26.思惑
26.思惑
「――協力者を捜していた?」
「ええ」
魔人はベッドの上で頷いた。
未だ彼女の怪我は痛々しい。
魔人の自己快復力と伊奘冉の治癒もあって随分マシにはなったが、未だ所々包帯の隙間からは細やかな裂傷の痕が顔を覗かせる。
殆ど全身包帯のミイラの様な姿である。
イフリートは軽く小突いただけと言っていたがそれも疑わしいくらいだ。
「正確に言えば私はあんまり興味がないけど、ヴァル……何とかだっけ、そこに行く為の協力者が必要だって」
「まさか、ヴァルハラか?」
カルシファーは思わず魔人に詰め寄った。
「えっ、ええ」
あまりの剣幕に背を僅かに反らす魔人。
そんな彼女を他所にカルシファーの動悸は高まる。
(ここでまたその名を聞くとは……)
此処へ来た当初、アガリアレプトが屠った人間が話していたという単語。
それはプレイヤーの立場からすると約一年振りに予告されていた超大型アップデートの別称である。
内容は新大陸の追加、ただ一点のみ。
魔人の報告で全てを謎に包まれた次期アップデートが、この世界に反映されている確率が極めて高くなった。
しかし協力者とは。
魔人達が協力者を捜しているのは不可解である。
「すまない。聞き覚えのあった言葉だったんだ。それで協力者とはどういう意味なんだ?」
「文字通りの意味よ。彼処へ行くには私達だけでは戦力が足りないと言っていた。だから協力者と成り得る強い者を捜しているの。……まあ私は興味無いんだけどね」
カルシファーは首を傾げるのを我慢し、相槌を打った。
(戦力不足?魔人達が?)
その存在だけで人の世を恐怖の底に陥し入れる魔王。そして配下の魔人達。
彼等は強い。
戦闘力もさる事ながら生命力、知能さえも他を圧倒している。
そんな彼等が戦力不足を謳い、矜持を捨ててまで協力者を捜すなど俄かには信じ難い。
そこまでして目指す大陸には一体何があるのか?
「成る程。だが、何故魔人達はそこまでしてヴァルハラへ行こうとする?」
この問い掛けに対する真の答えが聞けなければ話を聞く以前の問題である。
襟を開かない相手を信用するなど以ての外。
「それは……」
魔人は俯きがちに言葉を濁した。
その時、無造作に部屋の扉が開け放たれた。
「――『魔王の復活』。なぁに、隠す事はない。正直に言わねばそこの男に頸を刎ねられるぞアリシアよ」
開口一番嗜虐的な笑みを浮かべた闖入者は、壁の方を向いていたオルトロスを顎で指す。
「エキドナ?」
光琳模様の和服姿は相変わらず良く似合っている。多少着崩しているが下品ではなく寧ろ気品すら感じられる。
流石、内面は兎も角外見だけは国宝級のお淑やかな美女である。
開け放たれた扉から冷たい風にのって仄かに甘い香りが流れ込む。
エキドナの直ぐ後ろには扉の外に待機していた筈のメフィストフェレスが、監視するように追従していた。
どうやらメフィストフェレスはエキドナの入室を特に止めなかったらしい。意外である。
「カルシファー。魔人達と手を組んだ方が良いと思……ん?何だ」
悠然と歩み寄るエキドナの歩を止めたのはカチリという石を打ったような金属音。
彼女は視線をゆっくりとその方向へと向ける。
シンと室内が静まり返り、
「誰が入って良いと言った」
暗に、動けば切る。とオルトロスが鞘から太刀を数ミリ浮かせた。
「おお怖い。吼えるな。犬の躾がなっていないようだなカルシファー」
茶化すエキドナの斜め前方、陽炎のようにオルトロスの身体が消えた。
「あっ!!」
魔人が声を上げた時、オルトロスはエキドナの真正面で抜刀し振りかぶっていた。
同じ直線上にいたメフィストフェレスは、既に安全圏へ退避している。
純然たる、本気の殺意。
エキドナは自身に振り下ろされる太刀を前に眼を見開いた。
(疾い……!)
エキドナの行動が遅れたにも関わらずメフィストフェレスが容易に避けられたのは、偏に予測出来たからである。
オルトロス、メフィストフェレスは言わば同じ血から生まれた。
故に同じ思考回路を持つ、と迄はいかないが今から何をやろうとしているのかが大体判る。
自らの創造主であるカルシファーを護るという一つの行動理念の元、動いているからだ。
しかしエキドナは違う。例えカルシファーの為を思って働いていたとしても彼女は生まれが違うのだ。
この些細な差が、彼女の回避行動を遅らせた。
結果、眼前に迫り来る白銀の刄はまるで時間が止まったかのように緩やかに、そして次第に大きくなってエキドナの眼に映り、
「ま――」
待て。
そうカルシファーが制止する間もなく彼女に収束されていく。
――唐竹割り、と呼ばれる剣術の斬り方がある。
それは読んで字の如く竹を縦に真っ二つに割るような、上段の構えから力強く斬り下ろす剣技。
人体の弱点でもあり中央を通る正中線を両断せんと脳天から一気に股まで斬り割りする。
上から下へ重力と刀自身の自重を利用した唐竹割りは、無論加減出来るような技ではない。
殺しの芸であった。
詰まる所蝦夷狼は赤楝蛇を、本気で、殺す気でいた。
「シッ!!」
風が呻き声を上げるように嘶いた。
手加減無しの一戟に太刀が空を切り、部屋の片隅に置かれた花瓶が小刻みに共鳴する。
オルトロスは勢いを殺すことなく、一切の躊躇なく振り切り――――
「――!」
何かに気付いた様に直ぐに半歩跳び下がり、エキドナから距離を取る。
そして感じた手応えの無さと、己が手の違和感に短く舌打ちをした。
「魔人に肩入れして何の心算だ貴様……」
彼が、握っていたはずの太刀はいつの間にか跡形もなく消え去っていた。
「別に肩入れした心算はないが……それよりも今――――本気で殺ろうとしたな?」
相対するエキドナは、飽くまで静かに薄い冷笑を湛えながら睥睨する。
はらり、と黒髪が一房扇状に宙を舞う。同時に白く絹のような頬に赤い縦筋が入った。遅れて数瞬着物の胸元が裂ける。
頬をつうと真っ赤な血が伝ってゆく。やがて口元まで到達したそれをエキドナは舌で艶めかしく舐め取った。
普段の何処か気だるそうな雰囲気も、最早ない。
鉛のように重苦しい空気の中、睨み合う二人の間からは猛烈な臭気が立ち込めていた。
発生源は床。
鉄板で焼いた肉のように芳ばしい音を立てながら床は溶けていた。紫煙を朦々と上げた床から忽ち室内に立ち込める饐えた臭い。
くさい、と堪らず呻いた魔人は苦りきった顔をして鼻を摘み、そしてある一点を見て驚愕に目を開いた。
「えっ!?ゆ、指が!」
驚くのも無理はなかった。
「…………」
魔人の視線の先、オルトロスが太刀を握っていた右手の指の第二関節から先には、本来付いている筈のものが無かったのだ。
指先の肉だけが溶けたように五指全て、脂肪も皮さえない。まるで骨兵の様に純白の指骨のみ。
中節骨の継ぎ目、肉と骨の境界面は煮え滾る火山のように絶え間無く泡を吹き溢していた。
魔人にはあの一瞬の内にエキドナが何をしたのか全く分からなかった。
「席が一つ開くなぁ。確か貴様は四位だったか。ふむ、悪くはない」
その言葉に傍観していたメフィストフェレスも、カルシファーを守るような位置取りに動く。
「騙るな売女。やはり貴様は此処で殺す」
「……何だって?」
腐乱臭にも似た臭いによって、唖然としていたカルシファーも漸く現状を精確に理解する。
一瞬にして行われた一連の攻防は、冗談では済まされない話だ。
「オルトロス、止めろ。これは『命令』だ。勝手な真似はするな。エキドナも理由を聞かせてくれ。何故、俺達と魔人達が手を組んだ方が良いのかを」
エキドナは人差し指で下唇に触れながら少し考えた後、頬の傷口を優しく撫でる。
「ふん……まあいいか、”代償”は貰ったしな。ああ、もう一度言っておくが別に私は魔人に肩入れしてる訳じゃない。魔人とはタダの友達だ。最近良く喋っている」
暇だったのでな、と恨めしそうに床に落ちた髪を見た。
頬の傷よりも一房の髪が気になるのはやはり彼女も乙女なのだろうか。
エキドナの言葉に魔人は、「友達……」と少し嬉しそうに呟いた。
明らかに締まりのない顔をしている。
確かリリスが報告に上げていた。
エキドナがちょくちょく魔人の部屋に出入りしていると。
「それで「私が話すわ」
エキドナが再び口を開いた時、魔人はそれを制した。
そして一度深く呼吸をし、自ら語り始める。
「簡単に言うと……実は、魔王の復活の時期がかなり遅れているの。このまま復活しないのではと思う者も魔人の中にはいる。そこで私達は例の大地に目をつけた。そこにはこの世の全てが有ると言われている。魔王を復活させる方法すら」
世の全てがある。
この世界に来る前のカルシファーなら、そんな馬鹿げた話と一蹴していただろう。
しかし今は半信半疑ではあるがそれもあり得るかも知れないと思っていた。
自分自身が馬鹿げた話を身を以て体験したのだから。
「でもそこには想像を絶する強さの魔獣や亜人がいて、しかも苛酷な環境らしいの。全て聞いた話だけどね」
「そして――恐らく其処が、私が前に語った長耳族の原点である青い花が在った場所。そう睨んでいる」
乱れた髪を梳きながら締めくくったエキドナの言葉に、僅かにオルトロスが反応した。
長耳族は元々長命種ではなく、古のある日を境に永き生命を手に入れたとされている。瀕死の長耳族を瞬く間に超回復し、その子孫すら長寿になったとつたえられる御伽噺の中の青い花。信憑性は極めて低いが喉から手が出るほど欲しい物であった。
魔人の話からカルシファーは再度考える。
(可笑しな話ではない。ならば大昔から既にヴァルハラはこの世界に存在したということか。誰にも見つかっていないだけで)
しかし魔人達とは友好的にいきたいとは思っていたが、共闘となればまた話は違ってくる。
此方の手の内も見せねばならないしその逆も然り。何分魔王一派という大きな勢力だ。
もし、懐に潜り込まれた上に裏切られでもすればその代償は計り知れない。
恐らくオルトロスはそれを危惧していたのであろう。中途半端に力を持った信頼出来ない者を懐に入れるべきではない、と。
そして彼の性格上それを承知して尚、事もなげに魔人との共闘を推したエキドナを許せなかったのだ。飯事程度のお遊びではなく、殺るか殺られるかの世界の話だ。
(それにしても仲間内で本気で殺そうとするは……冷静になって考えたらマズイな。胃が痛い)
忠義が強すぎるのも厄介である。
オルトロスは軽はずみなエキドナとは特に相性が悪い。
正式に仲間になったとはいえオルトロスにとって血を分けた同胞以外は総て敵。
出目が違えば溝は深い、か。
(今一度話し合う必要があるか)
「で、どうなんだカルシファー」
痺れを切らしたエキドナが問い掛ける。
「ああ、話は分かった。では魔人達は何を対価に協力を申し込む?」
問題は対価だ。
魔人達も別に無償で協力など求めないだろう。
と、出来る限り優位な立ち位置で交渉に臨もうと考えるカルシファーに対し、
「屍者の大地への切符を」
「切符?」
「行くにはある物が必要よ。それを提供するわ」
魔人ははっきりと言い切った。
メフィストフェレスの視線が鋭くなる。少し怯えた魔人はそれを隠すように喉を鳴らした。
つまり、魔人達が持つ何かがないとヴァルハラへは到達出来ない。
彼の大地へ踏み出す権利と、魔人達に協力する事が交換条件。
大きく出たな、とカルシファーは思う反期待と好奇心がそれに勝っていた。
だが、何方にせよ安易に今この場で決定するのは無理である。詳細を煮詰め、充分に相談する必要がある。
アインザッツは今、全ての人間に対し戦線布告した状態であり為すべき事が非常に多い。
街の再建、近辺の掌握、この国との戦争、亜人達の囲い込み。
それに下手をすればこの件は、人間を相手取る戦争より慎重さが要求される。
「ん?骨と猫と狐と……おお、もう一人」
取り敢えずどうするかとカルシファーが思案した時、徐にエキドナが呟いた。
何時の間にかベッドに腰を下ろし、布団の中に無理やり潜り込もうとしている。それを魔人が抑えて止めていた。
暫くするとノックの音が聞こえる。
「ご主人様。先程街に魔人の女が現れました。何やら話がしたいと。そして、私たちでは判断出来ないので連れて参りました。危険がないよう調べて拘束していますが扉越しで宜しいでしょうか?」
扉越しにリリスが言った。
魔人の顔を見る。
「知り合いか?」
「……分からないわ」
「オルトロス。開けてくれ」
「しかし」
「開けてくれ」
この魔人は恐らくウッドベリーの件を知ってから来たのだろう。魔人みたいに偶々ではない筈だ。
「御意」
オルトロスは渋ったが、メフィストフェレスに目配せすると頷いた。
メフィストフェレスは庇うように目の前に立った。
「オルトロス……指、治るのか?」
「――無論。申し訳有りません」
短く返したオルトロスは注意深く扉へ歩む。
「カルシファー」
「なんだ?」
ベッドの上で上体だけ起こす魔人の横で、すっかり布団に収まったエキドナが顔だけ出して言った。
「悪く思うなよ。本気でやらねば今頃私が真っ二つだった。忠義だけは見上げた男よの」
「仕方ない。オルトロスなら直ぐに治るだろう。しかし勘違いされるような軽はずみな言動は止してくれ。オルトロスにも後で強く言っておく」
肉が溶けただけ。
オルトロスの自己快復能力ならそれほど時間は掛からないだろう。
「努力しよう」
少し歯切れが悪そうにエキドナは了承した。
「エキドナも傷は大丈夫なのか?」
「なに?心配してくれるのか?嬉しいな」
「あっ――ちょっ、どこ触ってるのよ」
珍しく照れているのかエキドナは布団に潜り込みもぞもぞと動く。
「……大丈夫そうだな。でもあまり迷惑を掛けるなよ。彼女もまだ怪我人だ」
「分かってる」
くぐもった声で返事が聞こえた。
二人は戯れているが魔人の方も満更ではなさそうなので、そのまま放置することにしたカルシファー、その耳に聞き慣れない声が入った。
いつの間にか扉は開いていたようである。
「こんにちは」
女、いや、少年とも取れる中性的な声。
魔人の正装なのかその声の主は、魔人と似たような黒の外套にすっぽりと身を包んでいた。酷く存在感が薄い。
そして嫌でも印象に残る顔。正確には両目を覆うように横に奔ったジグザグの縫合痕。
小柄な体躯と端整な容姿も相まって、喩えるならツギハギだらけの西洋人形。不気味さの中に確かな美しさがあった。
「お初にお目にかかります。私は魔人。ルキナと言います」
丁寧な言葉で軽く会釈をする。
魔人と言えばどうしても気性が荒く粗暴で尊大なイメージがあったが、どうもそうでもないようだ。
背後には抜き身の刀を持った狂骨、左隣はエキドナを見留めて怪訝な顔をするリリス、右隣には少し不機嫌そうなジルに挟まれ後ろ手に手錠のような鎖で厳重に拘束されていた。
恐らく魔力を封じる拘束具か何かだろう。
そこまでしなくても、と思いながら言葉を返す。
「どうも。城主のカルシファーだ。それで、何か用か?」
訪ねてきた内容は判るが敢えて聞く。
大方、魔人に聞いた通りの話だろう。
魔人は反射的にその小さな口を開きかけ、直ぐにまた閉じた。
少しの沈黙が訪れる。
(あれ?変な事でも言ったか?)
「おい」
ジルが脇腹を小突いた。
ハッとしたような顔で魔人は言った。
「あっ、すみません。えーと彼女が此処にいるという事は話は大体聞いていますよね?」
本当に盲目なのか疑うくらい先程から正確に此方を向いて話している。
「ヴァルハラという場所の攻略に協力するか否か、と」
魔人はカルシファーの返事を満足そうに聞いて一つ頷き、
「でしたら話は早い方が良い。そうですね……十日後。十日後に保守派の魔人達を連れてきますので詳細を話し合いましょうか。まあ魔人も一枚岩ではないので」
「待て、まだ協力すると言った覚えはないが」
条件を飲むといった程で勝手に話を進める魔人にカルシファーが待ったを掛ける。
そこで彼女はぼそりと呟いた。
「身体が悪いのなら尚更、急いだ方が良いと思います」
アリシアはルキナの言葉の意味を理解しかねて首を傾げた。
その傍ら、対称的な反応を示したのはそれ以外の者達。
狂骨の空虚な眼窩は鈍く輝き、メフィストフェレスはカルシファーの上着の袖口を小さく握った。
(声帯で、それすら判るのね。この魔人は。失敗だったわ)
リリスは入室させた事を後悔し、そして魔人という種に対して一層警戒心を高めた。
だが――
「失礼しました……。勿論他言する心算はありません。僕もまだ死にたくはないですから」
今この場で処分する訳にはいかない。
手掛かりが一つ消えてしまう。
一方カルシファーも表面上は平静を装いつつも内心では驚き、そして渋い顔をしたかった。
飽くまであまり興味が無いフリをしつつ、有利を以って魔人達と交渉しようと思っていたのが御破算だ。
何故分かったのか知らないが。
「貴方達が望む物も必ず屍者の大地にはあるでしょう。全てがある場所ですからね。僕たちは純粋に、少しだけ共闘して欲しいだけです」
「……判った。10日後に詳細を煮詰めよう。しかし、他の魔人は来るのか?」
言わば敵陣のど真ん中。
恐れ知らずの魔人にしてもこの城に漂う死臭は些か辛いのではないか。
「いマサラ、オじケづいタカ?」
カルシファーの言葉に少し考え込むような素振りを見せた魔人を、骨兵の王が嘲笑う。
それに対し魔人も、不気味な笑みを浮かべて返した。
「えーと、虎穴に入らずんば虎子を得ず……極東の諺でしたか。間違い無く来ますよ」