第三十六話 馬鹿兄貴は永遠にその五
「ま、まずい」
「!?どうしたの?」
春香が兄に問う。
「急に静かになって」
「な、何でもない」
額に脂汗を流しながら答える。
「何でもない、けれどな」
「けれど?」
「トイレ行って来る、じゃあな」
慌てて姿を消す。彼は慌しい音と共に妹の前から姿を消したのであった。
後には女の子達だけが残っている。洪童がいなくなったのを確かめて満面に笑みを浮かべて顔を見合わせていた。
「上手くいったわね」
「はい」
春香はにこりと笑ってビアンカに答える。
「そうですね。まさかとは思いましたけれど」
「全部兄さんが考えていたことなのよ」
ビアンカは春香の隣でそう答える。
「アルフレドさんがですか?」
「ええ。あの下痢は占い師に化けたジョンが飲ませたものだし」
洪童の下痢はそれが原因だったのだ。衝撃の事実であった。
「その前に彼をここに来るように仕向けたのだってそうだったのよ」
「それでここも」
「そういうこと。協力有り難うね」
「いえいえ」
春香のクラスメイト達はビアンカに応えて笑う。
「春香ちゃんの為だもの」
「これ位はね」
「皆有り難う」
春香は友人達に対して礼を述べる。
「そんなことまで」
「いいっていいって」
「楽しかったし」
しかし彼女達はその御礼をよしとする。どうやら彼女は友人達に好かれているらしい。
「それにしても」
ペリーヌはここでふと気付いたことがった。
「どうしたの?」
「いや、ジョンの言葉だけれどね」
ダイアナに応えて述べる。
「春香ちゃんが男の子と一緒に歩いてたって。あれ何だったのかしら」
「ああ、そういえばそうね」
話の発端である。そもそもこんな大騒ぎになったのはジョンの話を聞いた洪童が暴走したからだ。皆ここでそれを思い出したのである。
「それはどうだったの?」
「えっ」
ところが二人に問われた春香はここで顔をキョトンとさせてきた。
「私がですか!?」
逆に彼女の方が驚いていた。
「男の人と一緒に」
「違うの?」
「違いますよ」
慌ててそれを否定してきた。
「そんなこと。全然」
「あれ!?」
「じゃああの話は一体」
「それに二人で歩いていたことなんて」
いぶかしむ二人に春香はさらに述べてきた。これが答えであった。
「ジョー先生とだけですよ」
「えっ!?」
「ジョー先生っていうと」
ペリーヌとダイアナはここで気付いた。
「エイミーの二番目のお姉さんの」
「はい、家庭教師してもらっていて」
男勝りで有名なエイミーの二番目の姉である。そう、男勝りなのだ。
「その人だけですよ」
「ああ、わかったわ」
ビアンカはそれを聞いて納得して頷いてきた。
「それよ。洪童が誤解したのよ」
「そうだったの」
「何だ」
ペリーヌとビアンカはそれを聞いて拍子抜けしたようにして述べる。
「あの人男ものも格好することも多いし」
「それでか」
「あの」
話が読めないのは春香と彼女のクラスメイト達であった。キョトンとした顔で三人の先輩達を見ていた。
それで問う。そのキョトンとした顔のままで。
「どういうことなんですか?」
「誤解って」
「ああ、その話は長くなるから」
ダイアナがくすくすと笑いながら応えてきた。
「また今度ね」
「はあ」
「それで春香ちゃん」
ビアンカが彼女に声をかけてきた。
「お兄さんを迎えに行ってあげなさい」
「兄さんをですか」
「そうよ。折角心配して来たんだし」
「はあ」
「それはわかるわよね」
優しい声で彼女に問う。春香もそれはわかっていると知ってのうえでの言葉である。それはちゃんとわかっていたのである。見抜いたうえで彼女に言うのだ。
「いいわね」
「わかりました」
春香は素直にその言葉に頷く。
「それじゃあ」
「それにしても」
ビアンカはすっと苦笑いを浮かべてきた。そのうえで述べる。
「私にもアルフレド兄さんがいるけれど彼はまた」
「そうなのよね」
「全く」
ペリーヌとダイアナも言う。
「直情的って言うか暴走してるって言うか」
「困ったことだわ」
「あれさえなければね」
ビアンカはまた述べる。
「普通人なんだけれど」
「まあもてないことで滅茶苦茶やってるけれど」
「悪い奴ではないわね」
クラスメイトなのでそれはわかる。いいところも悪いところもだ。とりあえず洪童が悪い人間ではないのはわかっているのだ。それでも彼の暴走には手を焼く。
「じゃあすいません」
春香は席を立って皆に言う。
「私これで。兄さんのところへ」
「ええ、どうぞ」
ビアンカがそれに応える。
「行ってらっしゃい」
「はい」
こうして妹は兄のところへ行く。どうにも困り果てた兄だがそれでも自分のことを真剣に気遣ってくれる優しい兄であるとわかっているから。彼女も行くのであった。
馬鹿兄貴は永遠に 完
2007・2・21
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