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となりの魔王

となりの魔王

作者:ナチ
8/23連載に投稿し直したので、いずれこちらは削除致します。
 魔王が来た。


 引っ越しそばを持って来た。









 ピンポンとチャイムが軽快に鳴ったからと言って、不用心に扉を開けるものではない。
 いくら警察が暇を持て余す平和な町内であっても、人生に嵐が起きない保証にはならないし、時としてそれは星の墜落のように考えられない形で降ってくる。
 鈴木さんの畑が土佐犬に荒らされたのも、山本さんの裏庭で不発弾が見つかったのも、三枝さんちのおじいさんに隠し子が発覚したのも、思えば全ては不測の事態だったではないか。
 世の中はとかく物騒に出来ている。いつ我が身に何が起きたとしても、おかしくはないのだ。

 例えばそう、玄関前に魔王が現れる、とか。

 なぜ魔王と判明したのかといえば、本人がそう名乗ったからである。
 それはそれは子供からお年寄りまで、老若男女聞き間違えようのない確かな発声で告げられた。
 なるほど、全身に黒く禍々しいベールをまとい、肩にはカラスを乗せ、こめかみあたりから細い角らしきものを生やしたその姿は魔王以外の何物でもなく、納得と言えば納得ではあった。だがしっくりしすぎて、逆に違和感すら覚えた。
 語尾にアルヨを使う中国人のように、わかりやすく親切でこの上なく怪しい。
「本日より隣人となるが故、挨拶に参じた」
 見上げるほどの高い位置から、地響きを感じるような重低音。
「つまらぬものだがお近づきのしるしぞ」

 ぞ。

 語尾に猛烈な異世界を感じつつ、差し出されるまま受け取った。
 そばだ。私は生まれて初めて引っ越しそばというものを手にした。
 生まれて初めての引っ越しそばと生まれて初めての魔王。初めて尽くし、と感想を抱くには後者の存在感が尋常ではない。
「はあ、これはどうも、ご丁寧に……」
 もっと述べるべき言葉があったような気もするが、この時は他に言いようがなかった。
 漆黒のベールの隙間からのぞく、切れ長の瞳がナイフをかざすように動いた。私の背後を伺ったのだと、ゆっくりと気付く。
「家族はおらぬのか」
「え、はい、出かけてまして、今おらぬです」
 ふざわけたわけでもなく、ただ気圧されてつられてしまっただけなのは言うまでもない。
 魔王は特に私の崩れかけた言葉遣いを気にした様子もなく、ものものしく言い放った。
「ならば仕方あるまい。おめおめ戻って来た暁には、くれぐれもよろしくと伝えよ」
 見下しているのか敬意を払っているのかまるでわからない。
 ただその時の私は思考の焦点をどこに合わせていいものか完全に見失っていたので、蕎麦は何人前なのだろうかと下から数えた方が早いくらい低い優先順位の事項に意識が向っていた。
 混乱を極めた時に脳が正常な判断から逃げる手段なのだと、薄ら気付いてはいた。色々と限界だった。
「ときに娘」
「は」
「このあたりは治安が良いとみえるが、留守を守る身でありながらやすやすと門を開くは感心せぬな。若い娘が警戒心の足らぬことよ。以後気を付けるがいい」
 颯爽とマントを翻し、魔王は去って行った。
 カラスの羽がはらりと舞うのを見ながら、玄関のドアを閉じる。
 隣人?
 閃光に遅れを取る雷鳴のごとく、放たれた単語が時間差で私に落ちてきた。







 果たしてこの白昼夢とも言える出来事を、いかに伝えれば事実として信じてもらえるものか、白い目で見られずに済むかとひどく頭を悩ませたが、母と祖母は話を聞くなり「あら、そうなの」と淡泊にもほどがある受け答えで私の煩悶を一蹴した。
 ほんの少しは目を丸くしていたようだが、私が食らった鳩に豆鉄砲との差を考えると億単位で豆の数が違う。もっと狼狽してもいいはずだ。少なくとも持っていた買物袋を思わず落とすくらいのリアクションは欲しい。
 しかし二人とも落とすどころか卵が入っているからと普段より慎重に袋を抱えて台所へと向い、生ものから順に冷蔵庫にしまったかと思えば、てきぱきと夕食の準備を始めてしまった。
 さては真面目に取り合っていないのかと疑ったがそういうわけでもなく、食卓に並ぶおかずの一品であるかのように、ごく自然に咀嚼するのだった。

 これ少しかたいわ。そう?あ、おばあちゃん醤油はそこに。もう漬物なかったかしら。夏織テレビ少し小さくして。そういえばわざわざご挨拶に来て下さったのに、魔王さんに悪い事しちゃったかねえ。
 その流れでこの会話。
 漬物と同等に扱うには少々荷が重い話題と思われたが、受け止める側の母にも特に動揺は見られなかった。
 それはさながら、親戚のじいさんの入院を心配する程度のテンションだった。
 いつもと変わらぬ夕食のだんらんに飲み込まれつつ、私は箸を持ったまま母と祖母のやり取りを見つめていた。
「お隣決まって良かったわねえ」
「ずっと空き家じゃ味気ないもの」
 それまで暮らしていたおばあさんが足を悪くして、遠方の娘夫婦の家に移り住むようになってから、一年ほどの間お隣さんは住む人もなく空き家のままだった。建物と建物が寄り添うように建つ都会と違い、私の住む町はたっぷりと土地を挟んで住居が並んでいる。
 お隣さんと一口に言っても、田んぼ三つ分くらい離れていることなどザラである。特別資産家というわけではない。人口に対して土地が余っているのだ。
 当の我が家もお向いは公園と言う名の空き地であり、魔王と反対側の隣はというと、祖母が趣味で手を入れている家庭菜園にしては大きな畑と草木生い茂る野生のガーデニングが隣接している為、住宅同士はそれなりに離れている。
 実質、隣人と呼べる距離にあるのは魔王の邸宅しかない。
 隣からすっかりひと気が消えて、なんとなく寂しいような気がしていたのは確かである。
 そういう意味では空き家でなくなったことは喜ばしいニュースかも知れないが、諸手を上げて歓迎できる内容でもあるまい。越して来たのは気のいい若夫婦でもなければ、上品そうなおばあさんでもない。なにやら全体的に黒くてカラスを従えていた。
「一度改めてこちらからご挨拶伺ったほうがいいかねえ」
「でも却って負担になるかもしれないし」
「そうだけど、これからお隣さんになるわけだから」
「今度とれた野菜でも持って行ったら?」
 祖母が目を細めて、そうねそれがいいわねと嬉しそうに手を合わせた。
「おかしな人が越してきたら色々ねえ、大変だけど」
「身元がしっかりしてるから安心だよ」
 ほんとほんとと二人は和やかに、お喋りに食事にとせっせと口を動かす。
 魔王の身元とはなんだ。公務員か。
 このようなノリを目の前で繰り広げられると、私が考えている魔王と彼女達の言う魔王が合致しているのかも疑わしい。
 いわく、身元のしっかりとした、安心の存在である、「魔王さん」が我が家に襲来した時のことを今更ながら思い返した。
 見慣れた玄関の風景が、ラスボス襲来の図に置き換えられたこと。裾を踏むほどマントが長かったこと。律儀にもインターホンを鳴らしたこと。これまで聞いたことのない音を奏でてドアが開いたこと(確かゴゴゴと唸った)(うちのドアはどうなってしまったのかと思った)
 ただ、丁重に蕎麦を携えて挨拶に訪れたことは評価したい。手みやげが蕎麦である必要はないが、近所付き合いをスムーズにするには顔見せは必要不可欠な儀式だ。何だか知らない内にわけのわからないのが 引っ越してきたと認識されるより、お互いの為になる。
 うっかりそこまで考えて、脳内の映像を巻き戻して思いなおす。
 待て待て待て待て。
「でも角生えてたんだよ」
 釘をさすように少し強い口調で口に出すと、祖母も母もきょとんとした顔で私を見たかと思えば、声を立てて笑いだした。
「真面目な顔でなに言い出すかと思えば、当たり前じゃない」
「そりゃあ角くらい生えてるわよ魔王だもん」
 やだわこの子ったらアハハウフフと互いに肩なんか叩き合っている。やけに楽しそう。
 一つ屋根の下で長らく暮らしているが、ここまで疎外感を感じた記憶は未だかつてない。
 確かに魔王に角があるのは不思議でもなんでもないだろうが、その魔王が隣に居を構えることは世の常識にてらして考えてみれば相当奇奇怪怪なのではないか。
「いやいやいや角がどうとかっていう以前にね?魔王だって名乗る人が隣に、ていうか普通に引っ越してくるって、おかしくない?」
「なに言ってんのいまさら」
「そんなに珍しくないでしょ、ここらあたりじゃ」
 魔王遭遇以上の数の豆鉄砲を浴びた。
 生まれてこのかたこの土地で暮らしてきたが、そんな話は聞いたことがない。
 目を白黒させている私を見て、やだ本当に知らないのこの子と母は呟きながら、サーモンの塩焼きに箸を入れた。身をほぐすとほどよくのった脂が溢れ出し、芳醇な音をたてる。その横で長いもの漬物を噛んでいた祖母が、ようやく飲みこんで会話を追った。
「ここで暮らしてれば自然と耳に入るもんだと思ってたけどねえ」
 箸を置くことなく、祖母は続けた。
「土地柄かね、昔から時々魔王さんが現れては滞在して行くんだよ」
 語りかける口調は、まるで村長がいろりを囲んで聞かせる昔話のよう。竜にまたがった童子がでんでん太鼓をふりましながら脳裏をゆっくり過ぎて行った。
「何するわけでもない、ただ普通に暮らすだけ。何日間、時に何十年。それで用がすんだら地元にお帰りになる」
 まあ地元ってどこか知らないんだけど、と祖母がカラカラと笑った。
「私も子供の頃一度だけお目にかかったことがあったけど、特に驚きもなかったわねえ。異人さんに会った時の方がびっくりしたぐらい」
 その人にも角は生えていたらしい。
 ただ長く上に伸びるタイプではなく羊のようにぐるりと渦巻くタイプだったそうだ。タイプって。
 太刀打ちできない鷹揚さに投げかける言葉が思い浮かばず、一言「なんで?」と問うた私に、祖母は少し弱った様に微笑んだ。幼児のどうして攻撃に立ち往生している大人の顔だ。
「なんでって言われてねえ。そういうものだから」
 しょっちゅうでは無いけど、このへんじゃあ当たり前のことだから誰も騒ぎ立てないの。
 母もそうそう、と頷いて見せる。
 もう、私に切れるカードは残っていない。
 そういうものだという認識で成り立っている事柄に、なんでどうしては通じない。そういうものだからだ。
 正月に餅を食べるのは当たり前で、そこに疑問を差し込んだことはない。急に何故だと問い詰められても、これまで真剣に考えたことがないので説明のしようもない。魔王の訪れもこの土地にとっては正月の餅と同じなのだろうか。
 なんとなく納得せざる得ない気持ちと、いやだって魔王だよびっくりするよどういうことだよという消化しきれない思いが、味噌汁に溶け残ったとろろ昆布のように入り混じった。
「魔王さん町内会入るのかしら」
「入るでしょたぶん」
 魔王と町内会という言葉のぶつかり稽古に、今更であるが味噌汁を噴きそうになる。というか、入るのかよ町内会。
 町内会に入るとなれば回覧板が回る。我が家においての回覧板役は他でもない私だ。現在は空き家の為に飛ばしていたが、もし町内会に加入した場合、魔王に回覧板を回さねばならない。
 味噌汁を飲みこむ喉が、大きく音を立てた。
 良かったわね、と母が微笑みながら椀を置く。
「三枝さんのお宅まで回覧板回すの遠かったじゃない。ほら川もあるし。これからはすぐ横よ」
 なるほど。
 たったそれだけのことで、一瞬でも「それは助かる」とまんざらじゃない気がしてしまった自分の単純さを、私はどうしようもなく恨めしく思うのだった。


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