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彫像シリーズ(冬の童話祭まとめ)

氷の彫像

作者:サトム
 死神が灰色の鉛のような重い雲の下を飛んでいた。
 外見の歳は人間でいえば十歳前後。淡い金髪と若木色の翡翠の双眸が表情なく眼下を見下ろす。フードの付いた足首まである黒いローブをはためかせ、手には身長の倍はある柄に死神の身長ほどもある鎌を取り付けた武器を握っていた。
 重量もかなりあるだろうに、微塵も感じさせないのは存在が人外だからこそなのかもしれない。幼い少女の外見に一種異様とも言える迫力を与えているソレは、雲の隙間から零れる光を受けて鈍く光った。まさに首を切り落とす一瞬の煌めきだ。
 少女の死神はやがてゆっくりと地上に降り立つ。地面にちらほら残る雪の残滓と周囲の景色から春間近なのだと判るが、それでも凍えるような泥水の上を死神は素足で歩いた。白く小さな足が泥の中に沈むことはなかったけれど、鏡のような水溜まりの水面に少女の姿はない。
 やがて荒野に横たわった人影が見えてきた。荒涼と吹き付ける風に黒いコートが揺れ動き、紫紺の髪は血と泥に汚れている。肌と唇は白いを通り越して青白く、死神が迎えに来るのに相応しい様相を呈していた。
 男は二十台の男性に見える。筋張った手には根本から折れた剣を持ち、アメジストの目はただ空を映していた。
 寝転がった男の頭の傍に立ち、私が見えるか、と死神は言った。血色のいい可憐な唇から洩れた言葉は鈴の音のように軽やかで、肯くだけで答えた男と春先間際の冬景色とは対照的だった。
 では用件は判るな、との問いにも男はただ肯くのみ。
 契約の履行を。
 そう言って手に持っていた鎌を振りかぶった死神に向けて、男は初めて視線を向けた。死を恐れたのとも異なる得たいの知れない視線に、少女の手がピタリと止まる。
 死のあるところはどこにでも現れる死神よ、幻の彫刻家を知っているか。
 男の声は掠れても低く耳朶を擽る魅力があった。彼の言葉は抑揚がなく声の魅力を半減させたが、鎌を振り上げた姿勢のまま死神はああ、と肯定する。
 よく知っている。嫌になるほどな。
 死神の声に初めて感情が乗った。呆れたような、苦いものを抱えた声に男はゆっくりと筋肉の付いた逞しい身体を起こす。縋るように握っていたはずの折れた剣はあっけないほど簡単に手から離れ、達観したような眼差しが死神にむけられた。
 まるで生きているかのような彫刻を彫るというその人に会わせてくれないか。
 死神に懇願する男の声に熱さはない。抑揚のない口調で、それでも視線だけが彼の苦悩の深さを物語っていた。身体と魂が離れつつある今、死神にとっては当たり前の現象なのだが少女はその可憐な唇でなぜ、と理由を問う。
 最期に自分の魂の答えを確かめたい。
 男はそう言って胡座をかきながら幅広い背を丸めた。その背中はもう数十年も苦悩し続けているように見える。死神を前にして一気に歳を取ってしまったかのような青年を映した少女の翡翠の目が金の睫毛に縁取られた瞼に隠れた。
 念話で彫刻士へと連絡を取ると有無を言わさず引っ張り上げる。エプロンにノミと金槌を持った黒髪の女性が、零れんばかりに目を見開いて突如として荒野に現れた。

「返事も聞かずに引っ張ってくるなんてマナー違反じゃない?」

 赤いエプロンに付いた木くずを払いながら恐れることなく死神を睨んでいた女性は、傍らに座る男性を見て口を閉ざす。暗く淀んだ紫の目が紫紺の髪の間から、まるで神聖なもののようにこちらを見つめていた。
 依頼人だ、と無表情のまま一言だけ添えると、鎌を肩に掛けて地面へと座る死神。長い金の髪も黒々とした荒野を撫でて風に揺れた。
 彫ってもらえないか、彼女を。
 男は懐を探ると小さな宝石を付けた指輪を差し出した。
 払えるものはこれしかないが。
 大きな手の上で柔らかく輝くそれは女性物だった。彫刻士は嫌そうに顔を歪め、指輪を受け取るとエプロンのポケットに入れた。

「これだけじゃ足りないわ。これから彫る人と貴方の関係を話してくれるなら依頼を受ける」

 どうする?と見下ろしてくる黒髪の女性に、男は小さく肯く。まるで頭を下げて礼を言っているようにも見えた。

「まずはそのまま彫る人を思い浮かべて。記憶をもらうから」

 いささか乱暴に男の頬を両手で挟むと、女性の額が男の額にゴチンと音を立ててぶつかった。痛みに思い浮かべていた彼女の顔を忘れた男が、自分の前で額を押さえて踞る女性を見下ろす。

「いたたた・・・大丈夫。受け取ったわ。素材は何で作る? 木? 土? 鉄? 水晶?」

 氷で。
 男は小さく呟き、彫刻士は快活な表情を締めて肯いた。彼女が指を鳴らせば二メートル四方の氷の固まりが忽然と荒野に現れる。気泡の入っていない水晶のような氷に、彫刻士は無言でノミを当て鎚を振り下ろし始めた。
 彼女は俺の妻だ。
 速い速度で削られていく氷を懐かしいもののように見つめながら、男は報酬を語り始めた。
 だがある日、彼女は俺の両親と弟を殺し逃げた。それから俺は彼女を捜して世界中を歩き回った。
 先程まで雪をちらつかせていたどんよりと重い雲が流れていくのと同時に、不毛の荒野に日差しがさしてくる。
 結局彼女は見付からなかった。なぜ家族を殺したのか理由すら判らない。それ以上に……
 すでに人の形を成しつつある氷を見上げて、まるでそれに問うように男は語り続けた。
 俺はお前を見付けてどうするつもりだったのだろう。家族の復讐をするつもりだったんだろうか。それとも全ての罪を許して共に生きていくつもりだったんだろうか。
 カツン、カツン、シャリ、シャリと響く音は鼓動のようで、彫刻士は一心不乱にノミを振るう。その雑な動きとは裏腹に、すでに細部にまで再現された氷の彫像は、今にも動き出しそうに微笑んでいた。
 お前に会えば答えが出ると思った。
 振り返った直後のフワリと浮かぶ髪も笑みを形作る唇も、誘うようにこちらに差し出された手もすべてが完璧な氷の彫刻に男は手を伸ばす。
 彫刻士は大きく息を吐いて手を止めると、ポケットから報酬としてもらった指輪を取りだし差し出されていた左手の薬指にそれを嵌めた。あつらえたようにピッタリとはまるそれを見て、男は死神と小さく呟く。
 直後に彼の首筋を銀光が通り、音もなく首が転がった。
 首の付いた男の身体がグラリと傾き、日差しで溶け始めた彫像の足下に横たわると死神は地面から何かを掴みあげる。

「何も見えない」

 口を曲げて少女の手元を凝視する彫刻士はやれやれと肩を叩くと、目に見えない何かにむかって優しく語りかけた。

「答えのない決断だってあるんだな」

 声は風に乗って無人の荒野を渡っていく。残されたのは透明な雫を垂らす見事な氷の彫像と、彼女の元で眠る一人の男性だけ。やがて指輪の部分だけが溶けて薬指と一緒に地面へと落ちた。
 溶けかけてもその彫像は生きているかのようだった。生きた姿を正確に模しているように見えるが、実は一カ所だけ彫刻士がわざと彫らなかった場所がある。
 それは目だ。睫毛まで再現されたそこに瞳はない。

「私の住んでいたところには画竜点睛を欠くという言葉があるの。私の作品はそれで良いのよ。瞳を入れたら生き返ってしまうから」

 自宅へと戻った彫刻士は死神の指摘にそう答えた。表情を変えない死神は大きな鎌を持って歩み去ろうとして……見送っていた女性へと再び振り向く。
 死にたくなったらいつでも言うといい。
 死神のセリフにしては似合いすぎるが、物騒な言葉に女性はヒラヒラと手を振って了解の意を示した。

「生き飽きたらそうするわ」

 飛び上がって還っていく死神を見送り、片足で立って耳から水を出すように飛び跳ねながら頭をとんとんと叩くと何かがこぼれ落ちる。彼から受け取った記憶の欠片は氷のように瞬く間に消えていった。

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