カッシア男爵家の状況
「キアラさん、これは……殿下もいらっしゃったんですか」
そこに、遅れて追いついたカインさんが、街道の方からやってきた。
私を見つけて尋ねてきたものの、私もまだ事情がわからないのでどう答えたものか。困っていたら、グロウルさんの傍にいたフェリックスさんが、説明をしてくれた。
その間にも、チャールズ君の横で、オーブリーさんが事情を語り始める。
「涙無しには語れぬ状況でございました……」
言った通りに目に涙を浮かべるオーブリーさん。
「カッシアの城に攻め込んできたルアインの軍は、2万にも上りました。砦が落とされたことから、先に城下の者たちは避難させておりましたが、その際、念のためにご子息を逃されることになったのです」
そうして一足先に城から離れたものの、それからのオーブリーさん達もなかなか隣の領地まで逃げることができなかった。
ルアイン軍の他にサレハルドの軍が居り、王都へ向かう道までも封鎖されていたのだ。
仕方なく近隣の町に潜伏しつつ機会を伺い、チャールズ君を隠すためにも他の逃亡者と共に移動を繰り返していたという。
「逃亡の最中に、男爵の首がさらされたという話と、ご長女のフローラ様が囚われて姿を消したと聞きました。もう我がカッシア男爵家はチャールズ様しか生き残っておられません」
仕えていた主を亡くしたオーブリーさんは、とにかくチャールズ君を安全な場所へ移動させるためにも、兵を挙げたというレジーの元へ行こうとしていたらしい。その途上、男爵家の子息を探していたルアイン兵に見つかったのだという。
彼らを救うのに間に合ったことは良かったが……本当に、ゲームとは違う。
男爵家の皆さんについては、ゲームで言及はなかった。ただ占領されて、ルアイン兵しか居ない状態だったのだ。ということは、皆殺しだったのだろう。
けれどチャールズ君が生き残った。それはエヴラールからの知らせのおかげなのかもしれないし、こうして駆け付けたレジーが生きていたからこその結果なのかもしれない。
でも発端を作ったのは私だ。
生きている人が増えるのはいいことだけど……。考えてみれば、知らせを受けても砦はあっさりと落とされ、男爵家はチャールズ君を生き残らせるだけで精いっぱいだったのだ。
これって、かなり攻略するには、ハードモードだってことじゃないだろうか。
ルアイン軍がこんなに魔術師くずれを使うのも想定外だし、サレハルドを味方につけるのも予想できなかった。
こちら側も他国を味方につけられないかとも思うが、国王はそう動いてはいない。王領地とシェスティナ侯爵領の間あたりに兵を集合させる命令を出したらしいが、それ以外の対策は何も為されていないに等しい。
レジーも王子として挙兵はしているが、国王を差し置いて他国と交渉しようにも、他国の方がレジーを国の代表として扱ってくれるかどうかわからない。味方をする利益を示そうにも、レジーはどこかの領地の割譲を勝手に決めるわけにもいかないからだ。他の物の交渉についても同様だ。
魔法使いが一人、序盤から加わっているだけでは、覆すのが難しすぎる……。
思わず悩んでしまう私だったが、とりあえずエヴラール軍の休憩場所まで移動することになる。
「キアラさん、とりあえずこちらへ」
カインさんに呼ばれたので、素直にそちらへ行くことにする。まだ手を繋いでいたレジーを見ると、彼は小さく笑って放してくれた。
……何のために手を繋いだのかと思っていたけれど、もしかして私がふらふら移動するのを防止するために、犬のリードよろしく繋いでおこうと思ってのことだったのだろうか。
傍に行けば、カインさんに軽く注意される。
「緊急事態なのはわかりましたが、できれば私を待って突撃していただきたかったですね。万が一の場合に、あなたを庇えないと困りますから」
「すみません」
「では参りましょう」
私を馬に乗せようとするカインさんに、ちょっと待ってとお願いする。
「みんなが居なくなった後で、ちょっと残ってやりたいことが……」
「何を……ああ、なるほど」
私が見ているものを視線で追ったカインさんが、納得してくれる。私が捕まえた一人をのぞき、他のルアイン兵は斬り殺されているのだ。
時間が経つにつれて、血臭いが強く漂ってくる。だいぶん慣れてしまったのか、気持ち悪くはなっても、これだけで吐きそうになることはなくなっていたが、素直に喜べない。
と同時に、この強烈な臭いは獣を誘因する。放っておけば、獣に食い荒らされてしまうだろうけれど、争いの結果であっても、そこまで無残な姿にさせたくはない。
だから埋めたかったのだが……馬車に乗っている人達は、助かった安堵の気持ちが通り過ぎると、その死体に憎々し気な眼差しを向けていた。彼らの前では埋める行動をするのははばかられたので、立ち去ってから行動したかったのだ。
私とカインさんが少し離れていると、レジーがそれを察したように、馬車とカッシアの人々を先に移動させてくれた。
レジーと数人の騎士が残ったところで、私は小山になって積もっていた土を、人の二倍の身長ぐらいの人形にして道の端に死体を運び、土をかぶせていった。仕上げに土人形をその上で解体して終わると、カインさんに馬上に乗せられた。
それを見て、レジー達も馬を歩かせ始めた。
レジー一行を追うように進みながら、カインさんがぽつりと尋ねてくる。
「どうしてあなたは……敵の埋葬にこだわるのですか?」
前にもカインさんに似たようなことを聞かれたな、と私は思う。
あの時は衛生上のことを理由にしたけれど、今回はそれでは理由が弱いのだろう。人家が遠い場所で、亡くなったのも多数というわけではない。獣に食われてしまって終わりだったのにと、思われたに違いない。
レジー達とは、少し距離がある。
だから私は、カインさんの方に少し振り向いて言った。
「私は……人が死ぬとか、殺すということに慣れるのが、怖いんです」
「慣れた方がいいのでは?」
そう返したカインさんは、私が辛いと感じるならばと心配してくれたのだろう。だけど私は首を横に振る。
「前世の記憶があるせいなんだと思うんです。あの遠い世界で培った、自分を守るためでも殺してはいけないという倫理観があるから……どうしても耐えきれなくて」
敵を前にしたとたんに心に重たい石を落とされるような感覚に変わる。
「それじゃ大切な人達を守れない。だから考えないようにして戦いたい。けど、人の命を奪った自分に慣れそうで、それも怖い」
「慣れたくないのですか? その方が楽でしょう」
カインさんは理解できないという表情をしている。
「それに、あなたの守りたい人達を、傷つけているのに……憎いとは思わないんですか」
ヴェイン辺境伯様は傷を負った。ベアトリス夫人も危うい所だった。それなのに、敵を憎むこともないのかと。
カインさんはルアイン軍に家族を殺されて以来、ずっと憎んできたのだろう。この世界に生きている人は、皆そんな風に思うのが自然なのだと思う。
たぶん、前世でもそんな状況に陥ったら、私も憎んで殺すことにためらいがなくなったのかもしれない。
攻城戦の後、そう思おうとはしてみた。だけど、私は前世を忘れられない。
「前世は前世。今は今だと思った方が楽なんだってわかってるんです。けれど、そんな風に今生きてる自分には関係ないって思ってしまったら……ずっと私を支えてきた昔の家族の思い出も、関係ないものだとおもわなくちゃいけなくなる」
私にはまともな家族がいなかった。だからずっと、記憶の中の前世の家族をその位置に置いていた。
目を閉じれば思い出す。何の恐怖もなくまっすぐに伸ばすことのできる自分の手と、それに答えてくれる無償の愛をたたえた手を。
それを否定してしまったら、どうしようもなく寂しくて、立っている場所すらわからなくなりそうな恐怖を感じる。
今の私を形作っているのは、前世の家族だから。
その家族は決して害されることのない場所にいる。だから彼らが望んだ通りの道徳観念を持った人間でいたいと思ってしまうのかもしれない。
「忘れたくないんです。だから私、昔の考え方も捨てられない。きっと……カインさんにはよくわからないかもしれないけど。だけどみんなを守りたいのも本当で。だから前世の私らしい考え方が怖がる気持ちをなだめて戦うために、埋めたいって思うんです。死んだ人を弔うことができれば、殺してしまった贖罪になるような気がするから」
それも、私の気持ちを満足させるだけの独りよがりの行動だ。それでも、せずにはいられない。
精いっぱいカインさんに説明したけれど、理解してもらえただろうか。
不安だったが、私の話を聞いたカインさんは、どこか考え込むような表情をして、ただ一言。
「そうですか」
とつぶやいたのみで、黙り込んでしまう。
やっぱり理解してもらうのは難しかったのかもしれない。
自分でも、何度も何度も考えて、でも全部わかってるのかも定かじゃない。だからこそ、無意識に刻まれるほど前世の考え方が染みついてしまっている、ということなのかもしれないけれど。
並足で進む馬は、ほどなくエヴラール軍が休憩のためとどまっている場所へ近づいた。
そこまで来て、カインさんがようやく口を開く。
「……私はたぶん、あなたを守ることには躊躇しません。そのためにためらいなく誰かを殺すでしょう。後の禍根になると思えば、捕獲することで済ませられる相手でも、殺してしまうかもしれない。そんな私を嫌いになりますか?」
「いいえ。カインさんが、私を守るためにしてくれたことだってわかりますから。私が記憶に足を掴まれているだけで、カインさん達がそう思うことは、理解してます」
答えると、カインさんは「それならいいのです」と、小さく息をついた。
カインさんの中では、何かの答えが出たのだろう。
一方で、私はまた考えてしまう。
結局、私は前世とは違う世界で生きているのだ。いつかはこの世界の方の考え方に染まらなければ、どこかで周囲と考え方が違う自分に悩み、周囲からも困惑されてしまうだろう。
いつかは……受け入れられるようになるのだろうか。




