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君という音と真っ白な世界
作:八代ゆかな



綺麗の言葉の違い


 「お兄ちゃんっ!」

 そう言って抱きついてきた幼子に僕は困り果てたように笑んだまま、硬直していた。

 それを見かねた藤姫がようやく助け舟を出してくれる。

 僕はそのことにあからさまにほっと安堵しつつ、近づいてきた藤姫の気配を感じたのかびくっと怯えるような反応を示した子供の背を撫でて、

 「大丈夫だよ」

 優しく安心させるように言った。

 すると、僕にしがみついている腕が少し緩み、その大きなぬれた瞳がぱちくりと確かめるように僕を覗き込んだ。

 それで僕が再度

 「大丈夫だから、肩の力抜いて深呼吸してみようか?」

 と、促せば子供は素直に腕を解き、吸って吐いてと深呼吸をして見せた。

 僕同様、子供の側で膝を折った藤姫が僕に小声でにんまりと口角を吊り上げて囁いてきた。

 「ほらね、私の言ったとおりだったでしょう。この子が和紗の兄弟…弟君」

 妙に嬉しそうに耳打ちしてくる藤姫に微苦笑を零しながら、小声で僕は付け足した。

 「…らしいな。…でも、やっぱりまだ思い出せないや」

 「そうなの?…この子、時吉殿のときより結構はっきり和紗のこと憶えてそうだし、核心もついちゃってるのに…まだ思い出せないの。でも、まぁ気を落さないでね。この子絶対和紗の弟君よ!だって、ほらこんなに目元とか似てるし、顔だちだって今の和紗を少し幼くしたかんじだし。それにほら…和紗はここから出るんでしょう?なら、兎に角今はこの子を元の世界に帰すことが優先だわ」

 色々謎な人物だが、藤姫が言うのなら信憑性は高いと思う。

 僕は藤姫の言うことに頷いて、まだ涙の残る幼い男の子に訊ねた。

 「君の名前は?」

 すると、その男の子が目を丸くして、きょとんと首をかしげた。

 おそらく僕が兄だとしたら絶対に知っているはずの名を聞かれたので驚いたのだろう。

 その証拠に、

 「…おにい、ちゃんじゃない、の?」

 首をすくめ、その瞳にあからさまな怯えをやどして足を一歩後ろに引いた。

 その様に僕と藤姫は苦笑して、その子の手をそっと藤姫は左手を、僕は右手を握った。

 他人に触れられたことで引きかけた手を僕と藤姫は見逃さずに、逃げられないよう力強く、だがやんわりといったくらいに力を加減して握り締めた。

 だが、それで返って再び今にも泣き出しそうな顔をされ、僕はあわてて不安を取り除くための言葉を紡ぐ。

 「わっ!なななな泣かないでっ!大丈夫、悪いようにはしないから!!」

 「…和紗…貴方って人は――はぁ」

 藤姫は呆れて、額を押さえると嘆息した。

 不安を取り除こうとして選んだ言葉が悪かった。

 動揺しまくっていたため選択を誤ったのだと、後に僕は気づくが、

 「…!!」

 呆然として瞠目した子供に僕が絶対怪しい奴だと思われたと青ざめていれば、握っていた右手を握り返されて、

 「え…」

 と、目を丸くした。

 そんな僕に子供は目をきらきらさせて、先程までのような怯えなど一切何処かへ追いやった晴れ晴れとした表情で言った。

 「やっぱりお兄ちゃんなんだねっ!!!」

 変なところで結果オーライ。

 少しおかしな言葉を口走ったにもかかわらず、一応不安といったものは取り除けたようだ。

 「…は?」

 「ふふふ…ッ!はは…。和紗、貴方って人は本当にもう…現の世で一体どんなお兄さんをしていたのよ…!」

 隣で肩を小刻みに揺らして涙目で笑う藤姫を軽くじろりと睨んだが、たいした効果は得られず、まだ顔を笑いに歪ませたままとりあえずと言った感じで謝られた。

 「ぷ…ふふ…。ごめんなさい、和紗」

 「…そんな笑い顔で謝られても…」

 余計癇に障るんですけど…そう言いかけた唇を引き結んで、僕は子供と向き合った。

 どうやらこの子は本当に僕の弟らしい。

 そういえば、なんとなくだがこうして素直に慕ってくれる感覚が懐かしく感じられないこともないような気がする。

 …曖昧なことすぎて、どうもはっきりと断言できないのが口惜しかった。

 先程の前科があるように、何の配慮もなく名を聞いて怯えさせたくはない。

 だが、とりあえずの段階でこの子の名を知っておいたほうが良いだろう。

 これでは名を呼ぶときに不便だし、兄であるはずの僕が名を呼ばないのを不信がられて、どこかへ行かれてはこの子が危ない。

 僕の血縁ということと幼い心の脆さにつけ込まれ、いつこの世界が子供を吸収するかわからない大変危険な状態だ。

 こんな幼い子はすごく敏感に出来ており、どんな些細なことであっても恐怖の対象となりうる可能性が近くにあると判断すれば一目散に逃げるだろう。

 だから、ここはまず僕と藤姫を信用してもらって、慎重にこの子から事の成り行きを聞きだしたいところだが…――。

 さて、これからどうするかと僕は目を僅かに細め、視線を泳がせていると隣にいる藤姫とちょうど目が合った。

 そして、そのことで第一歩を踏み出す方法を思いつき、藤姫に目配せをした。

 察しの鋭い藤姫はやはり思ったとおり、僕が言いたいことをしっかりと理解してくれたようで、

 「わかったわ」

 と、目許を和ませる。

 そして、いまだ瞳をきらきらさせ心底嬉しそうに兄を見上げる子供にひとつ問いを投げかけた。

 「ねぇ、貴方のお名前は?」

 その優しく包み込むような声音に振り返った子供が今度はまた別の意味で瞳を輝かせた。

 その様子を黙って見守る僕はふと、自分と藤姫の出会いを思い出していた。

 そういえばあの時も藤姫がこうして訊いて来たんだったよなぁ…。

 でも、結局訊いてきたほうが答えたんだっけ。

 そこまで記憶を振り返って、なんだか可笑しくなって僕は忍び笑いを零した。

 「お姉ちゃん、キレーイ…!」

 「…ん?」

 藤姫が不思議気に首を傾げた。

 「お姉ちゃん、お姫様みたいに綺麗だね」

 再度純粋かつ素直な心を伝える子供に、その内容のせいもあるのだろうが藤姫はどう対処して良いか迷っているようだったので、今度は僕が助け舟を出した。

 いつも助けられてるというか、支えられっぱなしでこんな風に助ける機会など滅多にない――今こそ恩というか、借りを返す絶好のチャンスだと結論付けてのことで他意はなかった。

 「…ああ、うん。そうだね、綺麗だね。ほら、綺麗なお姉ちゃんがお名前知りたがってるよ?早く教えて上げなきゃ、ね」

 さりげなーく促しの言葉を忍ばせて、僕は微笑した。

 子供はこれまた素直にうんと良い返事を返すと藤姫を覗き込んで、だが次の瞬間、うわーと声を上げた。

 その声に過敏に反応した風情の藤姫がばっと顔を俯かせるのを視界の隅で捉えた僕は、ただ単に子供に声を上げられたその人が心配で、覗き込むように声をかけた。

 「…どうした、藤姫」

 「………」

 「どうしたの、お姉ちゃん。顔真っ赤だよ」

 「…真っ赤?」

 その単語を聞いて、更に僕は藤姫の顔を覗き込もうと体を近づけた。

 「…ぇ…」

 そして、目に映った光景に僕はぎょっとして、さっと藤姫から距離を離した。

 「……」

 「……」

 「どうしちゃったの、二人とも。今度はお兄ちゃんも顔がりんごだー!変だー!」

 僕はそこではっとして、謝った。

 「ご、ごめん藤姫!僕が無粋だった」

 その言葉にのろのろと面を上げた藤姫の頬はまだ赤く火照りを宿しており、子供が言うとおり、りんごそのもののような色をしている。

 藤姫は恥ずかしそうに視線を泳がせながら、ぼそぼそと言った。

 「べ、別に和紗が謝ることじゃないでしょう…!」

 「でも、だって…」

 「か、勘違いしないでよ!私はこの子に言われたからって赤くなってるんじゃないのよ」

 そう言い張る藤姫が必死そうでなんだか可笑しくて、なんだかとても可愛い。

 普段冷静で取り澄ましている藤姫と今の照れている藤姫との絶妙なギャップが良いのだろうかなどと、本人が聞いたら怒るだろうことを僕は頭の片隅で思った。

 まだぼそぼそと続きがあるのか口を開閉させる滅多にお目にかかれない藤姫を堪能しようと目許をやわらげた僕の耳に届いた言葉が、再び僕を藤姫を同じような状態に陥れた。

 「わ、私は和紗に綺麗って言われて…だから、その…」

 もじもじと言葉をにごらせる藤姫をしばらく、無言で凝視して、僕はカァと赤面した。

 「…僕に言われたから、顔赤くしてたの…?」

 「…そう、よ。そんなの、言われたことなかったから…皆上辺ばかりの人たちだったから、ちゃんと私を見てくれてる人に言ったもらえたのとは嬉しさが違うの。私、嬉しかったのよ」

 恥ずかしそうに瞳を伏せ、半ばやけになったように言い放った藤姫が今、たまらなく可愛くて、たまらなく愛おしく映った。

 ああ…。

 僕はこの人が大事なんだ。

 二人色に染まりつつある空間で、ただひとり取り残された子供が無邪気に笑った。

 「おれ、雅也!宮木和紗の弟だよっ!」
  












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