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第91話【骸骨紳士】







「……頭が痛いのう。リィム、リネアの木を摩り下ろした薬はあるかの?」
「はいはいっ、頭痛薬ですよーっ。ユーリィさんは?」
「わたくしは。結構です」

砦攻防戦から数日後。
宰相の執務室には山積みとなった白い悪魔が鎮座している。
戦争はお金が掛かる。住民から税金を受け取り、それを当ててはいるものの国の債権が増えることはない。
現状はゲオルグの傭兵ギルドが機能し、商人ギルドとの連携がうまくいっているが。

「十年。といったところですね」
「うむ。現状維持でも十年しか保たんの。戦争はそれだけ散財の象徴じゃ」
「民衆からの不満の声はあがってるんですかっ?」
「現在は侵略されている。という意識が強いのと……後は。元々が弱肉強食の国であるのが。幸いですね」

侵略されることに慣れている。
戦争が日常茶飯事なのが百年以上も続いたため、民衆の支持率は目に見えるほど低下していない。
少数派やかつての特権階級の者たちが徒党を組んで、という話もあるが。
比較的そちらは穏やかだ。現時点では、だが。

「だが、長く続けば民衆の心も離れていく。じっくり十年掛けて攻められたら無条件で負けじゃのう」
「ラキアスはそれほど悠長ではないと思いますが」
「妾もそう思う。今回の戦争、何やら強引というか、焦りを感じさせるからの」

傭兵ギルドの決算処理に判子を押し、次の書類へと。

「頭が痛いのはこっちじゃ……魔王が倒れ、将軍が倒れ、客将も倒れて……戦線が心配じゃ」
「ナオ様、ギレン様、ソーイチロウ様ですね……」
「更にはラキアス軍じゃの」

執務室の壁に立てかけられた地図に視線を向けた。
魔族国の絶対防衛線、ナザック砦。その周辺に展開していたフォルゴ将軍率いるラキアス本隊の行方だ。
破れかぶれのように負傷兵を突撃させ、痛手を負わせた砦攻防戦。
全てに決着がついたとき、既にラキアス軍の姿は影も形もなかったのだ。

「どう思う?」
「単純に捨て駒に使った。にしては違和感があるとわたくしは思いますが……」
「うむ……ならば奴らは何処へ消えた? エルトリア国内には少なくとも存在しない」
「オリヴァースのカリアス王も、調査の結果、いないと判断されたそうですねっ」

本来なら治癒隊ヒーラー程度の立場の人間が口を挟んではいけないが、ここは会議室ではない。
私室ならば積極的に意見を取り入れていくのが宰相テセラの考えだ。
宰相補佐筆頭となったユーリィが、ふう、と息を吐く。
単純に安全な退却のためだけに、あんな策を用いたのだろうか。
疑問は残るが、今は情報を集めるだけだ。

「確か、魔王もギレンもソーイチロウも帰っておるのう?」
「マーニャとエリザとソフィアもですよ」
「……砦、誰一人として率いる者がおらんのじゃが、それが奴らの狙いの可能性は……」
「大丈夫だよ」

執務室の扉が唐突に開けられる。
本来ならノックのひとつもしろ、と言われるところだが、現れる相手は魔族国の一番上だ。
仕方ない、という呆れた表情でテセラは魔王を迎え入れる。

「体調は万全か、ナオ」
「うん。何とか……ごめんね、迷惑掛けるよ。で、さっきの話だけど」

先ほど魔王が倒れた、と言ったが正確には一日だけだ。
異常だったのは奈緒、龍斗の両方が気絶していた、という点で兵士たちにも動揺が広がった。
新参兵士から見れば奈緒たちが戦場で倒れた光景を見たことがない。
少なからず士気に影響したが、既に一日で両方とも復帰し、砦の鼓舞をして帰ってきていた。

「砂漠の行軍は想像以上に体力を使うし、奇襲攻撃は空にだけ気をつけておけばいいよ」
「地下からの土竜作戦は?」
「黄組と青組に命じて地下に水脈路を作ったんだ。いずれ砂漠を減らすためにも使う手法だけど」
「なるほど! 穴を掘ってきたら、水がどばーーーっ、てわけですねっ」

リィムが手を叩いて賞賛するが、宰相のテセラはまだ不安そうだ。
安心させるように奈緒は続ける。

「今回の件で抹殺部隊キル・レギオンの素性が半分近く割れたからね。対策も立てられる」
「ふむ……」
「正直、抹殺部隊キル・レギオンが本気で全員来たら、砦が落とされるってのも冗談にならないし」

むしろ不安にさせることを口にして、テセラの可愛らしい顔付きに皺を寄せてしまう。
奈緒は苦笑いを浮かべて手を振ると、更に続けた。

「その対策のためにも、調べものがしたいんだよ。か、家族サービスも少ししたいし」
「本音は?」
「ごめん。命の危機を脱したら急にセリナに逢いたくなっちゃって……」
「無理もないことだがの。むしろ跡継ぎを早く作れ」
「て、ててて、テセラ様ぁ!?」

結局は和やかな雰囲気へと変わっていく。
何はともあれ、首脳陣の全員で生きて帰れたことは喜びだ。
正直、あの中の誰かは帰ってこれないのではないか、と不安に陥っていただけにホッとした。

「こ、こほん。その話はまた今度ね……」
「そうそう、オリヴァースのカリアス王から前哨戦の勝利に関する祝辞と……」
「あ、うんうん」

カリアス王とは友人関係なので週に一度は情報交換をする。
大概が商人に手紙を託したり、使者を使わせたり。
携帯電話があればなー、僕たち両方元々持ってないでしょ、という親友との会話も記憶に新しい。

「そこに『うちの妹辺り、娶っておくか? わー、ナオの好色家め』と寄せ書きされていたのじゃが」
「国書に寄せ書きするな!」
「えっ、ツッコミはそこですかっ?」
「しかしあの魔王閣下。ノリノリですね」

愉快な会議はまだまだ続いていく。
既にもう雑談へと摩り替わっているとか言ってはいけない、戦士に休息は大事なのだ。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「……水」
「……うむ」
「……飲める?」
「……うむ」

所変わって不思議な空気を漂わせる、エルトリア将軍の私室。
内臓や骨を大きく傷付けられたギレンは現在、同棲しているセシリーの介護を受けている。
治癒隊が言うには全治一ヶ月以上。
本来なら半年以上の月日が掛かりそうなものだが、彼の生命力は牛頭の某親父並らしい。

「……ナナギの木の皮」
「……うむ」
「……食べる?」
「……うむ」

結構、奈緒たちには忘れられているだろうが、この世界の木々は食料だ。
実に限らず、皮や枝もそれぞれの木々の種類によって味が違い、調味料からそのまま食べるものもある。
ナナギの木は歯応えは普通の木ぐらいあって硬いが、意外に甘い。
木の皮は女性向きに食べやすいように改良されたものだ。

「……ど、どう?」
「……甘い。だが、控えめな甘さは好みだ」
「そ、そう……ふぅん、良かったわね」

実は控えめに甘い、というのが好きだと調べたセシリーが商人に頼んで購入したものだ。
食べてもらおうと思った矢先にギレンは最前線に赴任してしまったが。
今回帰ってきたので食べさせた。
心の中で安堵半分、喜び半分でちょっぴり幸せを感じてるセシリーなのだった。

「でもギィ、あんなになるまで戦って。私、人殺しは嫌いよ」
「……今回は止むを得なかったが……なんだ、心配させたか?」
「べっ、別に心配するわけないでしょ。私が! いつも言ってるでしょ、人殺しは大嫌いって!」
「……うむ。そうだったな……」
「…………ぁぅ」

制御できない感情を微笑ましい意味で暴発させるセシリーは、何処となく溜息。
ギレンにしても戦場から帰ってきて、少し様子がおかしい。
彼は『心配させたか』などという殊勝な台詞は吐かないのだ。おかげでたまに面食らって、ああなるが。
初めての完膚無き敗北に落ち込んでいるのか、と思えばそういうわけでもないらしい。

「セシリー」
「なに?」
「貴様に兄がいた、と聞いたのだが……」

彼らしくない遠回しな台詞だ。
単刀直入に『貴様の兄にやられた』と言うのがギレンだったのだが、心境の変化があったのか。
一日丸ごとかけて、ようやく辿り着いた『遠回しな台詞』がこれらしい。
最初の一時間で誰でも思いつける、とか言ってはいけない。

「ええ、いたわよ。人殺しのね」

彼女はあっさりと答えた。
何年も前の過去の出来事として。かつて居た家族を過去の人物として。
心の中ではとっくに折り合いがついているらしく、言葉は淡白なものだった。

「初めて知ったな」
「聞かれなかったしね。それに何度も言ってるでしょ、ギィ。私は人殺しが嫌い。父も兄も例外じゃない」
「…………」

彼女らしい、とギレンは思う。
何処までも本当に徹底的なくらい、セシリーは潔癖症で淡白だ。
飽きないな。彼女を見ていてそう思う。
色々なことで驚かせてくれる。本当に刺激的で充実した数年間だった。

――――いずれ、取り戻す。

巌窟王の言葉が脳裏をよぎる。
言葉に偽りはなかった。イラと名乗った彼は本当に何もかもを復讐に費やしたのだろう。
数年前までは完全に開けていた溝を、縮めるどころか逆転するまでに。
奪われたくはない、と思った。
脆弱だ、と言われた己を見詰めなおさなければならない。それが、ギレンの心境の変化だった。

「…………ふむ」

ひとまず、訓練からだろうと独りで結論を下して。
ベッドの上で腹筋を始めてみた。
即効でセシリーに頭を叩かれ、治癒隊の皆さんに取り押さえられ、リィムからのお叱りを受けた。
何気に平和な日々だった。



     ◇     ◇     ◇     ◇



「…………ちっ」

逆に平和でも何でもない表情を浮かべているのが総一郎である。
右肩の脱臼、全身の筋肉痛、あばら骨も数本折れているらしい。全部『アレ』の反動である。
治癒隊ヒーラーがこの世界にいるからこそ、全治一週間なのだ。
そういう意味では戦争で一番頑張っているのは、あのハイテンションなメイドたちの部隊かも知れない。

(マオウの、カケラ……魔王の、欠片……?)

彼を悩ませる理由はもうひとつ。
砦攻防戦で現れた正体不明の二人組。骸骨の紳士と仮面の殺し屋だ。
意味深な言葉と共に、恐らくは仲間だったニードルードを感慨もなく葬った怪物たち。

「…………」

マオウのカケラ。
ケーニスク。
トップオーダーの代償、戦争の裏側、真の狙い。

(ニードルードは『ケーニスク』を某たちと言ってたな……んじゃ、これは組織の名前か……)

戦争の裏側でニードルードたちの組織が、何かを狙って戦争を起こした。
骸骨の紳士と仮面の殺し屋はその組織の一員。
彼らは秘密を知りかけた総一郎を殺そうとして、『マオウのカケラ』だという理由で取りやめた。
欠片は自分だけじゃなく、奈緒と龍斗のことも名指ししていた。

(俺の『神無』も、欠片の証拠……みたいなことを言ってたな)

特別な力を持った者を指すのか?
異世界から訪れた者たち全員を指すのか?
両方が考えられる。破剣の術という枠を超えた『一撃必殺』を扱う総一郎。
人間でありながら五色の異端ミュータントとして君臨する奈緒。
加えて『他人の身体に住むこと』が出来る龍斗。

(奴らは異能者を支援している? 異世界の者を殺せない事情がある……?)

では、理由は何か。
異世界から来た珍しい人間は貴重だから保護しよう、という涙ぐましい目的ではないだろう。
裏切り者となり、最後の義憤で何かを伝えようとしたニードルードは伝える前に処刑された。
情報が足りない。総一郎一人では、足りない。

「駄目だ。考えても何にも分からん!」
「……? どうしたの、ソーイチロウ?」
「いや、何でも」

医務室のベッドの上でそれなりに重傷患者扱いを受けている総一郎は、曖昧に誤魔化した。
視界の向こう側ではソフィアがシーマの実を恐る恐る切ろうとしている。
見舞いに来てくれたらしいが、一日のほとんどを医務室で過ごしている気がする。
中々考えを纏める暇というか、そういうのもない。

「ソフィア。悪い、ちょっと外してくれないか?」
「なんでよ?」
「用を足したい。おっと、どっちかなんて野暮なことを聞きたいお年頃では……」

最後まで言い終わる前に手裏剣のような形をしたシーマの実が、総一郎の額を撃ち抜いた。
伝統工芸品みたいな不思議な形をした実は思ったよりも硬く、ごづんっ、と鈍い音。
乱暴な足音が遠ざかり、最後に「ばかっ」と文句まで添えられてソフィアが退出していく。

「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」

直撃した額も痛かったが、身体全体に振動が伝播したほうがずっと辛かった。
白いシーツの上で何度も芋虫のように蠢き、全身で激痛を表現する教師。
用を足す、というのは嘘だが少し眠たくなってきた。
考え事をするためにも、一度顔を洗おうと痛む身体に鞭打って洗面所のほうまで歩く。

「まったく。ソフィアももう少し、淑やかになってくれれば……」

何処かのお父さんみたいな台詞を言いながら、洗面所で顔を洗う。
冷たい水が気持ちいい。砂漠の国とは思えない。
奈緒が元の世界の洗面所を再現して作った鏡付きだ。精神衛生上、こういうのがホッとする。
奈緒たちも何だかんだで元の世界を忘れてはいないんだな、と苦笑して鏡を見て。


なんか、鏡の向こう側で骸骨の紳士がピースサインしながら、背後に立っていた。


「うおおぉおぉおぉおおぉおおぉぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!?」


筋肉痛の痛みも無視して空中三回転半みたいな奇妙な動きでその場を離脱。
脳にアドレナリンが出ているのか痛みを感じない。
心臓が一気に収縮して背筋が凍り、背中からぶわっと冷や汗を流した総一郎は引っ繰り返った。
生涯、これ以上の叫びを上げることはないだろうな、と冷静な部分が現実逃避してた。

「なっ、なっ、なっ、なぁっ……!?」

無様に倒れながら背後を振り向くが、そこには誰もいない。
元の世界から取り寄せてきたのか、と言いたくなる紳士服に蝶ネクタイ、黒いシルクハットにステッキもない。
欧米紳士スタイルの骸骨は、己が見せた幻想だったのだろうか。
三分近くぼんやりと周囲を見渡していたが、やはり誰の気配もなかった。

「…………はあ、はあ、はあ……」

いかん。
呪われたかも知れん。

「……治癒隊ヒーラーって、お祓いとかできないだろうかな……」

最後に一言。
先ほどの骸骨が警告の意味合いか、ノイローゼの証拠か、呪いかは分からないが。

「…………いや、いくらなんでも警告ならピースサインはないよな……」

混乱しているらしく、本当にどうでもいいことに突っ込むしかなかった。
冷静になった彼を待っていたのは、シーマの実手裏剣事件を遥かに上回る筋肉痛である。
更にこの時の彼の悲鳴にラピスたち近衛兵が動き、大騒ぎとなったのだった。
何となく。不幸と踊っている気がした。



     ◇     ◇     ◇     ◇



宰相の執務室。
補佐たちの各々の仕事に移り、テセラは一人で仕事をこなす。
リィムが「皆で大浴場に行きましょうよー、今度はテセラ様も裸でっ! 裸の付き合いでっ!」という誘いも蹴って。
今日中に終わらせなければならない仕事もあるし、それなりの事情もある。

「……痛っ……」

机に向かっていたテセラが突然、ぴくり、と身体を震わせた。
少し涙目になった様子で、彼女はそっと右手を背中に回す。優しく、腫れ物を触るように。
嫌な音がした。ぐちゅりっ、という生理的嫌悪感をもよおす音だ。
宰相の表情が暗くなる。

「ふっ、皆で裸の付き合い……のう。それが出来ればいいんだがの」

出来る筈がない、こんな醜いモノを。
内心で呟いた言葉は自然、口について出たが執務室には彼女以外の誰もいない。
拾われることのない独り言は、ゆっくりと霧散して虚しく消えていき。


「悩んでいるのかね、テセラ?」


完全に消滅する前に、骸骨の紳士に拾われていた。
音もなく執務室へと姿を現した異形の姿にテセラは肩を震わせるが、骸骨を見ると表情を変える。
恐怖や疑問ではなく、ただの呆れだ。
顔見知りだった。

「突然声をかけるのは止めて欲しいのう、リッチ師父」
「はは、すまない。私はちょっと人をからかいたくなる癖があってね」

骸骨の紳士は親しげに笑うと、テセラも仕事の手を止めて席を立つ。
仕事よりも優先することがあるからだ。
杖でトン、と床を骸骨が叩くと、小さな魔方陣が浮かび上がった。小さな医療用具が転移されてくる。

「良い顔だね。前回逢ったときは、疲れた顔をしていた。今もしているが、充実した疲れだ」
「ええ、まあ。ようやく、妾の長年の夢も叶った……いや、まだ途中ですかの」
「『君の夢』か。はたまたレクターくんの夢か」
「妾にすればどちらも同じことよ」

親しげに話す彼らに邪気は感じられない。
既に何十年も、テセラは彼の世話になっている。信頼できる人物だった。
目の前の彼が本当に善人であることは知っている。
ほんと、人じゃないのが勿体無いくらい。

「妾の夫の願いは、妾に託され……こうして実現した。思わず泣いてしまったこともありましたかの」
「……今の主は、良い人物のようだね」
「ふん。まだまだ甘い子供よ。まったく、苦労する」
「何処となく顔が嬉しそうだよ、テセラ」

骸骨なので表情は変わらないが、何やら微笑ましい雰囲気を醸し出す。
雑談を続けたいところだが、あまり時間もない。
執務室の扉を誰かに開けられたらアウトだ。明日から骸骨紳士は城の七不思議になりかねない。
言うまでもなく、テセラの年齢は七不思議のひとつである。

「で、まだ延命はするのかね? レクターくんの願いは叶ったが……」
「魔王がまだまだ頼りないのでの。後任の宰相が育つまでぐらいは、妾は生きなければならん」
「認めているくせにね?」
「当然。では、師父……よろしく頼む」

重苦しくそう言うと、テセラは突然着ていた着物を剥ぎ始めた。
白い素肌の見える胸を両手で隠し、上半身を露にして骸骨に背中を向ける。
背中は、周囲と比べて酷い色をしていた。
腐った人間の身体を、背中に貼り付けたような醜悪な光景。テセラの背中の部分は腐食し始めていた。

「定期的に検査に来る必要があるね……でも経過は順調だ」
「確かに発作は少なかったのう。大抵が夜遅くじゃったし、一人だったから誰にも不審がられんかったよ」
「私の術式だよ、当然だ……ということにしておこう。では、痛むよ」

手際は早かった。
転移された救急箱から小刀や塗り薬を取り出すと、治療に取り掛かる。
腐食した背中にナイフを入れ、小さく言霊を唱えながら塗り薬を丹念に背中全体に塗っていく。

「んっ……くぅぅ……はっ……」
「<穢れ給え、汚し給え。重く、強く、激しく。現世に留まり続けよ。我らは種の理を捨てた亡者である>」
「はっ……あ、ぐっ……」
「…………」

術式完了、という言葉と共に骸骨紳士が背中から手を離す。
糸が切れた人形のようにその場に座り込み、テセラは荒く息を吐いた。
何度やっても慣れない『穢れの儀』は、彼女の命を繋ぎ止める唯一の手段だ。
定期治療を終えた骸骨、リッチは言う。

「いつまで生きているつもりだい?」
「…………」
「私の弟子にして君の夫、レクターくんは死の間際に君の不死を願った。私はそれを叶え続けている」

骸骨の紳士は語る。
厳かな声音に乗せて、静かに語る。

「私は構わない。弟子との最後の約束だ。守り続けるとも……ただし、君はそれに耐えられない」
「…………」
「身体が腐っていく恐怖を感じたはずだ。これは禁呪、人間や魔族といった種を捨てる行為だ」
「分かっておる……妾はもう、魔族ではない」

禁呪。
人の身を超えた外法。
代償をもたらす諸刃の剣にして、赦されざる罪科。
本来ならゴブリン族の寿命は五十年。既に百年を超えた魔女が生き続けた理由がここにある。

「怪物よな、こんな身体」
「そうかも知れない」

リッチは否定しない。
己を見れば分かるだろう、と言いだけな……骸骨と成り果ててまで生き続ける亡霊。
永遠に生き続けることを可能とした術式。
穢れ、穢れ、穢れていく。容赦なく時間と共に穢れていくことを代償として。

「見たまえ、私を。見るがいい、私のもう一人の弟子のブージくんを。どれも醜悪だ、女性には耐えられない」
「師父……」
「肉が腐り、それは背中から胸、両腕両足に広がり、やがて端正な顔も爛れ、最後は肉すらなくなる」

私のようにな、と骸骨が言う。
無限に生き続ける外法を大昔に完成させ、現代まで生きた魔法王が薄く笑う。
自嘲したような笑みだった。
対してテセラは小さく首を振ると、真っ直ぐに前を見た。

「まだ死ねんのでな」
「そうかね」
「リッチ師父。ありがとうございます。妾は仕事に戻りますので」

剥いだ着物をいそいそと戻すと、書類が詰まれた机へと改めて向かった。
顔付きは既にこの国の宰相としてのもの。
充実しているのだろうな、と改めてリッチは娘を見る父親のように薄く微笑する。
微笑と言っても、そうしているつもりで実際は無表情のままだが。

「まあ、適当なところで死んでおくことをお勧めするよ。私のようになるのは私だけで十分だ」
「妾もそのつもりです」
「顔まで腐食が浸食するのは、もう百年ほど猶予があるがね。出来れば半世紀で手を打つといい」
「ふむ。考えておきますかの」

返事をすると、リッチは来たときと同じようにステッキを床にトン、と叩く。
一瞬にして人間大サイズの魔方陣が現れ、あっと言う間に彼の姿が存在ごと掻き消える。
見送ったテセラはふう、とひとつ息を吐くと、心の中で感謝の言葉を送り、改めて書類に目を通す。
陳情や報告といった形で行われる書類には、様々なことが書かれていて。

「…………」

その中に鏡の向こう側に骸骨の紳士を見た、という訴えがあったのを見て。
テセラは思い切り椅子から崩れ落ちるのだった。
城塞都市メンフィル。その内、骸骨紳士が頻繁に出没する怪談スポットになるかも知れない。



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