廃墟
ぺたりとついた足から直に伝わってくる冷たさが妙な興奮と恐怖を呼び起こす。
眼前に広がる闇はもはや何の妨げにもならない。
廃墟の中に突如として現れた空間に、少女はただただ立ち尽くした。
後ろから追ってくる何者かがここに辿り着くのも時間の問題だ。
しかしこの拓けた場所のどこに身を隠す場所があると言うのだろうか。
激しくうねる動悸はすでに興奮なのか恐怖なのかが分からなくなってしまった。
ハッハッと短く息を吐き出しながら、必死に身を隠せる場所を探す。
死にたくない。死んではいけない。まだこの世で果たしていないことが沢山―!
ずきりと痛む足に目をやると、無数の傷が出来ていた。
暗闇に白く浮き出た剥き出しの足は、いつの間にか靴を失い、あちらこちらに突き出した建物の残骸に、深く肉をえぐられていた。
足裏に容赦なく突き刺さる破片に、少女は顔を歪める。
柔らかい皮膚は簡単に異物を取り込んで、赤い体液を点々と散らした。
だけど―…
少女は痛む足を無理矢理動かして、少しでも見つかりにくい場所を求めて彷徨い続ける。
きっと今足は血まみれに違いない。
獰猛な肉食獣にその鋭い牙を突き立てられたかの如く、肉はコンクリートの破片に容赦なく削られ、その抉られた肉片の奥からは白く硬い異物が見え隠れしていることだろう。
ぎりぎりと奥歯を噛み締めると、口の中に鉄錆に似た不快な味が広がった。
ぱっと赤く散る液体が口内を占める光景が頭に浮かんできて、少女は更に表情を険しくする。
とにかくここを抜け出さなくてはならない。
後ろを気にしながらのろのろと少女は、その廃墟を移動する。
確かに何者かの気配は感じるのに、それはつかず離れず、一定の距離を保ったまま近づいてくる気配がない。
それはまるで逃げ回るのを見て楽しんでいるかのようで―。
突然膝から力が抜け落ちる感覚が広がって、少女は体を硬直させた。
反射的に突っ張った腕に粗く削られたコンクリート片が突き刺さる。
「あぁあっ!」
思わず口から漏れ出たあえぎ声に、少女は歯を食いしばる。
声を上げてはいけない。ただでさえ隠れるところがない場所で、これ以上相手に居場所を知る条件を与えてはいけない…。
硬く瞑った瞼を恐る恐る開け、その酷く痛む掌に目を向けた。
痛みは掌から腕へ、肩へと上っていき、脳髄を震わせるほどの大きな波となって少女の体全体を食らいつくしている。
暗闇に涙の滲む瞳で必死に焦点を合わせる。
そこには建物の土台として使われる太い鉄骨が天に向かって聳え立っており、根元には荒削りの鋭利なコンクリートがまとわりついていた。
そしてそれは今少女の掌を貫き、そこに繋ぎ止める杭のように、すっくと立ち上がっている。
知らず息を呑む「ひっ」と言う声が闇に響き渡り、少女はきりきりと痛むその掌から視線をそらした。
掌のほぼ中心を貫いたその鉄骨は、少女の肉片と血糊をべっとりと塗り合わせ、この暗闇でも分かるほどに赤くぬめりと光っていた。
抉り取られた血肉がぽたりぽたりと縫いとめられたその掌に落ちてきて、生ぬるくそこに留まる。
「い……いや…っ…!」
必死に引き抜こうと少女は力の入らない足を持ち上げようと僅かに腕を動かす。
「ああああぁぁぁあぁぁああ!!」
堪えきれない激痛が全身に走り、痛みに頭痛と吐き気が伴って、少女は腕を庇いながらうずくまる。
少しでも動かせば掌の穴をこじ開けられるような電撃が全身を駆け巡る。
少女は不自然に折れ曲がった中指を見て、次に掌の真ん中から突き出した白く尖った物体に視線を映す。
骨、のようだった。
鉄骨に押し上げられるように、骨が掌から突き出している。
「あっ…あああ」
声にならない悲鳴を上げながら、少女はただひたすら、口に溜まる吐瀉物を体外に吐き出し続けた。
そんなとき、今まで遠くで感じていた何者が近づいてくる気配を感じ取り、少女は恐怖に震えながら、腕を再度引いた。
「うっ…く…」
涙とも鼻水とも分からないものが顔面を覆う。
何かが近づいてくる。逃げなくてはいけないのに、もう動けない。
痛みにもだえながら何度も何度も腕を引く。
そのとき、すっと闇の中から突然腕が伸びてきて、少女の縫い付けられた哀れな手に触れた。
「ああああああああああああああああっ!」
今までにない断末魔。
痛みに悶え苦しむ少女は瓦礫の中で腕を押さえて転がりまわった。
掌は無残にも中指を境にして裂け、そこからは赤黒く新鮮な肉が覗いていた。
「手伝って差し上げたんですよ?」
くすくすと愉快げに笑う声が頭上から聞こえる。
「それでも生きたいですか?」
がんっと頭を思いっきり蹴られ、少女は無様に瓦礫の上を転がり、動きを止める。
意識が朦朧として、もうすでに声を上げる気力さえなくなりつつある。
何者かが近づいてくる。さらにまた頭を蹴られた。
「生きているほうが死ぬよりも残酷なんですよ」
今度は背中に激痛。
「あ…っ」
反転する景色に、少女はその何者かが口の端を上げて笑っているのを見た。
はぁはぁと荒く息をしながら、少女は口に溜まる血を泡と一緒に吐き出した。
正直死にたいと思った。
手は裂け、足も傷だらけで、頭蓋骨だって陥没しているに違いない。
「…こ…ころ…し…て…くださ…い」
半ば懇願とも言える願いを口にして、少女はごぼっと血を吐き出した。
腹に靴の先がはいって、ぐりぐりと抉るようにそれは何度も繰り返し蹴られる。
「…殺して…?はは、じゃあ生きろ!!」
ごすっと音がして、それが自分の頭に何がが当たった音だと気づくのにかなりの時間を要した。
…生きろ……ですって…?
少女は目から涙をこぼすと、ぽたりぽたりと地面に染みを作る。
なんと残酷な言葉…!
少女は絶望したかのように目を見開いたまま、涙を流す。
怨みとも悲しみとも取れぬ表情をして、きりきりと奥歯を噛み合わせる。
「生きろ!」
あははははっと場違いな声が廃墟に響き渡る。
「生きて苦しめ!!!」
ざくざくと地面を踏みしめる音が遠くなっていくのが分かる。
恐怖の元凶が通り過ぎようとしている。
「殺シテ…クダサ…イ…」
その言葉を最後に、少女はぷつりと気を失った。
|