4:ルイージャ
ルイージャというお婆さんのお蔭でやっとまともな休息がとれそうだ。
老婆一人住むには少し広いくらいの質素なログハウス風の家に招き入れられる。薪がくべられているが火が灯っていない暖炉が目立つ部屋。そのそばに俺が両手を広げたくらいの長い机に椅子が四つ添えてあった。
ルイージャの誘導で暖炉に近い席に座る。
「暖炉はすぐ灯すからね。それまでこのお茶を飲むといい」
そう言ってルイージャが出したのは、赤色の透明な液体が入ったカップだった。
一口飲んでみると、体の内側からぽかぽかしてくるような感覚が広がった。
これはノアからもらった水筒の中身と同じ物かもしれない。
「これは……」
「バルツィアという薬草で作ったお茶だよ。極寒の地で白い花を咲かすんだ。葉はとてもキレイな赤色をしているんだよ。冷たくても体を温めてくれる」
「このあたりの名産物なんですか?」
「そうさ。でも今年は前年より少し暖かくてね。栽培できたのはいつもの七割くらいさ」
「暖かい方なのか!」
日本の中部出身である俺にとってここは極寒である。
「ウーッ」
ウサギガメが俺の膝の上で鳴いた。ルイージャはそれを聞いてウサギガメが腹を空かせていると判断したのかパンの耳を与えた。こいつの主食は判然としないが、餌はパンの耳で決定だ。
ルイージャはパンの耳を細かくちぎってウサギガメに与えた後に、ピンク色の団子を二つ持ってきた。拳ほどの大きさで、それを俺に差し出す。礼を言い受け取った。
味見するようにかじるともちもちとした感触と共に甘味がほんのり舌のに広がった。うまい。
これも原材料はバルツィアらしい。バルツィアはどんな加工をしても体を温める効果はなくならないので、シチューにしたりお菓子にしたりと村人は色々なアレンジをしている。
世話をしなくても勝手に成長して花を咲かすため、栽培しやすい。そして寒ければ寒いほど栽培できる薬草。都合がいい食料だ。
主に東北の山に生えるらしい。
「東北の山といえば、あの子が居るはずだね」
「もしかしてノアのことですか?」
「そうさ。やっぱりあんた、ノアに会ったことがあるんだね」
彼の名を口にしてまた敵意を向けられるかと一瞬思ったが、ルイージャはそんな素振りを見せずどこか――そう、懐かしむような眼で俺を見た。
「そのブーツはアルバートのものとそっくりだったからね。もしや、と思ったんだ」
ノアはこのブーツを父親の物だと言った。アルバートというのは父親の名だろうか。
「遭難しているところを助けてもらいました。それでいろいろと」
「アルバートの物をあげたということは、諦めたんだね……ノア」
ルイージャは悲哀に満ちた表情で視線を遠くにやる。
諦めた? ということはアルバートという人は蒸発したか、ノアの知らぬ間に死んだということなのだろうか。深い事情がありそうだ。
聞いてもいいのだろうか。流れからして、聞いておいた方が良さそうだ。
「聞いてもいいですか? アルバートさんというのは?」
「ノアの父親さ。三年前に居なくなったのさ――キマイラ研究所へと連れられてね」
「それは、どうして?」
「話せば長くなるよ?」
「かまいません」
聞いてどうするというのだろう。自分でもわからなかった。
――遡ること三年前、早くに母を亡くしたノア少年は父のアルバートと二人で暮らしていた。アルバートは一日中木こりとして労働を、ノアは幼いながらも家事をしなければならなかったが、二人は幸せに暮らしていた。
その頃、村のはずれにキマイラ研究所という施設が出来た。そこは生き物と生き物を特別な機械――キマイラ生成機で合成し新種の生き物をつくり出すという研究が行われていた。
その目的、キマイラの用途は一般市民に詳しく説明されていない。生命の新たなる可能性の研究のため、と知らされたが、それ以上の追及は許されなかった。
キマイラ研究所には医師も働いているからか、小さな診療所一つしかないバルツでは対応できない患者を受け入れ、治療していた。
ある日のこと、アルバートとノアは大木に誤って下敷きになり重傷を負った。すぐに研究所の医師が駆けつけ、研究所に運ばれていった。意識不明の重体らしかったアルバートは一週間ほど昏睡したのち、帰らぬ人となったらしい。
ノアはアルバートに庇われて一命を取り留めた。しかし、ノアは入院してたった三日で研究所を出てきた。包帯を頭や腕に巻いて、とても退院を許可できる状態ではなかったのにも関わらず、ノアは帰ってきた。
その後に研究所の人間がノアを追ってきたが、ノアは研究所に戻ることを頑なに拒んだという。
「あたしは研究所でノアが何かされたと踏んでいるよ。状況を問いつめようと、抗議した者ももちろんいたさ――」
しかし、キマイラ研究所はミルタニア国際連合(察するにミルタニアはこの世界の名前らしい)が運営する施設のため、逆らった者は監獄行きだと脅された。それ以降、バルツ村の人々は月に一度高額な税を払うよう課せられ政府から重圧を受けているらしい。
村人たちは理不尽な罰を受けたが、抗議すれば税金の額が上がると容易に予想できたため、募ってゆく怒りをどうすることもできなかった。
怒りの矛先は息子のノアに向かった。
彼は毎日村人から執拗な嫌がらせを受け、耐えきれずとうとう村を出て行き東北の山に住むようになったという。
「あたしはノアを憎んでなんかいないさ。だけど、村人たちはもう、ノアを仲間だと思わないでしょう」
ミルタニア国際連合――その組織の権力は大きいらしい。ノアは当時たったの十一歳。重圧は村人を子供に対してさえ非情にさせる。
ルイージャはなんとかノアを村に連れ戻そうと試みたが、失敗に終わったらしい。
組織の力は一人の非力な老婆にとってあまりにも大きすぎた。
「お願い、ノヒト。ノアを連れて旅をしてほしい。ノアに広い世界を見せてやりたい」
「……」
俺は黙り込んだ。
ルイージャは懇願したが、俺には人を連れて何かあったときの責任がとれない。
旅はおろか、この地の常識さえ俺はわからないのだから。
「ノアにはあの狼がついている。けど、人の温もりを忘れてる」
「ルイージャさん、連れて行くことはできない。俺は何があっても責任はとれません」
俺はそう言って、膝の上で何時の間にか眠ってしまっているウサギガメを見た。ルイージャは絵に描いたように落ち込んだが、仕方ない。
「でも、一宿一飯の恩義は忘れない。原因を直接解決すればいい」
「あんた、何を言っているんだい?」
ノアにもルイージャにも俺は助けられた。当事者の彼らが解決できないのならば、部外者の俺ではどうだろうか。
「キマイラ研究所に乗り込んで、調べる!」
「なんだって!」
アルバートが、ノアが研究所で何を見たのか。そして研究所の真の目的は。何故子供一人にそこまでするのだろうか。キマイラ研究所はやましいことを抱えている。それを突き止めることができれば、何かが変わるはずだ。
ルイージャは村の住民だが、イレギュラーの俺ではどうだろうか? もし捕まっても、バルツの人々に支障はないだろう。
その考えを話すと、ルイージャは猛反対した。
「相手は政府だ! 何されるかわかったもんじゃないよ!」
「でも、このままってわけにもいかねぇし」
俺は何故ここにいるのかよくわからないままでいる。何らかのアクションを起こさなければ先へは進めない。このままバルツに居るわけにもいかないしな。
決してうまいこといけば研究所から金目のものが盗めるかも、とか考えているわけではない。
――信じてくれ。
「じゃあ、あなたならなんとかしてくれると信じるわ」
「そのために俺に親切にしたんだろ?」
「ええ。でも興味本位半分さ」
ルイージャはそう言って悪戯っぽく笑う。
「興味本位?」
「この人は他と何かが違う――そう思ったの」
うーわ。
「……あれじゃないですか。俺がこのあたりの人間じゃないから、とか」
ルイージャの勘は大当たりだった。俺は焦ってそう返すと、ルイージャはそれもそうね、と納得の表情を浮かべた。
「応援する。そうだ、酒場のヴォルフなら知恵を貸してくれるかもしれない」
「わかりました。まかせてください!」
このとき俺は、現実はそんなに甘くない事を忘れていたのだった。 |