第六部第四章 ゲリラその八
国防省に一台の車が到着した。そこから一人の美しい女性が姿を現わした。
「遂に来たか」
国防省の者は彼女の姿を認めて戦慄を覚えずにはいられなかった。
「ゴミはないな」
「整理整頓は済んでいるな」
彼等は彼女が来る直前まであれこれと動き回っていた。国防省でも彼女の厳格さと潔癖症は知られているのだ。
「しかし大丈夫ですかね」
ここで若いスタッフが年配の同僚に言った。
「何がだ」
「いえ、内相ってうちの長官と仲が悪いですし。また批判されるんじゃないかと」
彼女は的外れな批判や誹謗中傷なぞは一切しない。あくまで実際のことを指摘するのだ。だがそれがあまりにも辛辣なだけである。とりわけ国防省への批判が多い。
「確かにその危険はあるな」
彼は後輩の考えに頷いた。
「あの人はまた特別だからな」
「ですね。本当に思いますよ」
彼はここで言った。
「あの人が国防相でなくてよかったって」
「俺もだよ」
またここで同意した。
「八条長官は穏やかでおおらかな方だからな。我々にも優しいし」
「はい。それに対して内務省は大変なようですね」
内務省は現在胃潰瘍等をわずらっている者が多いので有名となっている。金は決して部下虐めなぞはしないがその厳しさから部下達が参っているのだ。
「そうらしいな。実は内務省に知り合いがいるんだが」
「はい」
「凄いらしいぞ。規則から仕事まで何から何まで。日本の宮内庁に匹敵する程チェックが厳しいらしい」
「あの域にまでですか」
日本の宮内庁の頑固さは連合でつとに知られている。そしてそのチェックの厳しさも有名である。これはやはり色々な事情があるのだがこれにより『竹のカーテン』が維持されているのは事実である。
「それにひきかえ我が国防省は」
「まるで天国でしょうね」
「そういうことだ。天国と地獄だな、まさに」
「はい」
金は国防省の中を進んで行く。行く先々でも周囲への目を怠らない。
「成程」
彼女は廊下等を見ながら考えていた。
「風紀がまだまだですね」
「といいますと」
後ろにいる女性の秘書官がそれに気付き声をかけた。小柄で赤い髪と濃い青の瞳の美しい女性である。全体的に丸い顔立ちをしている。歳は二十代後半といったところか。だが実際の年齢よりも若く見える。
「待ちなさい」
ここで金は彼女に厳しい声を浴びせた。
「は、はい」
「ミスハルーシャ」
金は彼女の名を呼んだ。
「はい」
「まずは少し速く歩きなさい。いいですね」
「は、はい」
「宜しい」
金は歩く際の位置にも厳しい。
金にハルーシャと呼ばれた秘書官は本名をサリー=ハルーシャという。ブルネイ出身で内務省では将来を期待されている若き才媛である。
「では風紀についてです」
「はい」
金は話をはじめた。
「どうやら私が来る前に清掃等を必死にやっていたようですね」
「そうなのでしょうか」
彼女にはそれはわからなかった。
「御覧なさい」
金はここで廊下の片隅を指差した。
「ゴミが落ちていますね」
「はい」
言われてみれば確かに落ちている。だがほんの小さなものである。
「そしてゴミ箱はどれも綺麗になっています。これはゴミを捨ててすぐだからです」
「そういえば」
「そして慌てて掃除をした為にゴミを見落としています。これが何よりの証拠です」
「そうなのですか」
「はい。仮にも連合中央政府の省庁がこれではいけません」
彼女は強い口調でそう言い切った。
「いつも言っていますね。僅かな気の緩みから全てがほつれていくと」
「はい」
これが彼女の持論である。
「そして腐敗は全て上からはじまっていくのです。これは常に念頭に置いておかなければなりません」
彼女にとって汚職なぞは論外である。意外とそうしたことには無頓着な傾向がある連合であるが彼女は例外と言える程厳しい。内務省では汚職も腐敗もない。彼女に見つからない筈がないからだ。
「国防省でそうしたことがあるとは聞いていませんが」
八条は汚職やスキャンダルとは無縁な存在である。彼の場合は実家が裕福なので政治資金にも困らないのと女性に疎いせいである。後者はその為に同性愛説が流れているが。
連合の汚職は実は複雑な事情があるのだ。厳密に言うと汚職と言ってよいかも微妙なものもある。
とりあえず女性問題や男性問題は本人の下半身の事情なので詳しく触れても仕方がない。その人それぞれの嗜好というものもある。同性愛者や俗に言う変態趣味の者もいる。それを何から何まであげつらっていくのは魔女狩りのようなものである。
汚職というと賄賂等が真っ先に出る。これにしろあいまいなものと言えばあいまいである。謝礼や贈り物もこれに含まれる場合もあるからだ。
政治家への資金援助は認められている。問題はその透明性だとされる。そもそも政治家の選挙には金がかかる。運動の為の資金だけでなくスタッフへの給料もある。政治家は自分の力だけで政治家にはなれないのだ。
そこで資金が必要となる。金のかからない選挙が理想なのは事実だが宣伝等に使うのでなかなかそうはいかない。ましてや連合の様な膨大な人口を擁し複雑な社会構成だとなおさらである。惑星の一都市の議員になるにも色々と動かなくてはならないのだ。本を読んでいて選挙活動もせずに当選する程連合は甘い世界ではない。
ここで支持者や支援団体から資金援助が行われる。これが汚職と言えばそうなる。だがこれは結局政治家一人の責任ではない。支援者や支持団体の責任でもある。ましてや連合は企業や特定の政治団体のみで動く世界ではない。企業にしろ多くの職域がありその範囲も様々である。個人の大農園の主もかなりの発言力があるケースがある。弁護士もいれば医者や職人もいる。伝統工業等零細ながら重要なものもある。日本の様に古い国に行けばそうしたものは実に多い。
そして政治家の経歴も様々である。キロモトのように中流の農民の家に生まれ下士官から大統領にまでなった者もいれば八条の様に裕福な名家に生まれ若くして栄達した者もいる。金の様に官僚からなった者もいる。当然組合出身者もいるし元の職業が弁護士であったり労働者であったりする。その収入や置かれている状況も実に様々である。エウロパのように貴族が大半を占める世界ではないのだ。
従って複雑な事情が生じるのだ。政治家もそうしなければ破産する。政治資金を調達できないからだ。政治資金も調達できず破産するような政治家では話にもならない。これはどの職業でも言えることである。
結局は透明性でないか、という結論に至り易い。だがそれでも話は簡単にまとまらない。そうそう簡単な問題ではないのである。
無論エウロパ等から金を貰うのは論外である。サハラ各国にしてもだ。そうした勢力圏外の国や勢力からのものは厳しく禁じられている。
そしてそうした献金で私腹を肥やせるかというとそうでもない。それはすぐに選挙活動や宣伝、スタッフへの給料、謝礼や贈り物となる。政治家の手許に残るのはまずない。結局彼等は議員の給料で食べるか、それが足りなければ本を書くなりテレビに出るなりしてお金を稼ぐしかない。だが政治家としての活動もしなければならないのは言うまでもない。
その点金は困ってはいない。本も出せばテレビにも出る。厳格かつ辛辣でそれでいて間違いのない彼女の主張はわりかし受け入れられている。また美人なのでそれも幸いしている。彼女に言わせれば人を容姿で選ぶのは失格なのだそうであるが。
こうした事情があるから連合では汚職にはわりかしおおらかである。見つかれば相応の責任が待っているにしろ。そうしたやり方で彼等は少なくとも一千年以上の間それなりに安定した政治を各国、中央政府共行ってきている。
「八条長官は本当にお甘い」
金はまた言った。
「部下の風紀も完璧にしてこそです。国防相ともあろう人が」
これにはハルーシャは何も言えなかった。
「しかし国防省の風紀が乱れているとは聞いたことがありませんが」
「今のところは」
金はそこでそう反論した。
「しかしそれでは駄目なのです。まずはその芽を摘んでおかなければ。腐敗は何時でもはじまる可能性があるのです」
「そうしたものなのですか」
「貴女はまだそれがわかっていないようですね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません。人はそう簡単に謝ってはなりません」
これも金の哲学であった。
「日本人は比較的よく謝りますが」
「そういえばそうですね」
「しかしそれでは駄目なのです。人は常に毅然とした態度をとっていなくてはなりません」
彼女の場合はそれが過ぎているとも批判されている。だが批判するとその三倍もの反論が返ってくるので面と向かって批判する者は少ない。
「八条長官も然り」
「長官もですか」
「はい。今からそれについてもお話しなければなりませんね。長官には」
「はあ」
八条と金の関係は内務省でも有名である。と言っても金が一方的に八条に対して言うだけである。当事者同士である国防省と内務省にとってはいささか頭が痛い問題である。
「お待ちしていました」
やがて長官の執務室の前に辿り着いた。木口が彼等を出迎えた。
「はい」
金は彼を少し見上げて返礼した。
「御苦労様です。長官はおられますか」
「はい、八条は中で待っています」
「そうですか。では」
金はそのままドアの前に向かう。そしてその扉を自分の手で開けた。
木口は横でそれを見るだけである。以前開けようとして叱責された経験があるのだ。金は扉は自分の手で開けなくてはならない、という考えの持ち主であるからだ。これも内務省では徹底されている。
(厳しい人だからな)
木口は内心そう思った。彼も金の厳しさは身を以って知っている。
金は一人で入った。ハルーシャと木口は控え室で待つことになっている。
「じゃあ行きますか」
「はい」
「たまにはゆっくりとお茶でも飲みませんか?」
「いいですね」
二人はこうして束の間の安らぎの時に向かった。ハルーシャにとっても金は実に厳しい上司であるのだ。
そして金であるが八条の執務室の扉を閉めた。そして机の前に立ち自分を待っている青年と正対した。
「お待ちしておりました」
八条は手を差し出して彼女に挨拶をする。
「はい」
金も手を出す。そして二人は握手をした。
それから席に着き話をはじめる。まずは金が口を開いた。
「この執務室に来るまでに国防省の中を拝見させて頂きましたが」
「はい」
八条は話を聞きながら小言が待っているのを予感していた。そしてそれは当たった。
中身は国防省の風紀のことであった。彼女は実に細かいことまで指摘したうえその責任は長である八条にあると批判した。
「長官には一刻も早い的確な善処をお願いします」
彼女は最後にそう締めくくった。これで暫くの間国防省はいささか堅苦しくならざるを得ない。彼女が来たところは常にそうした状況になるのだ。
当然八条もだ。彼自身は風紀には特に乱れた点はないがそれでも注意しなければならないのは事実である。長官といえどそれを怠ってはならないのは言うまでもない。
「そして話の本題ですが」
「はい」
そして本題に入った。二人の間に緊張が走った。
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