「ですが。ここで問題があります」
「我々自身にだな」
シュバルツブルグもよく自覚していることがここで脳裏に宿った。
「我々エウロパの騎士達の」
「我々が騎士であるからこそ」
モンサルヴァートもそれに関して言及する。
「果たして。それを受け入れられるかどうか」
「騎士は戦場で名乗りをあげ雄々しく立派に戦う」
この時代は流石に集団戦であるがそうした考えはまだ残っている。エウロパの軍人達は自分達を騎士と自認して戦っている。それをどうかと見ているのだ。
「それはいいことだが」
「それだけでは。勝てないものがあります」
またしても冷静に述べるモンサルヴァートであった。
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