12時間空の旅(4)
私は気を取り直して大海老を一匹口に入れた。
プリプリした海老の食感が口に広がる。実に美味しい。
貴子の方は、客室乗務員に白ワインをプラスチックのグラスに注いでもらっていた。
貴子は、グラスをかっこをつけて少し傾けると、中の褐色の液体をころがした。それからワインを少しだけ口に含みクチャクチャと音をたてた。
私は貴子になんで普通に飲まないのか聞いてみた。
「祐ちゃんって、ほんと、なんにも知らないのねぇ! 真のワイン通は、こうやって最初の一口でワインの味と香りを楽しむものなのよ! ハァハーン」
そういうことだったのか、しかし……貴子はいつからワイン通になったのだろうか? 普段からワインを飲んでいるのなら分からない気もするが、私は貴子がビール以外のアルコールを飲んでいるのを見た記憶が無い。さらに、貴子は講釈を続ける。
「このワインは凄く高級なワインなのよ。色が濃いでしょ。それだけ熟成してるってことなのよ。それに、香りも、いろいろな匂いが混じっているのよ。レモンの匂いにオレンジの花、ライムの匂いも混じっているわね。やっぱり、ワインはボルドー産に限るわぁ!」
ワインはボルドー産? 貴子が注文したワインはたしか……カリフォルニァ産だったようなぁ。いやいや、細かいことはいわないでおこう。せっかく二人とも美味しい料理を堪能しているのだから。
貴子はワインを一気に飲み干した。
「ほんと、ボルドーワインはおいしいわぁ! ぐいぐい飲めちゃう。祐ちゃんスッチィー呼んで、ワインの御代わりいってちょうだい」
「そんなの自分で言ってくれよ! 貴子の方が通路側なんだから、スッチィー呼びやすいだろう。それに、どうやって呼んでいいか、俺わからないよ」
私はしばしの抵抗を見せたが、無駄のようである。
「祐ちゃんの肘掛に呼び出しボタンあるでしょう。意地悪言ってないで、ボタンを押して呼んでよ! 今、私は手がふさがっているのよ」
確かに貴子の手はふさがっていた。貴子の左手は私の腹をつまんでいるのだから……
私は腹の痛みから解放されるべく、呼び出しボタンを押した。すぐに客室乗務員がやってくる。
「ワインの御代わりお願いします」
「さきほどと同じ物でよろしいでしょうか?」
私はわざと言ってやった。
「はい。カリフォルニァ産の白ワイン、シャルドネお願いします」
貴子の顔を確認した。貴子は「フフゥ」と不敵な笑みだけうかべていて、何も言わず不気味であった。
「かしこまりました」
客室乗務員が詰め所に戻っていった。
その時であった……
私の皿の上にあった大海老5匹のうち、1匹が貴子のフォークによって突き刺さられ、私の目の前を宙にうかんで泳いでいく、とても優雅に時間が止まったように、そうして貴子のマウスに吸い込まれていった。
「うおぉぉぉ」
私は叫んでいた。せ、せっかく楽しみに取っていた、大、大海老が……
「な、何ぃするんだよぉ」
貴子は満足気に大海老を食している。
「祐ちゃん、何モゴモゴ言っているのよ。海老嫌いだから残していたんでしょう。ハァハーン」
私にもはや、貴子に言う言葉は無い。なぜなら、私は海老は大好物だから、その事は貴子も周知の事実であるからして……
それから、私達夫婦は一時間ほどかけてディナーを楽しんだ。実際には貴子だけ楽しんでいたのかもしれないが、貴子は、その後、何度もカリフォルニァ産白ワインを御代わりして、すっかりご機嫌であった。
ちなみに私の大海老の半数が貴子の胃袋に入った事はいうまでもない。最後の1匹の大海老が貴子のマウスに入ったあと、貴子は一言、真っ赤になった顔で言った。
「ワインの注文の時、意地悪した罰よ!」
やはり、そうだったのか! 全く口は災いの元だと身を呈して実感したひと時であった。
食事が終わった後、私は液晶モニターを見た。
もう地図上には日本列島の姿はなく、地図上には、ひたすら青い画面の太平洋が広がるばかりの退屈な画面である。飛行機の速度は相変わらず1000キロを維持していて、シカゴまでの到着時間は残り10時間22分となっていた。ちょうど、関西国際空港を飛び立ってから2時間を経過したところだろうか、まだまだ、シカゴまでの道のりは長い。ほんとに遠い国アメリカ。
私は映画でも観て時間をつぶそうかと考えていた時、貴子が話しかけてきた。
「祐ちゃん。薬、薬飲まないとあかんよ」
そうであった。私は現実に引き戻される。私は健康な体で旅行しているのでは無い。必ず、食後には医者から大量にわたされた薬を飲まないといけない。貴子は呼び出しボタンを押して、客室乗務員に水を頼んでくれた。私は毒蛇のようなイヤラシイ色をしたカプセル二錠を口に入れた。さきほどまでの、楽しい食事と違って嫌な時間である。続けて、残りの薬も我慢して飲んだ。私の嫌そうな顔を察してか、貴子は優しく言ってくれた。
「祐ちゃん、我慢、我慢。また咳がでたら、苦しいでしょ。楽しい旅行をする為よ、我慢、我慢」
貴子の言う通りである。あの発作が出たら、ほんとに苦しい。全ては楽しい旅行を楽しむためだ。
続く。 |