タンス
‐Zero‐
料理だって食べてしまえば、ただの栄養分。
ぬいぐるみだって裂いてしまえば、ただの布と綿。
機械だって壊してしまえば、ただの金属の塊。
じゃあ人間は?
人間は殺してしまえば、何になるのだろう?
私はそれが知りたい。
‐One‐
タンスの一番上の引き出しに、それはある。
その他には何も入れていない。
ただそれだけがポツリ、と寝かされている。
いつだったか、私は自分がとてつもない過ちを犯していることに気付いた。
いわば勘違い、というやつで、そのことに気付いた私はひどく動揺した。
自分が一般社会に入り込むことなんて出来なかったのだ、初めから。
私はそれをそっと引き出しから取り出すと、冷たい目でそれを見下ろした。
生首。
私が初めて殺した人間の首。
過ちに気付いた時、私はこれを記念に体から切り離したのだ。
母の首がこっちを目を見開いて睨みつけていた。
恨んでいるだろうか、殺したことを。
目蓋に指を置き、私はゆっくりと指をスライドさせる。
しかし硬直した母の目蓋は降りず、自分の指だけが母の目の上に重なった。
目が少し黄ばんでいる。
何が影響したのだろう…保存方法に問題があったのか。
首を回転させ、首の付け根の部分からじっと見つめてみる。
首の骨が赤黒い肉に埋もれており、その骨の中に糸のようなものが見えた。
これが母を動かしていた神経か。
そう思うと不思議な気分になってくる。
数ヶ月前には口うるさく私に付きまとい、ただ私を侮辱するためだけに生きていたようなあの母が、今は首だけになって私の腕の中にいる。
なぜ今まで気付かなかったのか、この過ちに。
どうして私は気付かなかったのだろう。
今まで。
生首が私を睨みつける。
恨めばいい。
私は気付いたのだ。
もう誰の侮辱も受けない。
決して私を止めることなど、出来はしないのだから。
‐Two‐
上から二段目の引きだし。
そこには父の両腕が横たわっている。
肩から切断された腕はたくましく、そして大きな手も兼ね備えていた。
爪が少し黒ずんできている。
徐々に腐敗してきているのが一目で分かった。
人間の体は永久じゃない。
いつかそれは衰え、死んで、土に戻るべく朽ち果てて行く。
なのに人間ときたら生きている時間は永久だと思っている。
明日死ぬかもしれない、もしかしたら今すぐに死ぬかもしれないのに、なぜ皆先ばかりを見て死を見つめようとしないのか。
父もそうだった。
父は賭け事が好きで、いつもどこかで金を落として帰って来た。
せっかく稼いだ金もその日のうちに消え去ってしまう。
家に着く頃には稼いだ金の代わりに大量の借金を抱えて帰って来た。
父はいつも、賭けで勝つことばかりを考えていた。
現実を見つめようとせず、その結果我が家は破産した。
それでも父は変わろうとしなかった。
この両手いっぱいに金を抱えて帰ってくると、彼はいつもそう言って借金を作った。
憎かった。
両手さえなければ賭けなどできまい。
そう思って彼を殺害した後、両腕をもぎ取った。
あの世でも賭け事が出来ないように、それを永久保存すると、私は決めた。
父のため、と言えば聞こえがいいかもしれないが、決してそれだけの理由じゃない。
私は彼の楽しみを奪ってやりたかっただけなのだ。
私の楽しみを奪ったアイツから、夢とか希望とか、そんなものは存在しないと教えてやりたかった。
この世は残酷だ。
美しい未来なんて存在しない。
人間はいつか死ぬのだ。
蓄積される死体の山のみが、この世の未来だ。
‐Three‐
最後の引き出しを開ける。
そこには何も入っていない。
ただガランとした空間が横たわっているだけであり、引き出しの底の木目が剥き出しになっている。
私はおもむろに後ろを振り返ると、そこに横たわった体にナイフを突き立てた。
一瞬それは身じろぎして、体を弓なりに反らし、目を見開いて私を見つめた。
声はあらかじめ封じてある。
喉に突き刺さったナイフが、それを示していた。
ひゅーひゅーと空気が漏れ出る音がして、彼が何かを言いたがっているのが分かった。
「何?」
私は少し甘い声を出してみる。
いつも彼にはこうしていた。
冷たい感情を押し殺し、いつも演技をし続けた。
「喋れないの?」
私は首のナイフを抜いてやった。
血がほとばしる。
白い絨毯に血が散った。
彼は目を見開いて、私を見つめる。
―なんで…
たぶんそう言いたいのだろう。
愛していたからよ。
私は心の中で呟いた。
愛していたから…
ナイフを振り上げた。
その切っ先は彼の心臓を睨みつける。
さよなら。
重い感触がした。
ナイフの柄が彼の胸に当たるまで、私は深く突き刺した。
彼は死んだ。
ナイフを心臓に抱いて、私の部屋で死んだ。
私はナイフを手前に引き、腹を裂くように動かした。
今や白い絨毯は血で染まり、元が何色だったのかさえ分からない状態になっていた。
裂けた腹の中から心臓を取り出す。
まだ暖かい。
ナイフを刺し、そのまま腹を裂いたせいで心臓も一部裂けていたが、そんなことはどうでもいい。
近くに置かれたタライにそれをつける。
一瞬でそれは紅く染まった。
逃がしたくなかった。
ずっと私の物でいて欲しかった。
丁寧に余分な血を洗い流す。
そしてそれをタオルに揚げて、そっと水を拭き取った。
愛してたのよ。
彼の心臓は柔らかかった。
まるで彼の性格そのものを表しているかのよう…
最後の引き出しにそれをしまう。
それは小さすぎて、大きな引き出しは埋まらない。
自分にナイフを突き立てた。
彼と同様に腹をえぐり、心臓を探した。
鈍い痛みが全身を襲う。
早くしなくてはならない。
これだけはやり遂げなくてはならない…
せっかく洗った彼の心臓がまた血に染まる。
引き出しに血が溜まっていった。
心臓を取り出す。
その瞬間、私はそのまま引き出しに倒れ込んだ。
心と心がやっと触れ合えた気がした。
今までのように上辺だけの関係じゃない。
ずっと一緒にいたいんだよ。
だから…
許して欲しい。
意識が途絶えた。
血の溢れた部屋とタンスと私達の関係。
相互にそれらは絡まり合って、複雑な愛を紡ぎ出す。
たとえそれが血に染まっても、きっと愛には変わりない、
そんなものだ、と私は思う。
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