「あっ、あの店がいい!」
彼女は助手席から上半身を乗り出して叫んだ。
「ちょっ、もうちょっと前もって言えよなぁ」
僕はとっさにブレーキを踏み、なんとか店を通り過ぎる事無く、駐車場に車を停車する。
あいもかわらず彼女の無計画振りには頭を痛めさせられるもんだ。
国道沿いにポツンとあるひなびたラーメン屋。
周りのほかの店がないせいか、夜道をホタルみたいに照らしている。
まぁ店構えはホタルなんて表現できるくらい綺麗ではないんだけれど。
「味噌ラーメン。味噌ラーメン。みっそっらーめんっ」
いつの間にか彼女の味噌ラーメンって言葉にはメロディラインまで付けられていた。
僕らはのれんをくぐる。
そこにはトラックの運ちゃんやらで賑わっていた。
簡単に言うと、若いカップルの入る感じではないって事だ。
あいにく座敷が埋まっていたので、僕らはカウンターに並んで腰を下ろした。
「おじさん、味噌ラーメンねっ。あ、モヤシ大盛りでっ!」
カウンターに座るや否や、彼女は注文を飛ばす。
もしかすると今の彼女の頭の中にはさっきのプロポーズの事なんかより味噌ラーメンのほうが大きく比重を占めているのかもしれない。
まぁそんなところも彼女の可愛らしいところといえばそうなのだけれど。
「ねぇねぇ。なに頼むのよ? やっぱり一緒に味噌ラーメン?」
元気に注文する彼女の横顔をボーっと見ている僕に彼女が声をかける。
「あ、えぇ〜ッと・・・・・・。なんにしようかなぁ」
すっかり自分の注文の事など忘れてしまっていた。
慌ててメニューを手に取りどうしようかと悩んでみるのだが、さすがひなびたラーメン屋、メニューはシンプル極まりないものしかなかった。
「そうだなぁ。じゃ醤油ラーメンください」
注文を決めるのがめんどくさくなった僕は、当たり外れのなさそうな醤油ラーメンを注文する。
「えぇー。醤油ラーメンなのぉ」
彼女は明らかに不服そうな目で僕を見つめる。
「なんで? 醤油ラーメンだとなんか不味いの?」
「ラーメンって言ったら味噌が基本でしょ! 醤油は邪道よ! 邪道!」
なにを根拠に持って醤油ラーメンを邪道と呼ぶのかは謎極まりないが、彼女の中ではそう決まっているらしい。
「醤油だって美味いって」
「わかったわ! じゃあ勝負ね! どっちが美味いか勝負よ!」
何故だかわからないが勝負が始まったらしい。
実際に勝負にかかわるのは僕らではなく、ラーメンを作る店の親父なのだけれど、これはさておいて置こう。
ちなみに彼女のでっかい声は店の親父の耳にも確実に入っているだろう。
店の親父はさっきからこちらをチラチラ見ながら苦笑いをしている。
親父の額から流れる汗は、鍋の蒸気のせいなのか、それともプレッシャーのせいなのか。
ともかく、ほどなくしてほぼ同時に味噌ラーメンと醤油ラーメンが僕らの元にやってきた。
「勝負だからねっ!」
その声に合わせるように、彼女はパチンと箸を割る。
「お、おう」
いつの間にか彼女の空気にすっかり乗せられてしまっている僕が居た。
二人同時にどんぶりを持ち上げスープをすする。
「こっ、これは・・・・・・」
正直この醤油ラーメンは美味くない!
「ふふん。その表情から察するに美味しくないようね!」
勝ち誇った顔でこちらを見下ろす彼女。
そして、おもむろに僕の丼のスープをすする。
「ふふふ。やっぱりラーメンは味噌で決まりなのよっ!」
彼女は高らかに勝利宣言を掲げた。
その時、店の親父がすまなさそうな顔でこちらをチラチラ見ている事に気がつく。
そこで僕は理解した。
店の親父は彼女をいい気分にさせるために、僕の醤油ラーメンをわざといつもよりまず目に作ったに違いない。
なかなか気が利く親父さんだと思いはしたが、このあまり美味しくないラーメンを食べるこっちに身にも少しなってくれよと思うのだった。
「あ、この餃子おまけだから」
そんな僕の気を察したのか親父は餃子をサービスしてくれた。
そしてニコッと僕の顔を見て笑った。
僕らはラーメンと餃子を平らげると店を後にした。
「またきてねー」
店の親父が会計の時に声をかけてくれた。
「はぁい。今度は二人で味噌ラーメン頼むからね〜」
きっと今度来る時は、強制的に味噌ラーメン二つねと頼まれるに違いないだろう。
月日は流れた。
本当にとんでもないスピードで流れた。
結婚のための準備って奴はこんなに面倒くさくて忙しいものなのか!
会社の仕事をこなし、その後に結婚式のための決め事を彼女と一緒に決める。
「ぜぇったいに、純白のウェディングドレスだけはゆずらないからね!」
「はいはい、わかりました」
ちなみに僕も彼女のウェディングドレス姿はとても見てみたい。
「あとね、でっかいケーキも!」
「わかったよ。他には?」
「他は・・・・・・・。まかせたよっ!」
実際こんな感じなのだ。
つまり細かい事は全部僕がやる破目となったわけだ。
そりゃ時間も速くたつってもんだ。
そして結婚式当日。
彼女のウェディングドレス姿はとても綺麗だった。
「な、なによ。あんまりこっちジロジロ見ないでよ」
柄にも泣く彼女は照れて見せた。
「わかった。じゃあ見ないよ」
「ちょっと、なによなによー。意地悪っ!」
いつもの膨れっ面はウェディングドレスを着ていてもかわらない。
なんだろ。
こんなに簡単に幸せになっていいのかなぁと思った。
それとも幸せなんてものはすぐ手の届くところにあるものなのかもしれない。
ただそれをつかむのにちょっとコツがいるだけなのかもしれない。
僕の幸せは今すぐそこにある。
そう、純白のウェディングドレスに身をまとい、テレながら頬を膨らます彼女こそが、僕の幸せそのものなのだから。
「さぁ行こうか」
「うん」
僕は彼女の手をとり歩き始める。
きっとどこまでもどこまでも、僕らは一緒に歩いていくんだと、そう思っていた。
「新婚旅行は絶対に海外! ハワイ! ワイハー! それで決定!」
ハワイのパンフレットを右手に持ち、左手には水着を掲げる彼女。
「はいはいわかりましたよ、お姫様」
こうしてボクラの新婚旅行はハワイに決定した。
一体どれだけ服を詰め込んだんだよってぐらい大きなトランクケースを僕は持たされている。
もちろん、このケースの中身は全部彼女の服だ。
「頑張ってね。旦那様っ」
彼女の声援が僕の背中に降りかかる。
「あいよ。奥様」
僕らは夫婦だ。
まぁ夫婦になっても、小さい頃の関係と何ら換わってないといえば変わってないのだけれども。
「当機はただいま乱気流に突入しております。少し揺れますがご心配なさらないで下さい」
これが少しなのか?
僕の言葉に答えるように機内がさらに大きく揺れる。
「ねぇ、大丈夫だよね?」
彼女は僕の腕にしがみつきながら、心配そうな目で僕を見る。
「大丈夫。きっと大丈夫だよ」
僕は彼女の手をしっかりと握ると、根拠の無い励ましの言葉を送る。
いま機内はパニック状態に陥ろうとしていた・・・・・・。
まかさ楽しいはずの新婚旅行でこんな事に巻き込まれるなんて・・・・・・。
いや、きっと大丈夫だ。こんなことなんて後になって思いで話の一つになるだけのものなんだ。
僕は自分自身にそう言い聞かせ、心を落ち着かせた。
そうさ、僕は彼女の夫なんだ、妻を守るのは夫の務めなんだ。
「大丈夫、きっと大丈夫。ハワイに着いたら美味しいもの食べような」
僕は彼女の肩を抱き寄せた。
「うん、うん。じゃ味噌ラーメンね!」
「ハワイで味噌ラーメンかよ」
僕らは顔を見合わせて笑いあった。
こんな状態で笑っているのはきっと僕らだけだろう。
そのときガクンといままで以上に大きく機体が揺れた。
「えっ・・・・・・・」
そして僕の記憶は途切れた。
光が見える。
どこからか光が見える。
そうだ、僕の彼女はどこにいるんだ。
探さないと。
急いで探さないと。
ああ、光が見える。
僕が目を覚ましたところは病院の中だった。
「あの事故の中で奇跡的に生還したのはあなただけなんです・・・・・・」
看護婦が僕にそう告げた。
意味がわからなかった。
その言葉が僕の脳に届くのにはヨチヨチ歩きの三歳児よりも遅かった。
「僕・・・・・・・だけ・・・・・・・?」
看護婦が小さく頷いた。
その言葉がなにを意味するのか、それを知りたくなどはなかった。
暫くして、病室に僕と彼女の家族がかけつけた。
泣きながら何かを言っているようだった。
けれど僕には何も聴こえなかった。
何の言葉も僕の耳には入らなかった。
眠ろう。
きっとこれは夢だ。
悪い夢なんだ。
僕は目を瞑り眠りに落ちた。
目が覚めると、彼女の家族が僕に話しかけてきた。
それは聞きたくなんて無い話だった。
彼女の遺体は見つからなかっただの。
生存している可能性は皆無だの。
僕にはこれからも頑張って生きてほしいだの。
頑張って生きる?
どうやって?
僕の幸せは彼女だったんだ。
その彼女はいない。
なら、僕にはもう幸せなんて無いんだ。
なのに何を頑張れって言うんだ。
僕は全ての言葉に力なく頷いた。
カクン、カクンと首だけが動いていた。
数週間たち僕は退院する事になる。
仕事にも復帰できると医者に言われた。
「そうですか」
僕はそう答えておいた。
職場に行くと、同僚達はあからさまに気を使って話しかけてくれた。
「ありがとう」
僕はそう答えておいた。
いつしか仕事にも行かず、部屋にこもる日々が続いた。
彼女は死んでなんかいない。
そんなはずが無いんだ。
いつだって僕の横にいるはずなんだ。
いままで十年以上そうだったんだ。
だから、これから先もそうであることが当然なんだ。
当然だと・・・・・・思っていたんだ。
だからさぁ。
いますぐに僕の傍に来てくれよ。
そしていつものように、可愛い膨れっ面を見せてくれよ。
食事もろくにとらないで部屋に篭るようになって、どれくらいの時間がたっただろうか。
よく覚えていない。
きっと一ヶ月くらいだろうか。
最近ではいつも横になってばかりいる。
彼女の夢を見る。
夢の中の彼女は元気に走り回る。
いっそ、ずっと夢を見ていようかと思った。
もう、現実なんていらないと思った。
彼女のいない現実なんて、必要ないと思った。
ひざを抱えて布団をかぶって、僕は窓の外の彼女の部屋を見ていた。
まるで漫画のように、僕の部屋の窓の先が彼女の部屋だ。
「まるで漫画みたいだねっ」
そういって彼女は良く笑ったものだ。
そして漫画を真似して屋根伝いに僕の部屋に侵入してきたりもしたもんだ。
トントン
そう、トントンって窓をノックしたりして。
トントン
そうそう、こんな感じに・・・・・・
トントントントン
違う、これは僕の記憶じゃなくて現実の音だ。
誰かが僕の部屋の窓を叩いている。
しかもこんな夜遅くに。
僕は意を決して窓を開いた。
そこには、彼女が居た。
「ただいま」
彼女は無表情で僕にそう言った。
後編に続く。 |