「水菓子が、食べたい…」
めっきり物忘れが激しくなり、孫である僕の事もよく分からなくなってしまったお祖母ちゃんが、不意に ぽつり と呟いた。
いつもはただ ぼんやりと遠くを見つめているだけだから、言葉を発したのは久しぶりかもしれない。
お祖母ちゃんと同じく炬燵に潜り込んでいた僕は、一瞬空耳かと思い、隣にある顔をまじまじ見つめた。それ程 珍しい事だったのだ。
「水菓子が……食べたいねぇ……」
お祖母ちゃんは、今度ははっきりした声で呟いた。目線は窓から見える、庭先に固定されたままだ。でも僕は お祖母ちゃんが言葉を出してくれた事が嬉しくて、何も考えずに頷いていた。
「まかせて! すぐ、持ってくるから!」
そう言い立ち上がったものの、すぐに思い止まる。
水菓子って何だろう?
お祖母ちゃんに聞いてみても、
「水菓子が食べたいねぇ……」としか答えてくれない。
水がつくお菓子の事かなぁ? あ、水羊羹とか! 水羊羹なら確かあった気がする。
僕は台所に向かい、夕飯を作っていたお母さんに聞いてみた。
「お母さ〜ん。水羊羹てあったっけ?」
「冷蔵庫に入ってるわよ〜。もうすぐ夕ご飯だから あんまり食べないようにね」
「は〜い」
適当に返事をしつつ、冷蔵庫をのぞき見る。目的の水羊羹は、手前の方にあってすぐに見つかった。
……水菓子って、たぶん これの事だよね。
僕はフォークを一つ掴むと、いそいそとお祖母ちゃんの所へ戻った。
「はい、お祖母ちゃん。水羊羹だよ!」
うきうきと水羊羹を差し出す僕を、お祖母ちゃんは ちら と一度見ただけで、また庭先に目線を戻してしまった。
あれ? これじゃないのかな??
僕はお祖母ちゃんをのぞき見る。お祖母ちゃんは また、水菓子が食べたいねぇ……と呟いている。
僕はとりあえず、要無しになってしまった水羊羹とフォークを片付けようと台所に向かった。台所では、何かがくつくつ煮える音と、ふんわり鰹節の匂いが漂っていた。
どうやら今日はおでんみたいだ。お母さんが大根やちくわを適当な大きさに切り分けている。
「お母さん、水っぽいお菓子ってなんかあったっけ??」
水羊羹をしまいながら、尋ねてみる。分からないときは、誰かに聞いた方が早い。三人よれば、なんたらの知恵ってやつだ。お祖母ちゃんが、なんかそんな事を言ってた気がする。
「まだ食べるの? ご飯前だって言ったでしょ!」
やばい、雷が落ちそうな雰囲気だ。僕はあわてて付け答えた。
「ち、違うよ! お祖母ちゃんが食べたいって。それに水羊羹、食べてないよ!」
「あら、そう。そうね……ゼリーとかなら、縁側にあったんじゃないかしら?」
お母さんは、意外とあっさり納得してくれた。これも日頃の行いのタマモノってやつかな。
お祖母ちゃんから聞いた事がある、言葉をなんとなく得意げに思い浮べてみる。僕はお祖母ちゃんっ子で、お祖母ちゃんがする話をよく聞いているんだ。
お祖母ちゃんの話は難しくて分からないことも多いけど、僕はお祖母ちゃんと話すのが大好きだ。ゆったりした話し方や、ときたま頭をやさしく撫でてくれるのや、穏やかに笑ってくれるのが好きなのだ。
物忘れが激しくなってからは、それは無くなってしまったけど……。
そんな事を考えながら僕は、冷えきった廊下を進み、縁側に向かった。
縁側には大小様々なダンボールが置かれ、それぞれに色々な物が入っている。その中の一つ、お菓子が入っている大きめのダンボールを僕は開いた。中にはクッキー、チョコレート、のど飴など、お菓子がぎっしり詰まっている。
僕のお母さんは甘いものが好きで、いつもこのダンボールにはお菓子があふれかえっている。ちょっと多いんじゃないかなぁ、とたまに思う。僕も好きだから別にいいんだけどさ。
僕はその中でお目当てのゼリーを引きずりだし、そのせいで収まりが悪くなったお菓子をなんとか詰め込んで蓋をした。
やっぱり買いすぎじゃないかな……。
少しお母さんの買い方に不安を抱きつつ、お祖母ちゃんの元に戻った。
お祖母ちゃんは炬燵に入ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
寝ちゃったのかな?
「お祖母ちゃん、お菓子持ってきたよ?」
そっと声をかけると、ゆっくりとこちらを見てきた。どうやら微睡んでいただけみたいだ。
「水菓子ってこれ?」
ゼリーを目の前に持ち上げた僕を、お祖母ちゃんは やっぱりちょっと見ただけですぐに目線を外してしまう。
これも違うんだ。落胆の感情と共に、僕も炬燵に入り込んだ。
お祖母ちゃんを見ると、ぼんやりと窓から見える景色を眺めている。
僕も同じように庭の木々を見ながら、水菓子って何なんだろう……と考えるが、分かる訳もない。僕が炬燵でもんもん悩んでいると──…
「あつし──、ちょっと来て!」
台所からお母さんの呼び声が聞こえてきた。暖かい炬燵から出るのは嫌だったけど、早く行かないと怒られちゃうかも。僕は勢いをつけて炬燵を飛び出した。
「な〜に〜?」
台所に行くと、お母さんはエプロンを外して財布を握り締めていた。僕の問い掛けに、靴をはきながら答える。
「ちょっとお塩買ってくるから、お鍋吹きこぼれないか見といて〜」
それだけ言うと、勝手口からさっさと出ていってしまった。僕の意志はないのか。ちょっだけむくれつつも、仕方なく僕はお鍋の番をする。
くつくつくつ……。
静かな台所に、おでんの煮える音だけが響く。テレビをつけてもいいけど、今日はなんだか このままでもいいかな、と椅子に腰をおろす。勝手口を開いたせいで冷えた空気が、ふんわりとした匂いと共に段々 暖められていく。
そういえば、よくお祖母ちゃんと一緒にこうやってお留守番をしていたなぁ。
そんなに前のことでもないのに、なんだか懐かしい感じがする。
お母さんに内緒で、よくお菓子を一緒に食べたりした。たまに見つかって叱られもしたけど、お祖母ちゃんは悪戯っぽく笑って
「また食べようね」って言ってくれていたな……。
でも、最近そんな事していない。
僕はなんだか 無性に悲しくなってきた。
もう あの時間には戻れないんだろうか。お祖母ちゃんが僕に向かって話し掛けてくれたり、笑ってくれることは、もう ないんだろうか。
そう思うと、胸の奥がなんだか、きゅっと縮まった気がした。
「ただいまぁ〜」
暖まった空気と、僕のなんだかよく分からない気持ちを外に押し出すかのように、勝手口が開いた。外から戻ってきたお母さんの顔は、寒さのせいか少し赤くなっている。
「最近、夜になると冷え込むわねぇ」
そう言って、白いビニール袋をテーブルに置く。なんだかやけに重そうだ。またお菓子でも買ってきたんだろうか。
「あ、これね〜。お隣のお祖母ちゃんから貰ったのよ〜干柿だって」
お母さんの言葉通り、中には大小様々な干柿が入っている。
……そう言えば、お祖母ちゃん干柿好きだったな。
お母さんに内緒で食べるお菓子の中には、干柿や干し芋、水飴とか、昔懐かしい物もよく含まれていた。
「ねぇ、一個だけ食べていい?」
だめ元でお母さんに頼んでみたら、いいわよ〜との返事。
その言葉に、僕がさっそく美味しそうな干柿を選んでいると、お母さんも横から手を伸ばしてきた。
なんだ、自分も食べたかっただけなんだ。
僕はちょっとおかしくなりながらも、小さめの干柿を二個選び、お祖母ちゃんの所に戻った。
お祖母ちゃんは相変わらず外をぼんやり眺めていた。その、何だか世界が区切られているような感じに、ちょっと声をかけるのをためらってしまう。
今、お祖母ちゃんの心の中には なにが入っているんだろう。
昔の楽しい思い出だろうか。それとも、苦労した嫌な事だろうか。
ぼんやりとした表情からは何も読み取れない。僕はなんだかお祖母ちゃんがそのまま消えてしまいそうな、別の世界に行ってしまいそうな気がして、慌てて声をかけた。
「お祖母ちゃん! ほら、お祖母ちゃん干柿好きだったよね? 食べるでしょ?」
そう言い、干柿を持っていた手を差し出す。お祖母ちゃんはその手を ぼんやりと見た後、数秒瞬きして僕の顔を見上げた。
「ありがとうねぇ。あっちゃんは優しい子だねぇ」
そう言って、にっこり笑いかけてきた。
僕は目をぱちくりさせた。今──今、僕を見て言ってくれた……よね?
「ああ、そうだ……この水菓子が食べたかったんだよ。ありがとうねぇ。あっちゃんは本当に優しいいい子だ…」
お祖母ちゃんはそう言い、僕の頭を撫でてくれる。いつもしてくれていたように。ちょっと かさついた、温かい手のひらでゆっくりと。
僕は気恥ずかしくも目元がなんだか熱くなり、それを誤魔化すように えへへ、と笑うとお祖母ちゃんのすぐ隣に入りこんだ。
お祖母ちゃん独特の、なんだか懐かしい匂いがする。
「お祖母ちゃん、それ水菓子って言うの?」
「そうだよぅ。昔は果物の事をお菓子と言っていたんだがねぇ」
僕は気になっていた事を聞いてみた。お祖母ちゃんは前と同じように、ゆっくりとした口調で答えてくれる。ただそれだけなのに、僕はなんだかとっても嬉しくて、頬が弛んでしまう。
「でも、西洋からもお菓子が入ってきたからねぇ。区別するために、果物の方を水菓子って言うようになったんだよぅ」
「へぇ〜そうなんだ!」
やっぱり、お祖母ちゃんは凄い! 僕の知らないことをいっぱい、いっぱい知っている。にこにこと笑いながら話してくれるお祖母ちゃんに、僕も笑顔を返す。
「お祖母ちゃん、あつし〜! ご飯よ〜!」
話が終わった時、タイミングよくお母さんの声が聞こえてきた。
「お祖母ちゃん、ご飯だって!」
「そうだねぇ。今日はなんだろうねぇ…」
「今日はおでんだよ!」
僕は立ち上がると、炬燵からゆっくり出ようとしているお祖母ちゃんに手差し出す。お祖母ちゃんは、
「ありがとうねぇ」と言い、僕の手をそっと握り締めてきた。
おばあちゃんは相変わらず、ゆっくりとしている。僕はお祖母ちゃんの手をぎゅ、と握り締めて言った。
「お祖母ちゃん、これからもずっと、ずっと、色んなお話しをしてね!」
お祖母ちゃんは僕の方を見ると、穏やかに微笑み、ゆっくりと頷いてくれた。
僕はそれに笑顔を返すと、これからしてもらうお話のことを考え うきうきしながら、お祖母ちゃんと一緒に台所に向かったのだった。 |