5:ハンターの知恵 -裸のランチ-
彼はコンクリートに広がった血溜まりにブーツの底を浸しながら厚子という肉のすぐ後ろにあるロッカーに視線を向けた。
チェーンソーから右腕を離し、ロッカーの取っ手に手をかけ、中を覗いた。
金属が軋む音を立て、薄い鉄の扉が開く。
暗い光を放つ消えかけの蛍光灯に照らされたロッカーの中には先程健太が調べたように何もなかった。
すると、彼は厚子の分断された顔面の前部分をわしづかみにすると、ロッカーの中に放り込んだ。
彼は体全体を投げ込むつもりだったのであろうが、顎とその上部分はかろうじて頬の皮だけで繋がれていたので、簡単に上顎から頭頂部が切り離され、そこだけ投げ込まれる形となった。
彼の怪力により、頬の肉が千切れ、断面から脂肪と少量の血が吹き出した。
また、無理矢理切断した為に端の肉が歪な形に形成された。
頭蓋骨と顎を繋ぐ骨は、ポコッと景気のいい音を立てて外れた。
投げ入れられた肉片は、金属が床に落ちるような音を立ててロッカーの中に落ちた。
ジューシーな肉汁が様々なモノが覗いている断面から滴る。
それから厚子本体に目を向けると、引き千切られた顔面の断面からは不規則な形状の肉がコンクリートの表面の如く生えている。
楕円の骨の中の真っ二つに分割された脳味噌は灰色と赤色が微妙な色彩を生んでいる。
彼は今度は失敗するまいと後頭部を掴み厚子を引き起こす。
厚子をロッカーに向かい合わせると、頭と足がそれぞれ天と地に向くようにしたままロッカーにゆっくりと入れる。
強烈な鉄の匂いを放つ汁で厚子を掴む彼の手は滑りそうになるが、その度に強靭な握力で頭皮の中に指をめり込ませ、床に肉塊が落ちるのを回避した。
肉のぬるぬるした感触が彼の指に伝わるが、特に不快感も感じることは無かった。
厚子の左肩が入り口の縁で少し引っ掛かってしまったが、彼は気にする事もなく無理矢理中に押し込んだ。
左肩の一部が彼の怪力と金属板に挟まれた。
そして、ぐちぐちと一瞬だけ悲鳴を上げ、肉を撒き弾け跳んだ。
鉄の箱にぎちぎちに押し込まれた厚子は依然としてだらだらと幾つかの筋を血で皮膚と金属板の両方に描いた。
彼は厚子がロッカーの中にきちんと入ったのを認識すると、勢い良く扉を閉めた。
厚子を片付けたのに続いて、彼は健太を探し始めた。
彼は元々厚子と健太を同時に刻むことにしていた。
しかし、肝心な所で健太に逃げられてしまったので、彼は厚子を片付けてから健太を仕留める事にしたのだった。
しかし、その思考は厚子をロッカーに放り投げる寸前まで。
厚子を刻み始めてからは頭の片隅にほんの僅かだけ留めておいた程度だったので、彼は一瞬何をすべきかを思案した。
その思案はおよそ10秒ほどだったが、何処かに隠れている健太を探す事には支障は無かった。
おそらく彼はこの様に考えたに違いない(今までの経験から推測すると、獲物は惨劇から遠く離れる事を望むだろう。
自分がとばっちりを喰らわないようにする為に。
チェーンソーの爆音で聞こえづらかったが、扉を開ける音はしなかった。
つまり獲物はこの部屋を出てはいないだろう。
そして、ここには隠れるには絶好のモノ、ロッカーが多数存在している。
そのような事態ならば獲物は惨劇の中心――つまり彼――から離れた場所に獲物は隠れており、なおかつロッカーの中に入っている)
そのように彼は考えたのだろう。
彼はすぐさま行動に移した。
血まみれの床のチェーンソーを拾い上げると、エンジンはかけずに両手に持ち、腕をだらりと垂れ下げて腰の辺りに置く。
そして、そのまま彼は左端のロッカーに向かって歩き始めた。
ちなみにこの部屋は入り口から見て左右対照の造りになっており、左右の壁にはロッカーがびっしりと並び、それから2メートル間隔で互いに背を向け合ったロッカーが手前から奥にずらりと並んでいる。
そのロッカーは2メートル離れた場所のロッカーと丁度向き合う形になっている。
手前と奥のロッカーの端には幅が1メートル位に空間が空いていた。
彼は左端のロッカー列の左端に到着すると、ごつい箱から伸びているトリガーを引っ張った。
突然、爆音が聞こえた。
何てこった、あの野郎はロッカーごと俺を切り刻むつもりらしい。
普通は扉を順番にバンバンと開けていくものなんだろうが、現実はそんなに甘くは無いようだ。
幸い、奴は俺から少し離れている。
俺の前を通り過ぎたのをロッカーに空いている覗き穴で確認したからな。
それに一瞬しか見れなかったがあの顔……なんだか不自然だ。
その顔が通り過ぎる瞬間は心臓が止まりそうになったぜ。
今までで最も刺激的な出来事だったが、俺は厚子みたいになりたくは無い。
あいつの仇をうってやりたいが、今は逃げる事を最優先するべきだ。
この爆音に紛れて逃げ出せるかも知れない。
ああ、金属同士が擦れる音がうるさいったらありゃしない。
しかし、これを利用しない手は無い。
よし、今すぐこの箱から出よう。
そしてここから逃げ出して警察に通報しないと。
この際服がなくても構わない。
俺はここから出られるなら何でもしてやる。
なんだか寒くなってきたな。
ふう、奴に気付かれないように扉をゆっくり開けるか。
彼が左端のロッカーの真ん中辺りを真一文字に切り裂いた直後だった。
彼は真後ろのロッカーに取り掛かろうと後ろを振り向いた時に彼は視界の端に動く物体を認識した。
人間だった。
それも裸の人間だった。
それも彼がさっき見かけた人間だ。
狩猟者から命からがら逃げ出した獲物が、愚かにも再び狩猟者の前に現れた。
不運にも健太は彼に気付いていない。
奴、すなわち健太はたった今、冷たいロッカーから這い出て、この地獄から逃れようといくつも並ぶロッカーの列の端に現れたところだった。
健太は殺人鬼と8つロッカーを隔てた地点にいた。
この部屋の出入口から殺人鬼と健太の距離は健太の方が少し短かった。
健太は殺人鬼に気付かれないようにそっと足を伸ばす。
床に伸びるの影もつられて動く。
真上の蛍光灯がカウントダウンの如く瞬く。
殺人鬼は健太に気付かれないようにロッカーの端に歩み寄る。健太が走り出すのと同時に、殺人鬼は頭上にチェーンソーをふりあげた。
床の二つの影がひとつになる。
健太がそれに気付いた瞬間、健太の肩をブレードが掠めた。
僅かに触れただけで、チェーンソーは肩の肉を抉り取り、散らす。
肩を掠めたチェーンソーはその勢いのまま床にめり込む。
削られた断面から血が吹き出し、削った張本人を温かく濡らす。
チェーン部分に降りかかった血は、拒絶されたかのように素早く弾かれた。
抉られた肉は、刃に絡み付きチェーンソー本体の後方から吐き出され、殺人鬼の額に付着した。
健太は恐怖と痛みで立ち止まってしまった。
ここで立ち止まったら殺されるだろうな、そう感じた健太はなんとか気力を振り絞り、走ろうとした。
左足を踏み出した瞬間、床から引き抜かれたチェーンソーが勢い余って後ろに振り抜いた右腕を直撃した。
凄まじい痛みと熱さが健太の神経を走り抜ける。
健太は絶叫する。
助けを求めて叫ぶ。
肘に触れた刃が薄い皮膚を傷付け、掻き出す。
皮下脂肪を抉り取り、きれいに並んだ筋肉の帯を切り裂くと、骨に到着した。
軟骨を砕き、骨とそれにまとわりつく神経ごと両断する。
骨を削り、粉を床に散らすと、再び筋肉を切り裂く。
撒き散らされた血肉で健太は既に全身真っ赤に染め上げられてしまった。
先っぽを失った憐れな右腕は一定の間隔を空けて血を吐き出している。
床に叩き付けられた腕は、最後の血を水鉄砲の如く吐き出した。
瞬時に健太の前腕を切断したチェーンソーは、今度は背中を斜めに袈裟斬りにしようと左肩を狙って降り下ろされた。
激痛で動けない健太を感情の無い瞳が見下ろす。
肩にブレードがめり込み、同時に肩胛骨を削り取られ、健太は苦悶の表情で血を吐き散らす。そんな健太を見ても、殺人鬼は眉ひとつ動かさない。
健太の赤い命が霧となって殺人鬼に次々と降りかかる。
健太の肩がブランと垂れ下がった。
既にブレードは肺に到達していた。
肺からシューシューと小さな音がチェーンソーが吐き散らす轟音に混じって聞こえる。
肋骨が次々に割られ、木を折るような音が聞こえる。
既に健太の目に光は無い。
脊柱を切ると、上半身がガムを噛むような音を立てて右側に垂れた。
短くなった右腕が腰にぶつかった。
そのままバランスを崩して、頭から床に倒れ込んだ。
頭から、というのは、体がに折れたので頭が必然性に下方に位置する為であった。
斜め右に倒れ込んだので、チェーンソーはそのまま倒れてきた肉にぶつかることとなり、大量に血が染み込んだ肝臓を切り裂いて腰の上から飛び出す羽目になった。
このように中途半端に2つになって、健太は死んだ。
無力な獲物はなすすべも無く狩猟者に捕えられる。
彼等は圧倒的な力の差にどうすることも出来ない。
そして、殺される。
しかし、彼等獲物も黙って殺される訳ではない。
時折、狩猟者から逃げのびる、あるいは反撃して狩猟者を倒すこともあり得る。だが、それは非常に稀な事であり、高い身体能力を必要とするが、
特に必要とされるのが運であろう。
知らない場所でもうまく隠れる場所を見つけるなどは非常に重要なことであるから。
そう、健太は運が悪かったのだ。
彼は血の水溜まりに倒れ伏す死体に目をやった。
チェーンソーを左手で持ち、まばたきをすると、死体の断面に右手を突っ込み、真っ赤な臓器を取り出した。
それは半分になった肝臓だった。
彼は首を傾げると、それにかぶりついた。
歯が突き刺さると同時に、血が吹き出して彼の顔や胸を汚した。
もっとも、彼は既に健太と厚子の血でびしょ濡れになっていた為、殆んど目立たなかったが。
彼は肝臓をくわえたまま、水溜まりに右腕を突っ込む。
引き抜くと、健太の首を掴んでいた。
そして手首のスナップを利かせて腕を振り上げて肩に死体を担いだ。
回された死体が天井やらロッカーやらに血がたくさん斑点を描いた。
大きく息を吐き出すと、彼は何事も無かったかのように扉に向かった。
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