3:追い出されたり追いかけられたり
白銀の世界の中に、茶色い者が浮いていた。
大狼のハチの案内に従って、ノヒトは雪山に深い足跡を作っていった。
しかしマントを被っていてもとても寒さを凌げることはできない。
バルツ村とやらは、いったいいつになったら見えてくるのか。
そう問いたくても、人ならざるハチが答えてくれるはずがない。
いい加減つまらなくなってきたノヒトは、赤毛の少年、ノアから貰った巾着を漁ることにした。
ノアの小屋から出発して一度たりとも中身を確認しなかったのだ。
中には赤っぽい色をしたお茶が入った水筒と、1日くらいは過ごせそうなパンがはいっていた。
ノヒトは中に入っていた質素なパンをかじった。
「かってぇ!」
しかし堅かったので、噛みちぎるしかなかった。
水筒の中身のお茶は、冷えていたが飲んでみると体の芯から暖めてくれた。
なんという茶葉なのだろうか。
ノヒトはハチにもパンを分けた。口元に持って行くと手まで喰われそうだから、ハチの近くに落とした。
「お前、腹減っても俺を喰おうとか思うなよ」
ノヒトはこう言うが少年と暮らしていた狼がノヒトを喰うはずがない。
ハチは、口をもしゃもしゃ動かしながら不思議そうにノヒトを見上げた。
「お前、よく見ると可愛いかも」
伝わっているのかいないのか、そのあたりの判断は難しいが、ハチは鞭のような尻尾をノヒトの膝裏に叩きつけた。
意外な攻撃に、ノヒトはヒザカックンされた人のように跪く。
「そうか……お前はオスなのか」
勝手に解釈するノヒトだった。
半日ほど歩くと、急な坂は緩くなっていった。山麓なのかもしれない。
ノヒトは日が暮れる前には到着してやろうと、足を早めた。
しかし慣れない雪道にすぐ疲労し、動きは鈍くなっていく。
どこか休めるところはないものかと、思考しながらあたりを見回した。
「――ん?」
途端に、何かに気づいたように先を見据える。
ノヒトの耳には水音――間違いなく川のせせらぎが聞こえていた。
「ハチ、狼だからお前もわかるだろ? 川の音だ。俺、昔から五感がいいんだ」
この音はノヒトとハチ以外には聞こえないだろう。いくら静寂に包まれた雪山でも、僅かな川のせせらぎなど普通の人間が聞き取ることができないはずの距離があった。
思った通り、しばらく進んだら細い川が流れていた。水は濁りもなく透き通っていて、小魚が何匹か自由に泳いでいた。
ノヒトは川と雪を隔てる岩に腰を下ろし、休息をとることにした。
重たい剣は持っていて疲れるのでそのへんに立てかけておいた。
ハチは小魚を捕って食べている。大食らいにパン一切れは少なかったようだ。
ノヒトは見慣れない大自然を横断する小川を、じっと見つめた。
――ウーッ
「な、なんだ?」
ふと、甲高いうなっているような声が川上から聞こえてきた。
ノヒトは立ち上がり、川上にじっと目を凝らす。
川上の中央に何かがあった。それは耳がうさぎのように長く、亀の甲羅のような体をしていて――ぶっちゃけ亀の中身が白いうさぎにすり替わった動物がくるくると川の流れに翻弄されているのだ。
得体の知れない動物の出現に戸惑ったノヒトは、ハチがそのウサギのようなカメ略してウサギガメを食べてしまわないうちに川から拾い上げた。
水に濡れたウサギガメは氷のように冷たく、とても素手では触わることができない。ノヒトは水気をマントで拭ってやった。
「ウーッ」
ウサギガメは人間であるノヒトが怖いのか、それとも寒さで凍えているのか震えている。尻尾まで白うさぎだった。
どことなく愛嬌があるそれをどうするか、ノヒトは悩んだ。
このままこの不自然な生き物を自然に返してやるか、それとも連れて行くか――しかし連れて行く理由もないので、ノヒトはとりあえずその場に放置してさっさと先に進むことにした。
少しだけどういった生き物なのか、気がかりというか興味があったがよくわからないので何かよからぬ事が起きる前に忘却の彼方に追いやってしまおう、といった具合だ。
「ウーッ」
岩の上に離してやり、ノヒトは剣を拾って立ち去ろうとする。ウサギガメが鳴こうが関係ない。
「ウーッ! ウーッ!」
まるで置いていかないで! とでもいうようにウサギガメが鳴く。
川からハチが這い上がり、ノヒトの隣に並ぶ。それでもノヒトはウサギガメを無視して行くが――
「ウーッ!」
「ガゥ」
「ああもう、わかった! わかったよ!」
ハチにまさに置いていくの? と問いかけてくるような目で見られノヒトはついに折れた。
なんだか役に立ちそうにない生き物が仲間に加わったのだった。
ウサギガメの歩行速度は亀のごとく遅いのでハチの背中に乗せることにした。
歩いてはたまに休憩し、また歩く。雪山ではそれでも疲労していく。
雪道に体力を奪われ、半日たった頃、ノヒトの無駄に良い耳が人為的に生み出された音を聞き取った。
木がきしむ音、人の笑い声、こちらに向かってくる足音――村だ。
「バルツか? よかったな。ハチも少しは休んでいけよ」
ノヒトようやく見えてきたゴールに、顔を輝かせる。しかし、案内役のハチはウサギガメを降ろし、ノヒトから後ずさる。
動物の表情なんてノヒトにはわからないが、どことなく寂しそうにみえた。
「ハチ?」
「フェンリル!」
呼びかけた瞬間、重い足音とともに耳を押さえたくなるような濁声が辺りにこだまする。
振り返ると髭面の老けた男がいた。手には大きな斧を持ち、どうみても穏やかな雰囲気ではない。
「てめぇ、村を襲う気か! 化け物め!」
「ちょ、ちょっとまてよオッサン!」
ノヒトの制止も聞かず、あろうことか男は斧を振り上げ、ハチに襲いかかった。
ハチは素早くそれを回避し、追い討ちをかけられる前に来た道を引き返し逃げていった。
男は追ってきたが、ノヒトは捕まることはなかった。雪道に慣れているであろう人間には、例え足を痛めていようが追いつかれると思ったが、五十を過ぎたと思われる男には、十代の少年に追いつくことさえままならないようだ。
途中で振り返ると、男が現れる様子は少しもなかった。
「疲れた」
ノヒトは息を切らせてそう呟く。が、あまり声にならなかった。
しかし目的地はすぐそこと判断したのか、休憩する素振りを見せず、前に向き直ると歩き出す。驚異的な体力だ。
しばらくすると、質素な民家が数件見えてきた。
田舎で見るような木造で、車なんかがぶつかったら木っ端みじんになりそうだ。
民家だけでなく道具屋、そしてなんと武器屋まである。看板は電光掲示板ではなく板に文字を書いて店先に吊してあるだけ。
ちなみにどの文字もノヒトには読めない。全てロゴマークで判断した。
見慣れない光景に、ノヒトはここが故郷でないということを自覚させられる。
――ってか思いっきりロープレの世界だな。
そんなことも思った。
ふらふらとあてもなくさまよっていると、猫背の杖をついた白髪の老婆に声をかけられる。
「あんた、さっきからふらふらしてるが、どうしたのかい?」
「……え」
まさか話しかけられるとは思わなかったノヒトは、うっかり声を裏返した。
「見慣れないからなあ、目立つんだよ」
「ついさっきこの村に来たばかりなんです」
「旅行かい? こんな辺鄙な村に独りで」
「いや、なんというか。来たくて来たんじゃなくて」
ノヒトがそこまで言って、それからどう説明しようか考えあぐねたとき、老婆は
「アッ」と声をあげた。
彼女のしわくちゃな顔は、明らかにウサギカメの方を向いていた。
「あんた、まさか研究所の人間かい?」
「ち、違います」
つい先ほど、同じような展開になった。ノヒトはウサギカメを抱え直し、いつでも逃げれるように警戒をした。
「それは村はずれにある、研究所のものだね」
「そうなんですか? 川で溺れているのを助けたんですが」
「きっと脱走したんだろうね」
この老婆の様子をみると、あの勘違い野郎のようにいきなり襲いかかってくるようなことにはならないようだ。
もっとも、喜寿はとっくにこえているだろうこの老婆に、ノヒトが逃げ切れないわけがないが。
「でしたら返したいのですが、その研究所の場所を教えてくれませんか」
命あるものを拾ったからには見捨てるわけにはいかない。責任を持って元の場所に帰してやろうとノヒトは考えた。
はたしてそのキマイラ研究所とやらに帰ってこのウサギガメが幸福であるのか? ――そんな疑問もあったが。
「おやおや。珍しく誠実な若者だね。研究所は村を出て南にあるバルツ渓谷にあるよ。ヴォルフって男が経営してる酒場がある方が南口さ」
「南ですか。ありがとうございます」
「その前にうちに来ないかい? 見たところ山を越えてきたようだし、疲れただろう? 休んでいきな。バルツには宿屋はないからね」
どうやら老婆はノヒトを自宅に泊めてくれるらしい。これは嬉しい申し出だ。しかし、一つ問題があった。
「ありがたいんですが、お金とかお礼できるような物を持ってないです」
ノヒトが今所持しているのは、ノアから貰った固いパンと赤いお茶が入った巾着と、飾り気のない剣のみだった。
金目のものはない。
「金がないなら尚更さ。いいんだよ。ただのあたしの好意さ」
「いいんですか?」
ノヒトは老婆の言葉に甘えてしまおうかと思ったが、つい先ほど見知らぬ人間に襲われたばかりだからか、老婆を信用しきれずにいた。
「困った時はお互い様。あたしゃルイージャってんだよ」
「俺はノヒトです」
なんだか休んでばかりのような気がするが、ノヒトはルイージャの家にお邪魔することにした。 |