23.交点
23.交点
人間の勢力下はイベリア王国が屈指の街、ウッドベリーを征圧してから早三日が経過した。
その僅かな間にも、アインザッツを取り巻く環境は変化を遂げていた。
先ず陣営としての負傷者。今現在メタトロンは謹慎という名の療養に務めている。
既に八割方回復しているが、カルシファーにより一週間城外偵察及び任務への参加の禁止を命令されていた。
次いでウッドベリーの処理と今後の準備対応に関しても、昼夜問わず決行されている。
犬の獣人達も近辺の同族集落を巻き込んで移住を始め、街の整備と清掃を手伝っている。
種族人間は誰一人としていない、完全な亜人の街が出来上がりつつあった。
「街の首尾は?」
カルシファーは安楽椅子に深く腰掛けながら側に立つアスタロトに向けて言った。
これから一国となるであろう街の状態を自らの目で確認したかったが、もう少し落ち着いてからと彼らに懇願されている。
あと少しの間は城内で待機だろう。
アスタロトは手元にある台帳に一度目を通す。
「大方片付くまで後三日は掛かります。街の食糧と金品、武器防具の類についてはそれぞれ分けて保管して計量しており、とりあえずは死骸と腐臭の除去、及び倒壊した家屋等の整備を優先させています」
台帳はまだまだ未完成ですが、とアスタロトは続ける。
「同時に、アガリアレプトが帰投するのが本日。それを受けて人間側から反応があるとすれば約三日。ここ数日間は少し忙しくなるかと」
予定では、本日中にアガリアレプトは帰ってくる。
無論、何も問題が無ければである。
「そうか。……城門の修復を優先させてくれ。イフリートがデカイ穴開けただろ?」
可能性は薄いと思うが数日間の内に人間達が大挙して攻めてきた場合、城門が無ければ少々面倒な事になる。
近づかせなければいい話だが、移住してきた住民達に悪戯に不安を抱かせるし何より見栄えが悪い。
「伝えておきます」
城塞都市、というモノに拘りを感じていたカルシファーは余裕が出来たら増築しようと考えていた。
いっその事街全体を要塞化してもいいかも知れない。
「後、ウッドベリーの娼館で捕まっていた奴隷なのですが」
やはり、ウッドベリー内にも亜人奴隷が居た。既にかなりの数が解放されている。
「珍しい所で長耳族が数名、それと……海鮫人が一人」
”ロドン”とその単語を口にした時、アスタロトは珍しく渋い表情をした。
「そうか。長耳族はあの話の手掛かりになるかもしれないな。話が出来る状況なら連れて来てくれ。出来るだけ丁重に扱うように」
エキドナが話したエルフの起源にまつわる妙薬の話。
真偽を知る為にはエルフの国に入る他なく、その手段を得るには協力をこぎつける必要がある。
何故なら、国出身のエルフとその同伴者でないと踏破出来ない強固な魔術が、付近の山脈一帯に施されているらしい。
「それにしても海鮫人か……面倒だな」
カルシファーも眉間に皺を寄せた。
――海の覇者、海鮫人。
水上戦闘では一強、とまで言わしめる海洋部族であり、特徴として気性が非常に荒い。
航海中の船の沈没原因は海鮫人と大時化に二分されると船乗り達の間で実しやかに囁かれるほどだ。
自分達の縄張りに侵入すれば、大海蛇だろうが魔人だろうが喧嘩を売るような種族である。
現に、Asgardでも海洋を利用する際初中後戦闘になっていた。
恐れを知らない気性が荒い部族、ただそれだけならカルシファーだって面倒だとは思わない。
何より、彼らとは意思の疎通が出来ないのが問題であった。
彼ら海鮫人は独特の言語で会話し、海中では超音波で仲間と意思疎通するのだ。
大陸で使用される共通言語は使えない。
カルシファーが対応を考えていると右腕に柔らかいものを感じた。
「ねー何が面倒なの?ご主人様」
可愛らしく小首を傾げ、右腕に纏わりつくのは白銀の髪を揺らす小さな鬼。
線のように細く雪のように淡い肢体は、それだけで美術品の如く触れる事すら憚られる。
「……わたしが全部壊すから大丈夫。だからご主人様は」
——安心してね、と前半は凄まじい怨嗟の籠った声で呟き、後ろ半分は愛らしい笑みを湛えてメフィストフェレスは言った。
「あ、ああ」
カルシファーは引きつった笑みを浮かべた。
メフィストフェレスが日を重ねるごとに感情の起伏が激しくなっていくと共に、自分に依存していくのが怖かった。
(ヤンデレ……というものとはまた違うのか)
そういえばそんなジャンルが存在したな、とカルシファーは意味もなく思った。
天敵であるリリスがいない為、此処ぞとばかりにべったり絡みつくメフィストフェレスを適当にいなしながら、壁沿いにて終始無言で佇むオルトロスにカルシファーは目を配る。
もう少しで約束の時間の筈だった。
「……御意に。行きましょう」
意を汲み取ったオルトロスは頷くや否や、もたれていた壁から腰を浮かす。
それに呼応して腰に据えた刀が小さく音を立てた。
「メフィストフェレス。少し用事が有るから待っていてくれ」
「ご主人様……まさかあの女の所にいくの?わたしも行く!」
随分人聞きの悪い事をいう、とカルシファーは苦笑する。
(まるで浮気しているみたいではないか)
あの女——魔人の一人であるアリシアが話がしたいと願い出たのはつい昨日の事だった。
言わば殆ど、この城に軟禁状態なうえ此方からの接触は全面的に禁止しているので、遅かれ早かれ自発的に彼女から願い出るのは必然だった。
実際はエキドナが何度かちょっかいを掛けにいっていたらしいが。
「いや、ここで待っていてくれ。直ぐに戻るから」
同じ人間と敵対している者同士、魔人側との関係は良好で在りたいのが本音である。
ファーストコンタクトはイフリートが見事にキメてくれたが、まだ挽回出来る……と信じたかった。
故に、不用意に威圧しないよう最低限の人数でオルトロスと二人だけで行く事に決めていたのだ。
唯でさえ魔人アリシアは怯えていたのに、ここで更なるプレッシャーは掛けたくなかった。
「ダメ。危ない」
しかし応じる心算はない。
「……分かった。部屋の外で待つならいい」
オルトロスが口を開きかけるが、それより早くカルシファーは妥協案を提示する。
メフィストフェレスは渋々頷き、オルトロスは些か不満気な表情をしていた。
▼▼▼
無骨な石壁と石畳に染み込んだ浅黒い血と饐えた臭いは、その場から離れまいと必死の抵抗を続ける。
遠くで、人間達の屍体を纏めて焼却処理をしている。その焼け焦げた芳ばしい肉の臭いがいやに鼻に付く。
「はあ……」
水魔法が得意な者がいれば多少は捗るのに、とリリスは溜息を吐いた。
目の前では主に獣人達と、アインザッツの数少ない兵士達が街の清掃に従事している。
千以上もの人間の血と肉だ。そう易々とはいかない。
彼等が魔法の一つでも使えたら話は早いが現実はそう甘くなかった。
また、リリス自身も『水』は専門ではない。
従って皆、原始的な手作業で汗水垂らして動いている。それも必死に。
当然、この後自分達がここに住むとなれば嫌でも真面目に掃除をする。
誰も腐臭と血の染み付いた街になど住みたくない。
そんな中、腕を組みながら全体の監視をしているリリスに近付いてくる影があった。
「リリス様!第1区、第2区の清掃及び建築物の補修は完了致しました。次は第3区に取り掛かっても宜しいでしょうか!」
まだ歳若い少女の犬獣人は、元気に尻尾を振りながら、リリスに指示を伺う。
顔は喜色を浮かべて笑みは絶やさないが、諂いはなく、ただ純粋な好意が感じ取られた。
「……えと。あー……いいわ。3区が終われば順次第6区までやって頂戴。それからまた聞きに来なさい」
「分かりました!」
そう少女は元気良く返事をして再び走り去って行く。
「…………」
(態々此処まで聞きに来なくてもいいのに)
近い場所にいるモロクに聞きにいかないのはやはり怖いからだろうか。
確かに見た目は恐ろしいかも知れないが、ウッドベリーで実質指揮をとっているのはモロクだった。
ルシファーもいない、アガリアレプトも任務でいない、となればこういう戦闘行為以外の指揮を的確に採れるのは彼ぐらいだったのだ。大きな図体とは裏腹に、合理的で慎重なモロクである。
「はぁ……早くご主人様の元へ帰りたい」
リリスは何度目か分からない溜息を吐いた。
モロクの補助としてリリス、そしてジルがウッドベリーに残っている。
ジルに関しては同じ獣人同士何かとやり易いだろうとの事で来ている訳だが、少々問題がある。
予想はできていたが本当に働かなかった。
「ねむい」と一言、早々に何処か消えてしまった。
モロクはそれを別に注意する訳でもなく、ただ黙々と自分のやるべき事をこなしている。
リリスもまた、注意してものらりくらりとかわされるのは目に見えているので、敢えて放置していた。
別にあの猫が手伝ったところで作業効率が上がるわけでもないし、寧ろあの怠惰さは周囲を巻き込むかもしれない。
(ただ戦えばいい、という時代は終わったのかしら)
今までは創造主であるカルシファー、並びにルシファーが殆ど取り仕切っていたので、まさか自分にもこういう役目が回ってくるとは思わなかった。
後始末など二の次に、ただ只管に戦場に赴き同じ円卓を囲う者達と轡を並べて敵を蹂躙する毎日。
それが今や兵糧の計算、住居の住み分け、食糧の生産、武具の配当に財源の管理。
他にもやらねばならないことと解決すべき問題は山積みである。
情けない話だがルシファーが如何に有能だったか気付かされた。
(でも駄目ね……私達がご主人様の負担を少しでも減らさなきゃ)
カルシファーの身体の件については殆ど伊奘冉に任せっきりである。
それについて自分が何もできない事を歯痒く、そして情けなく感じる一面、今できる事から確実にやろうとリリスは思った。
「リリス様。少し宜しいでしょうか」
後ろから声が掛かった。
リリスが振り返ればそこには獣人の青年が立っていた。
強い意志の宿った瞳と精巧ながらも自信に満ちた顔つきは、それだけで彼が獣人の中でもリーダー格だということを報せる。
自分よりも圧倒的強者の前に立ちながら臆することのない様は、先ほどの少女とは違った意味で素直に感嘆に値した。
(確か、バルなんとかだったっけ。ジルのお気に入りの)
ジルが珍しく自分より格下の相手の名前を覚えていたので、リリスの中ではバルサムはジルのお気に入り、ということに勝手になっていた。
本人がそれを聞けば何かしら文句を言うかも知れない。
「何か問題が?」
「いえ、この街に収監されていた亜人奴隷……主に獣人ですが、その者たちが是非お礼を申し上げたいと言っておりまして、自分には判断がつかない為報告に上がりました」
最初のうちはたどたどしい言葉使いのバルサムだったが、今は随分敬語に慣れてきていた。
「そう。一応ご主……カルシファー様に報告しておくけど謁見は多分できないわよ」
「有難うございます」
「あ、解放された奴隷の中に魔法が使える者がいるか判る?」
ウッドベリーの中にも畜生以下の生活を余儀なくされた、人間に飼われた奴隷達が居た。
当然持ち主が死ねば奴隷は解放される。
カルシファーは解放された亜人の奴隷達には順次住居と仕事を与えるつもりだったが、実際問題まだそこまで話が進んでいなかったのだ。
「確か長耳族が二人居た気がします」
エルフは総じて魔法に長ける、というのが通説である。
あわよくばそれを利用してさっさと掃除を終わらせたいリリスは、どうせ何もすることがないのなら手伝わせてもいいだろう、と軽く考えていた。
「とりあえず全員作業を手伝わせといて。処遇は近いうちに決めるから」
——直ぐ行きます、とバルサムはその場を後にする。
獣人達の統括はバルサムがしている。
誰に命じられた訳でもなく、自然にその位置に落ち着いていたのである。
「リリス様。ジル様から伝令が」
「なに?」
次に彼女を訪れたのはリザードマンだった。
今日は忙しい、とリリスは思った。
彼は律儀に片膝を着き、失礼しますと断りを入れてから言葉を発する。
「『なんか来た。西門辺りにいる』……との事です」
「はあ?それだけ?」
リリスの一言にリザードマンはビクっと肩を震わし是と肯く。
知らず知らずに不機嫌オーラが溢れでていた事をリリスは気付かない。
「まあいいわ。分かった。ご苦労」
いきなり伝令を寄越したと思えば内容が適当にも程が有る。
流石に文句の一つでも言ってやろうと、リリスは西門へと向かった。
▼▼▼
「直ぐに来れなくてすまない」
「ええ……」
この質問は失敗だったな、とカルシファーは微妙な顔をした。
話が続かないし何よりアリシアの視線は背後にある扉を凝視していた。
扉一枚越しに禍々しい気配を感じる。
「あれは気にしないでくれ」
メフィストフェレスは魔人アリシアをかなり敵視している。
城の中にいる異物的な意味でも、また同じ悪魔であるリリスに容貌が似ている点——所謂スタイル的な意味でも。
「それで、今日は何か聞きたいことでも?」
軽く咳払いしてカルシファーは言った。
ベッドではなく椅子に腰掛けるアリシアは、一度俯きすぐに視線をあげる。
怪我の容体は見た感じあまり良くないらしい。
となれば帰る、という訳でもない筈だ。
「そうね。何故私がこんな所まで来ていたかなんだけど……」
そう言ってアリシアは話し始めた。
▼▼▼
太陽は罪だ。
青い空に白い雲、心地よい風に柔らかな陽光。
背中に感じる照り返しで火照った煉瓦。
その全てが塩梅の良いアクセントとなって、より一層微睡みの世界へと誘う。
逆らうことの出来ない不可抗力の魔法。
「ふぁ……」
完全にジルはその魔法に囚われていた。
しかし、その至福の時も長くは続かない。
——不意に、ジルの耳がピクリと反応した。
「…………」
それと同時に瞬時に上半身を起こし周囲を見渡す。
近い、とジルは感じていた。
そして一度大きな欠伸をすると屋根から勢いよく飛び降りる。
高さ何メートルと在ろうとジルには関係ない。
彼女にとって音も無く着地するのもお手の物だ。
「おい」
「はいぃ!!?」
リザードマンは驚いた。
いきなり目の前に自分の上司にあたる人物が、文字通り空から降ってきたのだ。
「リリスに何か来た、西の門辺りにいるって伝えてこい」
「わ、分かりました」
手短かにそう告げるとジルは踵を返し、門の方へと歩いていく。
折角の昼寝日和に闖入者など全く笑えない。
さてどうやって嬲ろうか、など考えていると予想外に早くソレと出くわした。
「んんー?……誰だお前」
とりあえず問い掛けてみるが敵意がまるでなく、仕掛けてくる気配もない。
少し威圧するも脅えた様子は微塵もない。
可笑しいなとジルは首を傾げた。
自分より全然弱いのに。
その女はフード付きの黒の外套を羽織り身体の輪郭を隠していた。
ただ、一つだけ分かる事があるとすれば、腐った人間の臭いがしないという事だけ。
(怪しい……)
はっきり言ってジルにすら、ジト目で睨まれる程怪しい奴だった。
暫くの無言の後ジルが再び問い掛けようと一歩前に出た瞬間、その女は漸く口を開いた。
「こんにちは猫の獣人さん。僕の先にもう一人来てた筈だけど……知らない?」