君のためにできること
目が覚めたら別人でした。最も、それが解ったのはだいぶ後になってからだったけど。
「セリス、俺のセリス」
それよりも、起きてすぐイケメンに抱きしめられたことが衝撃でした。豪華な天蓋付きのベッド。着ているのは肌に心地良い上質な服。目の前のイケメンはいかにも、な王子様な外見。
異世界トリップ。人前では馬鹿にしつつも内心憧れていた私は瞬時にそう思いました。そして心の中でガッツポーズをしたあと「でもさっきの、私の名前じゃない」 と思い至りました。
「その身体の持ち主ね、暗殺されたのさ。次期国王の寵妃にはよくあることだね。で、引きこもっている私まで呼んで肉体を完璧に復元。でも中身までは……いくら大魔法使いの私でもそれは無理、神の領域だからね。仕方ないから適合する魂で代わりにすることにしたってわけ。同じ世界の人間だと何故か拒絶反応が出るのよねー。ん? 人権? 貴女の世界の言葉かしら? 私に文句言われてもね。実行犯とはいっても、王様に強要されたクチだし」
呼んだ魔法使いに言わせるとこうなのだそう。
「未来の王妃の地位が約束されている。不満があるというのか。……しょせん、中身は馬の骨か。身体がセリスでなけば不敬罪で牢に入れるところだ」
計画犯の王様はこう言って、親衛隊を使って私を追い出した。
「やめてくれ。セリスはそんなこと言わない。……もう黙っていてくれないか」
主犯である王子様はそう言って、私を一睨み。気が弱い私は黙った。
同じ事が繰り返されないように、と、私は王城の一室に実質軟禁状態となった。毎夜やってくる王子様の相手をするのが今の『私』 の役目。
ほんの数週間しかなかったその日々で、印象に残ったのは王子様が膝枕で眠りたいと言ってきたこと。
「国政を担うのも楽じゃない……どんな案も必ずどこかから反対が出るし。宰相もな、自分ではまだまだ頭が切れると思ってるらしいが、あれはもう呆けてきている。資料の簡単なスペルミスに当日になって気づくし、それを部下のせいにしてるみみっちい男だ。最近じゃ乳母も鬱陶しい。育てたのだから見返りがあって当然みたいに言ってくるが、そんなノリで政治に関わるなと言ってやりたい。父上も父上だ。いくら血筋がつり合うからって堕胎経験が何度もある女をあてがおうとして。家庭教師のやつも腹が立つ。不満を言おうものなら『愚痴は三流の人間がするもの』 だと。俺に味方なんていやしない……」
彼も寂しいんだなって、思った。話す相手が彼しかいなかったから、ストックホルム的なものかもしれないけれど。喋るな、って言われてたから、私はただ、彼の頭を撫でていた。彼の悩みが少しでも軽くなりますように、と祈りながら。それが通じたのか、彼はうつらうつらしながらこう言ってくれた。
「あのケイトの花の香りに包まれながら、セリスに側にいてもらうと、どんな苦痛も消えうせるようだ……」
ケイトとは、この世界に咲く花の名だ。青く可愛い花で、香りが良い。ベッドの近くの花瓶に生けられている。侍女とも口を聞かない私だけれど、彼女達が持ってくるこの花は好きだった。この部屋で唯一、命あるもの。
「セリスもケイトは好きだった……ただ、彼女のが一番好きな色であるピンクの種が無いのだけは残念がっていたが……」
青い薔薇みたいに、どうやっても出ない色なのかな。外に出られたら、私、品種改良する人になりたいな。
「用済みだ」
召還されてから数週間。王子様はそう仰った。
「宰相が見つけてくれた。セリスによく似た女性。この世界出身の女性だ」
そうなんだ。まあ、そりゃあそうだろうな。正直、こんな関係が長続きするとは思っていなかったし。体がセリスで中身は異邦人。どこかで破綻するんじゃないかって毎日怯えていた。その恐怖から解放されるのだと思えば、別れも笑顔で出来た。
「……俺に少しも気はなかったのか? 捨てられるというのによく笑えるものだ」
失礼だったのかな。本当は少し寂しいけれど、言われてから言葉にするのも変だし……。私はいつも気が利かない。
「もういい、さっさと行け」
行く当てはないけど、それが王子様の為になるならそうしようと思った。
「で、私のところ? セリスさん」
結局、最初に会った魔法使いを頼ってしまった。
「まあでもね。人をあんだけこき使って蘇らせたっていうのに、それをあっさり捨てるとか私に対する侮辱でもあるのよね。どうするセリスさん? 復讐するかい? 今なら手伝うよ。貴女も思うところはあるだろう? そんなこと言ってたしね」
慌てて首を振った。
第三者が見れば、酷い目に合わされたと思うかもしれないけれど、私はそうは感じなかった。王子様が、ただ寂しいだけだったような気がして。私、王子様にはいつも笑っていてほしい。今もそう思っている。
「……そう。けど困ったねえ。二人で住むには狭すぎる家だし、元の世界に返すにも色々材料が必要となってくるし……ええとSランク薬草のメモは……」
棚からノートを取ろうとして、魔法使いの袖が近くの瓶を倒す。瓶の中身が零れ、床に落ちていた紙切れに付着する。
途端に、髪が鳥になって動き出し、窓から飛び去っていった。
「ああっ! やっちまった……」
目の前で起こったことが理解できなくて聞いてみると、魔法使いはこう言った。
「瓶の中身は『別な生き物にする』 って呪いのかかった液体さ。紙にはたまたま鳥の絵が書いてあったみたいだね」
それを聞いて、頭に名案が浮かんだ。
セリスそっくりで、教養のあるこの世界の女性……。そんな人間がいれば、中身が異世界人のセリスもどきはいらないはずだった。
そして宰相の連れてきた『セシル』 は確かに頭と育ちがよく建設的な性格だった。だが……。
「殿下。宰相のことをそんな風に言うのはおやめくださいませ。大体、分かっているならこんなところで愚痴を言う前に何かやることがあるのでは?」
「そんなに迷惑なら、乳母制度をおやめになれば? それか政治に関わらないようにと布令を出すか。迷惑に思っていながらどうして何もなさいませんの?」
「まあ実の父親のことを悪く言うなど。先のセリス様の件も貴方を思って動いてくださったのに。愛してくれているのは分かっていらっしゃるのでしょう?」
「それは怒りますわ。何故なら愚痴を言うことは、自分は性格が悪いと宣言しているようなものですもの」
不満を言えば助言という名の追い討ちが鬱陶しい女だった。
「まあ失礼な! 助言目的でなければ何故このように不満を垂れ流すのでしょうか」
「……聞いてもらえるだけで楽になれるんだよ。そういう事ないのか?」
「いいえ。問題は努力して解決するものですから。……殿下、失礼ながら、殿下には少々問題があるのでは?」
そういえば、俺は何故セリスを好きになったのだろう。
俺は彼女の、素朴な雰囲気が好きだった。ふと悩みを打ち明けたら、まるで自分の事みたいに真剣になってくれた。ああしろこうしろと言わず、大変だったね、つらいよね、と言葉少なに同意するだけだった。でも解決したら一緒に喜んでくれた。いつだって俺に寄り添おうとしてくれた。何かあったらまず彼女に話そう、そう思わせる人だった。それが媚びていると他の女から嫌われていたようだが……。
なら、あのセリスもどきは? 愚痴を言えば、静かに笑って同意してくれていた、気がする。少なくとも、セシルよりずっと良かった。気に入らないとこといったら、ただ異世界語のイントネーションが耳障りだったくらいだ。
「セシル、悪いが、お前とはやっていけない」
魔法使いのところへ行った。部下に調べさせたところ、ぼろぼろになりながらもそこへ向かったとの報告があったから。可哀相に。早く迎えに行ってやらなくては。
「遅かったね」
魔法使いが憮然とした表情で一言。確かに、責められても仕方ないことをしたが……。
「失敗は繰り返さない。だから……」
「遅いと言っただろう。取り返せない失敗もあると知ってるのかい? 少年」
魔法使いは呆れたような顔で俺をただ見ている。居心地が悪くて、つい目線を逸らす。動かした先の花瓶にある花を見て、思わず声をあげた。
「ケイト! 新種のケイトじゃないか! ピンク色……貴方の力か、魔法使い」
「……それは」
「そうか、周りに咲き乱れる花も……ああやはりケイトだ。どうやっても出ない色と言われていたのに。セリスに見せてやりたい。セリスはどこだ?」
「……」