22.黒長耳族の隠れ郷2
22.黒長耳族の隠れ郷2
「素晴らしい」
エリザ=ラルの覚悟を見て思わず笑みが溢れたアガリアレプトの横で、兄、カイル=ラルは驚愕に包まれていた。
様々な思考が彼の脳内を駆け巡る。
(待て、今俺の妹は何を言った?力を貸してくれ?……初対面の、数分程度しか話してない他種族の男に?対価は何でもする……?)
「だ、駄目だ!そんな事は認めない」
「……お兄様?」
珍しく声を荒げたカイル=ラルに、エリザ=ラルは目を丸くした。
他の者には厳格な兄も妹だけには甘い、そんな常識が少なくとも彼女の中にはあったからだ。
「アガリアレプト殿に迷惑だろう。第一、初対面の彼に何て事を頼んでいる。それに……我々種族の問題を、他種族に頼むべきではない」
一見筋の通ったその言葉に、エリザ=ラルはしかし溜息を吐いて呆れたように頭を振った。
「頼むべきではない?……お兄様は全く分かっていませんね。……いいえ、分かっているでしょう?本当は。私たちの滅亡は最早避けられないという事実を」
「だが――」
「だがもしかしも有りません。まあ、それは一旦置いておきましょう。ところでお兄様はアガリアレプト殿についてどうお考えで?」
突然一変して会話の内容を変えるエリザ=ラル。
カイル=ラルはもどかしさを感じる反面、悲しいと思った。
何時もこうだった。
妹、エリザ=ラルは出来過ぎる。
まるで同じ兄妹とは思えないほどに。
会話の主導権は必ず妹、頭の回転が速く物覚えも良い。勉学にも長ける。しかしそれでいて人当たりも良く、他者からの評判も頗る良い。
更には比較的美形の多い黒長耳族の中でも、頭一つ飛び抜けた美貌の持ち主。
それから腕っ節も強い。
特に厳しい修練など積んでいないのに次期族長である自分をも上回る歩武。上級魔術師に劣らない魔力とその流用手腕。
誰に依存する訳でもなく出来ることは全て一人でこなす。
子供の頃からまるで手のかからない妹だった。
『完璧』、という言葉は彼女の為のものかと真剣に考えたこともある。
だが、同時に悲しかった。
頼られたことは疎か、頼み事をされたことも一度もなかったからだ。
「――ああ、すなまい。……本人の手前評価失礼だが、アガリアレプト殿は純血種の吸血鬼でありながら、不手際のあった初対面の私たちにも友好的なお方だ。かなりの人格者。そして強い」
返事を待たせたのにも関わらずエリザ=ラルは顔色一つ変えなかった。
何処か嬉しそうに兄の言葉に耳を傾けていた。
「そうですね。アガリアレプト殿は強い。では、具体的にどのくらいでしょうか?」
「少なくともこの島に暮らす者たちよりは。若しかしたらお前よりも強いだろう」
「――ふふっ、お兄様。そんなものじゃありません。私と比べるなんて烏滸がましい。アガリアレプト殿は確実に大陸随一……いえ、噂に聞く魔人よりお強いでしょう」
少年に恋い焦がれる少女のように、花のような笑みを浮かべてエリザ=ラルは言い切った。
だがカイル=ラルはそんなことよりも、妹の発言を指摘した。
「エリザ。何故お前がそんな事分かる?この島から、出た事がないだろう!」
知る限り、エリザ=ラルだけでなく現存するこの島の黒長耳族は大陸に足を踏み入れた事がない。
にも関わらず大陸を知っているようかの発言。
かつて自分が、実際に大陸の強者達と相見えたかのように話した。
出来の良すぎる妹から時折感じる違和感。
何処かチグハグの、不完全なパズルのように何かが欠けている。
しかしその原因が何か、違和感の正体は結局の所分からない。
「――え?……あれ?確かにそうですね。語弊がありました」
カイル=ラルに指摘されたエリザ=ラルは、小首を傾げて顔にはてなを浮かべた。
彼女自身も自分が何故そんなことを言ったのかよく分からなかった。大して気にもならなかった。
「でも、この島の人間たちと一人で戦えるほどお強いですよ」
そしてにっこりとアガリアレプトに微笑みかけて、
「ですよね?」
確信めいたように同意を求めた。
アガリアレプトはその問い掛けに応えず思考する。
(自分よりも強い者の実力まで粗方測れるほどの観察眼。兄妹にしてここまで開きがあるとは。何か事情が有りそうなものですが……)
側から見ればこの少女は隙がなく、正に才色兼備だろう。
――だが、故に思う。
そんな生き物は存在しない。誰もが何かしら、必ずしも一つは欠陥を抱えているのだ。
しかしそれを含めても、
「……丁度、頭の良い部下が欲しかった所でして」
欲しい、というのが本心である。
彼ら黒円卓議会の面々に直属の部下は居ない。下士官といえば今となっては数少ない兵士達だけになる。
尤も、彼らの手足となって動けるほど使える人材が居ないのだ。
そう考えればこの少女は優良物件に思えたのだ。
何も、力仕事だけがご主人様に貢献する方法ではないのだから。
「ではお手伝いして下さるのですね!」
喜色を浮かべ、心底嬉しそうにエリザ=ラルは言った。
「いいでしょう。約束通り成功報酬として貴女を貰います。決して悪いようにはしません」
アガリアレプトにとってエリザ=ラルからの提案は降って湧いた話だった。
どの道大陸に戻るには、人間達から船を奪わなくてはならない。
それに少しだけ手間が増えただけの話。
急ぎではあるが、将来性を考えればここで彼女を貰うのは悪くない話だった。
だがその話し合いの傍ら、如何にも不満そうな顔で口を開きかけている男が一人。
「貴女の兄は、納得していないようですが」
それも当然。
幾ら賢いと言えど、多少は嫉妬しようが、血の繋がった妹である。
自分の身を対価にこんな馬鹿げたことを言い出すなんて思ってもみなかった。
「お兄様。この件に関しては他の者たちも間違いなく賛成する筈です。この好機を逃してしまえば次はありません。心配しないで下さい。私は大丈夫です。お兄様の仰る通りアガリアレプト殿はお優しい人で、そして私より強いのですから」
そこまで言われると、カイル=ラルは何も言えない。
反論する余地があるとすれば兄として妹を思う感情論だけ。しかしそれも前述した自身の言葉によって否定することも出来ない。
歯痒い思いを胸に口を開いた。
「……判った。皆に協力するように通達する」
「ありがとうございますお兄様」
悔しくない、と言えば嘘になる。
だが妹と論述の掛け合いをしたとて必ず負けるのだ。
何故通りすがりの吸血鬼がここまで協力的なのか?例え、何か裏がある、若しかしたら人間と繋がっているかも知れないと弾糾しても言い負かされるだろう。
何故ならこの集落には妹以上に人を見る眼を持つ者が居ないから。
「ではアガリアレプト殿。早速詳細を煮詰めましょう。湾口の簡単な見取り図を用意してきます」
容姿、人望、武力、頭脳。
全ての能力於いて妹に劣る、名ばかりの次期族長。
もし妹が男なら、長兄である自分を差し置いて族長になっていたであろう。
それでも自棄を起こさなかったのは、ひとえに妹を大事に思っていたからなのかも知れない。
◆◆◆
「ハァ……ハァ……んっ」
夜の帳はとうに降りていた。
宵闇に包まれた森の奥で荒々しい呼吸音と水滴の落ちる音が聞こえる。
油を差した水釜の光は闇夜に同化しそうなほど仄暗い。その光が微かに漏れるのは小さな掘立小屋である。
「はぁ……ふぅ……」
ゴゾリ、ゴゾリと硬いものを刃で間碾く鈍い音がする。
彼女が右手に持つのは錆び切った鈍色の鋸だった。
手に余る大きさの鋸を一生懸命押しては碾く。それを永遠繰り返す。
仄暗い光に照らされる彼女の顔は明らかに上気し、そしてだらしなく緩んでいた。
蒸せ返るような生腥い血の匂いはちっとも気にならない。
それすら彼女を興奮させる一つの要素であった。
「ハァ…………あれ?」
彼女の碾いていた鋸が、遂にはソレを切断した。
「あっ、死んでる?」
狭い小屋の中で分娩台の様なものに寝かされていたのは裸の、人間の男だった。
頭の先から手足まで鉄製の拘束具に強固に縛られた男は、苦悶に表情筋を引きつらせながら既に息絶えていた。
本来在るべき両の目は刳り抜かれ、色を失った眼窩が今も虚空を睨んでいる。
鼻は削ぎ落とされ真紅に染まった軟骨が露出している。
口の中には無造作に藁が詰め込まれ、頬はまるで栗鼠のように膨らんでいた。
少女は不満気に眉を顰めると、左手で抑えていた男の右脚を分娩台の下に用意されていた盥の中に乱暴に落とした。
そして指先に付着した血を一本一本丁寧に舐め取りながら、右手の鋸を置き、自身の下半身に手を滑らせる。
「……まだ」
だが途中で止めた。
行き場を失った右手で再び鋸を握ると、今度は男の左脚に手を掛ける。
そして同じように一定の拍節を刻みながら鋸を碾く。
皮膚、脂肪、筋肉、大腿骨と順に、徐々に手応えを増す手の感覚に興奮を覚える。
少し残念だったのは対象が骸に成っている為の出血の少なさと、限られた稼働範囲での精一杯の抵抗がないことだった。
「はぁ……はぁ…………ふふっ」
知らずの内に笑みが溢れる。
他の者たちは何も知らない。
大陸に隔絶された島の、更には森の奥という限定された集団の中でも十数年間全く気付いていない。
友人も、隣人も、人間も、何時も気に掛けてくれる兄も、産みの親さえも。
皆、自分が完璧で何でも出来る欠点の無い人物だと、盲目的なほど思い込んでいる。
――でも、それが良い。
「……んぅ」
より一層背徳感が増し興奮に拍車がかかる。
他者から見た自分は壊れているだろう。
確実に狂っているだろう。
――しかし、この快楽と引換なら、壊れていても一向構わない。
少女は常々思っていた。
「…………?」
若干、前屈みになり内股擦り合わせていた少女は突如手を止めた。
切断まで後僅か、皮膚だけで辛うじて繋がっている脚を前に少女はすっと目を細める。
未だ荒い呼吸を極力殺し、何かを感じ取ったように視野を広げて狭い小屋の中を見渡す。
そして鋸を右手に掴んだまま小屋を出る。
「気の所為かしら」
小屋の周辺を注意深く見渡すが、何も見つからなかった。
闇夜に響くのは蟲の囀りと、時折吹く強い風に揺られる樹々のざわめきのみだった。
(誰かに見られているような気がしたけども)
まあいいか、と少女――エリザ=ラルは再び薄暗い小屋の中へ消えて行った。
………
……
…
「中々鋭い感をお持ちのようで」
小屋から少し離れた木の陰からアガリアレプトは姿を現した。
夜に真価を発揮する自分の隠遁術に対し、些細な違和感を覚える彼女は素直に称賛に値する。
矢張り、内に秘める素質は抜群にあるらしい。
「まあ、あの程度の欠陥なら問題ないでしょう」
確かに、嫌な顔をする仲間はいるかも知れないとアガリアレプトは苦笑した。
(そういう場を提供してやれば特に暴発することもないでしょう。そんな些細なことより彼女を手に入れる理の方が遥かに大きいですからね。……しかし他の者たちを納得させたのは流石に驚きましたね。最悪一人でも良いと思っていたのですが)
明日この島の人間と戦う、と言って、はいそうですかと直ぐに納得する訳はないとアガリアレプトは思っていた。
ところが蓋を開けてみれば彼女はそれを簡単に行った。
強要したり脅す訳でもなく、ただ充分な勝算と何故今なのかを伝えるだけで説き伏せてしまった。
アガリアレプトは特に力を見せつけるような真似をしていない。彼女の横に立っていただけだ。
急行程で戦闘の準備は進められ士気は非常に高い。
純粋に、恐ろしい話術だとアガリアレプトは感じた。
久方ぶりに夜明けが待ちどうしくなったアガリアレプトは、集落に向かって踵を返した。
◆◆◆
この島で黒長耳族と人間が真面に剣を交えるのは約100年振りの事であった。
ただ、100年前と決定的に違うのは、仕掛けたのがダークエルフ、そして敗けるのが人間だということである。
先手を取ったのは無論ダークエルフ。
白昼堂々の奇襲であった。
「ハッ!」
一矢、また一矢とカイル=ラルは機械のような精確さで敵を射抜いていく。
魔力の乗った弓矢は充分過ぎる殺傷力を伴って、人間たちの躰に穴を開けていった。
ダークエルフ達は短期決戦を望んでいた。
長耳族種の持ち味を活かす森での戦闘を望めない今、勝負は人間が混乱から立ち直り軍を編成する迄の間にある。
汗を拭う暇も惜しみダークエルフ達は次々と矢を放つ。
主力は物理の弓矢。魔法に長ける者は魔法で逃げ纏う人々を攻撃していく。
中には子供もいる。明らかに戦闘力のない人間もいる。罪悪感がないと言えば嘘になる。
だが、昨日のエリザ=ラルの説得と力説によって彼らも覚悟を決めていた。
今更仲良く手を取り合う未来などなく、何方かが死に絶えるまでこの闘いに終わりは来ない。
「死ねえええ!クソエルフ!!」
弓を休むことなく放つカイル=ラルの背後で男が大きく振りかぶった。
表情は怒り。家族を殺された怨み。友の仇。
だがそれはお互い様だと、もしカイル=ラルが男を振り返って見ていたら鼻で一蹴していただろう。
「『楯と成りて衛れ砂海よ”蠢く砂”』
「――なっ!?」
男の一撃がカイル=ラルの背中に届く直前、それは突如現れた砂の楯によって防がれた。
「助かる」
射殺す作業を中断することなくカイル=ラルは背後にいるであろう少女に礼を言った。
「……別に構わない」
少女はぶっきら棒にそう言いながら、砂に絡め取られる男に止めを刺す。
喉仏に短刀が沈んでいく独特の感触に、少し顔を顰めた。
「”ラファ”、他の隊の者たちは?」
エリザ=ラルとカイル=ラルは、先日の内に急造だが簡単な班分けと、指揮系統を作っていた。
作戦は特に無い。
距離を取り、極力近接戦を避けるように伝えただけだ。
出来るだけ死なないように立ち回れ、それだけでいいとアガリアレプトにも言われていた。
「沢山殺してるけど、こっちもかなりの被害が出てる。……何人も死んだ」
木の上より土の中が好きだという風変わりな少女は哀しそうな顔で呟いた。
「そうか」
(そろそろエリザとアガリアレプト殿が此方に合流してくれる筈だが……これ以上時間を掛けたら厳しい。人間達も立て直しを図っている)
アガリアレプトとエリザ=ラルは大陸から援軍を呼ばれないよう、港の掌握に真っ先に行った。
それが完了すれば此方に合流すると聞いていたが、予定より少々遅れている彼らにカイル=ラルは焦りを感じ始めていた。
だがあくまで内心から外には出さない。
実質今回の闘いの頭である彼は、余裕を持って構えておかねばならない。
士気を維持する為の鉄則である。
「ラファ、押され始めている隊には無理に維持せず引きながら戦えと伝令しろ。追撃してきても森に入れば此方に部が有る。工作部隊には街に入ったら直ぐに家屋を燃やせと」
「わかった」
「各隊矢の補充は?」
「今日一日中射っても無くならないぐらい沢山ある」
「ならいい。行け」
コクリと一度小さく頷くと、ラファは土に沈んでいく。
「……若、気をつけて」
潜り切る直前、独り言のように呟いた。
「ああ」
背中で受け取ったカイル=ラルは、手を休める事なく矢を放ち続ける。
既に右手は、擦り切れて真っ赤に染まっていた。