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なろう公式企画

恋する妖精 ~フェアリスドール~

作者:じぇねこ
◆ 妖精

 フェアリスドールは妖精だった。生まれ育ったのは人間の町の近くにある森の中。でも、フェアリスドールは人間観察が大好きだったので、しょっちゅう人間の町にやってきた。たまに人間に化けて、人間に近づいて、からかっては喜ぶ。フェアリスドールは少し意地悪な妖精だった。
 そんなフェアリスドールの噂は、どこから伝わるのか、人間の中でも浸透していた。でも、その割に、誰も自分の正体に気付かない。フェアリスドールは人間ってなんて馬鹿な生き物なのだろうとつくづく思っていた。そして、そんな馬鹿な人間が面白くて仕方なかった。
 そんなある日、フェアリスドールはひとりの靴屋に目をつけた。この愚直な靴屋は、どんなに酷い目にあっても、どんなに傷つけられるようなことをされても、他人を恨む事はしない。それどころか、性懲りもなしに信用しては裏切られることを繰り返してばかりいた。
 フェアリスドールがその靴屋に目をつけないわけがなかった。靴屋は、フェアリスドールの思っていた人間の愚鈍で愚直なイメージそのままで、フェアリスドールにとっては格好の遊び相手となりうる存在だったからだ。
 フェアリスドールはその靴屋を見つけて以来、靴屋の住む家の傍にやってきては、日々観察に明け暮れた。
 靴屋は、その名の通り、町はずれで木靴を造って売っていた。多くの人間達は靴屋がお人好しで、嫌とはいえない性格であることを知っていたので、時には酷い仕打ちをすることもあった。騙したり、簡単に嘘をついたり、お金を取ろうとしたり、傲慢な態度をとったり……。
 それでも、靴屋は彼らを恨まず、彼らが笑顔で話しかけてくる時は、笑顔を返してまでいた。そして、誰も見ていないのに、悪態をつくこともない。
 フェアリスドールは首を傾げた。どうしてあの靴屋は、ここまで不器用なんだろう。

◆ 木靴

 ある日、フェアリスドールはいつもするように人間に化けた。深紅のドレスに鴉の羽のような髪の色。目立つ風貌で歩きながらも誰もその正体に気付かない。フェアリスドールはその格好で木靴屋に入り、愚鈍な靴屋に声をかけた。
「こんにちわ、靴屋さん」
「いらっしゃい、お嬢さん。あまり見ない顔だね」
「たまにこの街に来る程度の者よ。それより靴屋さん、わたしの足にあう靴はあるかしら」
「大丈夫ですよ。もしなかったとしても、わたしが造って差し上げましょう」
 フェアリスドールはこの人間に自分の足に合う靴を依頼した。けれど、フェアリスドールは意地悪な妖精なので、お金を払う気は全くなかった。
 一週間経って、フェアリスドールは再び靴屋の元へ訪れた。靴はきちんと出来ていて、申し分ない出来栄えだった。しかし、フェアリスドールは面白くなかった。どこにもケチのつけられないその靴を見て、急にからかいがいがなくなってしまったからだ。
「悪いけれど、お金はまた今度でもいいかしら」
 フェアリスドールは意地悪なトゲを必死で隠しながら、靴屋にそう訊ねた。どうせ断られるだろうから、その時にめい一杯虐めてやろうと思っていた。けれど、靴屋は快く頷いた。
「もちろん、今度で構いません。ぜひ、その靴を可愛がってやってください」
 フェアリスドールは驚いた。けれど、プライドの高い妖精だったので、靴を持ってそのまま店を出ていくことしか出来なかった。お金を払いになんていけない。一度決めた事を変えることが出来ないのが、フェアリスドールだった。そして、また一週間経った頃、フェアリスドールはあの木靴を履いて町を歩いていた。もう、お金を払っていない罪悪感は消えてしまっていた。フェアリスドールは意地の悪い妖精なのだ。簡単に信じた靴屋が悪いとさえ思っていた。
「なんて馬鹿な人間なのかしら」

◆ 靴屋

 そんなある日、フェアリスドールはあの人間を見つけた。街角だった。そこにはいつも物乞いの老婆がいる。彼女は事あるごとに大袈裟に騒ぎ、そして、時には嘘を塗り固めて道行く人からお金をせびった。多くの人間はそれを知っていたから老婆を相手にしなかった。だが、あの人間だけは違った。
「それは大変ですね。少ないですが、これを使ってください」
 老婆は表面上だけ礼を言った。でも、フェアリスドールは知っていた。この老婆が施しをしてくれる人達の事を下に見ていることを。老婆が逃げるように去っていくのを見ながら、フェアリスドールは人間の悲しさを感じていた。でも、靴屋はちっとも気にせずに、お金を渡すとすぐに去ってしまった。
 フェアリスドールはまた、この靴屋のことが気になった。あの時のお金はまだ払っていない。この靴屋は何を思いながら暮らしているのだろう。
 フェアリスドールは靴屋の観察をもっとすることにした。靴屋の家は街外れから変わっていない。夜にもなれば、行き交う人は少なくなり、人間に化けずとも簡単に近づくことが出来るくらい暗くなる。フェアリスドールはその時間を利用して、夜な夜な小さな明かりを灯す靴屋を見つめていた。
 靴屋は毎晩、木靴を作っていた。フェアリスドールが騙し獲った靴と同じようで、その一つ一つが違う命を宿している。黙々と作業を続ける靴屋を、黙々とフェアリスドールは見つめていた。
 ――人間は馬鹿だ。人間は愚かだ。人間を騙して何が悪い。
 フェアリスドールは黙々と作業を続ける靴屋を見つめているうちに、どうして自分がそんな事を思うようになったのか、考えるようになった。いつからかも、きっかけも分からない。ただ、今の今までそう思っていた事は確かだったし、その価値観が次第に変わろうとしていることにも気付いていた。
「人間は、馬鹿だ」
 ある夜、フェアリスドールは黙々と作業を続ける靴屋の表情を見つめていた。まるで、子どもにミルクを与える母のような顔をしている。余所の人間が持つような悪い心がちっとも見えない。それは、フェアリスドールにとって、衝撃的なほどの優しい顔だった。
「人間は愚かだ……」
 ある日、物乞いの老婆が役人に捕まった。どうやら施しの恩を欺くような態度が、偉い人を怒らせてしまったらしい。処刑されても仕方ない。それを聞いた靴屋は慌てて店を飛び出した。何処へ行くのかとフェアリスドールは気になって、人間に化けて見物客に紛れた。役所に訴えているのは、靴屋。彼は、物乞いの老婆の肩を持った。
 ――自分だって、騙されていたのよ?
 飽きれつつ、フェアリスドールは見守った。靴屋は必死だった。どうやら、老婆の事は昔からよく知っていたらしい。フェアリスドールにしてみれば、少しも大したことではないが、昔、老婆から受けたひとつひとつの関わりを、靴屋は恩と捉え、それに拘って擁護していた。
 ――馬鹿みたい。
 結局、老婆は釈放された。靴屋の意見が通ったのかは、フェアリスドールの知る所ではない。ただ、物乞いごときで処刑する事もないと偉い人が判断したらしい。老婆が無事なのが分かると、靴屋はまた元の日常へと帰っていった。老婆は靴屋に対して礼を言いにいったりはしなかったが、それで靴屋が不満を言うことも、不満を出すこともなかった。まるで、すっかり考えていないかのようだった。
 それは、フェアリスドールの心が揺れ始めた瞬間だった。
 フェアリスドールは何も言わなかった。何も思わなかった。ただ、自分がすべきこと、自分がしたいことを見抜いて、行動に移した。それは、木靴の分のお金を払う事。しかし、フェアリスドールはお金を持っていない。代わりにしたのは、魔法をかけることだった。
「あの、哀れな靴屋に繁栄を……」
 フェアリスドールは超一流の魔法使いでもあったのだ。フェアリスドールがかけたのは、木靴がたくさん売れる魔法。靴屋は当然驚いた。いきなり自分の靴の注文が相次いだからだ。フェアリスドールの魔法にかかった人々は、高いお金をかけてでも靴屋に仕事を依頼した。
 けれど、フェアリスドールは甘く見ていた。靴屋がとてつもなく優しい人間であることを。
 靴屋の元にやってくるのはお金を持った高貴な人間達ばかり。けれど、靴屋はお金を払えない人にも格安で木靴を作ってしまうのだ。おかげで靴屋は大忙し。段々、力も尽きてきて、寝る時間さえ減っていく。フェアリスドールは呆れてしまった。
 ――なんで、お客を選ばないの。

◆ 希望

 ある夜、フェアリスドールはついに、靴屋を訊ねた。靴屋はフェアリスドールの姿を見て、ハッと表情を変えた。フェアリスドールは身構えた。きっと、お金を払っていない事を言われるだろうと思ったから。それでも、今の靴屋の生活に文句を言いたくて、フェアリスドールは店へと踏み込んだ。
 しかし、フェアリスドールを待っていたのは、決して、攻撃ではなかった。
「いつぞやの……靴の履き心地はいかが?」
 フェアリスドールは頭を殴られたような気分になった。
 ――この人は、なんで……。
 どうしてこうも愚かなのだろうか。いや、そもそもこの人間は、愚かであるのだろうか。
 フェアリスドールはじっと靴屋の表情を見た。そして、一つ、決心した。
 人間の姿で現れる事。それが、妖精にとってのプライドを守る術だった。妖精は悪戯好きで思い切りがいい生き物だけれど、その半面で繊細で、悪意や拒絶に弱い。フェアリスドールも例外ではなかった。もしも、靴屋がフェアリスドールの正体に怯え、拒絶でもしたら、フェアリスドールの心はナイフで刺されたようになってしまうだろう。
 だから、フェアリスドールは、相当な覚悟を決めなくてはならなかった。
 月光が照り仕切る中、人間の姿をやめて、元の妖精の姿に戻る。それが、フェアリスドールの決意だった。煌めきながら本来の姿を現すフェアリスドールを、靴屋は呆然と見つめていた。
「……あなたは」
 靴屋がやっと口を開いた。本来の姿を見せたフェアリスドールは拒絶される事すらも覚悟しながらも、強い心で靴屋の前に立ちはだかった。
「靴屋よ、あなたは本当に単純なのね。わたしはあなたを騙そうとしたのよ。それだけじゃない。あなたはたくさんの人に騙されているのよ。それを、分かっているの?」
 フェアリスドールは強い口調でそう訊ねた。
 しばらく呆然とフェアリスドールを眺めていた靴屋だったが、フェアリスドールの問いかけに対して、深々と頭を下げて答えた。
「わたしはただ、困っている人を見るのが辛いんです。それと、わたしの造る靴を履きたいという人がいることが嬉しくて仕方ないのです。だから、騙されたなんて思いません。考えたこともありません。あなたがちゃんとわたしの木靴を履いて、ここへ来た。それだけでわたしは嬉しくて仕方ないのです」
 フェアリスドールは戸惑った。予想にもしない返答だったからだ。なんていう返答を期待していたかなんて分からない。けれど、こんな答えが返ってくるなんて、思いもしなかった。
 それだけ、靴屋の心はまっすぐで、フェアリスドールの心に深く突き刺さるものがあったのだ。
 フェアリスドールは項垂れ、靴屋に言った。
「あなたは純粋な人なのね。騙そうとしてごめんなさい。お詫びに魔法を与えましょう。わたしの魔法で何でも叶えられるわ。お言いなさい、何が望み?」
 靴屋は驚いたようだった。じっとフェアリスドールを見つめたまま、手を合わせ、そして、丁寧にお辞儀をした。頭を下げたまま、靴屋は言った。
「いいのです。お礼なんて。わたしはこの暮らしに十分満足しております」
 そして、ハッと何かに気付いたようにフェアリスドールを見上げた。
「もしかして、わたしの靴が急に売れたのは、あなたのおかげなのでしょうか?」
 フェアリスドールは戸惑いつつも、頷いた。
「その通りよ。わたしは妖精だから、お金を持っていないの。だからその代わりに、あなたがお金持ちになればいいと思って……」
「そうですか……そうだったのですか……」
 靴屋は苦く笑い、そして首を振った。
「どうか、魔法をお解きください。わたしにはとても勿体無い御力ですよ」
「で、でも!」
「いいのです。あなたの気持ちは十分伝わりました。その木靴の代金以上のものを貰ってしまったほどです。ひとつお願い出来るのならば、その木靴を大切な生き物のように大事になさってください。それだけがわたしの希望です」
 靴屋の表情には嘘がなかった。大抵の人間には嘘が混じっているのに、彼は純粋さだけで出来ているようだった。フェアリスドールはそれを感じながら、しっかりと頷いた。
「分かったわ。木靴は大事にする」

◆ 守護

 フェアリスドールは今まで意地悪な妖精だった。けれど、今は少し変わっていた。
 靴屋と別れた後も、フェアリスドールは後悔し続けた。
 今まで人間は騙したっていい存在だと思っていた。けれど、靴屋のことを知れば知るほど、こんなに純粋な人間を騙していた自分が醜くて仕方のない生き物に思えてきたのだ。
 そして、せめて、靴屋の唯一の希望である木靴を大事にするということだけは守ろうと決意した。
 フェアリスドールは人間を騙さなくなった。ただ、人間を見守るのみ。すると、不思議な事に、あんなに醜く愚かに見えていた人間達のなかに、輝いて見える者が現れ出したのだ。
 フェアリスドールはさらに後悔した。
 ――愚かだったのは、わたしも同じ。
 フェアリスドールは毎日靴屋を見守った。木靴を大事に履きながら、その日常を毎日見守った。靴屋を馬鹿にする者、騙そうとする者は確かにいた。でも、その一方で、靴屋を信用している者、好意を寄せている者もいることに気付いた。
 フェアリスドールは心に決めた。この靴屋を守り抜こう。それこそが、自分に出来る罪滅ぼしだと。

◆ 正直

 フェアリスドールが人知れず靴屋を守り始めてしばらく、靴屋に異国の人がやってきた。異国の人は靴屋に並ぶ手作りの木靴をひと目で気に入り、それから毎日のようにやってくるようになった。異国の人はとても明るくて、物腰の柔らかそうな人だった。そして純粋な靴屋を気に入り、すぐに靴屋とも打ち解け、いつしか靴屋との仲は親密になっていった。
 フェアリスドールは自分の心に突き刺さるものを感じた。何故だろう。毎日のように、窓の外から靴屋と異国の人が楽しげに会話をしている所を見ていると、心の奥で炎が灯ったかのような苦しさを感じてしまうのだ。それが何なのか、フェアリスドールにはよく分からなかった。それは、初めて感じる苦しさだった。身体を焼かれてしまうかのような、息苦しさ。
 靴屋と異国の人が仲良くすればするほど、フェアリスドールの中で黒い炎が燃え上がっていく。
 耐えられなくなったフェアリスドールは、ある時、異国の人の前に姿を現した。異国の人は聡い人だった。フェアリスドールが人間の姿で現れただけで、すぐに、その正体を見破った。
「本当の姿をお見せになって。あなたは、あの靴屋を助けている方ではないのですか?」
 優しげな異国の人の言葉に、フェアリスドールは戸惑いつつ、首を横に振った。それは従わない意の表わしだった。だが、異国の人は怒ることなく、承知したように頷いた。優しげな異国の人の雰囲気が、フェアリスドールの身に沁みた。
「あなたは……」
 フェアリスドールは異国の人に向かって訊ねた。
「あなたは、あの靴屋を愛しているの?」
 愛。その自分の口から出た言葉に、フェアリスドールはハッとした。
 ――わたしは恋をしている?
 それも、人間に。
「そうかもしれません」
 異国の人が呟くように、しかしはっきりと答えた。フェアリスドールの視界はさらに曇った。願わくば、異国の人があの靴屋に恋なんてしていなければいいのにと心のどこかで思っていたのだ。
 異国の人は恋をしている。フェアリスドールはそうかもしれないということは、そうであることと同等の意と捉えていた。
「あの靴屋の何があなたの心を惹くの?」
 フェアリスドールは訊ねた。
「あの靴屋の造る木靴に込められている心。あんなに純粋な方は、他にはいないでしょう。あの方と一緒にいるだけで、わたしの心は癒されるのです」
 異国の人は静かに答えた。
 その表情、そしてその心。フェアリスドールは何にも騙されない。フェアリスドールは全てを見抜く。だからこそ、異国の人の心の真に、フェアリスドールは苦しんだ。
 ――異国の人は、純粋に、靴屋を愛している。正直者。
 フェアリスドールは異国の人の前から姿を消した。一筋の涙のみを残して。

◆ 苦悩

 次の夜、フェアリスドールは泣いていた。靴屋の元へ訪れることもなく、月の綺麗な丘の上でただただ泣いていた。
 靴屋は純粋な人間。そして、異国の人は正直な人間。この二人は恋に落ちている。その証拠に、靴屋は異国の人の訪問を楽しみにし、特別に思いを込めた木靴を造っているのだ。そして、異国の人は、靴屋の純心さに惹かれている。
 妖精の自分の割りこむ余地なんて何処にもなかった。
 ――わたしも人間だったら。
 そう思うたびに、また別の考えが浮かぶ。
 ――いいえ。
 もしも同じ人間だとしても、あの二人の仲に割り込む余地なんてないだろう。
 フェアリスドールは泣いた。泣いて泣いて、泣きまくった。そして、生まれて初めて涙が涸れる程泣いて、泣きつかれる頃には、重たい気持ちも段々と軽くなっていった。
 そして、やっと分かった。
 ――わたしは靴屋に恋していたのね。
 そして、恋敵は真っ直ぐな人間。フェアリスドールは苦しみを抑え、そして、硬く誓った。
 ――でも、わたしは、わたしの誓いを破らない。
 フェアリスドールはこの若い恋人たちを、守ろうと決意した。

◆ 恋人

 靴屋と異国の人のロマンスは瞬く間に町の一角に広がった。
 靴屋に常日頃優しくしていた人はもちろん、あんなに靴屋を馬鹿にしていた人までも、この二人を祝福し、二人は甘い時間を過ごしていた。
 フェアリスドールはそんな二人を時折見守り、そっとしておいた。たまに、ちょっとした魔法をつかった送りものもした。小さな流星、美しい虹、美しい小鳥の囀り、満開の花。刹那的な美しさばかりだったけれど、二人はとても喜んだ。そんな二人を見ていると、フェアリスドールの気の重さも少しずつ薄らいでいった。
 ――なんて穏やかな空気なの。
 フェアリスドールは初めてその事実を知った。この二人の甘いひと時は、周りまでもを暖かな春の季節に変えてしまっているかのようで、それを眺めているだけで、フェアリスドールの心は癒された。
 今まで恋人たちを見てきたことがないわけではない。でも、こんな事はなかったのに、この二人に限っては特に、共にいるというだけで美しく思えた。
 フェアリスドールのような長寿の妖精にとって、時が矢のように過ぎ去る日常においても、この二人がいる間だけは、ゆったりとした揺りかごの揺れのような速度に変わり、心地よい世界が何処までも広がっているとさえも感じられた。
 そう、まるで、自分自身が恋をしているかのように、フェアリスドールは癒されたのだ。

◆ 諍い

 若い恋人達がつつましくも幸せなひと時を過ごしていた頃、国と国との間で諍いが起こった。生きとし生ける者が集うこの世界で、諍いというものは珍しいものではない。フェアリスドールもそれをよく知っていた。だから、そんな噂が耳に入ってもちっとも驚くことはなかった。
 だが、今回ばかりは驚かずにはいられなかった。戦争を起こそうとしているのは、他でもない自分達のいる国と、そして、あろうことか、異国の人の故郷であったのだ。
 フェアリスドールは驚いた。そして、不安に思った。この大きな流れは、小さくも幸せな世界をどう変えてしまうのか、不安だった。フェアリスドールは争いのもたらす恩恵と、罰をよく知っている。その上今回は、どちらの国が勝ったにせよ、この二人の幸せが崩されないわけがないのだ。
 日に日に、お互いの関係は悪化していき、ついに戦火が上がる頃には、周囲の靴屋と異国の人に対する目はさらに厳しくなっていた。
 フェアリスドールは目を光らせていた。戦火の空気に中てられておかしくなってしまった者が、異国の人に危害を加えないかと心配していたからだ。また、それだけでなく、靴屋もまた嫌がらせを受けるようになっていた。
 国同士の関係が悪化する前はあんなに祝福してくれていた人々も、今や、誰も靴屋と異国の人を助けようとはしない。
 フェアリスドールは悔しかった。
「この二人が悪いわけじゃないのに!」
 フェアリスドールは怒った。この戦火を生みだした時勢に対して。しかし、いくら類まれな魔術使いのフェアリスドールにも、戦争をやめさせるなどという大きなことは出来なかった。
 靴屋が憎まれ木靴を壊されるような世の中を、フェアリスドールはただただ恨むしかなかった。

◆ 不穏

 戦火が厳しくなりつつある街中で、異国の人の居場所はもはや靴屋の隣でしかなくなっていった。だが、異国の人を靴屋が庇えば庇うほど、周囲の目は厳しくなっていく。それを見守ることが、フェアリスドールには辛かった。
 誰かが二人に石を投げようとした時は、魔法でその軌道を逸らし、誰かが二人の家を燃やそうとした時は、魔法で火を消してしまった。
 しかし、皮肉な事に、フェアリスドールが魔法で守護すると、ますます二人への目は厳しくなっていくのだった。恋人達はフェアリスドールの守護を知っていたが、周囲の者達は知らない。だから、フェアリスドールの魔法を悪魔の仕業と決めつけて、靴屋と異国の人のことを悪魔を崇拝していると噂した。
 そして、周囲の二人に対する感情が黒く黒く染まっていくのと比例して、戦火もどんどん厳しくなっていった。
 飢え、人死に、恐怖。それらが民に圧し掛かれば圧し掛かるほど、恋人たちへの風当たりは厳しくなっていった。もう、誰も味方はいなかった。二人を祝福し、守護するのは、フェアリスドールだけになってしまっていた。
 フェアリスドールは悲しかった。失恋の時よりもずっと、悲しかった。

◆ 別れ

 ある夜、フェアリスドールはいつものように靴屋と異国の人を見守っていた。
 戦争が始まって以来、二人の表情は硬く、暗い。だが、二人が争うようなことはなく、お互いがお互いを気遣い、寄り添ってばかりいた。
 その夜も、二人は暖炉の前で寄り添い、何かを話しあっていた。
 フェアリスドールはそっと空気に化けて、家の隙間から中へと入って行った。壁を抜けた途端、二人の会話がしっかりとその耳に入ってきた。
「二人で初めて見た月の輝きは忘れられない」
 異国の人が呟くように言っていた。
「そして、あなたが見つけた美しい流星。宝石のように光る星達。地面に咲く花も、それに負けないくらいの美しさ。あなたと過ごした時間はいつも、美しくて穏やかな時間だった」
 異国の人は遠くを見るような目で、暖炉の炎を見つめていた。
「もう、これ以上、迷惑はかけられない……」
 異国の人がそう言った。
「わたしが隣にいるだけで、あなたまでもが悪者にされてしまう。それならわたしは国に帰らなくてはなりません」
 異国の人の淡々とした言葉は、フェアリスドールの胸にまで突き刺さった。それは、靴屋を心から気遣っての言葉。本当は異国の人も別れたくなんてないのだ。でも、自分のせいで靴屋までもが責められていることが、悲しくて仕方ない。そんな内心が、フェアリスドールの胸にまでも響いた。いや、フェアリスドールだからこそ、感じ取れた。
 しばらく、暖炉の炎が燃える音だけが響いていた。フェアリスドールは空気に化けたまま、静かにそれを見守った。
 じっと黙っていた靴屋だったが、やがて、目頭を押さえ、俯き加減に口を開いた。
「あなたと別れてしまったら、わたしはもう生きていても仕方ないのです。わたしはあなたがいるから生きていける。あなたと共にずっといたいのです」
 その言葉に、異国の人も顔を覆った。
 二人とも、気持ちは同じなのだ。
 フェアリスドールはそれを実感した。

◆ 女王

 フェアリスドールは靴屋の家を飛び出した。
 空気から風になり、そして、生まれ故郷の森へと帰った。
 見捨てたくない。どうにかしたい。そんな気持ちがフェアリスドールの心をつき動かして治まらない。風から妖精の姿へと戻ったフェアリスドールは、靴屋の木靴を履いた足で森の中を駆け抜けた。
 そして向かったのは、妖精の女王の元だった。
 フェアリスドール達のような妖精の守護神とも言われる女王。姉であり、母であり、魂を捧げるべき女王の足元に、フェアリスドールは必死に縋った。
 妖精の女王はフェアリスドールの様子に驚いた。
「一体、何があったというのです?」
 女王の問いかけに、フェアリスドールは泣きじゃくった。靴屋と異国の人の間に割り込めないと知った時に枯らしてしまったかと思っていた涙が、あの時とは比べ物にならないほどたくさん流れてきたのだ。
 その様子に戸惑いつつも窺ってくる女王に、フェアリスドールは縋りついた。
「女王様、女王様、お願いです」
 泣きながら、どうにか声を出して、フェアリスドールは懇願した。
「どうか、哀れな人間の恋人たちを救ってやってください」
 フェアリスドールは話した。今までの話をすべて。そして、木靴の事もすべて話した。すべてすべて自分の身体に沁み込んだ想い出も感情も全て洗いざらい吐き出して、フェアリスドールは女王の顔を改めて見上げた。女王の神々しい顔立ちは、優しさと共に慈愛に満ちた感情を宿し、フェアリスドールを見つめていた。
「フェアリスドール」
 女王はそっと手を伸ばし、少し冷えた美しい手でフェアリスドールの頬を撫でた。
「我が妹、そして娘であり、掛け替えのない仲間であるフェアリスドール。あなたはいつも子どもらしさを失わず、黒も白もためらうことなく他人に見せていましたね。しかし、いつの間にか、大人になったのですね」
 フェアリスドールは冷えた手から女王の鼓動を感じた。それは、とても緩やかで、揺りかごのような穏やかな温もりだった。
「あなたの魂を削るほどの願いが、わたしにも伝わってきます。いいですか、フェアリスドール。あなたはとても優秀な魔法使いです。あなたが本気で臨むのならば、どんなに悲痛な運命に捉われた生き物も、救うことが出来るでしょう。
 しかし、フェアリスドール。忘れてはなりません。あなたが救う命は、その一つ一つがとてつもなく大きなもの。いかにあなたの力が甚大でも、一つの命が辿る運命を変えるだけで精一杯のはずですよ」
「分かっています」
 フェアリスドールは震える声で答えた。
「わたしが救えるとしたら、それは、靴屋のみの命でしょう。
 でも、それでは救ったことにならないのです。あの二人は、偽りのない愛で結ばれております。わたしがどんな魔術を駆使しても破られないほどの鎖。けれど、その鎖は硬すぎるから、あの二人は死ぬまで離れられないのです。
 ……そんなのは、嫌。」
 フェアリスドールは自分の胸を抑えた。
 命あるものは必ず死ぬ。それは、妖精であっても同じこと。ましてや、妖精よりもずっと短い人生を辿っているのが人間なのだ。自分がこうしている間にも、どこかで人が生まれ、そして死んでいく。その一端として、恋焦がれる靴屋がその命運から逃れられるわけがないのだ。
 けれど、フェアリスドールは嫌だった。その死が、時代と愛に呑まれた形で訪れることが。
「わたしは、靴屋も、異国の人も助けたいのです。しかし、戦争は止められない。多くの人の運命が、それに関わっているから……」
「フェアリスドール」
 女王はフェアリスドールの頬から手を離し、膝を折ってフェアリスドールと目線を合わせた。
「あなたは幼い頃から、大変頭のいい子でした。しかし、同時に、一つの目標を見つけたら、そこから目を離せられない子でもありました。
 フェアリスドール。考え方を変えるのです。戦争は止められないでしょう。生き物同士の争いは、魔法なんかで消えはしません。
 けれど、フェアリスドール、あなたの願いをかなえる方法が全くないわけではありませんよ。あなたには導く力があります。そして、人間に勇気を与える力もあります。そうです、フェアリスドール。二人を導くのです。争う二国が全く知らない世界に、恋人たちを導くのですよ。
 あなたには、その覚悟はありますか?」
 ――覚悟。
 フェアリスドールの目に、光が戻ってきた。
 そう、覚悟こそが、フェアリスドールには必要だった。

◆ 誘い

 靴屋と異国の人は別れることが出来ないまま。
 いつか、二人は自害するだろう。
 そんな雰囲気が漂っていた。しかし、周囲は誰も同情しない。争いでそれどころではなかった。争いに負ければ、異国の人と同郷の者たちによって、自分達は支配されてしまうのだ。その恐怖が強すぎて、誰も異国の人を快く思えなかったのだ。
 もちろん、争いに負ける恐怖が、靴屋にないわけではない。けれど、それよりもずっと、異国の人への愛が勝っていただけのことなのだ。そして、異国の人もまた、自分の国が負けるかもしれないということよりも、靴屋への愛が勝っていた。
 しかし、その愛のせいで、この二人の未来は閉ざされていく一方だった。
 フェアリスドールはそんな二人の元へ、今一度現れた。深紅のドレスに身を包み、死をも思わせる重たい空気の流れる靴屋の家へ。暖炉の前で寄り添いながら凍える二人の前に、風のように唐突に現れた。
 驚く二人に、フェアリスドールは声をかけた。
「靴屋、そして異国の人」
 二人はそれがフェアリスドールだと気付くと、また驚いた。
 だが、二人の反応を待たずして、フェアリスドールは続けて言った。
「このまま凍りつくように死に耐えることが、あなた達の望み? 隣に愛しい人がいれば、死を迎えようと構わないの? あなた達は、お互いが惨めに死んでも構わないというの?
 もし、そんなのは嫌だというのなら、わたしはあなた達を助けることが出来る。靴屋。あなたから受け取ったのは、この木靴だけではない。その対価に、あなた達の運命は変えられる」
 力強いフェアリスドールの言葉に、恋人達は小さく震えた。縋るような目は、フェアリスドールが、妖精の女王に見せたものと同じ。フェアリスドールはそれに気付いていた。
「どうしたら……どうしたらいいのでしょうか」
 靴屋が問うと、フェアリスドールは片手を上げた。
「この国を、この世界を捨てて、二人で生きていく勇気を与えましょう」

◆ 戦火

 靴屋の住まう国が異国の人の故郷の軍によって焼き討ちにあった。
 攻めてきたのは想定外。皆、自国の力が他国に負けるとは思いもしなかった。混乱の中、誰しもが目の前に広がる逃げ道へと飛び込むのに必死で、皆、靴屋と異国の人という時代に合わない組み合わせの恋人たちのことなど忘れてしまっていた。
 フェアリスドールは空気に混ざってそんな民衆を見つめていた。
 あの恋人達はもういない。もう、共にいるだけで非難される事もなければ、誰からも邪魔される事もない。後はただ、二人の力のみで生きて行けるかどうか、それだけだった。
 だが、フェアリスドールの中に、不安の文字はない。
「あの二人なら、大丈夫」
 炎や敵から逃げまどい、生きようとする人間達を見つめながら、フェアリスドールは確信した。
 勇気を与えたのはフェアリスドール。けれど、決断したのは恋人達。与えられた勇気を生かすも殺すも彼ら次第。そして、彼らは決断し、この美しかった世界を捨てて、新天地へと逃げていく。
 逃げるというのは負けではない。新しい道への出発なのだとフェアリスドールは考えた。
 炎燃え盛る町を見つめ、フェアリスドールはオレンジを反射している黒い空を見上げた。
「愛していたわ。どうか、幸せに」
 

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