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行商の道具屋

作者:鈴白 凪
『君は、過去に戻りたいのかい?』
『…戻りたい。私は、過去に…!!』
『そうかい。それじゃあ、君にはこれをあげよう。どう使うかは、君次第さ。』

『料金は、後払いで良いからね。』




 たまらなく辛くなった時、人は藁にもすがる思いでこう呟くのだろうか。
神様、と。
 困った時の神頼みとはまさにこのことだ。普段は神なんてもの信じてもいないくせに、どこかで勝手に自分を助けてくれる存在だと思い込んでいる。
 それはある意味で、自分の中にハリボテの神様を飼っているようなものなのだろう。困った時にはそれにすがれば、きっと叶えてくれる。そう信じることで、精神のバランスを保っているのだ。
 つまり、実際のところ誰も神をアテにしてなんかいない。現実逃避の拠り所に、神様、なんて言っているだけだ。

 それなのに、そのはずなのに。
 私の前に、神は現れた。

「おや、ボクは神様なんかじゃないよ?」
 そう大袈裟に呟いたのは、目の前に佇む小さな黒猫。
 このまま話を進めることもできるが、そう、おかしい。黒猫が喋っている。
 その明らかに異質な点については、先程散々驚き尽くしたので割愛する。黒猫が喋る、広い世の中にはそんな不思議なこともあるのだろう、と処理することにしておく。
 …いや、ありえないけど。
「やあやあ何だかとても愉快な表情をしているね?まるで1人百面相を見ているようだよ。」
 おどけたような口調でそう言う黒猫は、猫のくせにそこいらの人間よりよっぽど口が達者だ。正直鬱陶しい。
「行商人は口の達者さが命だからね。」
 どうも、そういうことらしい。
 この黒猫の職業は行商人ということだ。行商猫ではという野暮な突っ込みは、話が進まなくなるのでぐっと呑み込み、話を聞くところによると、旅をしながらこうして変わった道具を人に配り歩いているらしい。
 胡散臭いこと、この上ない。
 適当にあしらってしまおう、と思っていた私の心を掴んだのは、
「ところで君は、過去に戻りたいのかい?」
 という一言。
 確かに私は今、過去に戻りたいと思っている。たとえ、どんな代償を支払ってでも。
 そんなタイミングで私の前に現れた、この黒猫。とうてい偶然とは思えなかった。何から何までふざけている、とは思うものの、もしも本当に過去に戻れるならば、それ以上の望みは今の私にはなかった。
 人の心を読み、先回りしてその手助けを持ちかける、人ならざる存在。それはまさに、神様そのものなのではないだろうか。
 …まぁ、悪魔かもしれないが。
 だがそんなことはもはや、私にとってどうでも良かった。
 覚悟を決め、ゆっくりと尋ねる。
「過去に、戻れるの?」
 黒猫は答える。
「もちろんさ。僕はそのための道具を、君に渡しに来たんだよ。」
 そう言って黒猫が見せたのは、やけに古びた砂時計だった。中央に仕切りが入っていて、ひっくり返しても逆流しないようになっている。
「使い方はこの仕切りを外して、逆さにする。ただそれだけさ。簡単だろう?」
 確かに簡単だ。故に信じられない。
「この砂が、君の時間だ。空っぽになった過去に、時間を入れ直すことで、君の過去をやり直すことができる。晴れて、君の望みは叶うってことさ。」
 その言葉の意味はよく分からない。だが、既に私の右手はその砂時計を受け取ってしまっていた。
「契約成立、だね。」
 にやり、と黒猫が笑った。ように見えた。
「さて、とりあえず僕の仕事はここまで。後はぜーんぶ、君次第さ。」
 言うだけ言って、黒猫は猫らしい素早い身のこなしで、あっという間に姿を消してしまった。
 最後に、料金は後払いで良いからね、と言い残して。




「過去に戻れる、か」
 机の上に置かれた砂時計を見て、私は呟いた。
怪しげなそれから目を逸らすように、ベッドにその身を投げて、天井を見上げる。ただそれだけの行動で、また涙が溢れてきそうだった。見慣れたはずの部屋の天井。それが何だかひどく頼りなさげに映っている。
 視線を下げると、漫画ばかりの棚の中に一冊、ハードカバーの分厚い本が混ざっているのが視界に映った。未だにこの本をどうすることもできない自分が、ひどくもどかしい。
 はぁ、とため息をひとつ。この思考は一体何周目なんだろうか。いくら考えたって答えは出ないことが分かっているし、時間の無駄遣いであることも理解している。
 理性ではなく、感情の問題なんだろう。私にとって、未だ慣れないこの感情。どれだけ悩んでも、時間をかけても、上手い整理の仕方なんて全く見出せていない。
 そもそも、整理なんかしてしまいたくないのかもしれない。
「戻りたいな…。」
 何度目かの、独り言。もはや意味のない、しかし狂おしいほどの感情が詰まった短い言葉は、独りの空気に溶けて消えていった。
 端から見ればひどく単純で、よくある話。
 要は、惚れた腫れたの色恋沙汰だ。
 かつて、私はそう簡素に言い切ってしまっていた。それだけ、恋愛事に全く興味がなかったのだ。決して恋愛に現を抜かしている人々を馬鹿にしている訳ではなく、ただ自分には関係のないことであると。
 しかし、恋というものは本当に、突然やってくるものだったのだ。




 それは本当に何気ないきっかけだった。
 放課後、部室棟に向かうため渡り廊下を歩いていると、立ち入り禁止の屋上の柵に腰掛けている人が見えたのだ。
 私は驚き、咄嗟にその人影に声をかけた。危ないよ、と。その声に顔を上げたのは、クラスメイトの少年だった。彼はクラスに一人はいる、休み時間も、放課後も、いつも本を読んでいる人。彼が教室で、図書館で、ひっそりと本を読んでいる、そんな姿は何度も見かけた。
 しかし、まさかこんなところで本を読んでいるとは。屋上の柵に腰掛け、あまつさえ本まで読むというマイペースさは、いっそ感嘆に値するかもしれない。私がそんなことを思っていると、本から視線を移した彼が、こちらをちらりと見た。
 視線が、合う。すると彼は、そのままふっと微笑みかけてきた。
 その微笑みは、不思議なくらい美しかった。
 自分の心拍数が、急激に上がったのを感じる。動揺を隠すべく、視線を辺りに彷徨わせているうちに、彼は再び本に視線を落としていた。私の注意を何も意に介していない。おそらく、読書の邪魔者を適当にあしらっただけなんだろう。これ以上声をかけても無駄だろうな、と私はその場を離れた。
 だけど、それからなんとなく彼を目で追うことが多くなった。
 彼は、よく見れば見るほど、いつも自由気ままに本を読んでいた。かといって無愛想というわけでもなく、クラスメイトと談笑している姿も見かけるし、孤立している感じもしなかった。それはひとえに、彼のマイペースさ故なのだろう。
 だから、というわけでもないが、非常階段に座り込んでいた彼に、
「今日は屋上じゃないんだ?」
 なんて軽口をかけることができた。屋上で出会ってから、数日後の出来事だった。
 彼は読んでいた本をひざに乗せたまま、しばらく首を傾げていたが、やがて合点がいったようにぽん、と掌をついた。その動作がなんだか古臭くて、つい笑ってしまう。
「なんであんなところで本を読んでたの?」
「…ん。高いところ好きだから、かな。」
「ふうん。」
 それが、初めての会話らしい会話だった。
 自慢じゃないが、私はさほど外向的なタイプではない。それなのに、何故か彼の隣にいるときは、口が軽くなった。
 こんな感じで、本を読んでいる彼を見つけては、私が話しかける、ということを繰り返しているうちに、私と彼の間には段々と一言二言の会話が増えていった。
 いつの間にか、
 ──今日は、どこで本を読んでいるのかな。
 ──今日は、話せなかった。
 ──今日の彼は、面白かった。
 そんな感情が、私の中に溢れていった。
 彼を中心に、自分の生活が回り始めている。そう気づいてから、自分は彼のことが好きなのだ、と自覚するのに、さほどの時間は必要なかった。
「ねえ。」
「ん?」
「好き。」
 いつも通り彼の隣に座り込んだ私は、なるべくさりげなく、想いを伝えた。改まって言うのも、なんだか恥ずかしかったから。
 私のあっさりとした告白に、彼は少し目を見開き、それから少し微笑んで、こくん、と頷いた。それから、ふと自分の鞄を漁ると、本を私に手渡してきた。それは、いつか彼がお気に入りだと言っていた本だった。
「持ってて。」
 受け取った本を、私は大事に抱えて、敢えてもういちど聞いた。
「これは、どういうこと?」
「…そういうこと。」
 少し顔を背けて、恥ずかしそうに彼が言った。その反応がすごく新鮮で、心がいっぱいになる。なんだか隣にいる私も恥ずかしくなってきて、立ち上がって早口で言った。
「また、明日ね!」
「ん、また明日。」
 まだ少し恥ずかしそうに微笑んで、小さく手を振ってくれる彼の姿を見て、私はこの隣にずっといたい、と思ったのだった。 

 私は、ただ彼の隣にいられることが幸せだった。そして、お互いの気持ちを確かめ合ったことで、隣にいることが許されたのだと思った。しかし、人の心というものは、そんな単純なものではなかったのだ。
 心の内のほとんどを占める、彼への想い。初めての好きという感情は、抑えるということを知らなかった。抑えるべきものであるとも知らなかった。
 だって、誰も教えてくれなかったから。
 今日はどこにいる?なにしてる?隣座っていい?何の本を読んでいるの?どんな作家が好き?
 日を重ねるごとに、質問が増えて、お願いが増えていく。
 家に帰っても、授業を受けていても、彼のことが好きで好きで、たまらなくて───
 そして、破裂した。

 ある日突然、伏し目がちな彼が申し訳なさそうに、別れを切り出してきた。あるいは、彼にとっては突然ではなかったのかもしれない。
「ごめん。」
「…どうして。」
「一人になりたいんだ。」
 そこで私は悟った。自分は彼の世界を脅かしすぎたのだと。寄り添い、お互いの存在を感じているだけで良かったはずなのに、私はそれでは我慢できず、侵略してしまったのだ。
「…ごめんね。」
 私は、それしか言えなかった。
 もう一度やり直したい。これからは絶対大丈夫だから。君に迷惑はかけないようにするから。
 頭に次々と浮かんだ感情は全て言葉になる前に弾けてしまった。
 彼の背中が遠ざかっていく。私は、口を動かそうとする。しかし、何も言葉が出てこなかった。



 その時のことを考えるだけで、今でもどうしようもない悲しみが体中を襲う。
 想像以上に、つらい。一人の人が離れていってしまう、ただそれだけのことが、こんなにつらいものだとは思っていなかった。壊れてしまいそうだ、なんて何度も思った。しかし、人の心というやつは存外丈夫なもので、そう簡単には壊れないらしい。
 いっそ壊れてしまいたい、もはやそう思うようになっていた。
 最後に、自分が伝えられなかった言葉。
例えばそこからやり直しても、今の自分ならきっと、彼の心に届く言葉が伝えられるはずだ。
 あの時、彼の気持ちに気づいていれば。あそこでこう言っていれば。
 たらればの感情がぐるぐると巡る。今の自分なら、もっと上手くできる自信があるのだ。だからこそ後悔と自責の念が胸に渦巻く。
「今の私なら、きっと…」
 そう呟き、私は砂時計を手にとった。乱暴に息を吐き出して、真ん中の仕切りを外す。
「これが何だって、構わない。私はやり直したいんだ…!!!」
 そして、砂時計を逆さにした。

 砂時計の中の砂が、逆流していく。さらさらと、流れていく。
 満ちていた器が空っぽになって、空っぽだった器が満ちていく。
 さらさら、さらさらと。






 黒猫が、小さな手鏡を見ていた。
 何の変哲もない、シンプルな手鏡。だが、そこに映っているのは、鏡を覗き込んでいる黒猫の姿ではない。
 そこには学生服姿の少年と少女が映っていた。

「ごめん。」
 少年の言葉に、少女は俯き、硬直する。彼が焦れ始めるほどの時間が過ぎてようやく、ひどく小さく、頷いた。
 その仕草を見て、少年は踵を返し少女に背を向ける。
 一瞥することもなく去っていく少年の背中を前に、少女はしばし呆然としたまま立ち尽くしていた。
 やがて少女は覚束ない足取りでその場を去っていく。

 その一部始終を鏡の外から見ていた黒猫は、知っていた。数時間後、少女はこの時何も言えなかった自分を責めることを。
 一ヶ月後、過去に戻りたいと願い、古びた砂時計を手にすることを。

 その時になって初めて、彼女はそれが二度目であったことに気づくだろう。
 二度目の結末に気づいてしまった時、果たして彼女は再び過去に戻りたいと思うだろうか。
 答えは、分からない。だからこそ、面白い。

「たとえ時間が戻ったとしても、人は全く同じ過ちを繰り返すだけなのかもしれないね。」
 黒猫は、笑う。


「料金は、しっかりと頂いたよ。」

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