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第六部第三章 奸物その二
「南方ではかなりの動きがあるな」
 シャイターンの宮殿の豪奢な一室で一人の老人がシャイターンに対して語っていた。
「はい、そのようですね」
 赤と黒の絹の豪奢な服を身に纏った彼が答えた。見ればその老人も豪奢な服を着ている。金と黒の丈の長い服だ。
「どうやら知っているようだな」
 その老人は低い声でシャイターンに対して言った。見れば皺こそあるが端整な顔立ちをしている。髪と目はシャイターンのそれと同じ色である。その顔立ちも何処かシャイターンに似ている。いや、シャイターンが彼に似ているというべきか。背丈も体型もそっくりであった。
「父上」
 シャイターンはその男を父と呼んだ。
「父上は今回のオムダーマンの南方侵攻をどのようにお考えですか」
「そうだな」
 彼は邪な雰囲気の漂う微笑みを浮かべてからシャイターンに語った。
 彼の名をムシュタ=シャイターンという。イスラムのシーア派に属する宗派の法皇にある男でありサハラにおいてはかなり名の知られた男である。
 彼は宗教家としてより政治家として知られていた。
『右手に奸智、左手に謀略』
 かってローマ法皇としてルネサンスにその悪名を轟かせたアレクサンドル六世という法皇がいた。法皇でありながら愛人を持ち子供までいた。そのうちの一人がルネサンスのイタリアにおいて最大の梟雄と謳われたチェーザレ=ボルジアである。彼等はその奸智と謀略によりイタリアを支配せんとしていた。毒殺も巧みでありカンタレラという毒薬を使って多くの政敵を暗殺してきたと言われている。
 婚姻政策でも彼等は奸智を駆使した。その美貌で知られた妹ルクレィツア=ボルジアは何度か結婚している。その中の夫の一人は政局が変わりチェーザレに用済みとみなされ消されている。彼は妹すら己が野心の道具としていたのである。あくまで冷酷な男であった。
 その父もまた同じであった。彼はボローニャ大学創設以来の天才と言われており哲学、法学、神学の三つの博士号を持っていた。しかしその心は野望に燃えていたのである。当時のバチカンはそうしたところであった。宗教よりも政治の場であったのだ。そう、彼は法皇という名の一級の政治家であった。
 このムシュタはそのアレクサンドル六世と同じだと言われている。謀略を好み、それにより今の地位を得た。彼の政敵は原因不明の死を遂げた者が多い。暗殺が噂されているがそれを確かめる術はない。
 多くの政敵を葬り法皇となったがそれからも彼は陰謀を駆使した。そうして着々と力をつけていったのだ。長子であるメフメットも彼の力を後ろ楯の一つにしていた。だからこそ傭兵隊長になることができたのである。そのことから彼は時として『法衣を纏った軍人』と称されることもある。
「あのオムダーマンの将は若いながら優れた人物のようだな」
「アッディーン元帥ですね」
「ああ。今までの戦いを見ても見事なものだ」
 その陰のある瞳が光った。
「メフメット、そなたに匹敵するかも知れぬな」
「ふふふ」
 メフメットはそれを受けて笑った。
「私に比肩し得る者ですか」
「そうだ。まさかこの世にいるとは思わなかったがな」
 ムシュタは自らの子を見ながら言った。
「我が子よ、これはどう思うか」
「そうですね」
 メフメットは不敵に笑った。
「面白いことだと思いますよ」
「ほう、面白いか」
「ええ。私はこのサハラを統一する為にこの世にいますがライバルがいないとつまらない」
「余裕があるな。つまらない、か」
「そうです。このままだと何もなくサハラを手中に収めてしまいます。全ては予定通りですが」
「ハプニングも必要ということか」
「そういうことです」
 彼はまた笑った。あくまで余裕に満ちた笑みであった。
「ところでそちらはどうなっていますか」
「法皇庁の方か」
「はい」
 彼等の宗派はイズライール派というシーア派の一派である。イスラムであるが聖職者が存在しローマ=カトリック教会のそれに酷似した体制となっている。
「フラームは元気ですか」
「うむ、そちらは心配無用だ」
 ムシュタはニヤリとした顔で答えた。
「法皇になったばかりだが無事にやっておる。あれで中々大した男だ」
「それを聞いて安心しました」
 メフメットは答えた。
「しかしフラームにお伝え下さい。法皇たる者一時たりとも気を緩めてはならないと」
「宗教家に対する言葉ではないな、それは」
「何を仰いますやら」
 彼は父に悪戯っぽく笑ってそう言った。
「法皇が一体どういう存在か、父上が最もよくご存知の筈ですが」
「そうだったかな」
 彼はそれに対してはとぼけてみせた。
「確かに人々の心を救わなくてはならないからな。そうした意味ではそうかも知れん」
「ご冗談を」
「法皇としての当然の勤めを言っただけだが」
「法皇としてですか」
「そうだ。違うかな」
「ふふふ」
 メフメットはそれに対しては笑うだけで答えなかった。心の中ではそれに対する答えは出ているが。
「父上も人が悪い」
「そなた程ではない。ところでだ」
「はい」
 二人はここでまた話題を変えることにした。
「そろそろマルヤムも年頃だが」
「おお、そうでしたか」
 メフメットはその言葉に声をあげた。
「何処かによい婿がおらぬかな」
「婿ですか」
「そうだ、我々にとって都合のいい婿だ」
「そうですね」
 メフメットはそれを聞き暫し考え込んだ。
「どうしたものか」
 だがやがて顔を上げた。そして父に対して言った。
「いい考えがありますよ」
「それは何だ」
 ムシュタはそれに顔を向けた。
「アッディーン元帥と結ばせるというのはどうでしょうか」
「またおかしなことを言うな」
 そう言うムシュタの顔は何故か笑っていた。
「今そなたのライバルだと言っていたではないか」
「だからですよ」
 メフメットは楽しそうに笑って答えた。
「面白いではありませんか。妹の夫と覇を競うというのも。まるでエウロパの小説の様で」
「シェークスピアか」
「少し違いますがね。実際に彼とは今のところ結んでおくのは得策だと存じますが」
「確かにな。それでオムダーマンも無視はできないだろうし」
 サハラは連合よりも遙かに血の繋がりが重視される。それはアラブの頃から変わらない。
「今我等は力不足です。このサハラを手中に収めるには」
「だがそれもそなたの考え通りだろう」
「ええ」
 彼は答えた。
「どのみちこの辺りで有力な勢力と婚姻で結ぶつもりでした」
「では決まりだな」
「はい」
 メフメットは頷いた。
「可愛いあの娘を嫁に出すのは父として心が痛むがな」
「父上、それは私も同じです」
「だがそなたは私のそれとは少し違うな」
「おわかりでしたか」
「当然だ。私はそなたの父でもあるのだぞ」
「ふふふ」
 シャイターンはその言葉を受け再び笑った。
「確かにマルヤムは可愛いです。しかし」
 彼はここで言った。
「役に立つからこそ可愛いのです。クイーンだからこそです」
「我が子とはいえ恐ろしいな、そなたは」
 ムシュタは表情を消してそう言った。
「だがその冷酷さと頭脳があればこそだ。シャイターン家がこのサハラを手中に収めることができるのは」
「フフフフフ」
 彼は笑い続けていた。その背にあるマントはまるで悪魔の翼の様に彼の動きに合わせてなびいていた。
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