第六部第一章 星河の海その七
カレーというのは実に不思議な料理である。インドで食べられていた米にかける多くの香辛料を使った汁だがこれがイギリスに伝わったものである。
この時将兵に健康にいいものを食べさせようと必死になって考えていた日本海軍がこれに目をつけた。その時イギリス海軍はパンにこの汁、即ちルーをかけていたのだ。
だが日本では米である。パンにつけるものは汁気が多い。この汁気を減らして日本の米に合うようにしたのがカレーである。カレーは海軍から広まったものである。
日本人はこのカレーをインド料理だと信じて疑わない。だがインド人が実際にそのカレーを食べて評した言葉は次のようなものであった。
「変わった和食ですね」
これを聞いた日本人は目が点になったという。インド人はこれが自分達の料理だとは全く思わなかったのである。
同じことは日本人の料理においては実によく起こる。ハンバーガーにしろラーメンにしろだ。アメリカ人や中国人は日本で食べられるこれ等の料理を和食をみなしているのである。
(彼等と同じことを言うな)
八条はそれを聞きながら思った。マクレーンも劉もかって彼に殆ど同じことを言っていたのを思い出したのだ。
「少なくとも私はそう考えていますが」
八条は心の中で色々と考えながらエルールに答えた。それを聞いたエルールはまた実に不思議そうな顔をした。
「そうなのですか」
「はい」
「私にはちょっとそうは考えられないのですが。いえ」
彼女は言葉を続けた。
「マウリアの者でそう考えている者は多いと思いますよ」
「はあ」
八条にはこれが不思議でならなかった。ハンバーガーには海老や烏賊を、ラーメンも鰹節でダシをとるものがある。だからこれを和食としてもまだ説明がいく。だがカレーは流石に違うのではないかと考えているのである。
「私にはそれがどうしてもよくわからないのです」
八条は答えた。
「あれは確かにマウリアの料理だと考えていますので」
「そうなのですか」
エルールはやはり納得がいかなかった。首を傾げながらカバリエに顔を向けた。
「外相はどうお考えですか」
「私ですか」
話を振られたカバリエはフォークとナイフを止めた。
「ここは外相のお考えをお聞きしたいのですが」
「そうですね」
彼女は暫し考え込んだ。そして口を開いた。
「八条長官の言われることもエルール外相の言われることも真実であると思います」
「といいますと」
八条もエルールも彼女の次の言葉に注目した。
「確かにあれはインドの料理です。あのルーは」
「はい、その通りです」
八条はそのコメントに大きく頷いた。彼も幼い頃よりカレーを食べてきている。だからそれについての考えには譲れないものもあるのだ。
「ですが日本のアレンジも到底無視できない程入っているのも事実です」
「仰るとおりです」
エルールは満足したように頷いた。
「それ等を考えますとあのカレーは二つの見方ができるのです」
「二つの見方」
「はい。即ち日本のアレンジが入ったマウリア料理、そしてもう一つはマウリア風の和食です」
「どちらがどちらとは言えないわけですね」
八条もエルールもそれを聞きわかったようなわからないような顔をした。
「そういうことになりますね」
カバリエはそれに対して答えた。
「これはカレー自体のその時の調理の仕方によっても大きく変わります。実際にかなりマウリアのカリーに近い、若しくはそのもののカレーもあります」
「はい」
これには八条が頷いた。
「逆に極めて日本的なカレーもあります。汁気が少なく大豆から作られた醤油を使っているものです」
「はい」
これにはエルールが頷いた。
「そうしたふうに一概には言えないと私は考えます。そうして一括りに出来る程料理というものは簡単ではありません」
カバリエは優しい笑みを浮かべながら言った。
「それに私はどちらに寄っていても好きですよ、カレーは」
「成程」
二人はそこまで聞いて大いに頷いた。
「そうですね。目から鱗が落ちました」
八条は頷きながら言った。
「私もです。そう考えると分かり易いですね」
エルールもであった。彼女はようやくカレーとカリーについて悟ったようである。
「カレーとは奥が深いものです。いえ、料理自体がそうですね」
カバリエはここで真理を語った。これがこの食事の決まりの言葉となった。
こうして食事は終わった。流れはカバリエが料理、とりわけカレーの話題でまとめたこともあり連合に流れていた。
(こうした流れの作り方もあるのだな)
八条は会議がはじまるとその場の空気を読みながら思った。
(軍や国防省ではこうしたことはないな)
彼等は戦場、そして閉じられた会議室で全てを決める。だからこうした話の流れの持って行き方は新鮮なものであった。
軍事においてはまずは知識だ。そしてそこから識見である。流れはそれをぶつけ合ってそこから生まれるものだ。
だが外交の交渉は違う。正規のテーブルに着くその前から既にはじまっているのである。
「我々の考えですが」
カバリエが口を開いた。
「この度の海賊の掃討に際してそちらの領域を通過する権限を頂きたいのです」
解放軍の掃討に関してであるのは言うまでもない。
「我が国のですか」
ラーンチがその言葉に眉を少し動かした。
「はい、彼等は貴国の領域も侵犯する場合もありますし」
「それは確認しています」
彼は答えた。
「ですが我等との間には相互の領域に軍を進める場合には多くの制約があるのですが」
「それはわかっております」
カバリエは答えた。連合とマウリアは昔から軍事条約を多く結んでいた。
例えば通過する際には常に識別信号や通信を発さなくてはならない。そして事前に何時何処に来るかも通報しておかなければならない。これは国際法の常識に添って決められていた。
「しかし軍事行動となるとそれ等は不可能でしょうね」
「はい」
それには八条が答えた。
「残念ながらそれは出来ません。ですから今回こうして交渉の場を設けさせてもらったのです」
「ふむ」
ラーンチはそれを聞き考え込んだ。既にわかっていたことだが実際に交渉の場で話を聞くとやはり考えてしまう。
「つまり今回は特例として認めて欲しいということですね」
「はい」
カバリエと八条はほぼ同時にそれに答えた。
「あの解放軍と称する海賊達は連合、マウリア双方にとって害となっております故」
「一時的なもので宜しいのです」
「ふむ」
二人はそれを聞いて考え込んだ。そしてそれから口を開いた。
「期限付きということでどうでしょうか」
「期限ですか」
カバリエはエルールの提案に反応した。
「はい。三ヶ月程なら宜しいと思います。あくまで私見ですが」
「三ヶ月」
カバリエはそれを聞き八条に顔を向けた。
「長官はこれについてどうお考えですか」
「三ヶ月ですか」
八条も考えていた。確かに期限としては悪くはない。だが若し海賊を掃討できなかった場合は問題が残る。彼等に逃げられてしまうからだ。
「そうですね」
「私としてはこの期間で問題はないと思いますが」
そう言うカバリエの目が光った。彼女はどうやらそれが手の打ち所だと思っているようである。
それは八条にもわかった。彼はそれを見て内心思った。
(それがいいかも知れないな)
彼もそれに傾いた。
(三ヶ月は海賊の掃討としては充分過ぎる時間だ。それにそれ以上の期間をかけると人員や費用の無駄だ)
戦いは起こったならば早急に終わらせるべし、この時代も変わることのない兵法の鉄則であった。
八条が国防長官に就任して以降海賊の掃討は迅速に行われていた。作戦発動から一ヶ月をかけたものはない。事前に準備を整え補給を万全にしてから大軍を以って一気に決めていた。彼は作戦発動までにそれよりも遙かに多くの時間をかけていた。
戦争は一朝一夕で為すものではない。その前に多くの動きがある。軍事行動を起こすにあたっては一人の兵士、一隻の艦艇が動くのにそれ以上の人員、艦艇、そして費用が必要なのである。古代の戦争にしろ為政者の思いつきで起こるわけでは決してないのである。無論例外もあるが。
それを考えると三ヶ月は充分過ぎる期間であった。だが今回の敵は今までの海賊達と比べるとかなり強力である。果たして三ヶ月でことを収めることができるのか。八条は実際には長期戦も覚悟していたのだ。
「ふむ」
彼は考え続けた。そしてようやく決意した。
「わかりました。それでいいと思います」
「ご理解していただき有り難うございます」
それを聞いたラーンチとエルールは笑みを浮かべた。
「作戦発動から三ヶ月でよろしいですね」
「はい、それでよろしいかと」
「わかりました。ならばこちらにも問題はありません」
彼はここで決めた。今後の作戦のおおよその予定を。彼は既に頭の中で幾つかのプランを考えていたのだ。スタッフと話し合い幾つか案を出させていたのだ。
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