ぼくがこのせかいでいちばんかしこい
「世界で一番賢くなりたい」
転生の際に彼が願ったのは、それだけだった。
神は承諾した。
世界で一番賢くなりたいぐらいなら、簡単だと。
○
生まれ変わって十五年が経った。
彼は今のところ、今回の人生に満足している。
彼の思考はいつも、周囲の一歩先をいっていた。
彼がなにかアイディアを出すと、周囲はそれを絶賛する。
たとえば、近所に住む女性との会話では。
「こまったわ、どうしましょう」
「どうしたんだ?」
「じつはね、おひるごはんに、パンを食べようと思ったのだけれど、とてもかたくて、食べられないのよ」
「それはスープにひたして食べるといいぞ」
「スープにひたす?」
「ええ。かたくなったパンは、スープにひたすと、やわらかくなって、食べやすくなるんだ。味もついて、おいしいし」
「へえ、なるほど……そんな食べかた、想像したこともなかったわ。たしかに食べやすそうだし、おいしそうね。あなたって、とっても頭がいいのね」
「いや、そんな。すこし考えてみただけだよ」
「ちょっと考えただけでそんなアイディアがでてくるだなんて、きっと、あなたは天才だわ」
このように、彼の頭脳は激賞されていた。
でも、彼は目立つのが嫌いだった。
だからこうやって人に褒められた時には、いつでも、付け加える言葉がある。
「僕がその意見をだしたっていうのは、誰にも内緒で、たのむぞ」
「あら、どうして? こんなすごいこと、みんなにひろめないと、もったいないわ」
「ひろめるのはいいけど、僕の意見っていうことは、内緒に」
「え? ひろめるのはいいの? でも、内緒なの? ……ごめんなさい、あなたの言っていることはむずかしくて、よくわからないわ……」
「内緒にしておいてくれればいいよ」
「わかったわ」
でも、この国の人の記憶は、長くはもたなかった。
基本的にみな、昨日のこととなると、あまりよく覚えていない。
三日前のことを思い出せるならば、それは、国家の中枢を担うことのできる人材だというようにされていた。
だから、すごいことを彼に教えてもらったのはわかるのだけれど、具体的になにを教わったのかとか、内緒にしてほしいだとか、細かいことまでは、とても覚えていられない。
またたくまに、彼の頭脳は知れ渡ってしまう。
彼は目立つのが嫌いだったけれど、困っている人を放ってはおかなかったし、自分から困っている人を捜したりもした。
パンがかたくて食べられないなら、スープにひたせばいい。
つめたい水で体を洗うのがいやだったら、お湯をわかせばいい。
すぐにものをわすれてしまうのならば紙に書いておけばいい。
他にも様々な、すごいアイディアを、彼は出していった。
そんなことをしていたものだから、ある日、彼は王様に呼び出される。
立派なお城に招かれたけれど、彼は内心でため息をついていた。
やれやれ、どうしてこんなに、『おおごと』になってしまったのだろう。
特にすごいことをしているつもりは、ないんだけどなあ――
首をひねりながら、彼は王様のいる場所へ通される。
王様は、太ったおじさんだった。
彼は王様の目の前で立ったまま、できるだけ丁寧に王様へ問いかける。
「とつぜん呼びだして、なんなんだ?」
「おお、そなたが、街で一番の、賢者か。噂は、聞いておるぞ。ええと、たしか、なんであったかな……」
王様が悩むと、すぐに、隣に立っていた細いおじさんが、耳打ちする。
王様はうなずいて、
「……おお、そうじゃ、そうじゃ。パンをスープにひたす食べかたなど、じゃな。そんなすごいことを思いつける者など、そうそうおらんじゃろう。さすがじゃ」
「僕にはかんたんなことだよ」
「そこで、賢者よ、そなたに、頼みがある」
「なんだ?」
「実は、隣国の王様と、けんかをしてしまったのじゃ。戦争になりそうなので、どうか、そなたの知恵で、戦争をふせいではくれまいか?」
「まずは事情を教えろよ。やすうけあいは、頭の悪い人のすることだしな」
「おお、さすが賢者じゃ。むずかしい言葉を、たくさん知っておる」
「僕にとっては、かんたんな言葉だよ」
「それで、ええっと」
「なぜ、隣国の王様とけんかになったんだ?」
「う、うむ、実はじゃな、ええ……なんじゃったかのう」
王様の横の人が、耳打ちをします。
すると、王様はうなずいて、語りはじめました。
「なんか、むこうの国がの、この国の国民が、最近、みんな、バカすぎるとか、言ったんじゃな。わしはな、そんなことないもんと、思うのじゃが、むこうは、バカにするばっかりで、わしの話なんか聞いてくれん。だから、もう、戦争しかないと、そういうことじゃな」
「その話だと、戦争をしかけたのはこちらの国じゃないか?」
「おお、そのようじゃな。すっかりわすれておったわ」
「では王様がむこうの国に『ごめん』とあやまれば、解決するぞ」
「なるほど、あやまれば解決するのか。さすが賢者じゃ。国の大臣たちを集めて、数週間議論してもでなかったアイディアを、すぐにだしてしまった。本当に、たいした頭脳じゃのう……よし、あやまりに行こうか。ええと、なんて言えばいいんじゃったかな?」
「しょうがないなあ。僕が、一緒に行ってやろうか?」
「そうしてくれるのか? いや、ありがたいことじゃな。いいのか?」
「かまわない。こんなの、簡単なことだからな」
「では是非とも、よろしくたのむ」
「わかった」
こうして、彼は、隣の国の王様に謝りに行くことになる。
王様と、彼と、国の大臣と、それから、王様の娘であるお姫様も、一緒だ。
お姫様がついてくる理由はよくわからない。
きっと、外交に行くので見目麗しい美姫がいたほうがいいという、高度な政治的判断があったに違いないだろう。
隣国への謝罪は、両国の中間にある広大な平原で行われた。
両方とも大軍を引き連れていて、少しでも間違えばここで開戦しかねない雰囲気だ。
彼は、王様、お姫様とともに、隣国の女王様に対面した。
隣国の女王様は、綺麗な、褐色肌の、ダークエルフだ。
軍隊と軍隊の真ん中で、多くの人が見守る中での、対談が始まる。
彼は『王様ってたよりないよな』と思っていたから、王様に代わって交渉を引き受けることにした。
だから、隣国の女王様と直接話をするのは、彼だ。
彼はちょっとだけドギマギしながらも、真っ直ぐに隣国の女王様の目を見る。
彼は、隣国の女王様を相手に、可能な限り丁寧に、話を切り出す。
「あんたが、ダークエルフの女王様?」
「そうだが……なんだお前は? 我々は公式な対談をしているのだから、まずは、身分と名前を明らかにするのが礼儀であろう。なぜ、そちらの国はどこの誰とも知らない若造が、まるで代表者のような顔をして、私と対談しようとしている? それに、その無礼な口の利き方はどうした?」
二つの陣営が、ざわめいた。
彼がいる人間の国家の方の陣営は、ひどく困惑した様子だった。
隣国の女王様は、早口なうえに、むずかしい言葉をいっぱい使っているので、なにを言われているのかわからなかったのだ。
――やっぱりダークエルフは頭がいい種族だ。
――これじゃあ、バカにされるのも仕方がない。
――賢者でさえ、頭のよさでは、ダークエルフにかなわないかもしれない。
人間の国家には、早くもそんな空気が広がっていった。
しかし、彼はまったく、うろたえた様子がない。
自信満々な顔で、女王様に近付いて、言う。
「うちの王様が戦争をしかけてごめんなさい」
「……いや、まずは身分と名前をあきらかにしろと言っているのだが。あと、謝るのならばその態度はなん、なん、な、な、ななななななな」
ダークエルフの女王様の様子がおかしくなる。
それだけではない。
彼女の背後にいたダークエルフたちの軍勢も、みな、体調が悪そうに身をよじったり、頭をおさえてうずくまったりしていた。
彼が神様にもらった力が働いているのだ。
それは『周囲の人の頭を彼より悪くする力』。
その効果は距離と時間に比例する。
近くにいるほど、そして長くいるほど、どんどんと知能が低下していく、彼が無意識に発動する能力だった。
ダークエルフの女王様は、彼を見た。
その表情はまるで、知らない場所にいきなり放り出された幼子のようだ。
彼は、再び謝る。
「うちの王様が戦争をしかけてすまなかった」
「え? ……え? う、ううん……そんなこと、あったかな?」
「許してくれるのか?」
「うん、許す……? 許すよ? よくわかんないけど……」
「じゃあ、戦争はなしっていうことで、大丈夫か?」
「うん……?」
「よかった。じゃあ、これで」
ダークエルフたちに困惑が広がっていた。
自分たちがなぜ今ここにいるかわかっていないような、そんな雰囲気だ。
彼はもう帰ろうとしている。
その背中に、ダークエルフの女王様が声をかけた。
「ま、まって!」
「どうしました?」
「あの、私たちのおうちは、どこだったか、知らない……?」
どうやら、ダークエルフたちは帰り道をわすれてしまったらしい。
彼は肩をすくめる。
「連れて行ってあげようか?」
彼はダークエルフの国の場所を知っていた。
真っ直ぐ東に歩けばたどりつくのだ。
そんなこともわからなくなったダークエルフの女王は、子供のように目を輝かせる。
「いいの!?」
「ああ。困ってる女の子を見捨てるのは、しのびないからな」
「すごい、あなたは、頭もいいし、優しいのね」
「そんなことないさ」
「ぜひ、うちの国でゆっくりしていってね。おもてなし、たくさんするから」
「はあまったく、どうしてこうなるのかな。僕はただ平凡に生きていきたいだけなのに」
彼は嬉しそうに苦笑する。
こうして戦争を止めた賢者として、彼はダークエルフの国に行くこととなった。
そこで女王様と末永く幸せに暮らしたとさ。
人間の国がその後どうなったかは、彼の知るところではない。
めでたし。めでたし。