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大学一年編
その百三十八
 僕は磐神いわがみ武彦たけひこ。大学一年。

 昨日、バイトに行く途中で、彼女の都坂みやこざか亜希あきちゃんの従妹いとこの真弥さんが現れた。

「好き」

 そう一言だけ言われ、唇にキスされた。

 何が起こったのか理解するのに時間がかかった。

 そして、とんでもない事になったと思った。

 家に帰って姉に相談すると、亜希ちゃんには話すなと言われた。

 話せと言われても、絶対に話す事なんかできない。

 ああ、でも、亜希ちゃんと顔を合わせるのが気まずい。

 それでもまさか、小学生じゃないから、そんな理由で大学を休む訳にはいかない。

 僕は意を決して家を出た。そして、亜希ちゃんを迎えに行く。

「え?」

 朝から衝撃的だ。

 亜希ちゃんは家を出ていて、前の舗道で真弥さんと話していたのだ。

 まずい……。心臓が飛び出しそうなくらいドキドキして来た。

「おはよう、武彦」

 亜希ちゃんが僕に気づいてニコッとした。

「お、おはよう」

 僕は亜希ちゃんと一緒にこちらを見た真弥さんにビクビクしながら、挨拶した。

「おはようございます、武彦さん」

 真弥さんは、昨日の事などまるでなかったかのように挨拶をして来た。

「ど、どうも」

 僕は苦笑いして言った。すると亜希ちゃんが、

「気にしないでね、真弥ちゃん。武彦って、可愛い女の子が苦手なの」

とニヤニヤして言った。からかわれてる……。

「まあ」

 真弥さんは目を見開いて僕を見る。顔が亜希ちゃんから死角になったからなのか、一瞬、ニヤリとした気がした。

「あ、ごめん、電話だわ」

 亜希ちゃんは携帯を取り出して少し離れた。

「武彦さん」

 その時、真弥さんが僕にスッと近づく。

「昨日はご馳走さまでした」

 彼女は高校生とは思えないような大人っぽい顔をして言う。

 こっちがギクッとしてしまう。

「え、ご馳走さまって……?」

 僕は小声で訊き返す。真弥さんはクスッと笑って、

「武彦さんの唇」

「……」

 僕は顔が赤くなるのを感じ、焦った。亜希ちゃんが戻って来たのだ。

「お待たせ、武彦。行こうか?」

 亜希ちゃんが言った。

「う、うん」

 僕は真弥さんから逃げるように亜希ちゃんに近づいた。

「じゃあね、真弥ちゃん。また帰りにでも寄って」

 何も知らない亜希ちゃんはニコニコして言った。

「はい、亜希お姉ちゃん」

 真弥さんもニコッとして応じた。

 ああ。どうしたらいいんだ?

 真弥さんは昨日は持っていなかった鞄を手にし、僕らとは反対方向へと歩き出した。

 亜希ちゃんは真弥さんと手を振り合っている。

「行こう、武彦」

 亜希ちゃんは真弥さんが見えなくなると、ギュウッと腕を組んで来た。

 寒くなって厚着になったので、亜希ちゃんのあれは感じられなくなったが、それ以上に真弥さんの出現に驚いて、僕はドキドキが止まらなかった。

 

 そして、思った通り、その日一日、僕はずっと真弥さんの出現の意味を考えてしまい、講義は上の空だった。

「どうしたの、武彦?」

 ランチの時にも僕は考えていたので、亜希ちゃんに顔を覗き込まれてしまった。

「あ、いや、何でもないんだ、ごめん、亜希」

 僕は顔が火照りそうなのを抑えて言った。

「変な武彦」

 亜希ちゃんは不審そうだったが、それ以上は何も訊いて来なかったので、ホッとした。

 根掘り葉掘り訊かれたら、白状してしまったかも知れない。

 

 そして、帰り道。

 また真弥さんがどこかに出没するのではないかと思ったが、駅まで無事に着けた。

「武彦、さっきからキョロキョロしてどうしたの?」

 亜希ちゃんに言われ、ギクッとした。自分でも気づかないうちに辺りを見回していたようだ。

「あ、いや、何でもないんだ」

 焦りながらも何とか誤魔化した。

 危ない、危ない。

 ホームで亜希ちゃんと別れる。

 また警戒を始めるが、真弥さんがいる様子はない。

 ホッと一息。考え過ぎかな、と思いながら、バイト先へと向かった。



 バイト先のコンビニにも、そこに行くまでも、真弥さんは現れなかった。

 何だか現れるのを楽しみにしているみたいで自分が嫌になりそうだった。

 とにかく、現れないのは良かった。

 ハッと我に返ると、家に帰り着いていた。

「只今」

 母は入浴中で、姉はキッチンで飲んだくれているようだ。

 サッサと遅い夕ご飯を食べて部屋に行こうと思った。

「あ、お帰り、武君」

 何故か上機嫌の姉。どうしたのだろう?

「た、只今」

 僕はなるべく目を合わせないようにしながらキッチンに入った。

「亜希ちゃんから電話があってさ」

 姉に鋭い刃物で一突きされたような気がした。

 亜希ちゃんから電話? 何を話したんだ?

「心配するな、昨日の事を話したりしないから」

 姉はニヤリとして言う。相変わらず読みが鋭い。

「お前が一日ぼんやりしていたから、何か知らないですかって訊かれたぞ」

 嬉しそうな姉。何だか憎らしい。

「原因は何だ?」

 ベテラン刑事のように僕を見る姉。すぐに観念してしまう。

 そして、朝の出来事を話した。姉の浮かれ顔が途端に真剣な表情になる。

「そうか」

 右手を顎に当てて、本格派な姉。

「何か企んでるな。亜希ちゃんにも話した方がいいかも知れない」

「ええ!?」

 亜希ちゃんに話す? そんな勇気はない……。

「お前が早く話さないと、その女が亜希ちゃんに妙な事を吹き込んじゃうぞ」

 姉のその一言で、僕は決断した。

「わかったよ。明日にでも話すよ」

「うん、そうしろ」

 しかし、姉のアドバイスが手遅れだったのは、次の日の朝にわかるのだった。
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