貼り付け標本
じわりじわりと広がる雫は何故か赤くて
あぁ自分は刺されたんだと改めて認識した。
腹に手をやると、何か固いものにあたって、根元を握ったら手のひらに赤い線が走った。
ナイフか。
ナイフは私を地面に縫い付けるかのごとく深々と刺さっていて、ちょっとやそっとじゃ抜けそうにない。
真っ直ぐに突き立てられたナイフは何かのモニュメントのようで、どうやらかなりの深さ刺さっているらしい。
それは全身に鈍い痛みと吐き気を与え続けていた。
他の人からみたら標本みたいに見えるんじゃないか。
ふと頭に箱に縫い付けられた蝶の図が浮かんできて、次に昔男子がしていた遊びを思い出した。
その遊びとはトンボを生きたまま貼り付けにするというもので
四枚の羽を画鋲で壁に縫いとめて、ばたばたと抵抗する様子を眺めてはケタケタと笑い転げていた。
あぁ今の私はまるでトンボのようだな。
おかしくて力なく笑うと、ズキズキとした痛みが酷くなって、顔をしかめた。
溢れ出す血は止まらず、このままでは死ぬことは決定だった。
しかしメインストリートから離れた路地裏では、見つけ出されることの方が遥かに奇跡に近いと思われた。
私って運ないなぁ。
閉じかけていた目を微かに開くと、建物と建物の間から四角く切り取られた夜空が見えた。
街中のために明るすぎて星は見えない。
いや視界が霞んでいるせいか。
不思議と涙は出てこなかったが、ただ出来れば早めに見つけ出してほしいなと思ったりした。
死んでから時間のたった死体ほど見苦しいものはないだろう。
別に死んでも悔いがない、といえるほど立派な人生を歩んできたわけではない。
寧ろ後悔は募るばかりで、脳裏に浮かぶのはあの時こうしていれば、といった類のものばかりだ。
しかし諦めてしまえば簡単で、恐らく今は生きながらえた場合の方が問題と言えるほどに、生への執着心が薄れつつあった。
あー疲れたな。
ぼんやりと霞みつつある意識の中、私はそっと瞼を閉じた。
再び世界が暗黒になって、自分だけの世界になる。
きっとまだ腹には空に向かって真っ直ぐにナイフが刺さっているはずで
そこからは血が流れ続けているだろう。
暗闇の中、最後の力を振り絞って腕を上げてみた。
別に意味などない。助けを呼ぼうと思ったわけでもない。
ただ空に向かって手を上げることで、何か最後に得られるものがあるかもしれない。
暗闇の中虚空をふわりふわりと漂わせてみる。
指先に細い糸が絡まって、指の上をすすすと何かが這い登ってきた。
…蜘蛛……?
正直蜘蛛は嫌いだ。
あの八本のもぞもぞと動き回る毛むくじゃらの足とか、私は耐えられないと思っていた。
だけど
最後にあんたに会うなんてね。
苦笑いしながら取り払う元気もなく、しばらくそのままにしておいた。
そいつは指から腕へ背中へと動き回っているようで、背中を這い回るそいつに、こんな生死の境でありながらも寒気を覚える。
ついに力ついて地に腕を下ろすと、腕に再び登っていたそいつはぴょーんとどこかに跳ねていき、私の腕からいなくなった。
あぁ…そろそろ限界だな…。
もう痛みも何も感じない。
きっと血だって服の上に染み付いて固まって、傷口は開いたままにナイフを体の一部みたいに取り込んでしまっているのではないだろうか。
腕ももう上がらない。
瞼はもう開かない。
思考さえも―。
そして暗闇が一層深くなった。
西村すみれ、25歳。
メインストリートから少し奥まった路地裏にて、腹部を刺され死亡。
発見したのは裏路地の食料をあさりに来たホームレスであり、死後2日たっていた。
彼女は某会社のOLで、会社では人付き合いもよく、人から恨まれるような子ではなかったと、同僚による発言が認められている。
警察は通り魔による犯行であると言う見方を強め、現在も捜査を続けている―。
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