第五部第四章 神の名その二
その脅威はエウロパの者にとっては無意識下にまで染み込んでいた。だがやはり直接目に見えるものではなかった。あくまで数字上のことであり直接見たものではなかった。ましてや連合とエウロパに交流はなかった。全くの異世界と言えばそうであった。宗教家やスパイのみが連合に行き来したり、潜伏し情報を収集するだけであった。だから脅威とはいっても実際に目に見えるものではなかった。無意識下にまで浸透していてもそれはいささか宗教的な漠然としたものであった。中世の人間の地獄の様なものと言えばわかり易いか。ネットや報道で見てもそれ程感じなかった。少なくとも巨大には見えなかったからだ。
「目に見える存在というのがこれ程大きいとはな」
ラフネールの言葉がそれを見事に現わしていた。
「そうですね、今までは映像では我々の世界とあまり変わりはなかったですが」
「そこであのような巨大戦艦を見せられてはな。混乱が起こるのも当然か」
「はい、残念ながら。ただ連合が動くのはまだまだ先だということをわかっている者もいます」
「そうか、それは私も同じ考えだ」
ラフネールはその言葉に頷いた。
「連合はまだまだやらなければならないことが多い。それに我々に攻め入るにしろ事前に色々と議論が行われる筈だ。彼等とて民主制なのだからな」
「その国よって形態は違いますがね」
連合には王国、共和国、連邦国家等色々な国家形態がある。そしてそれをまとめる形で中央政府と中央議会があるのだ。
エウロパは個々の政府の力は弱い。象徴に過ぎない。エウロパ政府が全てを司っているのである。ここには国家規模の関係もあった。
「それを考えると彼等とことを構えるのは暫く先だ。だが」
「だからといって軍備を怠ってはなりませんね」
「そういうことだ」
ラフネールはその言葉に対し頷いた。
「私は今の艦隊を大幅に増やそうと考えているのだが」
「防衛計画とは別にですか」
「うん。今は八十個だったな、総督府のものも入れて」
「はい」
エウロパは原則的に少数精鋭である。これはニーベルング要塞群に守られているせいもあった。
「それをニ百個に拡大しようと考えているのだが」
「ニ百個ですか」
「そうだ。だが徴兵制は施行するつもりはない。質は維持したいからな」
「成程」
徴兵制は兵士を安定して確保できる。だがその質は志願制と比べて落ちる。士気の低い兵士も混ざってしまうからだ。
だからこそ連合もエウロパもマウリアも志願制なのだ。サハラ各国の様に常に戦乱に明け暮れ、ている地域ではないからそれも当然であった。だがサハラはこれ等の国々とは事情が違っていた。
国々が乱立し互いに争う状況が続いていた。そしてイスラムでは何よりジハードの思想がある。その為徴兵制であっても兵士の士気は高いことが期待できる。
その為彼等は強かった。そしてモラルもまた高いのである。徴兵制にした場合モラルの低い兵士が来る場合がある。入隊の際あまりそうしたことが厳密に調査されない場合があるからである。
「それで将兵は集まるだろうか」
「そうですね」
モンサルヴァートはラフネールに問われ暫し考え込んだ。
「予備役に回っている者もおりますし彼等も復帰させましょう」
「うむ」
エウロパでは予備役の者が多い。少数精鋭の軍であるからポストは少ない。その為退役して予備役に回る者も結構多いのである。
「そして志願を募りましょう。それでかなりの貴族がやって来る筈です」
「そうか。それによりどれ程集まるかな」
「予備役が結構いますからね。それだけでもかなり」
「だがニ百個には届かないだろう」
「そうですね、予備役を全て戻して百七十個でしょうか」
「志願を募るしかないか」
「はい、今何もすることもなく暇と金を持てあましている貴族達も多いですから彼等にも来てもらいましょう」
「大丈夫かな」
「大丈夫でしょう、彼等の多くもかっては軍人だったのですし」
エウロパでは貴族が一度は軍務に就くことは半ば義務となっているところがあった。その為士官学校も貴族出身者が圧倒的に多いのである。連合の者はこれを階級社会の証左だとこれ見よがしに批判することが多いのだが。
「そこに彼等に従う者が入りますから。それで将兵は維持できます」
「そうか。それでだ」
「はい」
ラフネールは話を変えてきた。
「防衛計画は順調にいっているな」
「はい」
モンサルヴァートは率直に答えた。
「そうか、ならばいい。だがそこに付け加えてくれ」
「何をでしょうか」
「ニ百個艦隊を的確に運用できるようにしたい。その為の整備だ。いいかね」
「はい」
それは当然であった。ニ百個艦隊あればそのニ百個艦隊を運用しなければならない。その為の整備は不可欠である。
「それで国防はかなり違ってくると思う。少なくとも連合を食い止めなければ成らない」
「やはり彼等ですか」
「うむ。衝突は先にしてもだ」
連合の存在なくして彼等の国防計画は有り得ないのもまた事実であった。
「すぐに取り掛かってくれ。そして一刻も早い防衛システムの完成を」
「ハッ」
モンサルヴァートは敬礼した。そして部屋を出るとすぐに参謀達を集め軍議を開くのであった。
エウロパは次第に落ち着いていった。マスコミも比較的冷静でありネットでも連合との衝突はあるにしてもまだかなり先の話だということで決着がついたからだった。エウロパでは幸いなことにこうした事態を扇動する悪質なマスコミは少なかったのだ。
「それは彼等にとって幸いだな」
アッディーンはエウロパのマスコミのことを聞きそう言った。
「マスコミの弊害は時として国を滅ぼす」
それは彼がサラーフとの戦いで知ったことである。彼はそれ以来マスコミというものに不審を抱くようになっていた。
「歴史で学よりも実際に目で見た方がわかるものだ」
彼は現場主義でり見たものをまず第一に信じる男であるが今回は特にそれを痛感していた。
「サラーフはマスコミにより滅びた。その報道と腐敗によりな」
マスコミとは腐敗し易いものだ。情報を独占する。そしてそれを思うがままに捏造し、隠蔽することができるからだ。
それによる弊害の酷さは二十世紀以来のものであった。やはりこうしたことを語る場合日本は外せなかった。
「だが一つ疑問があるのだ」
アッディーンはここで首を傾げた。
「何故日本ではそこまでマスコミが特権を握り腐敗したのだ?これではあまりにも極端だ」
「それですか」
そこにいたガルシャースプが答えた。
「おそらく敗戦が原因でしょうね」
「敗戦」
「はい、第二次世界大戦はご存知ですね」
「うむ」
この時代ではこの戦争は二十世紀の時程あまり重要視されていない。後の資源を巡る対立の方が遥かに重要視されている。この対立により今の人類の構図が出来上がったのだから当然といえば当然であった。
第二次世界大戦はアジアやアフリカが独立するきっかけとなった戦争ととらえられている。日本がそうした旗印を掲げたせいもあるが実際にそれにより植民地を持っていた国々がその力を弱めたからであった。民族自立という観点においては第一次世界大戦と並ぶ戦いである。
だがそれよりも歴史においてはやはり月等における資源を巡る争いの方が重要であった。あれがなくては連合も誕生せずエウロパも誕生しなかったのだから。当然サハラもどうなっていたかわからない。
だが第二次世界大戦のことは歴史によく残っている。ヒトラーやスターリンといった人類史に名を残す独裁者のことでも出て来るからである。
「あの敗戦により日本のそれまでの指導者達は皆失脚しました」
「極東軍事裁判でか」
「はい」
この裁判は悪名高い裁判である。事後立法であり、しかも戦争犯罪を人道に関する罪で裁くという全く的外れな法の適用をし、尚且つ罪状を捏造し、弁護側の意見をほぼ退けた法律的には異常な裁判であった。今ではこの裁判は単なるリンチとして認識されている。
「そういえばあの裁判を支持した日本人の法学者とやらがいたな」
「横田喜三郎ですね」
「ああ。その男はそれから栄達し勲章まで貰ったそうだな」
「はい。そして天寿をまっとうしました」
「信じられん話だ。普通ならば碌な死に方をせずにジャハンナムへ行くところだ」
おそらくサハラ各国ならば間違いなくそうなるであろう。怒り狂った群集が許さないからだ。
だがこの時代の日本では違っていた。この男は進駐軍の威光を考慮してこの様な発言を続けたのだ。
「結果としてこの裁判で多くの者が無実の罪で処刑されました」
「裁くべき法がないのに有罪も無罪もないだろう」
このことは後々に大きな問題となった。この裁判による被告人達はすぐに名誉が回復されたがこの裁判が非合法なものでありそれが認められたのは二十一世紀半ばのことであった。百年近くも認められなかったのだ。
「むしろ戦争よりもその後の裁判の方が問題だった」
以後こう言われるようになった。確かに戦争はあった。だがそれとは全く関係のないことで戦争の際に起こることを裁くというのはあまりにも出鱈目であった。これを理解できる知識人はこの時代の日本には殆どいなかったというのはある意味で驚くべきことである。二十世紀後半の日本には思想家や歴史学者、教育者、経済学者といったものは今では業績とは全く異なることで歴史に残っている。そのあまりにも卑しい発言と性格で歴史に残っているのだ。
「シェークスピアですらこの様に卑しい連中は書くことはできなかっただろう」
後にとある詩人が彼等を評してこう書いた。そこまでこの連中は卑しかった。
「あの時代の日本は明らかに異常だったな」
「少なくとも知識人は」
「彼等は今でもそれを恥だと思っているそうだが」
「当然ですね。よくもあんな連中が長い間大手を振って歩けたものです。敗戦よりもそちらの方が遥かに問題です」
戦争があれば勝者と敗者が必ず出る。オムダーマンもその歴史において幾度も敗れている。それ自体はどうということはない。問題はやはりその後なのだ。
「当時の日本の価値観と今の我々の価値観は違うにしろ、だ」
その時の話を今の価値観で語ることはできない。それはアッディーンにもわかっていた。だが嫌悪感を拭い去ることとはまた別である。
「それにしても人間とは卑しくなろうとすれば何処までも卑しくなるものだな」
「残念ながら」
ガルシャースプもそれに頷いた。これも人間の残念な一面であった。
「日本というのはそうしたイメージはあまりないがな」
サハラ各国においては日本はそれ程悪いイメージはない。連合においては米中露に対して穏健派という印象がある。実際に日本の外交は彼等とASEAN諸国、その他の国々の間に立つことが多い。立場上そうせざるを得ない事情もあるにしろだ。
そして国民性もサハラからは好かれていた。温厚で控えめというイメージがある。
「どの国にも例外はいるものです。卑しい者もどの国にもいます」
「そうだな」
よくよく考えればそうである。サハラにもナベツーラの様な者がいるからだ。
「そういえば日本は連合軍の設立にはかなり積極的だったな」
「はい、彼等の参加が連合軍の設立を決定的なものにしました。日本の全軍を挙げての参加がなければ今の連合軍はなかったでしょう」
「そうだな。それを考えるとあの巨大な戦艦は彼等が作ったと言える」
「ですね。あれが三千隻ですか」
連合軍の規模は彼等も知っていた。そして計画も聞いていた。
「今のところ我々とは衝突することはないだろうがな。それでも連合の存在が今までよりも更に強くなったのは間違いない」
「それは間違いありませんね。彼等とは特に利害関係のない我々ですら意識せざるを得ないですから」
「うむ」
アッディーンはそこで頷いた。
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