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Re-Play
作:羅幻徒


 いつもの朝。
 要するに、やかましい電子音を響かせる目覚まし時計を黙らせて、もう五分のつもりが三十分寝過ごして、母さんが用意してくれた朝食を尻目に、だけど朝日を浴びて輝いていた目玉焼きの誘惑だけは避けられなくて、足踏みしながら掻き込んで家を飛び出した……という朝。そう云えば顔を洗った記憶がないなと走りながら思い出したけど、辛うじて嵌めてきた腕時計の告げる時刻に、思い出したことすら記憶の底に押し込んだ。
 俺の家は、学校から徒歩三十分の場所にある。ただ、それは割と呑気に歩いた時の目安であって、普通に歩けば二十五分くらいだろうし、少し急げば二十分くらいで済むかも知れない。だから、走れば十五分で着くかも……というのは理論的には可能な気もするけど、そんな大それた表現をしなくても、それは無理だと理解できる。学校までの道程にある三ヵ所の十字路には、懇切丁寧に信号機が設置されているからだ。
 一つ目の信号を何とかクリアしながら覗きこんだ時計の針は、始業ベルまで残り十分を指していた。この一つ目の信号機までの間が少し長かったから、残りは三分の二というよりも五分の三というところ。二つ目の信号機までの距離を計りながら、信号が青……少なくとも青に変わる前の赤であれ、と願いつつ心持ち足の運びを早めてみた。
 とはいえ、帰宅部で養った運動不足だけあって、なかなか思ったように足が動かない。しかも、そろそろ二つ目の信号機が見えてきたというのに、掻き込んできた目玉焼きが自己主張してるのか脇腹まで痛くなってきた。たった今信号が青に変わったから、ここでペースを上げれば赤になる前に渡り切れるはずなのに。
 ここで立ち止まったら走り出す気力はないと、毎朝の教訓に何とか加速を搾り出してみた。友達から借りた車の雑誌くらいしか入ってないはずの鞄がやけに重くて、放り出したい気分に駆られる。
 そんな努力が実ったのか、二つ目の信号機が目前に迫った時には未だ青のままだった。これで何とか、三つ目の信号機まで自分を保たせられる……と思った俺は、腕時計へと目を向けた。
 腕時計の背景に横断歩道の白線を捉えた瞬間、朝日にきらめくその白線を覆うように影が被さってきたのを見た。
 俺の躰は、トラックのバンパーに弾かれて宙を飛んだ。


 余りの映像と自分の上げた叫び声に驚いて、俺はベッドから飛び起きた。
 荒い息を吐きながら、周囲の様子と我が身の安全を確かめる。……よかった、俺、生きてる……どころか、どうやら夢だったらしい。思わず、大きなため息を吐き出した。
 一気に脱力した俺は、だけど、目の端に映った時計の指し示す時刻に大慌てでベッドから転がり出た。やばい、また寝坊した!
 急いで制服を着込んで、鞄を引っ掴んだ。部屋を飛び出して階段を駆け降りつつ、顔も洗わないで玄関へと直行する。
 一時間目の授業が始まるまで、あと二十五分。その前にホームルームという、あってもなくてもいいような時間があるから、遅くても十五分後には教室に入ってないと遅刻になる。そうすると、通学路にかけられる時間は正味十二、三分。ただ、学校に辿り着いても、教室に続く階段を駆け上がる余力は残ってないかも知れない。
 とはいえ、きっぱり諦めて遅刻をカウントされる訳にはいかなかった。これまで登校日の半分は遅刻扱いになってるし、呆れ果てた担任には、今度遅刻したら親に連絡するぞとまで云われてる。母さんから小言を云われるのは慣れてるけど、そうなると落ちてくるのは父さんの雷……それだけはごめんだ。
 用意された朝食を横目に眺めつつ、玄関へと直行する。タクシーでも呼べば楽なんだけど、それを指導員の先生に見つかってUターンさせられたことがある。その往復の料金は勿論自分持ちだったから、勿体ないことこのうえなかった。何より、今は片道のタクシー代さえ払えないほどに金欠だ。
 靴に足を突っ込んで、玄関を飛び出した途端に猛然と走り出す。住宅街を抜ける舗装路を駆け抜けながら、目前に迫ってきた交差点の、たった今赤に変わったばかりの信号機に舌打ちする。
 とはいえ、この一帯はいわゆるベッドタウンというヤツだから、昼夜を通して交通量は少ない方だった。幹線道路からも離れているためか、混雑するのは町内会のお祭りの時くらい。そして今日も、信号機の孤独な明滅で終わるだろうと俺は踏んでいた。たまにすれ違うのは自転車に乗った年寄りくらいだろう、と。
 だから、赤信号が誇らしげに点っているのを知っていながら、俺は交差点へと突進した。始業のベルまで十分を切った。それしか眼中になかったから。
 でも、そんな俺の視線に突然飛び込んできたモノの影響はもっと大きかった。
 青信号のために自信満々で走ってきたトラックのバンパーだった。


 ……と、朝も早よからそんな不吉な夢を見た。
 お陰で寝覚めが悪かったが、それ以上に気分も調子も最悪だった。何しろ起きたらとんでもない時間。朝練どころか、あと二十分で学校のプログラムが始動するというタイミングなのだ。
 ……と、グチッてる暇はない。
 飛び起きざまに脱ぎ放してあったズボンに足を突っ込んで、脱兎の勢いで階下へと駆け下りた。通りかがりの洗面所で気持ち程度に顔を洗うと、拭うのもそこそこに玄関へ。母さんが何か叫んでたけど、それを思いっきり無視して、サッカー部で鍛えた俊足に総てを託して猛ダッシュする。
 それにしても……と、俺はクロスボールを受ける勢いで走りながら考えた。ちょっと寝過したくらいでこれだけ静かな町並になっちゃうんだから、ホントにド田舎丸出し。通りに面した住宅街を一歩奥に入れば田んぽだ畑だという所なんだから、田舎以外の何ものでもないんだけどさ。きちんと舗装されたからいいものの、この道路だって、この間までは簡易舗装が随分崩れて走りずらかった。
 ……と、そんなことを呑気に考えてるうちに、商店街の店先にかかってる時計が始業十五分前の時刻を告げていた。
 ギリギリで間に合うかも。このまま走れば、間に合う時間かも。
 僅かに上がった呼吸を努めて大きく保ちながら、俺は僅かな希望で明るくなった未来に向けて、からっきし車の通らない交差点へと突入した。
 信号は赤から、ちょうど青へ。舗装に埋め込まれた点字プレートを靴底に感じながら、横断歩道へと躊躇なく飛び出す。
 その瞬間、けたたましく鳴り響くクラクションが鼓膜を貫いたけど……その後のことは、俺は知らない。


 叩き付けられたような衝撃に、俺は驚いて目を覚ました。
 一瞬、自分が何処にいるかも判らなかったが……目をしばたいているうちに、ここは俺の部屋だ、ということを理解した。そして、ベッドから転げ落ちて、文字通り床に叩き付けられたことも。
 冷たい床の感触が、汗ばんで火照った肌に心地いい。だけど、壁の時計を見ると、その気分は瞬く間に霧散した。針の示した時間は午前六時十五分。しかも、今日は日曜日。
 思いっきり損した気分に唸り声を上げながら、俺は寝直すために床から躰を起こした。だけど、ベッドから落ちた衝撃でか、それとも夢の内容からか、布団の中に戻る気分にはなれなかった。
 寝足りない気分の重い躰を無理やり起こして、ベッドに腰を下ろしてため息を付く。朝っぱらからケチが付いたみたいでウンザリする。うんっと背伸びをしてから、仕方なく服を着た。
 一階に下りて、居間に行った。台所も覗いたけど、父さんと母さんの姿はなかった。まだ寝てるってことだろう。何たって、日曜日の早朝なんだから。
 テレビを点けてみたけど、ニュースなのかバラエティなのか判らないような番組ばっかりで面白そうなのは何もやってなかった。思わず朝の体操なんかやってみようかと思ったけど、バカみたいだし、何より年寄り臭い。
 やっぱり寝直そうかと思ったとき、居間の窓の外を悠然と歩く猫の姿が目に止まった。興味を引かれて、慌てて外へと飛び出す。
 驚いたことに、その猫は玄関のドアの向こうで俺が来るのを待っていた。まるで餌を貰えると期待してるように、きちんと座って俺を見上げている。手を出しても逃げないところを見ると、どうやら飼い猫なんだろう。
 黄色い斑模様の毛並みを撫でていると、その掌に顔をこすり付けた猫がするっと身を翻して歩き出した。その姿を見送っていると、まるで俺が付いて来てるかを確認するように振り返る。その様子が可愛くて、どうせ暇なんだから、と自分を納得させて後を尾けることにした。
 舗装路の上をとことこと歩くその猫は、脇道にそれることなく、俺の前を歩いて行った。俺の肩辺りまである塀に軽々と登ったり、体操選手のような軽やかな足取りを披露したり、風に揺れる木の葉を丸々とした肉球で叩いたりしていた。そして、思い出したように俺を振り返って、悠然と闊歩する。何だか、俺が散歩に連れ出されてるような気分だ。
 不意に、猫が固まって耳をぴんと立てた。足を止めて、じっと何かに聞き入っている。もしかしたら、遠くで飼い主が呼んだのかも知れない。
 猫が走り出したのを見て、その必要もないのに、俺も思わず走り出していた。
 気まぐれに始めた散歩みたいなものなんだから、ここまですることはないだろう……と思いながら、猫の後を付いて走る。だけど俺は二本足で、猫は当然四本足だ。徐々にその距離が開いていく。
 猫は十字路を躊躇いなく駆け抜ける。その姿を追いながら、俺は厭な予感に囚われる。
 それも一瞬のこと、予感が言葉になる前に俺は十字路を走る勢いのままに直進した。
 すると、突然のブレーキ音。
 その音に顔を振り向けると、そこには……。














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