3:夢の国のネズミと中華料理のコインじゃないロッカー
彼は錆び付いた扉を勢い良く開けた。
重く軋む音を立てて、地獄が開いた。
扉の内側にはいままでの犠牲者達が撒き散らした汁がべっとりと付着している。
汁といっても血だけが付着しているのでは無かった。
以前、集団で扉の腐汁を舐めていた毒虫が投げ飛ばされた死体に一度に押し潰された。
その時に、各自に大の字のポーズを取りつつ、死体から跳ねた腐汁と肉片が毒虫の死骸とそれから吹き出た汁がブレンドされ固まったもの。
また、部屋の中で斧にはねられた首が勢い余って扉に激突した。
その時、砕けた頭蓋骨が突き刺さり、切り裂かれ、更に血と混ざり合い、麻婆豆腐に見える脳髄や、大きな黒い点が描いてある2つの白玉などを一度にミキサーにかけ、それを扉にぶちまけたようなもの。
そんな感じの汚物が扉の内側に乾いて臭いを放ち、張り付いているのだった。
汚物山脈のような内側に比べると、扉の外側は干上がった赤い川の後が所々にある位しか見られなかった。
その川を、地獄の扉へ続く道を淡々と赤い色のランプが冷たく照らしている。
ランプは彼が出てきた扉の真上の壁に取り付けられており、非常ベルのような形のそれはブーンと羽音のような音を小さくたてながら血の色を薄汚れた白い内装に投げ掛けていた。
先程まで彼がいた部屋のような汚さと臭いは無く、外壁と同じ殺風景なコンクリート剥き出しの廊下が前方と左右に続いていた。
天井には等間隔で埃を被った蛍光灯が着いているが、すべて消えている。
廊下の隅には先程の部屋から来たのか大きな蝿や百足、それらを捕らえようと無駄に大きな巣を広げる毒々しい蜘蛛がいた。
4つの足で何かを追いかけ、しきりに鼻をひくつかせるネズミもいる。
彼は少し動きを止めた後、真ん中の道に足を進めた。
持ち上げた足の着地地点に、哀れにも一匹のネズミがいた。
さっきまで元気に床を這いずり回っていたネズミである。
それが今、彼の巨大な足に踏み潰され無機質なコンクリートの床に朱を差している。
部屋で肉や毒虫を踏み潰し、その赤黒い汁に濡れたブーツはたった今、真っ赤に塗られた。
彼はブーツを通して足の裏に異物感を感じた。
ネズミは高い悲鳴をあげた。
彼はそのまま足を動かした。
濡れタオルを叩きつけたような音がして、ネズミの背骨が4つに割れた。
割れた背骨が皮膚を突き破りブーツの底に触れる。
同時に助骨が内臓を守る役目を果たせず砕けた。
助骨だったものが胃を大腸を肝臓を肺を傷付け、穴を開けた。
背中から飛び出た骨がブーツに押され再びネズミの体内に入り込み、助骨と共に内臓を突き破る。
胃から消化液が漏れだして肝臓を焼き、肝臓からは大量の血液が漏れだし骨を肉を神経を刺激し激痛を与え、大腸からは糞尿が流れ出し血を、肉を、神経を、瞬く間に細菌で汚染した。
健気にもプレス機の如く巨大なブーツに潰されまいと踏ん張っていた足は砕けた背骨に突き刺され、更にブーツから滴る濁った液体で滑べってしまった。
4本の足が宙に浮き、コンクリートに強く顎を打ち付けた。
舌を鋭い歯が貫き、顎に突き刺さって止まった。
自らの歯で顎に縫い止められた舌は自身から溢れ出す血に鉄の味を感じた。
ネズミは床に倒れ込み、気を失いかけるが再び立ち上がろうと朽ちゆく全身を震わせ、最後の気力を振り絞り足を踏ん張る。
しかし、無情にもブーツはネズミの体を確実に押し潰していった。
砕けた骨が軋み、顎が砕け、腹が潰れていき、頭蓋骨から脳を染み出させた。
尻からは勢い良く糞が漏れだし、失禁し、口から弱々しい鳴き声を発した。
ネズミは絶命した。
ネズミなど彼は気にせず次の着地地点に足を動かした。
小さな赤い水溜まりに潰れたコロッケがひたされていた。
わずか5秒間ほどのことだった。
埃臭い空気が辺りを漂っている。
四角く造られたここには出口はひとつしかない。
埃を被った天井の蛍光灯はチカチカと瞬き、不安定な光を提供していた。
薄暗い光の中には、四角い蓋付きの箱が幾つも等間隔に、整然と並んでいる。
健太はその箱の中の1つを開いて溜め息を吐いた。
「ホントに何にもないな。」
箱の扉をゆっくり戻す。
箱はロッカーで、あまり錆びてはいなかった。
しかし、幾つかは錆び付いており、そのいずれも赤黒い液体が流れた跡が残っていた。
健太は怒りのまま勢いでこの廃墟の中に入ってしまったのだが、いまどこにいるのか自分でも判らなかった。
途中の事はほとんど覚えていなかった。
気付いたらここ、ロッカールームにいた、という感じだった。
無理矢理連れてきた厚子とははぐれてしまった。
今頃、健太を探してこの廃墟をさまよっているだろう。
そして、健太はというと、彼女を探さずにひとり廃墟を探索中であった。
なんともひどい男であろうか。
健太は隣のロッカーの扉を開ける。
今回もはずれだった。
彼は何を探しているのだろうか。
それは彼自身もわからなかった。
彼は非日常を求めていた。
彼は日常に退屈していた。
成績は普通、彼女もいる生活には満足していた。
ただ刺激がなかった。
人間は刺激を求める生き物だ。
今回の肝試しも彼が提案したものだった。
刺激が欲しいが故の行動だった。
しかし、知らず知らずのうちに刺激が強すぎてしまうこともある。
料理の味付けと同じだ。
少しだけ香辛料を入れたとしても、その香辛料がとても辛い事もありうる。
所詮は運が良いか悪いかの問題だ。
勿論、知識や力が関係してくる場合もある。
だが、そんなものが役に立たないこともあるのだ。
そんなものではどうにもならないこともあるのだ。
今回もその事例のひとつだった。
かさり、と床と何かが擦れる音がした。
彼の手の動きが止まった。
厚子だろうか?
音は部屋の入り口から等間隔にだんだんこちらに近づいてくる。
だが、ここは廃墟だ。
幽霊がいつ出てきてもおかしくない。
彼はロッカーの陰に隠れた。
しかし、彼は幽霊を少しは恐れてはいたが、隠れて良いのかと自分自身に問いただした。
元々、刺激を感じる為にここにやってきたのだ。
幽霊は一生に一度有るか無いかの立派な刺激になる。
そのように彼は思い立ち、音に顔を向けてみることにした。
少しずつ、少しずつロッカーの陰から左から右に顔を覗かせていく。
鉄の匂いが鼻に付く。
息がだんだん僅かながら激しくなっていく。
右目の隅に人影が見えた。
彼は少しずつ目を陰から出していく。
口の端を歪める。
彼は網膜に映るものが何なのかを理解したようだった。
彼は安心してロッカーの陰から身を通路に出した。
「おう、厚子じゃないか。」
彼は笑顔で人影に声をかけた。
「もう、どこ行ってたのよ。探したんだからね。」
厚子は怒ったような口調だが、目は笑っている。
「ごめんごめん、俺も厚子の事、探してたんだよ。」
健太はとっさに嘘をつく。
彼女の事は考えていなかったなんて言える訳が無い。
「もうどこにも行かないでよ。」
厚子は安心して健太に抱きつく。
健太は幽霊ではなく厚子を見つけて安心出来たが、心残りがあった。
期待していた刺激が無い。
廃墟ではぐれた彼女と再会するのも大きな刺激だったが、幽霊に出くわす事の方が刺激が当然大きい。
ふと、彼の心にある欲求が芽生えた。
弱い刺激ではより強い刺激が欲しくなるものだ。
その欲求が引き起こす行動は何があろうとここでは絶対にしてはいけないことだった。
健太は厚子に尋ねる。
「なあ、ここ寒くないか?」
厚子は彼の問いかけの意味を理解した。
「うん、寒いわね。暖まりましょうか。」
そう答えると、厚子は健太のズボンに手をかけた。
「いいの?こんな所で?」
「ああ、どうせ誰も見ちゃいないさ。」
その回答は残念ながら問いかけから1分前までは正解だった。
殺人鬼がじっと彼らの淫らな行為を見つめている。
彼は理解できないというように首を傾げた。
彼は得物を握る指に力を込めると、獲物に気付かれないようにそっとふたりに近づいていった。
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