僕は磐神武彦。大学一年。
本日、とうとう力丸家と磐神家、そして都坂家のお一人様も交えての食事会が開かれる。
そして、磐神家の玄関は大騒ぎだ。
「何とか、都合をつけたから」
母は、娘の一大事だという事で、会社に頼み込んでシフトを替えてもらい、休みをとってくれた。
「恩に着るわ、母さん」
姉は、先日の悪巧みをした時の陽気さはどこへやら、泣きべそを掻いている。
昨日、姉の婚約者の力丸憲太郎さんから姉に電話があり、
「もっと美鈴さんとお話がしたいわ」
と憲太郎さんのお母さんが言ったと聞かされた。
そのせいで、姉は貧血を起こしたかのように倒れかかったらしい。
僕はそんな話を聞き、身体の震えが止まらなくなった。
やっぱり怖い。どうしよう?
「大丈夫。そんなに緊張しないで、武君」
僕の女神様の都坂亜希ちゃんが小声で言ってくれた。
「ありがとう、亜希ちゃん」
僕は頼もしい彼女に巡り会えて、本当に幸せだと思う。
あれ? でも、亜希ちゃんもついこの前までは、
「大丈夫かな?」
とか言ってたのに。何があったんだろう?
「沙久弥さんに連絡してみたの。お母様に失礼があるといけないので、予備知識をくださいって」
さすが亜希ちゃん! もう、一生ついて行きます。情けない発言だな。
「そしたら、意外な事がわかったの」
「意外な事?」
僕は興味津々で亜希ちゃんを見たが、
「武!」
と姉に呼ばれ、結局亜希ちゃんから沙久弥さん経由の情報を入手できなかった。
「ここ」
姉は生唾を飲み込んで、大通りに面したビルを見上げた。
その最上階にある日本料理の店で、力丸ファミリーがお待ちらしい。
「落ち着きなさいよ、美鈴。結納の時はそんなに緊張してなかったでしょ」
母は呆れ気味に言った。すると姉は涙ぐんだ目で母を見て、
「あの時はお母様の凄さを知らなかったからなのよお。あの日以来、私、お母様が怖くてえ……」
姉の感情表現に、僕と亜希ちゃんは顔を見合わせてしまった。
結納には、僕は出席していない。力丸家の都合と母のシフトの関係で、平日だったからだ。
今更ながら、その場にいなくて良かったと思った。
僕達はエレベーターで最上階である十階に上がった。
パニクッている姉は階段で行こうとし、母に止められた。
僕も姉をフォローする余裕がない。挨拶の事で頭がいっぱいなのだ。
「武君、ちょっと」
亜希ちゃんが十階の廊下に出た時、僕を柱の陰に誘う。
「緊張が解けるおまじないしてあげる」
「え?」
亜希ちゃんはキスして来た。
いつもよりドキドキ感がすごい。
何しろ、ほんの数歩のところに母と姉がいるのだ。
まあ、姉は僕と亜希ちゃんがいなくなってもわからない状態だろうけど。
「どう? 落ち着いた?」
亜希ちゃんはニコッとして尋ねて来た。
「う、うん」
ドキドキ感は増したが、それは緊張によるものではない。
何だか、できそうな気がして来た。何とも単純な男だな、僕って。
「何してるの? こっちよ」
母が呼びに来た。僕達が場所を間違えたと思ったようだ。
「危なかったね」
亜希ちゃんは悪戯っぽく笑って囁いた。その吐息が耳にかかり、またドキドキが増した。
そして、遂に力丸ファミリーがお待ちの店の前。
「予約している力丸と磐神です」
母が着物姿の店の人に告げる。
「いらっしゃいませ。こちらでございます」
店の人の先導で店内を進む。
以前、沙久弥さんと食事をした時と同じような高級割烹の店だ。
飛び石の上を歩き、それぞれ独立した部屋の間を行く。
また緊張しそう。それに気づいたのか、
「平気よ」
亜希ちゃんがそっと僕の手を握ってくれる。
「ありがとう」
僕は亜希ちゃんを見て微笑んだ。
「磐神様、都坂様、お着きです」
店の人が、ある部屋の障子の前に立ち、言った。
「どうぞ」
中から男の人の声がした。沙久弥さん達のお父さんだろう。
「失礼致します」
店の人は障子をススッと開き、部屋の中に一礼してから、僕達を見た。
「お履物をお脱ぎになってお上がりくださいませ」
店の人は僕達に深々とお辞儀をして言った。
僕達はその人に会釈し、靴を脱いで、障子の向こうに入る。そこは縁側のようになっていて、その奥に座敷があり、大きなテーブルの上座にお父さん、お母さん、沙久弥さん、手前側に憲太郎さんが座っている。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
母が挨拶した。さすがに何十人も部下を使って仕事をしているだけあり、そつがない。
「堅苦しい挨拶を交わすような関係ではありませんから、どうぞお座りください」
お父さんがにこやかな顔で言ってくれた。母もホッとしたのか、
「ありがとうございます」
と、沙久弥さんに促され、お母さんと沙久弥さんの間の席に座った。
史上最強の挟みうちだ。お母さんと沙久弥さん。
それにしても、二人はそっくりだ。しかも、二人共、浅黄色の着物を着ている。
お母さんも沙久弥さんと同じく童顔で、挟まれた母が二人の母親みたいに見える。
ごめん、母さん……。
あれ? でも、沙久弥さんで慣れたせいか、お母さんがそれほど怖く感じない。
「美鈴はこっちだよ」
憲太郎さんに引っ張られて、姉は憲太郎さんの隣に座らされた。
笑ってしまいそうなくらい緊張している姉の顔。
僕と亜希ちゃんは、図らずもお父さんとお母さんの向かい側に座る事になった。
「おう、武彦君、久しぶりだね。そちらの美人が、武彦君の彼女かな?」
お父さんが言った。僕はギクッとしたが、
「はい、お久しぶりです。こちらが、僕の彼女の都坂亜希さんです」
「都坂亜希です。よろしくお願いします」
亜希ちゃんは爽やかな笑顔でお辞儀をした。
「亜希さん、気をつけてね。父はお酒が入るとくどくなるから」
沙久弥さんが微笑んで言う。
「おいおい、初対面でそんな事をばらさないでくれ、沙久弥」
お父さんは苦笑いした。
そして、僕の拙い挨拶も無事終わり、食事会は終始和やかに進められた。
それにしても、すごい料理だ。
生まれて初めて食べるものばかり。
亜希ちゃんはそれほど驚いている様子もない。
姉も少し緊張が解れたのか、笑顔を浮かべている。
「良かったね、武君。美鈴さんが笑顔になって」
すかさず、亜希ちゃんに小声で突っ込まれた。ギクッとした。
そう言えば、さっきから、お母さんの声を聞いていない。
母とは何かを話して笑い合ったりしているようだが。
「沙久弥さんからの情報が伝えられなくてごめんね、武君」
亜希ちゃんが耳元で囁いた。
「え?」
僕は、そんな事もあったっけ、と思ってしまった。
「お母さん、本当は恥ずかしがり屋で、無口な人なんですって。沙久弥さんの百倍だなんて、美鈴さんも酷いわよね」
「え?」
僕は思わずお母さんを二度見してしまった。
お母さんは母と話していたが、僕の視線に気づき、僕を見てニコッとした。
僕はドキッとしてしまい、頭を下げた。
「亜希さん、武彦君をよろしく頼むよ」
お父さんは出来上がり始めたのか、さっきからそればかり言っている。
「はい」
亜希ちゃんは、酔っ払いの扱いは自分のお父さんで慣れているので、全然動じていない。
「お父さん、くどいわよ」
沙久弥さんが見かねたのか、お父さんを窘めた。
「貴方」
急にお母さんの声が聞こえた。その声には、凛とした迫力が感じられた。
「はい」
お父さんは頭を掻きながら、僕と亜希ちゃんを見て、次にお母さんを見る。
「申し訳ない、悪乗りしました」
お父さんはお母さんに土下座した。
一瞬、僕達は時が止まったようになった。
やっぱり、お母さん、怖い人なのでは?
もう一度よく見てみると、沙久弥さん以上の威圧感が……。
どっちが本当の顔なのだろう?
女性って怖いなあ。
つくづくそう思った一日だった。
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