白薔薇の君へ
君に捧げよう、これは優美で美しい君に相応しい。
目の前でほんのりと頬を染めて俯く少女に、男はそっと一輪の薔薇を差し出した。
小さな花が一つだけついた白薔薇の一枝。
この薔薇は君を実によく表している。
男が少女に唇をふんわりと乗せると、少女はきゅっと渡された薔薇を握りしめる。
棘の採られた薔薇は、少女の手のひらを傷つけることなく、そこに収まる。
純粋無垢で、恋をまだよく知らない君。
すっと男が少女の首に舌を這わせると、少女の唇から、小さな吐息が漏れた。
恋の吐息を洩らす君は、まだ私に恋をするには早すぎる。
少女の手に握られた白薔薇の茎に手を伸ばし、男は小さくふっと笑った。
ぱきん。
花が根元から折れて、少女の手には薔薇の茎だけが残る。
しかし少女は止まることのないキスの嵐に、未だそのことには気付かない。
はぁ…。
あられもない淫らな声が、少女の唇を割る。
貴女の不快さが私を悩ませる…。
ぱきん。
小さな薔薇の悲鳴がまた一つ、少女の手のひらから生まれる。
君は気づいていない。
ふぅっと少女の耳に熱い息を吹きかけて、男は女が求めて止まない、その切れ長で美しい瞳を僅かに伏せる。
長い漆黒の睫が男の頬に影を作り、それは作り物のような精巧な美を形成した。
窓から僅かに差し込む光が男の彫りの深い顔に陰影をつけ、まるでそれは聖像画に描かれた高貴なる聖職者のようだった。
ぱきん。
男は薔薇の茎を折ることをやめない。
今や少女の手に握られているのは、切り口がいびつな、不格好で汁を垂らした薔薇の茎のみであった。
君のようだ。
男は瞳を熱っぽく潤ませて、キスを求めるように、上目づかいに自分を見てくる少女に呟いた。
男はそれに従いながら、少女をゆるく抱きしめて、またキスを繰り返す。
私は貴方に相応しい―。
少女の口から吐息とともに吐き出された言葉に、男はまた瞳を伏せる。
少女の栗色の髪に指を絡め、その頭を引き寄せながら、男はその少女の胸に顔を埋める。
白薔薇の蕾は今日落ちる。
ぷちん。
引きちぎられたボタンに、少女はまた吐息を荒くした。
ひとつ、またひとつとボタンが千切られていくたび、少女の白く滑らかな肌が露わになる。
ぴくんと跳ねた体を愛おしそうに見つめながら、男はそっと瞳を閉じた。
貴女には白薔薇が相応しい。
つぅっと指を胸に這わせ、キスをひとつ。
そこに咲いた赤い薔薇に、男はまたひとつ、キスを落とす。
一連の動作を、まるで何かの儀式のように繰り返しながら、男は次々と少女の胸に薔薇を咲かせていく。
―貴方を死ぬほど恋い焦がれています。
少女から聞こえてきた声に、男はほんの僅かに手を止めた。
視線を胸から顔に移動させると、少女は潤む瞳を小さく開いて、淡く淡く微笑んだ。
それは頬を染めて俯いていた少女とは同じと思えないほど、怪しく艶やかな笑み。
男は鈍く光る自分の瞳をその少女の瞳に写しながら、ほぅっと溜息をひとつ零した。
女が愛してやまない男の、小さな溜息。
世の女が求めてやまない男の、その美しい顔と漆黒の瞳は、当の昔に霞んでいる。
儚げな男の表情は女をそそる。
もっと…。
求めてくる腕に首を絡め取られながら、男はそれに従順に従った。
もっと・・・。
赤く染まった唇に唇を重ねる。
重ねた途端に侵入してきた舌が、乱暴に男の口内を弄る。
それは欲望を抑えきれなくなった女そのものの姿。
君は気づいていない。
ふぅっと唇の端から漏れる吐息が、男の顔を掠める。
恋の吐息を洩らす君は、まだ私に恋をするには早すぎる。
そっと唇を離すと、戻し遅れた少女の舌が、ねっとりと糸を引いて宙を彷徨った。
何かを求めるように見つめてくる少女に、男は何も言わずにすっと立ち上がる。
男は全く乱れていない着衣を確認し、そっと扉を押し開けた。
私と君が結ばれることは、最初から有り得ない。
どさりと倒れる音がして、男はほんの僅かに首を回した。
先ほどまで熱っぽく潤んでいた瞳に、今や光は見当たらない。
青白い顔をしてそこに伏せる少女を視界の端に映し、男は静かにその場を後にした。
どんなに愛した女性でも、結ばれることは決してない。
それは男の宿命であり、人生であった。
男は口の端に僅かに残る血痕を乱暴に拭うと、最後に女が残してくれたそれを、丁寧に舐めとった。
銀色の月に照らされた血は、赤く、禍々しく、そして甘美で艶やかな味がした。
男は鬱塞とした気分で、今にも割れてしまいそうな儚い月に視線を放り、ズキンと痛む頭に顔をしかめた。
もうすぐ朝が来る。
男はすっと目を細め、ビルの屋上に足をかけた。
今日はそろそろ退かなければいけないか。
とん…と軽く地面を蹴って、男は遥か遠くに見える地上に向かって飛躍する。
暗闇に白いワイシャツがはたはたと靡き、男の漆黒の髪がぶわっと盛り上がった。
急速に近づいてくる地面に、何の造作もなく、すっと足を着けると、男はほんのりと明るくなってきた通りをゆっくりと歩き始めた。
明日はどんな娘にしてやろうか。
人通りの少ない街道を、男は一人呟く。
血に飢えた獣は何を望むのか。
伏せられた睫に日の光が僅かに当たる。
男はその呟きを最後に、闇の中へ、溶けるように消えていった。
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