プロローグ
ここは世界のどこか。暖かな風が窓をくぐって老婆の頬を撫でる。季節は春。一世帯の家族が住むには十分な家の庭には、老婆が植えたたくさんの花が咲き誇っている。
その傍らでは三人の子供たちが土にまみれて遊んでいた。少年が二人。少女が一人。春の陽に負けないくらい眩しい笑顔で、老婆の代わりに花の世話をしている。
高齢である老婆は花の世話をするにも一苦労であった。子供たちへの報酬は、老婆が実際体験したという約100年前の出来事――ミルタニア転換期と呼ばれる歴史の中で起こった出来事を語ることだ。
「おばあちゃん! 雑草は刈ったからそろそろお話してよ!」
「わかったから。手を洗ってらっしゃい。クッキーを焼いたから、お茶でもしながら話しましょう」
「よっしゃあ!」
子供たちは慌ただしく手を洗いに部屋を出て行った。途中、遅れがちな少女が机の角に頭をぶつけて、少年たちに笑われていた。
老婆は苦笑して、その姿を見送る。
そして、お茶の準備のために立ち上がった。
――さて、何から話そう?
――そうだ、あの人がこのミルタニアに来たときの話から始めよう。
――オープニングにはうってつけだ。
――あの人はなんて言ってたっけ?
そうだ、始まりは雪国だと言っていた。
老婆は年を重ねるにつれ、記憶力は低下していたがあの人の話は決して忘れないでいた。そして、長いようで短かった旅の苦楽を共にした仲間たちのことも覚えている。
自分の名前は忘れたとしてもあの頃のことだけは死ぬまで忘れないだろう。
今、仲間の中で生きながらえているのはおそらく自分だけだった。
老衰で亡くなった者。病気で亡くなった者。事故で亡くなった者。あの後、新たに旅立って行方不明の者。居場所が知れない者――あの世に行かない限り、二度と会うことはない。
だから、老婆は語ることを止めない。
忘れないでほしい、たくさんの人たちのために戦った者がいたことを。
誰かのために涙を流した者がいたことを。
「おばあちゃん」
少女がオレンジジュースと紅茶が入ったカップを持って、老婆に笑いかけた。
「用意してくれたの?」
「うん。だって早く聞きたいから」
「そうか、ありがとう。じゃあお前だけ、特別に私の秘密を教えてあげよう」
「何々?」
特別、という単語に少女は興味津々だ。目をキラキラさせて、身を乗り出しそうだった。
「実はね、私は彼のことが好きだったの」
「ええー! 彼ってあの人のこと?」
「そうだよ。その時は気づかなかった、私にそんな感情があったなんてね」
「わあ!」
恋の話となると、女の子は活発になる。
少女は細かい話が聞きたかったが、邪魔が入ってしまった。
「何話してんだよ!」
手洗いに失敗したのか、服を濡らした少年が二人の間を割ってはいる。その後ろで、別の少年が好奇心に目を輝かせて老婆を見ていた。
「内緒の話だよ」
「おとめのひみつ!」
老婆の後に、少女が悪戯っぽく笑いながら言った。
「つまんねー! ってかばあちゃんはオトメって年じゃないだろー!」
「女の子にそんな酷いこと言っちゃダメ!」
「ちょ、二人とも喧嘩しないで」
騒がしいが、老婆にとってそれが幸福の象徴だった。老婆は手を叩くと、子供たちに言った。
「さあ、お話の時間だよ」 |