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第五部第四章 神の名その三
「エウロパはかなりの軍拡に踏み切るようだしな」
「それが総督府にも影響しそうですね」
「そうだな。本土と総督府の移動もさらに用意なものにするらしい」
「やはりいざという時の為にですか」
「だろうな。そうでないと守りきれるものではない。何しろエウロパと連合の差はかなりのものだ」
 三十倍の差はやはり大きかった。
「それに連合の第一の敵ですからね。一千年に渡る」
「そうだ。連合がことを興すとすればまず彼等に対してだろうな」
 それは誰もが予想していることであった。
「マウリアや我々に対しても行動に出る可能性もないわけではないがな」
「ですがそれはまだ先のことでしょうね」
「ああ」
 この認識はエウロパと同じであった。こうしたことについてはサハラ各国はエウロパよりも鋭い。彼等は長い間戦ってきているからそうしたことには敏感なのである。
「今は彼等のことはそれ程考える必要はあるまい。それよりもやはり目先のことだ」
「はい」
 アッディーンはそこでカレンダーに目をやった。
「会議までもうすぐだ。意見の調整も進めておかなくてはな」
 今オムダーマンは今後の戦略を巡って軍内で色々と議論がある。それで彼も忙しいのだ。
「今はどちらが優勢だ」
「南進派です」
「やはりな」
 彼はそれを聞いて頷いた。彼はその先頭にいると言ってよい。
「まだ北方に進むのは早いからな」
 彼はそう考えていた。エウロパの総督府があるオムダーマンの国力を考えると北への進出はまだまだリスクが高かった。
 それよりも小国が乱立している南方に兵を進めるべきだというのが彼の考えである。そしてそこで力を蓄えるべきだと主張している。
「それからだな、北に進むのは。いや」
 ここで脳裏にある男の顔が浮かんだ。
「北に行くのは最後になるかも知れないな」
「どうしてですか」
 ガルシャースプはそれに問うた。
「根拠はないが。ただそんな気がするだけだ」
「そうですか」
「ああ」
 現実に考えて南の次は北だ。ハサンはそれ程積極的に動く国ではない。これは彼等がかなりの規模を持つ国であるだけでなく交易を第一に考えている為ことを荒だてるのを好まないからだ。
「とりあえずは南方に進みたいな。各個撃破していきながら」
「外交も重要になってきますね」
「そうだな。おそらく南方では外交がこれまでよりも大きな意味を持つだろうな」
 それはわかっていることであった。小国が多くある為調略も必要になる。おそらく外交の成否がことを決することになる。
「やはり外交部には出てもらうことになるかな」
「大統領や首相はそれについてはどうお考えでしょうね」
「今のところはわからない。だが外交部には出てもらうよう要請しておくか」
「そうですね。それがよろしいかと」
「よし。では外交部には後で俺から電話しておこう」
「はい」
 オムダーマンでは次の行動に向けて話が進んでいた。その頃北方においてもあの男が次の行動に考えを巡らせていた。
 シャイターンは北方諸国を統合する主席に就任することが決定した。彼はその就任式に出ていた。
「シャイターン万歳!シャイターン万歳!」
「アッラーの加護があらんことを!」 
 彼は絶大な人気を誇っていた。北方の危機を二回も救ったから当然であった。そしてハルーク家との結びつきがそれに加わっていた。
 この家はサハラにおいても屈指の権門である。やはりそうした存在はどの国にもある。そうした家と関係があるということは大きな後ろ楯であるのは事実であった。
 シャイターンはそれを大いに活用した。各国の実力者達に呼び掛け彼に協力を要請した。その際ハルークの財が絶大な効果を発揮した。
 彼がこの国々をまとめる主席に就任することができたのもこれがあったからなのは言うまでもない。そもそも主席という存在を言い出すことも出来なかっただろう。
 シャイターンはそれを全て踏まえた上でハルーク家に接近したのだ。そしてその当主である未亡人と結婚した。これにはイスラムの考えも役立った。
 イスラムでは妻は四人まで持ってもよい。この時代でもそうだ。ただし公平に愛さなくてはならないが。
 これは戦災未亡人への救済の為にムハンマドが考えたことであった。彼は実は結構なフェミニストであり女性の権利も大切なものとして認められていた。あくまで当時の人間としてだがそうしたことからもこの預言者が一時期キリスト教世界で言われていた様な人物ではないことがわかる。
 未亡人はあまり好ましくはない。すぐに妻に迎える方がよい。シャイターンにはそうした宗教的な大義名分もあったのだ。
 そして彼は彼女と結婚した。歳よりずっと若く美しかったので容姿では不満はなかった。それに穏やかな性格も気に入っていた。
「私はああした女性は好きだ」
 彼はよくこう言った。実際に彼は彼女を大事にしている。妻として信頼に足る存在だと認識していた。
 彼はその容姿から女性に不自由したことはない。容姿に加えて地位も財産もあるから余計だ。それなりにその道には精通している。これはどちらかというと朴念仁と見られがちなアッディーンとは違う点である。
 今は妻はいない。だがこれまでに多くの女性と浮名を流している。彼はそうしたことでも知られていた。
「だがアッラーの戒律は破ってはいない。私とてムスリムだ」
 彼はそれについて指摘されるといつもこう反論する。その通りであった。彼はイスラムの戒律には何ら反することはしていないのである。
 だからこそ彼には人望があった。強烈なカリスマが備わっていた。そして誰もがそれを、認めていた。
 シャイターンは今や北方の雄であった。その勢いは誰にも止めることはできなかった。
「諸君」
 シャイターンは赤い軍服と黒のマントに身を包んでいた。今ではこの服が北方諸国連合軍最高司令官の服であった。
「私は今ここに宣言しよう。北のサハラの民の幸福と安全を」
 その声を聞くと熱狂的な歓声が聞こえてきた。
「そしてこのサハラの永遠の繁栄を。今我々は危機に瀕している」
 それを聞き皆顔を引き締めた。
「エウロパという異教を信じる者達が来ている。彼等はあの二千年前の十字軍の悪行を再び繰り返している」
 それは多くの者が主張していた。エウロパの侵攻は彼等にとってみれば十字軍そのものであった。この狂信者達により多くのムスリムが殺され、食われた。そして聖都エルサレムは血で膝まで塗れた。それが十字軍の正体であった。彼等は殺戮集団であったのだ。少なくともイスラム世界ではそう考えられている。
「我々はそれを阻止しなくてはならない。そうでなければサハラは滅ぶだろう」
 重みのある言葉だった。皆沈黙していた。
「その為に私は誓おう。エウロパの者達をこのサハラから一人残らず追放することを」
 次第に民衆がざわめきだした。
「それこそが私の最初の使命だ。私はサハラをサハラの者の手に完全に返そう!」
 自信に満ちた言葉であった。他の者が言ったならばここまでの重みはなかったであろう。
 だがシャイターンの言葉にはその重みがあった。高いテノールであるのに信じられない位の重みがあった。声域を超えた、人間としての重みを感じさせる言葉であった。
 民衆は暫くザワザワとしていた。だがそれはやがて熱狂的な歓声に変わった。
「シャイターン万歳!シャイターン万歳!」
「サハラに栄光あれ!」
 彼等は口々に叫んでいた。シャイターンはそれに対して手を振って答える。こうして彼は北方諸国の民衆の支持を完全に得た。
 それは北方諸国だけには留まらなかった。サハラ全土で彼に対する支持が集まりだしていた。
『北方に英傑現わる』
『シャイターン、エウロパとの対決を決意』
『天才が今立ち上がった』
 そうした記事や報道がマスコミに氾濫した。マスコミだけでなくネットでもやはり大きな反響を呼んでいた。
『果たして本物か』
『本気でエウロパと戦うつもりか』
『勝算はあるのか』
 ネットはマスコミよりも率直な意見が交じあわされる。誰もが己の考えをストレートに述べていた。
 それだけに中には品のない表現や誹謗中傷もある。当然シャイターンへの誹謗中傷もあった。
 だがそれは無視される。それは彼を語ることにはなっていないからだ。
 こうした事はマスコミにもよくあった。いや、むしろマスコミこのその本家本元であった。ナベツーラの手の者達がその見事な証明であった。この者達はナベツーラの力の秘密は一食だけで途方もない費用がかかる食事にあるとかホリーナムを天才軍師とかミツヤーンを史上最強名将などと書き連ねたのだ。恥も外聞もなければ到底書けない様な文章であった。およそ人間が書くものではなかった。
 マスコミ、とりわけその最下層には卑しい人間が集まる。権力者に媚びる存在はやはり卑しいものであるがこの者達はとりわけそうであった。
 マスコミは権力である。これは誰もが認めることである。情報が集まり、かつてはそれを独占することができた。今でもそれが可能である。
 だがその分だけ腐敗し易いのだ。報道の自由や言論の自由を楯に何をしても良い、という風潮さえ生まれる場合がある。秘密厳守として情報を隠蔽することも可能だ。それを捏造してもよい。ばれた時はシラを切る。政治家や官僚には『筆誅』と称して圧力をかける。弱味すら握る。民衆は騙し放題だ。これで腐敗しない方が不思議である。マスコミはこの世で最も腐敗し易く、それでいて自浄能力が全くない存在なのだ。
 だからこそこの時代ではマスコミにはかなりの責任が問われるようになっている。
 まず捏造記事が発覚した場合には上層部は逮捕、多額の罰金が課せられる。スポーツや文化には資金援助のみ許される。間違ってもチームを持つことは許されない。一方的な偏向報道をするに決まっているからだ。恐喝には厳罰、汚職に対してもそうである。マスコミはネットによっても常に監視されている。マスコミもネットに注意を払っている。こうしてマスコミは常に監視されるようになっているのだ。
 連合やエウロパにおいてはそれが特に顕著である。連合ではやはり二十世紀後半以降の日本におけるマスメディアの弊害が参考になっていた。エウロパはイギリスの所謂パパラッチが問題となった。こうした反面教師があれば実に対処はし易い。とりわけ日本のマスコミの腐敗ぶりは歴史に残っている。今尚研究する者達は人間とはここまで卑しく、愚かな存在になれるものかと嘆息する程である。
 それがない場合はサラーフの様になる。だからこそ多くの国はマスコミに注意を払っているのである。彼等は決して偉い存在ではない。むしろとりわけ卑しい者が集まり易い場所なのだ。それはよく肝に命じておかなければならないとこの時代では認識されている。当然そうした者達ばかりではないが。
 それでシャイターンの人気は確かなものであった。彼のもとには各地から援助が集まり資金で国庫は満ちた。そして志願兵が殺到した。こうして北方諸国は急激に国力を拡大していくのであった。
 それに合わせてシャイターンは次々と政策を打ち出した。北方諸国の間の経済障壁を撤廃し、関税をなくした。そして各地の港湾や航路を整備し流通を強化した。権限を自分に集中させ、行政を簡略化させた。それにより政策をスムーズなものとした。そのうえで福祉や労働の権利をより確固たるものにした。彼は政治家としてはかなりバランスのとれた男であった。これは誰もが予想しなかったことであった。こうして彼は北方の国力を急激に高めていった。
 それはエウロパ総督府にもサハラ各国にも伝わっていた。彼等はそれぞれ違う反応を示した。
 エウロパは当然の様に警戒した。彼が総督府を公然と敵だと宣言しているからこれは当然であった。彼等は軍備を固めその侵攻に備えることにした。これは本土防衛計画ともリンクしていた。そして総督であるマールボロを中心に軍備が整えられていった。
 サハラ各国においてはとりあえずは歓迎するところであった。彼等が強くなりエウロパの侵攻を食い止めてくれればそれだけで有り難い。エウロパの脅威を感じなくて済むからだ。民衆はまた彼のカリスマに心酔するようになっていた。
 ハサンはとりあえずは歓迎した。どうなるかわからないにしろエウロパの勢力伸張は彼等にとっても憂慮すべき問題であるからだ。若し北方が全て彼等の手中に落ちたならハサンの身も危険になってくる。
 南方諸国にとってはこれといって関心を持てる話ではなかった。やはり遠い場所での話でしかなかった。だがシャイターンに共感する者が資金援助し、志願兵となって馳せ参じるのはあった。 
 そしてオムダーマンであるがこれを聞いて安堵する男が一人いた。
「これで北へ進むことはできなくなったな」
 アッディーンであった。彼はシャイターンの演説と政策により北方が強くなるのをことの他喜んでいた。
「これでいい。これで我々の進む道が決まった」
 彼はそう考えていた。そして今後の戦略を確かなものにしていた。
「やはりまずは南だ」
 その考えに変わりはなかった。
「だがそれだけではまだ不十分だな」
 彼は会議室に向かいながら一人そう考えていた。
「今は北方と手を結んだ方がよいな。何かと」
 そこには彼自身の戦略があった。
「それも主張するか。今が絶好の機会だ」
 大統領や首相にも言うつもりであった。そして会議室の前に来た。
「お待ちしておりました」
 扉の左右にはそれぞれ衛兵が一人ずつ立っていた。彼等はアッディーンの姿を認めるとサッと敬礼した。
「ご苦労」
 彼もそれに対して敬礼で返した。そして左右に開かれた自動扉をくぐり部屋の中に入った。
「おお、暫くだな」
 そこには既に人がいた。統合作戦本部長に就任したアジュラーンである。
「お久し振りです、閣下」
 アッディーンは彼に敬礼して答えた。馴染みの間柄なので挨拶も何処かいつもとは違い柔らかかった。
「そうだな。暫く会う機会がなかったからな」
「同じ場所にいるのにそれはそれで奇妙なことですね」
「それは仕方ない。仕事が重ならなかったからな。それでは会う機会も減る筈だ」
「ははは、確かに」
 アッディーンは彼の言葉に笑った。
「宇宙艦隊の方はどうかね。かなり厄介な仕事だろう」
 宇宙艦隊司令長官の仕事が激務であるのはつとに有名である。基幹戦力のトップであるだけにその仕事の量はかなり多い。それは統合作戦本部長や参謀総長のそれよりも多いとまで言われている程だ。
「いえ、それ程でも」
 だがアッディーンはそれには悪戯っぽく答えてみせた。
「それが責務ですから」
「ははは、デスクワークに苦労していると聞いているが」
「ご存知でしたか」
 アッディーンはそれを言われてバツの悪い顔をした。どうも彼がデスクワークを好まないというのは結構知られていることのようだ。
「まあな。色々と聞いているよ」
「そうでしたか」
 いささか面白くなかった。事実だがそれが知れ渡っているとあまりいい気はしない。
「まあ君は確かにそうした仕事への適正は少ないが」
「はあ」
 これはすぐにわかることであった。彼はあくまで実戦向きなのである。デスクワークを好まないのはすぐにわかることではあった。
「だが避けては通れないものであることは確かだ」
「はい」
 それはアッディーンもよくわかっていた。
「戦争は机の上でも行われるものだ」
 そうであった。単に戦場で戦い勝利を収めるだけではないのだ。それは古代の戦争である。
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