20.勇者
20.In Paradisum
イベリア王国が誇る国軍の中でも選りすぐりを集めた精鋭部隊がある。
入隊条件はただ『強い者』、その一点に尽きる。
貴族の跡取、高名な魔術師の弟子、田舎の平民、商人の息子、更には戸籍もないスラム出身の者まで実力さえあれば入隊試験を受ける資格が与えられる。
多少の学や常識などは、部隊に入ってから嫌というほどやれば良い。
身分も年齢も性別の壁も何もない、通常では考えられない採用方式を採る部隊の名は近衛騎士団。
王国随一の矛であり最後の楯となる精強な部隊には、親の七光りや金銭に物言わせた弱者は必要ないのだ。
近衛騎士団には第一から第四までの部隊が有る。その第二、イベリア王国近衛騎士団が第二部隊隊長、”レイ=トルーマン”。彼の出目も平民であった。
齢三十、幼少の頃より剣を手に取り二十幾年が過ぎた。
だが、決して短くはない人生の経験の坩堝を掘り返しても、この様な生物は一度も見たことがなかった。
◆◆◆
突如、玉座に降り立った不詳の男を前にして質問を投げかける者は誰もいなかった。
三者三様反応は様々で、入り口近くにいた部隊長――トルーマンは言葉を失い、王は緊張に喉を鳴らしながらも謎の男から視線を一切逸らさない。
そして宰相アドルフは、
(……窓か)
彼の者が一体何処から侵入してきたのか考えていた。
玉座の間に出入り口は丁度二箇所ある。
一つはトルーマンが入ってきた大きな二枚扉の入り口で、余程の事が無い限り普段はこちらを使う。
二枚扉を開けば豪勢とは言い難い薄い赤絨る毯が玉座まで一息に伸びている。
もう一つの入り口は、国の重鎮の中でも王に近しい人物しか知らされていない極秘の地下通路に繋がる穴。
今現在、王が腰掛ける玉座の真下にある緊急時の抜け穴だ。
その何方でもなく、予め忍び込んでいた訳でもないとなれば考えられるのは魔法による転移。
しかしながら、魔力を使った形跡はまるでなかった。
魔法を行使すれば魔力の残痕が留まるのが常識であり、秀れた術師ならばそれを探知することができる。
アドルフという男は間違いなく秀れた魔術師であるが、この場で魔力の残痕を確認することはできなかった。
残る可能性として考えられるのは僅かに空いた天窓であった。
幅は手の平大程度、到底人が通れる程の隙間はない。
しかし、容易く通る方法はある。
(久しいな)
アドルフはかつて一度だけ見たことがあった。
古き時代より人々を恐怖の底に陥れた闇の眷属を。
良質な香水の狭間に見え隠れする冷涼な死の芳香は、決して誤魔化せるものではなかった。
「吸血鬼、か」
独り言でも呟くように吐き捨てたアドルフの言葉に、しかしアガリアレプトは感情の篭らない視線を以って返す以外の反応は示さなかった。
吸血鬼という種族。
近年、純血な吸血鬼の個体数は大幅に減った。
その所為か希少種な亜人としての認識が一般的に浸透しているがそれは間違いである。
断じて、彼らはそんな生優しいものではない。
確かに成り形こそ人間と然程変わり無いが根源はまるで違う。
非常に高い生命力に不死にも近い寿命。
人を、他種族を上質な餌としか思っていない種族至上主義と内に秘めた残虐性。
そして恐るべき身体能力の高さ。
中でも純血種は人間と吸血鬼の混血のような紛い物とは違い危険度は格段に高い。
一呼吸遅れて、アドルフの”吸血鬼”という発言にトルーマンが反応した。
彼も実物は見たことはないが知識としては知っていた。
そしてその純血な吸血鬼の特性として一番厄介なのは、自身の身体を”霧化”出来ることである。
僅か指先ほどの隙間さえあればいとも容易く入り込み、霧のように音も無く現れ霧のように何時しか消える。
彼等が本来の力を全て発揮できる満月の常闇では、影を捉えることさえ困難な変幻自在の夜の帝王。
「よせ」
しかし、トルーマンが腰の長剣に手を掛けるより速く、アドルフはそれを後ろ手に制していた。
「…………」
トルーマンは生唾を深く飲み込み喉を鳴らした。
明確な力の差がある事実は一目見た瞬間から判っていたが王の手前、何もせずただ眺めていることも出来なかった。
国に務める兵士とは、身を呈してでも仕える主君を守らねばならないのだ。故に剣を取ろうとした。
だが、ここで人間一人が剣を手に取ったとて何の意味も為さない。吸血鬼という種族には多少武術を齧った程度の人間一人何の障害にも成り得なかった。
目の前に悠然と佇む吸血鬼はあくまで自然体であった。
何一つ警戒する事も身構えること事もなく、ただ眼前を静かに見据えている。
そして一度薄く目を瞑り再び開いた時、玉座に腰掛ける王に視線を遣わせ言い放った。
「我らが王国”アインザッツ”の使者、アガリアレプトである。……貴様が読め。返事はこの場で聞く」
アガリアレプトは簡単な自己紹介と共に、状況を見守っていた王に書状を投げた。
仮にも一国の王を貴様呼ばわりした挙句、書状を捨て置き拾わせるという暴挙を行なっても咎める者は誰一人いなかった。
王は一度アドルフに視線を送り、彼が頷くのを確認すると玉座から立ち上がり慎重にそれを拾い上げた。
そして丁寧に封を解き、中の文面に目を通した。
顔色一つ変えず、まるで硬い物でも咀嚼するかのように一文字一文字確実に読み進める。
アドルフとトルーマンは緊張を解かず、静かにそれを見守っていた。
「貴様らには選択肢が与えられている」
燕尾服の襟口を直しながらアガリアレプトは言う。
”全ての権利を放棄した服従か、或いは全てを賭けた戦争か”
仕える主君であるカルシファーから詳しい内容は教えられていなかったが、その二択であると容易に想像できていた。
しかし、例えどう転んでも彼には人間という種を赦す心算は毛頭ない。
償うにはあまりにも遅過ぎる。
「一つだけ、聞きたい」
そんな中、王ははっきりとアガリアレプトを見据えて静かに口を開いた。
「我が王国、イベリア王国が第十七代目国王”レイル=ドワークス”として問う。貴殿らが我らを敵視する理由を聞きたい」
アガリアレプトから放たれている威圧は尋常ではない。
しかし、常人なら同じ場に立つことすら許されない緊張の中で吸血鬼、それも純血種を前にして気後れすることなく王は言い放った。
流石に首元を伝う脂汗は誤魔化しきれていない、だが少なくとも国を背負う覚悟がある者か、とアガリアレプトは思った。
そして一度目を閉じ、再び開くと同時に王を睨みつけた。
「我らの敬愛せし王は、貴様ら人間の騙し討ちとも呼べる卑劣な攻撃によって重症を負った」
更に、並々ならぬ殺意が目の前の人物より発せらたことに王は思わず生唾を飲み込んだ。
唇はとうに水分を失い乾燥していた。
(なんという……。まだこの世にこんな怪物が残っていたとは)
部隊長は思わず後退り、アドルフも僅かに身体を揺らした。
「それは――「ヴェルディ領ウッドリバー。今頃、皆殺しだ」」
王の言葉を遮り、アガリアレプトは続ける。
「無益な問答は必要無い。貴様らが知る必要も無い。……応えを聞かせろ。早く貴様らをくびり殺したくて仕方がない」
悍ましい程の殺意の差中、王の中では既に答えは出ていた。
(零か壱か、妥協案はないと言うことか。だが、このような理不尽な条件受け入れられる訳がない……)
書状の内容は簡単な挨拶と前置き、降伏に当たる条件のみ。
書状を遣わした主はアインザッツと呼ばれる組織、もとい国の元首。カルシファーという男。例外なくこれも人外であるだろう。
更に前置きにはこう記されていた。
「『全ての亜人を虐げる人間族を打倒すべく、私達は立ち上がる』」、と。
これもまた事実。人間族が増長し多種族を虐げているのは誰もが分かっている。分かっていながらそれをやっている。
だが、一番の理由は矢張り先程の吸血鬼の怒りを見れば分かる。
言葉を選ばなければ、ただ単に主君を傷付けられた為の仕返し。
これは表向きは亜人解放という正当性を掲げた革命、真の理由は全ての人間に向けた報復戦争である。
そしてそこに記されていた降伏に関する苛烈な内容が王を尚も黙らせる原因であった。
降伏を受け入れる場合、イベリア王国に於ける王都を除く全ての領土、領海、領空の権利の放棄及び譲渡。王国内に於ける人間家畜の生殺与奪の権利をアインザッツに付与。全ての国民の奴隷化及び私財の没収。軍の解体。
そしてこれらに従えない場合、無条件での戦争を仕掛ける旨が記載されていた。
そこまで彼らを怒らせたのには此方に非が有る、とは王も少なからず思っていたが幾ら何でもこのような巫山戯た条件を受け入れることは出来なかった。
少々草臥れてはいるが、仮にも一国の王。数十、数百万の人民の命運を簡単に掌で転がせる道理はない。
しかし、この場で降伏を拒否すれば目の前の吸血鬼が殺しにくるのは必須。
降伏を受け入れなかった段階で最早開戦である。
人間特有の格式ばった戦争様式など彼らが踏襲してくるとは到底思えない。
現に殺意を一切隠そうともしていない。
部隊長は勿論、元八星将であるアドルフですら純血種の吸血鬼と対等に戦えるか分からなかった。
そして、この吸血鬼アガリアレプトの話す事が事実か、それを実行できる勢力アインザッツとは本当に存在するのか、それすら正確な判断はできない。
(情報が少な過ぎる……)
通常このような重要な交渉事の際には感情を表情に出さないのが鉄則であるが、知らずのうちか王の顔はひどく歪んでいた。
それを尻目にアドルフは密かにトルーマンに目で指示を送っていた。
「…………」
トルーマンもそれを確認すると見向きもせずに僅かに拳を一度だけ握り締めた。
それは了解、の意味を持つ軍に於ける暗号。
「後十秒だけ待つ」
(ここで言い淀んでも最早結果は変わりないか。余計な事を言う時間もない)
「たとえ」
そこで一度言葉を切って王は、
「たとえ、如何なる理由が有ろうと、此方に非があろうと、この国の王としてこのような条件を受け入れる事はできない」
明確に拒絶した。
アガリアレプトはそれを満足気に聞いて、歪に顔を歪ませた。
文字通り、悪魔のような嗤みを湛えて。
「なら、死ね」
「やれ!!」
同時にアドルフが叫んだ。
「承知!」
最早敬語など使っている暇はない。部隊長トルーマンはわざと注意を集めるように大声を上げ、一気に走り出した。
右手は腰の剣帯に添え、何時でも抜けるようにアガリアレプトに向かって駆ける。玉座とはいえ室内の非常に狭い距離を全力で。それは駆ける、というよりは飛びかかるような跳躍に近かった。
その傍ら、見向きもせずに宰相アドルフは既に詠唱に入っていた。
トルーマンの鍛え上げられた肉体から作用する瞬発力は凄まじいものであった。
一息で、僅か一秒足らずでアガリアレプトの元へ到達し剣を抜く。
その後は抜刀からの袈裟切り、もしこの場に観客がいたなら誰しもがそう思いそしてそれが成功するとも思う筈だ。
トルーマンが放つ一撃はそれ程綺麗な剣筋であった。
だがアガリアレプトは最も簡単に片手で弾くと、既に次の標的に狙いを定めていた。
「――――」
当然人間の攻撃など、特に頸から上の無い死者の一撃などに殺傷能力は宿りはしない。
いつ頸を飛ばされたのか、それすら自覚する事なく彼は死した。
それでも尚、トルーマンが精確にアガリアレプトを攻撃出来たのは、国に仕える兵士としての最期の意地か死に行く運命への執念か。
例えば、鳥類ならば頸を斬り落とされても暫く動けるという話は珍しくはない。だが人としては前例がない訳ではないが、余程の意思を持った強靭な者にしか成し得ぬ偉業であった。
しかしその偉業を讃えている暇はアドルフには無かった。
バランスを失い崩れ落ち行くトルーマンの頸から間歇泉の如く鮮血が噴き上がる頃、アドルフの詠唱は完成していた。
「ぐッ……”『転送』”!!」
脇腹に酷い熱と痺れるような痛みを感じたアドルフだが構わず詠唱を行った。
目下、自身の腹を素手で貫くアガリアレプトと一瞬視線が交差する。
深々と差し込まれた手から滴る血液は、一滴一滴零れ落ちる度に赤の絨毯をより濃厚に染めていった。
アガリアレプトは身体が光りに包まれる最中、苦痛に表情を歪めるアドルフを見て愉し気に口を開いた。
「次は――」
そこまで言った時、一際強い発光がアガリアレプトを覆い、次の瞬間には彼は玉座の間から跡形もなく消え去っていた。
◆◆◆
僅か数分の間に、四人から二人となった玉座の間でアドルフが片膝を着いた。
「アドルフ!」
王が駆け寄って行くがアドルフはそれを制止した。
「”レイル”!今直ぐに議会を招集しろ!全ての八星将と各国の王にもだ!国に厳戒態勢を敷け!」
負傷した腹を抑えたアドルフは叫んだ。
ゴボッ、と口から血が溢れた。
弁えない口調は昔のそれに戻っていた。彼が王の名を呼び捨てたのは実に十数年振りの事である。
「分かった」
王は直ぐ様懐に手を入れ、取り出した警笛を鳴らした。
異変を感知した兵士達が、ものの数十秒で玉座の間に集まってくるだろう。
「ああ……心配するな。奴は、出来る限り遠くへ飛ばした。それに恐らく……いや、もう一度王都へ来ることは、今は、ないだろう」
床に座り込み息を切らしながらアドルフは言った。
――しかし、避けられないとはいえ結果的に完全に襟を分かつことになってしまった。
(また奴が単身乗り込んでくる可能性は限りなく低い……たとえ再び王都に来るとしても時間は稼げる……が、アレは不味い。あのクラスが後何人いるのか。……クソッ、キースの奴は一体)
「念の為……王都の守備を固め、軍の編成を。そしてウッドベリー近辺の街、民を全て避難させ、ろ」
「今まで住んでいた土地を棄てさせてもか?」
「……奴の口振りから推測されるに彼奴らは組織だ。あの吸血鬼と同等クラス、が複数……それ以上の戦力もいる、筈だ。態々一番強い者が使者などに、来たりしない」
既に、重厚な二枚扉の外が騒がしくなってきていた。
警笛を聞き付けた近衛達が武装して近付いて来ているのだろう。
そしてアドルフはある決断をした。
”魔王”に匹敵する脅威に対抗する為に無くてはならない者。
その者は全ての人類の希望となり、光となって闇を振り払い道を指し示す。
”異界”より召喚されし英雄。
「”勇者”が、必要だ」